ふざけんな
「なんだよこれ…………」
ルーは唖然としていた。上下左右真っ白な空間で見ていた──"シエンの記憶"。
突如として現れたシエンの生涯をただ眺めていた。同じ空間にいる5人も同様。
「えっ……どういうこと……これ?」
「これ、本当なんでしょうか……?」
「あれが……ルー兄さんが言ってたシエンさん?」
「あの男……アタナシア王国の王?」
「いやそれより……あなたの……シエンって人──」
「死んでるの?」
"死"。
ルーは考えすらしなかった。絶対にどこかで生きている。そう信じて疑わなかった。
死んでいるなんて考えられなかった。そして何より、"生きてなきゃ会えないから"。
殴ることも、見ることも、喋ることも、想いを伝えることだってできない。
「……嘘だ」
と思いたかった。しかしルーは"思い出してしまった"。竜とシエンとの会話。
記憶の隅に追いやられていた、己との接点を。
「"アカ"?」
すると突然、真っ白だった空間が、真逆の真っ黒な空間にすり替わってしまった。
上下左右諸共すべて。
「な、なんだ! おいマキ──」
振り返った先には誰もいなかった。マキナも、クラルも、リベルも、ユマンも、サラも。
さっきまでいたはずなのに。
「これは一体……」
「ルー」
声がした。ルーは声が耳に届いた瞬間、勢いよく声がした方向へ首を向ける。
誰の声? なんて疑問は浮かばなかった。
"ルーは覚えている"。マキナでもクラルでもリベルでもユマンでもサラのでもない。
時が過ぎ去り、最後に聞いたのは遥か昔。しかしそれでも、ルーの記憶には、はっきりと張り付いて離れなかった。
振り向いた先にいたのは────
「シエン……?」
「久しぶりだね」
黒い空間に腕を後ろで組んで佇むその人の名は、シエン。
ルーが引き止めようとして叫んだ"あの時"から、姿は殆ど変わっていない。さっきまで見ていた屍同然のシエンとは違う。
ルーが探していた人物が、確かに目の前にいた。
「シ……エン……お前……」
「ルーがここにいるということは、"アカ"は約束を守ってくれたんだね。ありがとうアカ。それにしてもルー、大きくなったねえ。顔もよりカッコよくなった。もう付き合ってる人はいるのかい?」
「……なあ……シエン……なんで……」
「おっと、いきなりで混乱しているようだ。まあ……当たり前だ。もっとルーと何気ない話をしたいが、まずは、言わなければならないね──」
「私はもう死んだ。この世にはいない」
事実がルーの脳に焼きつく。信じたくなかった、否、目を背けて見て見ぬふりをしたかった事実が、これで確定となってしまった。
ルーにはわかる。今目の前にいるシエンは、幻術や精神操作魔法で狂わされている虚像でもない。
"確かにここにいる"。考えれば、本人がそう言っているのだ。
「今ルーが見ている私は、私が最後に作った魔法の結晶体にある記憶の姿。触れるし話せるけど、この空間を出たらそれでおしまい。ルーならわかるだろう?」
「……全部……本当……なのか? 俺が見た光景も全部……」
「そうだよ。私は無様に負けてしまったんだ。かっこ悪いだろ? ルーは私を恨んでいるよね。当然だ。私は君を捨ててしまった。本来なら、記憶だとしても合わせる顔なんてないんだ。でも……会えたなら言わせて欲しい──」
「本当に……ごめんなさい」
「……」
頭を下げるシエン。謝罪の言葉の後には何もなかった。沈黙が続いた。
ゴッ。
殴打の音がした。ルーがシエンに駆け寄り、胸倉を掴んで頬に一発ぶち込んだのだ。
「ふざけんなよ、シエン!!」
「……」
吹き飛ばしたシエンの胸倉を再度掴んだ。ルーは溢れんばかりの慟哭を叫ぶ。
「なんだよいきなり! は!? 伝言頼んでおいて私は死にました? そんなこと聞くために俺はお前を探してたんじゃねえよ!」
「……ルー」
「大体なんだ!? ごめんなさいって? 謝罪なんて求めてねえ! 俺は……俺はなあ! どっかでお前とばったり出会って、その後さっきみたいにぶん殴って、そして……そしたら……」
「許すつもりだったんだ……」
蛇口が壊れたように、ルーの涙腺は崩壊した。こんな筈じゃなかったのに。
同じくシエンもぼろぼろ泣いていた。お互い涙を流しすぎて顔がよく見えない。
「また……あの頃みたいに……誕生日祝って……あんたが作ったケーキを食べたかった……」
「ルー……私は」
「なんで何も言わずに出てくんだよ。せめてあの時……いなくなった時……迎えに来るって……俺に聞こえるように言えよ。辛かったんだぞ……寂しかったんだぞ!」
「ごめん……私は大馬鹿者だ」
「そうだよ……馬鹿野郎だよ。俺は別に、お前と一緒に死んだってよかった。お前と一緒なら……"良い人"じゃなくて……"シエンさん"がいれば良かったんだよ……」
「っ……!」
シエンは思い違いをしていた。自分は彼に会う資格なんてない。ルーが思う理想の自分は、"救ってくれた良い人"。
捨てた自分とは既に遠ざかってしまった。だから、シエンは役目を果たすまで会うのをやめた。
でも違った。ルーの認識は、とうの昔に書き変わっていた。
そんなこと──どうでも良かったのだ。
「……ああ……私は頭まで馬鹿になってしまったのか。ルーの気持ちを……何も汲んでやらなかった」
「……あんたは……否定したけど……それも全部……俺が決めることだ。俺は間違いなくあの時──"お前に救われたんだ"」
「……ありがとう。ルー。君は立派で……良い子だ」
「そう思うなら……一緒にいて褒めちぎってくれよ……俺は……1人なんだから」
「ルー。嘘はいけないな」
シエンは立ち上がり遠くを見つめる。誰もいないのに、誰かを見ているようだった。
「ルーの周りには、たくさん人がいたじゃないか」
「見てたのかよ……」
「特にあの小さい女の子。わかるよ。ルーと1番仲が良い」
「両親が屑親でさ。捨てられてたのを拾った」
「そうか……ルーは"また、救ったんだね"」
「どうだか……あいつは俺を認めてくれたけど……正直わかんねえな」
「それこそ、あの子が決めることなんじゃない?」
「……死人のくせに言葉が上手で」
「ふふ。どうも」
2人は笑った。その瞬間だけは、真っ黒な素朴な空間ではなく、あの時一緒に過ごした家の団欒の光景があった。
「シエン」
「なんだい?」
「……こうなった以上。俺は見て見ぬ振りはできねえ」
「最後にやるべきことがある」
────
ルーは目を覚ますと、マキナの心配そうな顔が1番に目に映った。
「ルー起きた! ねえ大丈夫? なんか泣いてたけど、痛いとこでもあるの?」
「……ああ。問題ねえよ」
「心配したんすよ〜。ルー兄さん以外全員起きたのに、目覚さないから。なんかありました?」
ルーは地面に寝そべってることに気づいた。あの光の球を触った後、気を失っていたらしい。
ルーは起き上がった後、とことこと歩き始めた。
「"アカ"。思い出したよ」
アカ。
それはかつて、ルーと同じ研究所にいた竜の、ルーが名付けた名前。
【わぁ……でかい】
【なんだ小僧。見せ物ではないぞ】
【全然食べてないでしょ? 僕の分けてあげる】
【いらん。そんな痩せた体をしてる小僧にもらう飯などない】
【竜……さん? 僕、本の中でしか知らなかった。とってもかっこいいです】
【……ふん。見たことなどあるはずなかろう】
【名前……教えてくれない? あっ、言いたくないんだっけ? じゃあ……アカはどう? 赤色だから……て、流石にダサいよね】
【……別に我は構わん】
大した会話などしてないが、ルーは隅に追いやった記憶を懐かしそうにふける。
「俺、忘れてたよ。薄情な奴だな俺」
「言ったが、無理もないことだ。主は時が経つにつれ心が壊れていった。我がいることにすら気づいていなかったように見えた。我が話しかけても、主は返事をしなくなった。限界だったのだ。仕方ないことだ」
「優しいな。俺のとこまで来てくれてありがとう。よく俺を見つけたな」
「我だって早く見つけたかった。しかし、我が研究所を完全に破壊した直後には、主はもうどこかへ消えていた。仕方なく魔力波長を辿ってシエンに辿り着いた。その後はがむしゃらだ。しかし、ある時主に似た魔力が高まった気配を感じてな」
「ああ……なるほど」
ルーには心当たりがあった。ここ最近は魔力を消耗させた戦闘が多かったおかげだろう。
「リベルに会って良かったよ」
「? 何がですか?」
ルーは向き直り竜──アカの鋭い瞳を見つめる。
「なあアカ。俺……」
「言うな。シエンと話したのだろう? 奴は止めたか?」
「……受け入れたし、"預かり物"も」
「そうか。ふん。ここまで来たのだ。我も乗っかるとしよう」
「ありがとう」
アカはルーの思考が読めるかのように同意する。そしてルーは、"仲間へと振り返る"。
「なあ皆。俺の我儘に、付き合ってくれるか?」
「えっ? それってどういう──」
「もちろんっ!」
クラルが口にしようとした言葉をマキナは跳ねのける。
「何があったか後で聞くけど、シエンさんがらみでしょ? ならやるっきゃないでしょ! ここでやっと、ルーに恩返しができるんだから! "我儘に付いて行きます"!」
「最後までって言ったからね~。それ以外やることないし。な、お前らも行くよな?」
「いやわけわかんないけど……まあ行くわよ。じゃないとこっち来た意味ないし」
「私はリベル様にお供するだけです」
「えっ! ああ、あ、ボ、ボクもっ。このメンツであ、あまり役に立ちそうにはありませんが……」
マキナに連動するように賛同する。ルーは軽く微笑み、決意を固める顔を浮かべる。
「これが俺の、旅の終わりだ」
────
現在──
「遠路遥々ご苦労だな。茶でも淹れてやろうか?」
「テメェの反吐に塗れた茶なんて御免だね」
「ふむ。言葉遣いがなってないな。シエンに敬語は習わなかったか? 目上の者に対しては使えと」
アタナシア王国、玉座の間。現国王──フィーニス=ヴラク=フィナルに対峙する"4人"の人間。
王宮の天井から無断で、それも半壊させて玉座の間へと侵入。アタナシア王国の歴史の中でこんな暴挙に出た愚者はいただろうか?
すぐに衛兵や騎士団が駆け付けてもおかしくない事態だが、玉座の間にいるのは5人のみ。
侵入した直後、サラの凍結魔法で全ての出入り口を封鎖したおかげもあるが、原因はもう1つ。
「ゴルァアアアアアアアアアアアアアアア!!」
上空を飛び回るアカの存在である。
「なるほど。あの竜の力を使ってここまで来たか。国は最早パニックで騒然としている。悲鳴を上げ逃げ惑う市民の声がここまで聞こえてくるわ。いやーにしても……癖者揃いの役者ばかりだなあ」
フィーニスはリベルたちへと視線を移す。
「リベル。お前がここにいるということは、恐らくウィルの奴が喋ったのだな。やれやれ。馬鹿な奴だ。せっかく手伝ったというのに」
「あれ? なんであんた俺たちのこと知ってんの?」
「当たり前だろ。ウィルレウスが『虚栄』を立ち上げた時から、私とは関わりがある。ついでに言えば、ルーを殺せと命令したのも私だ」
ルーは苦い表情をする。言った本人は少し不思議そうな顔をした。
「んん? なんだもっと驚くかと思っていたのだが……」
「別に。ただ、シエンの記憶を見た時から思ってた。俺は知らなかったが、"テメェは俺のことを知ってた"。まさかお前、"俺のことをずっと観察してたんじゃねえのか"?」
なぜだが不明だが、フィーニスは『魔才』としての多くの子どもを監禁し、魔法術式の分析と抽出を繰り返している。
ルーが引っかかったのは、この男が『魔才』としての自分をそのまま放置していくかということだ。
「観察ねぇ……別にしても良かったが、奴があの竜を逃がす算段をつけていた誤算が生じた。おかげで流石の私も貴様を見失った。貴様を殺そうと指示したのは暗殺者の2人が謎の死亡をした時。他の暗殺者が跡を調べたところ、"男が1人と少女が1人"いたことが判明した。それで気になって、ウィルに命令をしたところ、見事ビンゴだったわけだ。貴様が殺されようがされまいがどっちでもよかったのだよ。私にとっては」
フィーニスが話を区切ろうとした時、ある1つの疑問が浮かんだ。
「そう言えば、その"少女"はどこにいる? 貴様と一緒にいたんだ。無関係ではあるまい」
「……」
この場にはいない人物が2人いる。"彼女ら"も同じ誓いをし、ルーについて行くと決めた仲間。
【◾️◾️◾️◾️】
しかしルーは────
「まあいい」
フィーニスは興味が無くなったと即座に話を終わらせた。元々この場にいない者の存在など、気まぐれで聞いたに過ぎなかった。
「それよりもだ。救われ、見捨てられ、見捨てられたと思いきやそれは違く、本物の家族のように愛されていた恩人が死んだと知り、親の仇と今相見えるこの復讐劇。くふふふふふふふ。躍る展開だなあ。"似たようなことは何度かあったが、ここでは初めてだ"」
「は? 何わけのわかんないことを……」
「いやなに、ここまで来ておいてなんだが、貴様たちには足りないものがあると思ってなあ。シエンもそうだ──私のことを何も知らない」
シエンの敵討ち。これがルーの最後の目的。シエンを陥れ、自分とシエンを離れさせたこの男を許さない。ルーの決心は揺らぐことはない。
しかしルーは、ある大前提を放棄していた。
"この王は一体何がしたいのか"?
フィーニスが何をしたいか、シエンの記憶で見た悪行をする理由など、ルーにとっては些細な疑問に過ぎない。
やるべきことは変わらないのだから。だがそれでも、疑問というのは残り続けるもの。
「……だからどうした? ご親切に俺たちに教えてくれるのか?」
「まあ、それで構わん。"ここでの最初の反逆者"たちに少し敬意を払おうと思ってな」
「あいつどうしてかムカつくわ」
「ルー兄さん。もう斬っていいです?」
サラとリベルが痺れを切らし突撃しかけた瞬間、フィーニスは突拍子もなく、前触れもなく、静かに告げる。
「私はこの世界の人間ではない」
言葉が合図となり、そして────