馬鹿みたい
「あれ……? まだ生きてんのか……」
「リベル様っ! ああ、良かった……目を覚まされて……」
「ユマン……?」
隣でユマンが泣きじゃくっている。こんな姿は今まで見たことがない。涙をボロボロと流し、せっかくの美貌が汚れてしまっている。
リベルは記憶が曖昧だった。確か自分はどうなって、今瓦礫の上に仰向けに倒れているのだったか?
「どうしたっけな……確か変な光に──」
記憶を巡っていたその時、あることに気づいた。
"両腕の感覚がない"。
ゆっくりと顔を左右に振り替えると……案の定の結果があった。
「はは……ただのカスになっちゃった」
両腕が喪失したリベルは、自分はもう戦力として使えないと悟った。寧ろあの化け物の一撃で生き延びたことが奇跡に近い。
リベルは力ない笑みを浮かべる。
「あそっか……断面が閉じてんのはユマン……お前が治癒魔法をかけてくれてたからか。でも……残念ながら魔力の無駄遣いだ。こんなんだしな……そいやサラはどした? 見かけねえけど」
「……申し……ひっ……わけ……あり……ま……ぐすっ……せん……っ!」
リベルの顔が涙で濡れていく。悔恨の念の心情が、涙一滴一滴に表れている。
「泣くなよ……」
「本当ならば……私が盾になり然るべきはずなのに……っ! 私は……またあなたに命を救われてしまった……」
「しょうがねえだろ……俺の方が強いんだから……」
「そうです……私が弱いから……あなたの傍にいるというのに……っ! ふふ……サラの言った通りかもしれません……」
「…………」
「私の腕が代わりとなるなら……あぁ……今すぐにでもこの腕を捧げます。……まだあなたに……何も返せてないのに……っ!」
「たくっ……マキナちゃんと同じこと言うなよ……」
リベルは視線を少しずらし、またユマンの目を見て言った。
「……お前もう逃げろ」
「えっ?」
「どっか、人のいない所に行け……そこで適当に暮らせ……どのみち世界はぶっ壊れるけど……今死ぬよりマシだろ……」
「……ならあなたも一緒です。一緒に逃げましょう。あなたが言うのであれば」
泣きながら答えるその顔は、真剣だった。ユマンの発言にリベルは笑う。
「俺はこんな様だ。不便な生活は望まない」
「なら私が付きっきりでお世話します。今度こそあなたの元を離れません。24時間ずっと……あなたの傍にいます」
「それは少し鬱陶しいなあ……使えない奴の介護なんてやるだけ無駄だろ」
「関係ないです。あなたが強くても、弱くても、私はあなたのために生きます。あなたは私の……全てだから」
「…………わからねえ」
リベルは笑うのうやめ、声が微かに震え始めた。
「なんでお前は俺から離れない? 俺はお前に好かれることをした覚えはねえ」
「何度も言っています……あなたは私を救ってくれた」
「んなことしてねえ。俺は、"お前の母親から受けて、お前の父親を殺しに行ったんだ"。そこで偶然魔物が起きて、魔物を殺した時にすぐ側にお前がいただけだ。拾ったのも成り行きだ。感情なんか乗っちゃいない。それなのにお前は……俺から離れなかった」
「それも何度も申し上げました。両親……村にいた人々は、私を邪な目で見ていました。この美貌を喜んだ時間なんて1秒たりとてなかった。ずっとずっと……毎日毎日嫌で嫌で仕方なかった。周りを恨み……自分を恨んだ日々でした。ナイフで全身の皮膚を剥ごうとまで考えました……でも……あなたは違った。私の姿を見て……"私を見てくれた"。人を……初めて好きになったんです」
「大袈裟な……」
「リベル様がそう思っても……私にとっては意味ある出来事だったのです。おかげで、私は少し自信がなくなりましたよ。私が何度誘おうとしても……リベル様は何もしてくれないから、私に魅力がないのかと……」
「……そういうわけじゃない。お前は魅力あるよ。ありすぎなくらいに。でもそうだな……お前は男を見る目がなかったかな。俺みたいな、"おかしな奴"を選ぶなんてさ」
卑下するように自らを嘲嗤う。それにユマンは付け加えた。
「なんでそんなこと言うのですか?」
すっと、リベルから笑顔が消えた。
「私はそんなこと思ったことはありません。逆にあなたは──リベル様は、なぜそのように自分を偽って振る舞うのですか? "あなたの笑顔には何もなかった"。いえ、寧ろ辛さがあった。何でですか? どうしてですか? 何度も聞こうとしたけどあなたは聞いてくれなかった。どうしてっ……私はただ……本当のあなたと話したい」
「……本当の……俺?」
本当……本当ってなんだ? リベルは思う。
(生きる定義を持った──"おかしな俺")
否、違う。
「……お前何言ってんだよ。これが俺だろ?」
"また、作り笑いを浮かべる"。
「俺は俺だ。イカれてて、何考えてるかわかんなくて、不気味で、おかしい奴なんだよ。"それで良いんだよ"! "そうじゃなきゃ駄目なんだよ"! 俺は……俺は──」
「俺は、なんだ?」
青年の声が確かにあった。左からだ。
リベルは顔を晒し、ユマンも顔を上げる。
「ルー兄さん……」
「ルー様……」
姿が見えなくなっていたルーがそこにいた。ボロボロなはずの体は完全に癒えている様子。
おそらくクラルの治癒魔道具を使ったのだろう。
「斬撃音が突然止まったからな。来てみたら、これだ。話も途中から聞いてた」
「……盗み聞きやめてくださいよ」
「聞いてよかったよ。やっと、お前の"本音"を聞けた気がする」
ルーはしゃがみ込み、今はもうないリベルの右腕に触れる。今すぐ治してやりたいが、ルーも治癒魔道具を持っていなかった。
ルーの治癒魔法でも無い腕を生やすことはできない。
「本当にイカれた奴なら、俺に手なんて貸さねえし、マキナも心を許したりしない。マキナが昔言ったんだ。助けたいから助けた。それじゃ駄目? てさ。お前も似たようなもんじゃないか? 俺はさ……お前がたびたび笑顔を失くした時が、お前の本当の顔なんだって思ってる」
「……俺は……」
「情けねえけど……お前と剣を交わしただけじゃ、お前の心は理解できなかった。こんな目に合って、俺が巻き込んだくせに何言ってんだって思うけど……言葉にしねえとわかんねえ。少しでいいから……聞かせてくれよ。お前の本音」
かつて、ルーがマキナに初めて出会い、会話し、手を取った時と同じ目をリベルに向けている。
馬鹿みたいに真剣で、真っ直ぐで、思わず口が開いてしまう。
リベルは無意識に呟く。
「だから……マキナちゃんも惚れるわけだ」
その時、ルー、ユマン、リベル自身も驚愕する。リベルを頬を、1滴の雫が伝っていた。
拭き取ろうとするが、その手もなかった。
涙を流した記憶など、リベルの中にはなかった。ここにきて……"緩んでしまった"。
「……生きる定義が……ないと駄目なんです」
笑顔はない。しかしその姿は、今まで見てきたリベルという少年の、ありのままの姿だった。
「母さんが死に……父さんを殺したあの日から……母のためだけに生きてきた俺は……何かを目的にしないと生きていけなくなった。それがないと……頭がぐちゃぐちゃになって、痛くて、怖くて……それが生きる定義じゃなくなって……また新しいのに取り替えないと……何も手に付けなくなる。へっ……何言ってんだって思うでしょ? でも俺は……こうなんです。"おかしいんです"。周りはそんなこと考えないと知った時は、驚愕しましたよ。ああ……俺は普通じゃないんだって……俺は…………俺は……それが嫌だった」
「……」
「リベル様ッ……!」
ルーは黙って聞いている。ユマンは寄り添うように涙を流している。
「他人と違うのが……同じじゃないのが辛かった。何で辛いのかわかんねえけど……嫌だった。だから……自分が根本的におかしくなれば……生きる定義なんて持ってても……普通になれるって……はは……何言ってるかわかんなくなってきた」
「リベル様……ずっと……抱え込んでっ……!」
「ルー兄さん。助けたいから助けた。良い言葉だ、でも……俺はそんなんじゃない。誤解だ。ただ生きる定義を見つけなきゃって……あんたに付いてっただけ。立派な考えなんてないんだよ。俺は……嫌だと言いつつ、結局……おかしいままだ。母さんが死んでも……父さんが死んでも……悲しまなかった。ジェトラの言ってた通り……俺は欠陥品だったわけだ……」
「そうか……」
「じゃあ俺も欠陥品だな」
「……はい?」
ルーが突然言い出したかと思えば、言ってる意味が不明過ぎた。
「……かける言葉間違ってません?」
「いいや。思ったことを言っただけ。俺はシエンが全てだった。そのシエンがいなくなった時、絶望した。今も……もうこの世にいないって思ったらさ……胸が痛くなるんだよ。俺はシエンに依存してた……いや、してる。"欠陥"だろ?」
「わ、私も! あなたがいないと生きていけません! 十分"欠陥"ですっ!」
欠陥──欠けて足りないこと、不備な点。しかし、欠けて足りないこととは何か?
それは人それぞれ、この世の人間全てにある。ルーはそう伝えたかった。
「……違うよ」
しかしリベルは──
「そんなんじゃないんだよ。俺のは! 俺の頭から、心から、離れてくれないんだよ!」
解決できるほど柔ではなかった。
「心臓と同じだ! ないと生きてけないんだよ! ユマンやルー兄さんのように理由があるわけでもなく、ホントにクソみたいな物で、でも離れてくれない! 朝目が覚めると……"言葉が聞こえてくる"んだよ」
【"私のために生きるの"。"私を生きる意味にするの"。"私がいるからあなたは生きていられるの"】
最早、呪言に近い呪縛。幼い少年に植え付けられた、愛であり、願いであり、傲慢であり、狂気の言葉が、現在も衰えも知らず残り続けている。
(あんたでも無理だ……)
リベルはわかった上で、諦めていた。自分はもう……"救いようがない"と。
「定義じゃなくなったらまた考えなきゃならない。思いつかなかったら苦しくなる。こんなのおかしいでしょ……こんな状態で……俺は……生き続けなきゃいけないんです」
「……どうにもならないのか」
「ええ。無理です。でも、今日で区切りがつきそうです。戦う力も失って、俺はもう死体ど──」
「なら──」
「"最高に幸せになって死ぬために生きる"、とかどうだ?」
ジジッ……ジジッ……ジッ…………
リベルの中から"声"が遠のく。生きる定義が、上書きされようとする。
リベルはただ、ルーの瞳をのぞき込む。
「今……なんて……?」
「もう1回? 幸せになるまで死ねないってことだよ。"お前のそれはもうどうにもならない"。"でも、こうすれば、ないのと一緒だ"。"なぜなら、幸せに上限なんかないからだ"」
「……何ですかそれ……」
ルーの解決策を聞いたリベルは、"本当に笑った"。
「そんな……簡単でいいんすか?」
「俺はカウンセラーじゃないんだ。お前の曇りを晴らすことはできねえ。でもその曇りに、手を差し出すことならできる。実体験があるからな」
「……なんか……はっ、真面目なこと言ってる俺が馬鹿みたいですよ」
「それで済むなら良い方だ。でも生きる定義を達成するには、化け物退治をしなきゃいけないみたいだ。もし……お前がまだ戦ってくれるなら、"これを使ってくれ"」
ルーは"それ"を生み出し、"それ"をリベルの隣に置く。後は無言で去ろうとする。
「ルー兄さん!」
リベルは呼び止め、
「あんたと逢って良かったよ!」
ただ一言そう告げた。
「行っちゃった……」
「リベル様……どうされますか?」
「んじゃとりあえず……俺ら結婚する?」
「はい…………えっ。ぇえええええええええええええええええええええっ!!!」
("救われる"って、こういうことかぁ)
1人の少年は今日この日を境に、"声"を聞くことはなかった。
『……………………』→『最高に幸せになって死ぬために生きる』
もうフリは、やめた。