神の手
「死んだか……」
自らの人災で創造した理想の虚無の地平を見渡すフィーニスだが、言葉とは裏腹に心の中では沈思していた。
(泣き叫ぶ断末魔が聞こえない。あの飛んでいた竜の仕業か……余計なことを。あの反乱者共が生きているのはまだわかるが、王国の国民が生存してるとは興が乗らん。建物をいくら壊そうが修復が効く……)
「魔法の範囲を広がるか」
地壊震と天災壊の併用使用。
常人ならば己の魔力量の限界値に達し、1度すらも、発動できたとしても半端な威力でことが終わるだろう。
しかしフィーニスは例外。併用使用、連続使用、魔法の範囲拡大など造作もない所業。
フィーニスは手を掲げ、人が大勢いる気配を感じる距離を計算し、また新たに天災を発生しようとする──
「ん?」
"影"に気づく。ふと地面を見たら、謎の丸形の影が自分を中心として広がっているのがわかった。
今はフィーニスの魔法の影響で暗雲が立ち込め、太陽は顔を見せてないと言うのに。
どういうことか上を見上げると、
「大胆じゃないか」
巨大な氷塊がフィーニスに向かって落下していた。
気づいた時には回避も叶わず、フィーニスは氷塊に押しつぶされるように姿を隠した。
「やったかしら……?」
銀髪の少女が瓦礫から顔を出す。あの氷塊は、サラの氷結魔法が生み出したものだった。
天変地異を自身の魔法で一心不乱に防ぎ続け、サラはなんとか命を繋いでいた。
「あなたですか……」
サラの背後から声がした。サラも警戒しながら振り返ると、背の高い羨ましがるほどの美貌を持つ美女が、サラを見下ろしていた。
言わずもがな、ユマンである。サラ同様、規格外の災害から自らの身体能力を生かし命を繋いでいた。
そんなユマンだが、サラを見るやいなや、誰でもわかるほどの落胆した表情をした。
「はぁ〜……」
「ちょっと。人の顔見てため息つくなんて無礼よ。何よその、「リベルなら良かったんだけどなあ」みたいなあからさまな顔!」
「代弁していただきありがとうございます。それで、リベル様はどこですか?」
「知るわけないでしょ! それどころじゃなかったんだから! まあ、リベルなら問題ないでしょ。彼が死ぬわけないんだから」
「当然。当たり前です。そんな当たり前のことをいちいち言わないでください」
「ム、ムカつくわーこの女! 何リベルを1番わかった気でいんのよ!」
サラが立ち上がりユマンを睨むが、サラはどう足掻いても見上げる形になってしまう。
非常事態を超えた緊急大惨事の時に、この2人は苦味合い続ける。
「そもそも、今までよくリベルの隣にいたわね? 次虚殺でもない一般暗殺者のくせに、トップに立つリベルの横に? 横に立つ普通? 分不相応にもほどがあるわ」
「何ですかその、「私なら相応しいのに」みたいな言い方。リベル様のような偉大なお方に似合う器は、強さではなく容貌です。1度は憎んだ私の美は、リベル様のためにあったんだとはっきり言い切れます。実力などと如何にも脳筋が言いそうな言葉を発した時点で、私が隣で良かったと心底断言できます」
「はあ!? それ自分で言う普通!?」
「少なくとも、あなたより私の方が綺麗だとリベル様は仰っていました」
「嘘ついてんじゃないわよ、この肉ダルマ!」
ガミガミと己の言い分を連発しまくる両者。
彼が氷塊から出てきたことにすら気づかなかった.
「惰弱千万」
「「あ!?」」
巨大な氷塊に潰れたはずのフィーニスが平然と歩いていた。2人はようやくいがみ合いを中断した。
「やっぱりあれくらいじゃ無理か……」
「ルー様でこの有り様ですから当然でしょう。考えが足りませんね」
「一言多いのよ!」
「くふふふふ。全く緊張感の無いやり取りだ。やはり脇役では役者不足だな」
フィーニスは肩を落としながら告げる。
「貴様たちがここにいる理由はなんだ? 私に楯突く道理は?」
サラとユマンは一瞬向かい合い、
「リベルがいるから」
「リベル様がいるから」
と同時に言った。
「うーん……やはりまともなのはルーしかいないな……まあ道中でかき集めた寄せ集めの殺人集団か、仕方あるまい」
「それ自分にブーメランくるけど大丈夫? 言っとくけど、あんたに何も思う所がないと決められるのは心外なんだけど」
「ほお? 是非聞こうか」
「"ムカつく"。あんな気色悪いの脳に植え付けられてそう思わない奴いる?」
「くっ、あははははははははは! なんと底辺な! しかし敵に挑む大義名分が全員ご立派に考えるのは酷な話か。主要以外の脇役は大体貴様のような考えの奴がどの世界にもいた。嗤ったことを謝罪するよ」
「……この女にも劣らないウザさ……なんでこんな奴が王なんてやってるのかしら……」
「それはそうと、そっちの女は知らんが、サラ。貴様がリベルを好くとは何があった? "親を殺して『虚栄』に入って来た当時"は、あんなに尖っていたのになあ」
サラの表情が曇る。ユマンが初めて知った顔でサラを見る。
【お母さんっ! お父さんっ! 嫌ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!】
忌々しい、人生最大の過ち。まだ幼過ぎていた、などと割り切れる過去ではない。
何度も自殺を考え、死に損ね、自分も魔法も呪い続けた。未来に希望などなかった。
【本当に死にたい奴はとっくに死んでるだろ】
【使えよ魔法。俺よりずっと綺麗じゃん】
言葉が心に刺さった初めての時だった。そうだ。サラはあの時──
「私は"救われたのよ"」
「ほお……あの小僧が救うなどと、そんなことができるとは思えないが。ユマンも似たようなものか。だが残念だな……どうせ全員────」
邪王の魔力が膨れ上がる。
「死ぬことになる」
「閻魔獄炎」
フィーニスの両腕が真紅の炎に包まれる。両腕を交差させ、ばさっと勢いよく前へ羽ばたかせた。瞬間、真紅色だった炎が突如蒼炎へと姿を変え、その場一帯を覆いつくしてゆく。
崩れ去った王都の街並みが、燃え盛る灼熱の海に移り変わり、その牙は前方にいる2人にも向けられる。
フィーニスの言葉に偽りなく、魔法1個体で軍どころか、国そのものを滅ぼせる力を有する破壊力。
並の魔法では立ち向かう前に焼き尽くされるのがオチとなる──
「絶対零度」
"並の魔法なら"。
パキパキパキパキッ!
蒼炎同様、サラが生み出す万物を凍らせる冷気が、一帯を凍てつかせる。広がり続ける炎と氷。
ついには互いに衝突し合い、業火の世界と凍てつく世界が鬩ぎあいを始めた。
火力を上げる蒼炎。絶対零度の領域を超える冷気。今、この戦いの天秤が傾いているのは──
「ここまでとは……」
"サラだった"。徐々に、徐々にだが、サラの凍結魔法の勢いが増してきている。微細だが確実に、フィーニスの命へと近づいてきている。
「流石に少し面を喰らったよ」
「真の魔才だか何だか知らないけど、人ひとりの力を見くびるんじゃないわよ。私の魔法の使い道は決して褒められたもんじゃない。私は殺人鬼。失ったままされるがままに生きてきた。でもね、そんな私の力でも、あなたの命を脅かすことができるのよ!」
サラの魔法が強くなる。灼熱の蒼炎が次々と凍り付き、フィーニスの世界が段々と小さくなっていく。
フィーニスは呟く。
「そうか……少し考えを改める必要があるか……」
フィーニスは閻魔獄炎の発動を止める。一瞬戸惑ったサラだが、好機と判断し絶対零度の冷気をフィーニスに迫らせる。
邪魔が喪失した冷気は地面もろとも、空気中の粒子すら凍てつかせ、フィーニスの生命を終わらせようとする。
「だが、脅かす?」
冷気の隙間から見えた、フィーニスの嘲笑。そしてさっきまでは絶対になかった、フィーニスの両手を輝かせる──"黄金の光"。
「誇張しすぎじゃないか?」
右手を手刀に構え──薙ぎ払う。
ズワッ!
「…………っっ!! な……に……っ!」
大気が震える。黄金色が地平を埋め尽くし、地表の霜と氷が剝がされていき、空気を凍結させる冷気すら浄化していく。
傾いていた天秤が、神の暴挙により逆転してしまった。
体を魔力で強化し地面にしがみついていないと、サラとユマンは風圧だけで吹き飛ばされそうだった。
「何あの光……私の絶対零度がこんな……」
「あの鎌以外に加え、自在に発動させる天災に蒼炎に謎の光。一筋縄にはいきませんね……」
「……はあ……仕方ないわね。ユマン」
「そうですね。ここは、一時休戦といたしましょうか」
スイッチが切り替わったように、両者の目の色が変わった。互いの心を認識したと同時、2人は反対方向へと飛び抜いた。
「さてどう出る……」
土煙と冷気の霧散で視界が悪くなっている。ルーと同じ気配探知魔法を発動しているが、気を隠すベテランの暗殺者では効果が薄い。
先の人災を発生させ跡形もなく粉砕しても良いと考えたが、フィーニスは2人の行動を待った。
不意に背後を振り向いた。なんと眼前には、鋭く繰り出された1発の拳骨があった。
「お?」
まるで頭の後ろに目があるフィーニスは軽々と攻撃を躱し、不意打ちを打つだったはずのユマンを凝視する。
「ちっ!」
「魔法武装か。いいだろう、来い」
黄金に輝いた両拳を構え挑発する。
ユマンも負けじと、身体強化術式にありったけの魔力を通し、己の身体能力を爆発的に高める。
(思えば、リベル様は私に殆ど稽古を付けてくれなかった……)
独学で学び、合ってると感じ得た戦闘法。『虚栄』の任務では、自分より実力が高い猛者と出会う機会には恵まれなかった。
すぐ側にいるというのに、それがどこかユマンに歯痒さを感じさせていた。
そして現在──痛感させる圧倒的な力の差。それが、ユマンのリミッターのギアの鎖を解いていた。
リベルですら認めるユマンの力が、今ここで、最大限に発揮される。
「はああああああああっ!」
ユマンの正拳突きが、フィーニスの右掌によって静止させる。右足の蹴りがフィーニスに放たれるが、これもフィーニスの片手で防御されてしまう。
フィーニスに自分の力全てをぶつける。踵落とし、膝蹴り、回し蹴り、ストレート、ボディブロウ。
ユマンが繰り出す技の一個一個が天下一品に仕上がっている。ユマン自身も自覚していた。暗殺者の頃にも感じなかった緊迫感。
それがユマンの動体視力、反射神経を強化させ、フィーニスの抜けている隙、弱点を見抜き、攻撃をすかざず当てていることができていた、のだが…………
「はあ……はあ……」
「貴様のことはよく知らんが、少々見縊っていたようだ。よくここまで鍛え上げた。ルーやリベルを除けば、世界で指折りの実力者じゃないか?」
フィーニスに攻撃が当たらない。ユマンが必中の拳打を放った時も、まるで未来を読んでいたかのように止められてしまう。
おまけに常時光輝く黄金の双拳。
(なんなのあの拳……っ! 私の技があの黄金の手で止められるとき、"威力が落ちる"! まるで絹に触れたように、攻撃の手ごたえが全く感じない! こんな白兵戦があってたまるか……っ!)
心で愚痴を呟きながらも、自分にはこれしかない。何とか1撃でも喰らわせようとしがみつくユマン、とそこで──
バシュッ!
青白い氷の閃光がフィーニス目掛け飛んできた。
「……っ!」
フィーニスは一瞬身構えるが、ユマンの激闘に対応しながら片手を離し、閃光を掌で受け止めた。
「サラの援護射撃か……近接は不利と感じ後衛に回ったか? まあだが問題ないレベルだな」
フィーニスは片手でユマンの猛攻を退き始めた。時に左、時に右手と、サラの狙撃とユマンの拳撃を同時に相手取るが、先ほど同様に華麗な手捌きを見せている。
「さっきまで手加減していたのかっ!」
「どうだろう? 私は腕の立たん者には魔法すら使わんし、貴様の格闘技術は確かに素晴らしい。だが、私は幾つもの世界という世界を渡り歩いてきた。無数の技術を指先に至るまで修練し獲得してきた私にとって、魔法など使わずとも貴様の未来の動作くらい読むに容易い!」
顔面殴打を狙うユマンの拳骨を受け流し、フィーニスのカウンターがユマンの耳を掠める。
掠っただけのはずなのに、ユマンはどうしてか妙に痛みを強く感じた。
「はあ……クソッ! 段々速く……っ!」
「私の"神の手"は全てを無効化する。神の神々しい黄金を纏いし拳は、あらゆる攻撃を吸収し、全を砕く──」
拳速が上がったフィーニスの動きに、ギアが上がったユマンですら対応できず僅かな隙が生まれた。
「しまっ────」
ズドンッ!
世界を貫くほどの拳打がユマンを襲う。
「があぁ……っ!」
フィーニスの一撃は内臓にまで伝播し、ユマンを苦しめる。胃の中の全てを吐き出しそうになるのを堪えるが、今のでユマンの体力は失われた。
腕はしおれ、体から力が抜けていく。
「久しぶりに体を動かせた。礼を言──」
ガシッ。
「……っ!」
力も戦意も喪失したはずのユマンが、腕を伸ばしフィーニスの両腕を掴む。
「今です!」
顔色が最悪なユマンが叫ぶ。その言葉の即後──
ザクッ!
「……」
氷槍がフィーニスの肺下部に突き刺さった。
「やった……」
今度こそユマンが力尽き後方に倒れる。
「零度!」
遠くから、1人の少女がついに声を上げる。
なんと、フィーニスに突き刺さっている氷槍から氷結が始まり、フィーニス体内部から急速冷凍されていく。
遠隔で魔法を発動させているサラは、心でガッツポーズを取った。
(よしっ! いくら無限に再生ができたとしても、凍らせればそんなの関係ない! 魔力回路ごと凍てつけ!)
出し惜しみせず魔力を使い切る勢いで魔法術式に通し続ける。
後数秒後には、フィーニスの全ての内臓は凍結され、更には骨、筋肉、血液、皮膚に至るまでサラの魔法が行き渡る。
抗えるはずもなし。生きたまま氷塊に埋もれるのがフィーニスの末路だった────
「…………あれ?」
サラ、地面に伏しているユマンも違和感を覚える。魔法は発動している。なのに……フィーニスの体外部に何も影響がない。
もう全身が凍ってもおかしくないはずなのに。
「どういうこと? ……なんで何も起こらないの?」
「起こっているさ」
地獄耳でも備えているのか、遠くにいるサラの声まで拾うフィーニス。
フィーニスはただ嗤う。
「見事な急襲だった。気配の消し方は私を越えている。私でなければ、決着は既についていた……」
フィーニスが刺さっている氷槍を掴む。なんと、掌に触れている槍の先端が、"熱によって溶かされた"。
それが起点に、フィーニスの体中が段々と熱を帯び始め、マグマに包まれているかのように真っ赤に染まっていく。
「"熱装"。私の体温は約1000度。貴様の氷結魔法も通じはしない」
サラは火だるまと化したフィーニスを見て、口が塞がらなかった。
「何よそれ……そんなのとっくに命が尽きてるはず……」
「おいおい。原子レベルで動きが停止する魔法を使っておいて何を疑問に思う? 暗殺者ならば、即座に次の手を考えて動け。おっと、もう辞職してるんだったか」
「この化け物おおおおおおおおおっ!」
ユマンが決死の覚悟で殴りかかる。しかしフィーニスはノールックで拳を受け止める。
「ぐっ……ああああああああ!」
灼熱と化したフィーニスの体温がユマンの拳を焼く。
「ふん」
済ました顔で、ユマンをサラがいる方向へ放り投げる。
「きゃっ!」
「ああ……クソッ……」
「あ、あなた……手が……!」
「私より奴を……」
サラが顔を上げると、熱装を解いたフィーニスがこっちに歩いてきている。
「このぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!」
サラの魔法が限界を超える。周囲空間の気温が急激に低下し、荒れ狂う吹雪を作り出す。
最早制御は念頭から外し、フィーニスが視界から全く見えなくなる。
「喰らえ!」
サラの吹雪がフィーニスに向かい放たれる。王国全土を氷の王国にするほどの威力。
推定温度はサラにも不明。ただ全てを飲みこまんと襲撃する──
「"聖魔剣"」
眼前に広がる大嵐を見据えながら、ただフィーニスは、新たな魔法術式に魔力を通す。
生成されたのは、1本の聖剣。フィーニスの神の手の黄金の輝きが、聖剣の刀身に宿る。
「吹き飛ばすには剣の方がやりやすい──」
逆手に構え、縦一文字に────斬る。
ゴオッ!
「「っっ!!」」
立ち込めた暗雲が、吹き荒れる吹雪が、凍える大気が、割れた。斬撃の余波が2人を巻き込み、重傷を負う。
「そ……んな……」
「…………」
万策尽きる。もう手札は残っていない。戦うにも魔力を使い過ぎていた。
休息を挟む必要があるが、こちらに近づくフィーニスは、それを許してはくれそうになかった。
「"救いがないな"。良い顔だ。安心するといい。貴様らの想い人も、同じ行き着く先。地獄に逝かせてやる」
抵抗できない兎に、獣が刃を振り上げる。獣の奥に見えるのは、いつもの少年の笑顔。
彼と一緒なら、地獄でもどこでも行ったって良い。両者相違ない発言。
しかしあの世で逢えるだろうか?
見たこともない場所で、必ずと逢えると胸を張って言えるだろうか?
(まだ……伝えきれてないことが……たくさん……)
走馬灯が蘇ろうとした…………その時──
"銃弾"がフィーニスの手の甲を貫いて、
「あれ~はずれちった」
道化のような声が戦場に響いた。
「あ……」
「ああ……よ、良かった……」
「ここでか、"異常者"め」
フィーニスの顔つきが変わる。一丁の黒い拳銃と、一本の曲刀を持った黒髪黒目の少年を見つめる。
「真打登場♪」