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無色透明に迷  作者: 硝赫
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第一話

 ほんの少し、逸れているだけなんだと思っていた。

 別に焦る必要も無いし、自分が想像する「当たり前」の中の話だと。

 高を括って居た訳では無い。

 謂わばそうする他なかった、という事だ。


 ただその逸れは、納得や許容を供にし進み続ける。

 気付いた時には元の道など、雪が降りつづき、高く積もった場所の如く見当たるものでは無くなってた。


 いや、本当は気づいていた。

 後悔が見えてきた頃に、「元」と「逸れ」を想い始めただけで。それが見える前までは、これが道だと信じてやまなかった。

 二つに見え始めると、その片方であるこの道は、ただ雪を掻き分けた「跡」でしかないのかと感じる。


 道など無い、今迄の足跡の一番先に立っているだけだと。

 そう感じてからの一歩というのは全く無機質だ。


 その虚無感から慌てて逃げるように、元の道なるものを探す。

 しかし、これが正解の道なんだと縋りたくなったそれも、誰かの足跡なんだと解る。


 ああ、道に迷うとはそういう事なんだ。

 歩き慣れた場所であろうと、見知らぬ地であろうと。

 迷う時は決まって、何処かへ向かう一歩の意味を大なり小なり失っている。


 それが解ったのが、つい先日の事――





 



  こんな話を聞いた事があった。

「森でよく迷うのは、森では心の迷いがよく現れるから」なのだと。

 誰の言葉なのか、どこまで本当の話なのかはわからない。

 少なくとも、既に迷った者にはあまり意味の無い言葉だと思う。

 

 そう、自分は今まさに森で迷っていた。

 空は茜色に染まり、見渡す樹々の間は一足早く暗色に塗られ始めていた。

 早く帰路に着かなければ、想像もしたくない事態になるだろう。

 無意識に恐ろしい想像が延々と巡っていた。


 辺りのちょっとした明暗や輪郭が、もう冥界からの何かに見えてきて、その圧倒的な圧迫感と恐れで走り出しそうになる。


 だが、そうしたら二度と心の安定は取り戻せないだろうと察し、意味の無い早歩きまでにどうにか留めていた。


 もう如何にもこうにも平静を保てなくなり、嫌な冷汗が流れたその時、暗色のはずである樹々の間の奥に小さく、黄色に近い橙が映えていた。


 それは一定の速さで移動している。

 最初で最後の救いの手だと思い、少々無理ある茂みの中を掻き分け、乗り越え、一直線に向かった。

 葉や枝と思われるもの、時々そうではないであろうもの、無数に連続して身体に当たる感触全てが不気味だったが、ひたすら無視して進む。


 無心に向かっていった先のそれは、やはり誰かの燈だった。

 この勢いで出て行くのは不審に思われるかと思い、向かう勢いに理性を働かせる。


 すると、すぐに草木が悄らしい所が出てきた。

 どうやらこれからあの燈が通る道のようだ。

 謙虚さを醸し出しつつ、道に沿ってゆっくりと燈に近付いていく。


 次第に自分の辺りも少しずつ照らし出されてくる近さになり、ようやく姿が明瞭になってきた。同時に、驚く。

 何故なら時間も場所も似つかわしくない、たった一人の少女だったからだ。

 

 先程よりも慎重に身振りに気を配りながら近付く。

 燈が最後の曲がりに入った時、ある程度の距離がある中で、向こうから自分が見える様、こちらは道に立って待つ。

 そして、曲がり終えた真っ直ぐな道の上で燈の少女と向き合ったが、まだ声をかけるには多少大声となってしまう距離で、佇まいに細心の注意を払いつつ、もう少し近づいてから、どう声をかけようかと慌てて考えていた。


 揺れる燈のせいか、こちらをしっかりと注視する様子も見えなく、刻一刻と対顔の時は迫る。

 そうして自然に声をかけられる所まで来た時、とにかく細心の注意を払って、絞り出しておいた挨拶を投げかけた。

 しかし、少女は反応する事なく変わらぬ歩調で進み続ける。


 挨拶が成り立たなかったこの時、一瞬でさっきまでの圧迫感と恐れが甦りそうになった。

 その直後、透き通った小さな声が耳に届く。


「こんな処で何をしてるのかしら」


 とても綺麗な顔立ちだ。

 何よりも先にそう思ってしまった。

 そして、少女とは到底思えない立ち振舞いに呆気にとられる。


「黙りされてもね……。もう暮れよ」

 迷ってしまって帰路に着けずにいたと説明しようとしたが、先に少女が話す。

「迷子かしら」

 端的に言えばそうなので、ただ頷いた。

「暮れと言っても、もう夜よ。ここまで来たら、今からの下山は無理よ」

 救いの手だと無心で燈まで来たが、我に返ると少女の言った事が実際なのだと思い、少し放心してしまう。

「……はあ。私の家に来なさい。明日の朝まで居ていいわ」

 

 唐突に危機的な問題が解消されたことと、その親切さに唖然とした声しか出なかった。


「君、大丈夫なの?挙動がだいぶ変だけれど」

 出来るだけハッキリとした返事と、少し遅くなってしまった御礼を言ったが、それでも少女はオドオドとしているのを小馬鹿にした様な目で見て、少しほくそ笑んでいた。


「君の肩の蛇、飼ってるの?」

 驚いて声が出る。

 当然ただの冗談で、少女はより一層笑っていた。



 そうしたやり取りの時間で、あたりは空の方が明るいくらいになっていた。

 不気味さにソワソワしながら、妙に堂々としている少女に情けなくも安心して、ただただついて行く。

 その姿に見兼ねながらも、少女はただ自分の家へと案内した。

 

 想像していたよりも早く少女の家に着いたが、それは家というよりも館であった。

 夜の森に突然現れた様に聳えるその館に、森とはまた違う、気圧されるような威圧感で心を縮こめられる。

 同時に、そんな館の住人であろう少女も急に影の黒が濃くなったように思えた。

 少女が自分にとって救いだと、心で定まっていた分尚更だ。


 門から建物までの距離が少しある。

 この門を越えるべきではないのかもしれないと心によぎった。


「君が何を思っているかは想像つくけどね、要は選択よ」

 少女がそう言葉を発しただけで体がビクッと動いた。

 そんな自分を横目にさっさと歩き出し、少女は門を過ぎて行く。

 結局選択という選択をせぬまま少女の後を追う様に門をくぐった。



 屋敷の入り口の灯だけを見つめ、ただついて行く。

 やっと扉の前まで来たとき何気に少女の顔を見ると、なんだか嫌そうな表情をしていた。


「ではどうぞ、別に君が思っている様な怖い事は何も起きないよ」


 そうして開いた扉の先はとても暖かな雰囲気が広がっていて、怖い想像をしただけ損だったと思った。

 

 一先ず感謝を述べようとした時、少女が先に口を開く。

「それじゃあ朝まで過ごして、出る時は勝手に出ていいから」

 そう言い残し、さっさと階段を上っていく。

 当然聞きたい事は沢山あるが、なんとなく呼び止める事も、追うわけにもいかず、ただ広いロビーの真ん中に立つ。


 何をしていいのかわからず、辺りを見渡す。

 とりあえず感じたのは、お金持ちなんだろうな、という事だった。

 形容し難いほどに立派で美しい内装、何処となく質素さもある。

 ほんの少し、何故だか懐かしさのようなものを感じた。

 そのせいか、とりあえず歩いてみる。

 そういえば、他の住人は居ないのだろうか。少女の家族は?


 それに沢山部屋があるようだが、自分以外にも客人が居たとしたら。そう思うと急に居場所が無い心地になった。


 そして今更、明らかに人の気配が無い事に気づく。

 こんなに広大な館の中、外の樹のさざめきが聞こえる。カーペットを踏む自分の足音が響く。

 扉が並ぶ、ひたすらに長い廊下を進むと、突き当たりに大きな窓があり、それが額縁かの様に木が外に立っていた。

 近づかないと分からなかったが、窓ぶちにメモが沢山貼ってある。

 勝手に見て良いものなのかわからないので、みない様にしたが気持ちが見たがっている分、目に入ってしまう。

“留まれるのは、動かせるからか”


 ……? 何の事かわからない。

 特に見ても問題のないものでよかったと、ほっとして廊下を進もうと角を曲がった瞬間。


 唖然とし、目を見張った。

 壁や窓、柱や床、なにか装飾品までにも夥しい数のメモが貼られている。

 立派な雰囲気の館に似つかわしくないその光景に、ただ立ち尽くした。


 恐ろしい物語の主人公になった気分だった。

 背筋が凍るという表現が指すものは、確実に今を表すための言葉だ。


 先程まであった少しの好奇心もすっかり萎縮し、後退りする心に素直に従う。

 しかし、ここまで通って来た長い長い直線の廊下を見た時、退いた先にも心の平穏があるとは努々思えなかった。

 結局進むことも、戻ることもせず、すぐそこにある柱と壁の間に身を寄せる。

 森を明るいうちに出れなかったその時から、災いは皺寄せの様にずっと自分を追ってくるのだろう。

 そう暫く、虚ろに反省しているうちに、諦めが芽生えて、少し気分が落ち着いていく。


 そんな中無意識にメモの文字を目で追っていた。

 読んではダメかもという曖昧な気持ちは、状況とその枚数のせいか完全に埋もれ、そしていつの間にか何気に、その文字から心が救われるようなものが無いか探していた。


 ここからギリギリ見える位置のメモに書いてあった。

”安心は、安らかな心の事、言葉が死んだ、それはもう恐怖からの逃走心を指す“

 他の怪文よりも人っぽさがあり、現状の自分と無関係では無い気がして、その言葉が頭の中を暫く廻る。

 当然、今、自分は安心で在りたいが、恐怖から逃げているうちは、それは無理だということを書いているのだろうか。

 納得がいかないとか、そういう訳では無いが他にもこの様なメモがないかと眺め、探す。


 先程のメモの真横に注視する。

”目が目以上に、耳が耳以上に、口が口以上に成ってしまう”

 横に貼ってあるのだから関連しているのかと考えたが違う様だ。


 逆隣りには

“全てに柱が要る、幹が無くなれば枝が幹に代わる、必要は担わされる”


 上に

“ほんとうの範囲”


 下に

“ [感] は存在の外皮である”


 関わりがあるから周りに貼っている訳ではないのだろう。

 近い割に余りに無規則だと思い、各頭文字を並べたり、文字数を数えてみたりしてみるも規則性は見つけられなかった。

 他のメモを見ようとするが、角度や大きさ故に見えそうで見えないものもある。


 ほんの少しだけこの空間から身を乗り出し、一番近いメモを覗き見る

“二羽の鳥が        ”


 文が途切れていて読めない。

 途切れているというよりも、明らかに文が続く余白を残して途中でやめている様だ。

 このメモの周りも、全て途中で文が終わっている。

 さすがに考える気も失せ、もう黙ってうずくまろうした時、色が違って一際目立つメモが目につき、元の位置に戻る前に、最後にもう一、二歩乗り出して見ようかと思った。


 少し近付いてみると色が違ったのではなく、ただ明かりの具合でそう見えただけだったが、階段の手摺りの始まり部分、大きく立派な彫刻の位置にこのメモ一枚のみで、やはり他とは少し存在感が違った。

 

 こう書いてあった。

“ここより肉体が登る、精神は降りよ”

 これが階段の登り降りを指している事は間違いないだろう。

 他よりも随分具体的だと少し気抜けした。

 もういいかと戻ろうと思ったが、他が難解、というより意味がわからなかった分、少しの試したさと、怖さで戻りたい気持ちが矛盾し、取り留めのない気分になる。

 要は階段を登る時に、降りる気持ちで挑めばいい、という事だろうと、安直だは思いつつも、最初の一段だけささっと試してみる。

 外で鳴く夜鳥の声が少しだけ、それっぽさを演出した。


 やってみると、明らかに脚が軽かった。

 二、三回試してみるも確実だ。

 これがどれ程の事かは解らないないが、もうずっと不安な時を過ごして居て、少しでも期待が叶うというのは言葉には表せない心の明かりとなる。


 そうとはいえ、それは先へ進められる程の明るさではなく手元を照らす程度で、微かな高揚感と共にあの空間にすぐ帰る。


 また同じくそこで身を丸めるが、さっきとは違い何処となく眠気を感じ、小さなあくびが出た。

 一瞬、廊下でみた部屋々々を思い浮かべるが、すぐそこの曲がり角を行く想像ですら心を暗くする。


 黙って目を閉じた。

“安心は、安らかな心の事      “

 外から聞こえる夜のさざめきに精神を合わせ、あの文を心の中でなぞりながら、眠気に身を委ねた――








 何でもない少し真っさらな気分。ここが何処だか曖昧ですぐに認識できない様な、寝惚けながら、ふと激しく焦る。

 館内の灯が消えて薄暗くなっていた。


 慌てそうになるが、窓の外を見て安堵する。

 薄明るいのだ。


 報われた様な気持ちや、達成感と少しの自負、様々な感情が入り交じり合った瞬間だった。

 夜のオドオドした動きとは一変し、階段を駆け、上の階を横目に、踊場の窓から外を眺める。

 暗く何がハッキリと見えるわけではないが、多分、夜明けを噛みしめていた。

 みるみる明るくなっていく空をじっと見つめていた。


 十分に不安が明けたところで、ふと振り返ると、登った側の手摺りにまた際立つメモを見つける。

 寝る前の階段のメモ、その対となるものらしい。

“これより肉体は降る、精神は登れよ”

 夜の恐怖が去った今、もう片方が出来たのもあり、ただただ言葉通りに実践してみる。

 すると、明らかな安定感やスムーズさを実感し、面白さの様な気分を感じながら階段を降りきった。


 ふと我に返る様に思う。

 一体このメモとは何なのか、と。

 この奇妙な光景も、一晩共にして見慣れた自分を不思議に思う。

 辺りを見渡しながら歩き、改めて考え始める。

 その時、遠くからドアが閉まる音が響いた。

 少し、油断していたというか、意識が抜け落ちていたかも知れない。

 あの少女の存在。

 大きな恩があるとはいえ、不気味な体験の根幹となる存在。

 会った時に、どう挨拶しようか、どうお礼を言うか、すごい早さで頭を駆け巡る。

 しかし、本心は違い、会わないように出口に向かう。それだけだった。

 不義理な自分を憂い、少し足を止めるが、それを見て見ぬふりをする様に早足で歩みだす。

 どうやら二階からこちら側に歩いて来ている様で、恐らくもうここの階段を登った少し先まで歩いて来ている。

 決して遠くはない程度。

 逃げているのを悟られるのも避けたいが故、音を立てない様に急いだ。

 大きな額縁の様なあの窓を曲がり、長い廊下を進む。

 その時、窓から射す日で出来ている自分の影の形が奇妙な事に気付く。

 物凄い鳥肌が立つ――

 間髪入れず振り返ると、 少女が立っていた。


 全身に電気が流れる感覚、走り出す事も出来ず、頭が真っ白のまま、目を見開いていた。

 

 少女が近寄ってくる。


「何て顔してるの??」

 少女は呆けた顔でそう言った。

 放心し、ただ少女を見ながら立ち尽くす。

「君って本当に変ね……?」

 呆れ顔に変わり、そう言い放つ。

 平然と話す少女を目にして、少しだけ落ち着きを取り戻した。

 気付かなくて驚いてしまった、と頭を低くし説明しようと息を整えるが、少女が先に話しだす。

「君、昨晩はどこに居たの?」

 それに対し、あの柱と壁の場所に居たと伝えると軽く笑われた。

「あれだけ部屋があったのに、どういう感性なの」

 ここに着いた時、あんな風な説明じゃこうもなるだろう、と一瞬よぎるも言葉にはできなかった。

 すぐそこの部屋のドアを少女が開ける。

「君にとって、この部屋よりその場所の方がお好みだったのかしら」

 それはとても立派な客室で、笑いたくもなるのも納得だった。

 その嘲笑うような笑顔も、少し優しく見えたせいか疑問に思っていた事が自然と口から漏れる。

 それは、何よりあのメモたちは一体何だったのか。

 もう一つは、二階からここまで到着する早さが明らかに異常だった事。

 少女は順に答えた。

「メモはメモよ、書き留め」

 当然それでは納得いくはずもなく、質問を続けた。

「別に特別隠す訳ではないけれど、あえて知られる気もないの」

「お客なんて迎えるつもりが無いから、ああしてるの」

 結局、どういうものなのかは語られなかったが、試してみた階段の登り降りの話をすると反応が違った。

「あらそう、それじゃ理解は浅すぎるけど、成る範囲は成るのね」


 少し食い気味に内容を聞こうとすると、話を打ち切るようにして少女はこう言った。


「まあ、一つ言うなら、君の二個目の質問の答えは、それへの理解、その度合いの違いね」


 言っている意味がわからない。と同時にただ漠然と察した言い様が無い合点と、追い付かない理解が鬩ぎ合う。

 そんな様子を窺った少女が、ふと語りだす。

「いい?話す意味が無いの。この世の出来事全てに名前なんか付かない、だから貴方達の思う” 理解 ” に沿った答えがでないのよ」

 急な展開に頭が追いつかない。

 しかし自分でも気付けていなかった疑問について触れられている様な、そんな気がしてならなかった。

 もどかしさが少し募るが、何かが解けそうな、そんな気がする。


 それに加えて何故だか少女が熱心に言っている様に見え、そのまま聞き続けた。

「……一応伝えておくわ。本当の理解っていうのは沈黙の中にしかないの。言葉や呼び名、それ等で扱うと矛盾を起こしてしまうから」


「……そもそも感知出来ている事にしか呼び名って付かないでしょ。それと想像出来る事とか。けどこの世の現象を全て感知出来ていると誰も思わないでしょ?想像すら及ばない事もわかってるはず。それなら何故、言葉を並べる事で“答え”が出ると思えるのかしら……」


 少女は終始、哀しげに見えた。

 話を聞いていなかった訳ではないが、その表情の方が気になってしまう。

 哀しげというよりも、寂しさと儚さっといった面持ちで、余裕溢れる飄々とした雰囲気に明らかに雲がかかった。

 そう感じた時、館が少し小さく感じ、年月で傷んだ様子が気持ちに沁み渡るように目に入ってきた。


「きっと君は少し、それの本当の意味に気づける……気づいてしまう存在よ。ちゃんと気の許せる友達や家族としっかり向き合って生きなさい」


 そう言うと少女は歩き出し、長い廊下をエントランスの方に向かって進む。

 少女が言った意味を考えながら、当たり前の様に後をついていく。

 


 その背中は、また少し無機質な凛とした姿に戻っていた。


 玄関まで来たところで立ち止まる。


「じゃあ、もう迷わないようにね。それと助言は忘れずに」

 何となくわかってはいたが、どうやら出発の時のようだった。

 いざ出発の時となると、ここへ来た時には考えられない様な事を思って居た。それは、


――まだ終わりたくないな、という気持ち。

 遭っただけの人なのだから、きっとまた今度は無い。

 それが最後、この場に立って実感し、消失感なようなものに襲われた。

 何故か、ただただ終わりたく無いと焦燥する心が更に騒がしくなる。

 もう、この扉を出て行くだけでしかないタイミングで、はっきりと主張する様にこう言った。

 自分には、気の許せる存在なんて居ない、と。

 

 そして恐る恐る、彼女の目を見ると、戸惑いが浮かぶ表情、その中に何処か真っ暗な場所を眺める様な眼差しがあった。

 そのまま少しの静寂があり、その後彼女は重く、小さく口を開く。


「私は、貴方が何故、森で迷って居たか解ってる。貴方以上に。此処に何かを求めてしまえば、森よりもっとずっと深い所に迷う事になる。そして、貴方は “答” に惹かれている。答が苦しみを解決してくれると、感じている。けど答が齎すのは答までよ。幸せのようなものではない」


「……行きなさい、二度と訪れない様に」


 そう別れの言葉を言われた時、全てが繋がった。

 数週間ほど前、大事なものを失った後に生きる自分の夢をみた。

 起きてほしく無かった事が起きてしまった後の夢で、目が覚めると、身体は凄くうずくまって、涙の跡が広がっていた。

 悲しいとか苦しいとかじゃない、ただ地獄だと思った。


 それでも他の夢と同じで、時間が経つにつれ、その夢での感情も薄ぼけていき、あまり気にしない程度になった。

 しかし、薄くなろうとも、ふとした時、思い出しては切迫し心が沈む。

 いつからか、なにをどうしたらいいのか想いながら日々を過ごす様になっていた。

 そうすると何故か、いつも歩く道から少し外れる様に歩く自分がいた。

 それはきっと、このままではその未来が来てしまうと、憂いた為にやっていた事なんだろう。

 そうして今回、森に迷った。


 何かが繋がった事によって、それらの自分の内訳のようなものが氷が溶ける様に垂れ流れてくる。

 それを無心で、溶け出すままに口に出していた。

 彼女は、そんな独り言みたいなものを黙って最後まで聞いてくれていた。

 間を見計らって口を開く。

「貴方が見たという夢、それはまず間違い無く起こるわ。予知夢とかそういった事では無く、現実で必ず起こるであろう悲惨な夢を見るという事に意味があるの」


「寝るというのは、精神や肉体のバランスを整える時間なの。見る夢もその範疇。だからね、バランスを整えるのに衝撃的な内容を使ったりする、物を叩いて直すようにね。それには、貴方がさっき言ったような地獄とまで言い表せる様な内容もある。誰しもがある事なの」


「けどね、その悪夢で見た事をどうにかしようと動くと、必ず重大な厄難を惹き起こすの。そこまで至る人は稀よ。聞く限りでは、どうやら貴方はもうその兆候があるみたい」


 彼女は玄関からエントランスの方へゆっくり歩き出す。


「正直に言うわ。貴方がその悪夢を見た事は解っていたの。それに対して動いていた事も。ただ、その事自体の全貌を自覚するとまでは解らなかった」


 神妙な面持ちで、今まではハッキリと正対して話す事は無かったのに、別れの船出前の如くただ真っ直ぐこちらと向き合い言った。


「それ自体を自覚するまでに成ると、その後、ほぼ確実に死ぬわ」


 一瞬何を言っているか分からなかったが、彼女が言うなら本当にそうなんだと、訳も無く、すぐさま納得し、身も心も少し冷たくなる。

 続く彼女の話を、空ろな気分で聴いた。


「一応言うと、よく言う自覚とは認識が二重、三重な状態ね。要は黙っていても認識っていうのはちゃんとされていて、もう一度確かめる様に、二度塗りするかの様に認識をする事を自覚って呼ばれているわ」


「そうなると、悪夢で見た未来の様なものによって、動くだけでも物凄い負荷となるのに、その事自体を認識すると更なる負荷が起こるわ。尚且つ、悪夢に対しての意思が強いと死はもうほぼ確定的なレベルっていう事になる。だいぶ省略して言うとね」


 漠然とであれば、少し理屈は分かる程度だが、感覚としては彼女が言っているままの様な気がした。

 結局、自分にどうにか出来る規模には感じず、心が中空になってく様を、ぼんやりと眺める。


 しかし、あのやって来るであろう未来、あれだけは許容できないと沸々とし、何故、薄ぼけていけたのか、思い出さないようにできたのか、今や全く理解ができない程だった。


「……小心者なのに、ね」

 小声でそう言った時。一瞬、彼女の雰囲気が、冬の炉に火が灯る時の様な感じがした。


「さっきの部屋使っていいわ。服とか日用品は大体収納に入っているから」


 驚く声が漏れた。

 その言葉を聞いた瞬間、呆然としながら様々な気持ちが錯綜し、結果、何故だか黙って、少し涙ぐんだ。


「一回帰るのでしょ?日時は何も気にしないから、来れる時また来るといいわ。ああ、来る方法を教えるわね」


 言い表せない嬉しさや高揚感に包まれて、会話の合間合間に感謝を言い、しつこいと怒られた。

 そして諸々の説明を受け終え、今度こそ本当の出発の時が来て玄関の扉へと向かう。

 すると、また少し温度が下がった声色で彼女は言った。


「その悪夢の話に、区切りがつくまでだからね」

 勿論、今この状況でも奇跡の様なものだから、何の異論もない。

 これ迄にない爽やかな返事をし、挨拶を述べ出発する。


「夜来るのはお勧めしないわよ。猛獣が出るから」

 そう薄ら笑いする彼女の温度に安心して館を出た。




 門までの道の途中で、ふと改めて思う。

 此処へ来るための手順を教えてもらったが、内容を知るに、やはり彼女は普通の “人” では無い。

 それは間違いないのだろう、と。




「今度は失敗しない。今度は失敗しない。今度は失敗しない」


 第一話 終



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