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King Road  作者: 坂田リン
後章:救われた人々
18/36

花見



「シエンについて、知りたくないか?」

「シ……エン?」


脳内に混乱が駆け巡る。この竜は今何と言ったか?


ルーの人生を形作った人であり、ルーの人生を隅から変えてしまった人物。


シエンの名を口にした。


ルーは自分でも驚くほどに反応していた。


「シエンについて何か知ってるのか!? お、教えてくれ! 今どこにいるんだ! 知ってることを全て話してくれ!」

「まあ落ち着け。急ぐ気持ちはわかる」

「……あいつには、言わなきゃいけないことが沢山あるんだ。でもその前に1発ぶん殴る。俺を捨てた分を1発。そしたら……話を聞いてやる」


ルーはすらすらと内に込めていた言葉を並べる。竜はルーを惜しむように鋭い眼光で見つめると、突如腹部の一点が輝き出し、その光が球となって外に出てくる。


「なんだ……それ?」

「魔法の結晶体。シエンが"残していった"物だ」

「のこ……した?」

「我の口で説明するより、見た方が早い。そこにいる者らも一緒に見るといい」


ルーをはじめ、マキナ、クラル、リベル、ユマン、サラが円の形を作り、竜は距離を取った。


「いや〜一体何が始まるんでしょうね〜」

「それより私はあの竜とどういう関係かを知りたいんだけど……関係がないわけないわよね?」

「俺も気にはなる……でもなんだ……記憶に引っかかるけど思い出せないんだ」

「まあいいじゃん。とりあえずやろうよ。ねえルー?」

「ああ……」


ルーは唾を飲み込み深呼吸をする。顔を両手で2度叩いてから、遂に光の球に手を伸ばす。


ゆっくりと、光に触れる────









◇◇









私は父の顔を知らない。母が女手一つで私を育ててくれた。


母は怒ると少し怖いけど、優しくて朗らかな人だった。そんな母が好きだった。


私は病気を(わずら)ってしまった。医者の言っていたことはわからなかったが、どうやら肺に何か問題があるらしい。


私は病院で寝たきりになった。母は泣きじゃくっていた。母のあんな顔を見たくなかったから、早く病気が治ってくれと祈り続けた。


でも病気は悪化していく一方。だんだん息が苦しくなってきた。母をこれ以上苦しませないため涙は決して流さなかった。


視界が霞んできた。死がだんだん近づいて来てるのがわかった。


死にたくない……死にたくない……心の中でそう唱え続けた。


母に何も返せていない。自分の生きてきた意味はなんだったのか。


自分の精神状態がおかしくなってきていた。




「生きたいか?」




そんな時に、この言葉が耳に届いた。


姿は若い男だった。ベッドに貧弱に横たわっている私を見る目は、哀れみや貶しとはどれも違った目をしていた。


「だ……れ?」

「そんなこと今はどうでもいいだろう。私の問いに答えろ。生きたいか? 生きたくないのか? 選べ」


強く迫られた。しかし、そんなこと迷うまでもなく言った。


「生きたい……まだ……死にたくない」

「そうか。わかった──」


「なら貴様は、"(れい)"として生きろ」


最後に意味のわからないことを言ってから、彼はその日姿を消した。




次の日、私が目を覚ますと、いつもいた病院とは違う光景が顔前に広がっていた。


薄暗く、光が人工のライトしかない場所だった。


「ここは……」

「おはよう。"シエン=フィーリア"」


私の名前を呼ぶ声が聞こえた。その主は、先日自分の病室へ尋ねてきた男だった。


「え、あ、あの……これは……」

「病気は治ったか?」

「えっ?」


言われてはっとした。息が辛くない。体が重くない。病気が発症する以前の体に戻った感覚を感じた。


「私が治してやった。貴様が患っていた病気は完治したんだ」

「ほ、本当ですか?」

「もちろんさ」


流さないと誓っていた涙が、目頭から溢れそうになった。こんな奇跡が起こるなんて。


「っ! か、母さんは!? 母さんはどこにいますか!?」


いの一番に早く伝えたかった。母の喜ぶ顔がまた見たかった。


目の前にいた男は、目線を合わせず言った。


「お母さんは遠くにいる。貴様を治すために場所を移動したんでな」

「お願いします! 母さんと会わせてくれませんか! 私の病気が治ったと報告したいのです!」

「……そうしたいなら……私の仕事を手伝ってもらおう」

「え……?」

「病気を治してやったんだ。恩を返すのは必然だろう? 言ったはずだ。貴様はこれから、れいとして生きるんだ」



それから数日後、身体の体力と筋肉が戻ってきた時、男から"仕事"を言い渡された。


なんと私がいた場所は地上ではなく、男が作った地下研究施設だった。


「貴様はここで魔法術式の研究をしてもらう。魔法を知らないなら1から学べ。研究と言っても、主にしてもらうのは解析と抽出。相手の魔法術式の性能を解析し、その術式をその対象から引き抜く。わからんことは他の隷に教えてもらえ」


私と同じ研究所で働く者たちのことを(れい)と呼んでいた。様々な機材や研究道具が並んでいて、男の言っていることが真っ先に理解できた。



子どもが実験の道具に使われていた。



「な……なんで……私と同じくらいの子が……?」

「さっき言った通りだ。これがその"相手"。魔法術式を解析し、子どもの身体に刻み込まれている魔法術式を取り出すのだ。そこから先の作業は別の者が担当する」

「ど、どうしてこんなことを?」

「知る必要はない。貴様はただ己の隷としての役割を全うすれば良い」


男の去り際の背中に、私は言い放った。


「あ、あなたは一体誰なんですか!?」

「……なんでも答えてやると思ったら大間違いだ。愛する母親と会いたいなら、さっさと仕事に取り掛かるんだな」


私は実行するしかなかった。私は魔法の使い方など微塵も知らなかったので、魔法術式から魔力の流れの知覚まで基礎の基礎から学んだ。


その後は、同じく隷としての仕事を同業者から教えてもらった。


昔から覚えるのは得意だったので、やることの概要は早くに覚えられた。


しかしそれだけだ。"やる意欲など欠片も沸かなかった"。


ベッドに貼り付けにされた子どもに幾つもの機械や管を取り付けている。中には抵抗する子も大勢いて、スタンガンで強制的に眠らされた子もいた。


抵抗を諦めた子も何人かいた。虚ろな表情で目に光がなかった。時より念仏のように「お母さん……」「お父さん……」「お姉ちゃん……」と繰り返し口にしていた。


ベッドから解放されると、すぐに独房のような狭い部屋に押し込まれる。ご飯は1日3食あったが、子どもたちの顔は相変わらず。囚人と何か違いがあるのか(いささ)か疑問だった。


ある時、子どもが1人命を落とした。餓死だった。いつも「お兄ちゃんが作る料理が食べたい」と言っていた子だ。


私は吐いた。胃にあるもの全てを吐き散らかした。頭がおかしくなりそうだった。


「もう無理です!」

「無理とは?」


あの男に抗議した。


「この所業のことです! こんな……こんな非人道的行為は続けられません! 私と同じくらいの子どもが死にました……死んだんですよ!! 彼女は何か罪を犯した罪人なのですか? 一体この行為に何か意味があるのですか!?」

「意味はあるさ。私の役に立てている。それだけは絶対だ」

「……取り出した魔法術式をどうしているのですか? あなたの目的がさっぱりわからない! ……もう……解放してください……もう見たくない……何も……したくないです……」

「そうか──」



「だが貴様に拒否権はない」



突然体中に電撃が走った。


「あっ! がああっ!」


なんだこれは。痛い。今まで感じたことのない痛みが全身を駆け巡る。呼吸が乱れる。


これ以上痛みが増したら確実に失禁する。


「貴様の病気を治した時、"(くさび)"を打っておいた。まあ遠隔で発動できる魔法術式だが。貴様の魔力を使って私の判断で……もう言わなくてもわかるな?」


痛みがぴたりと()んだ。余韻が私の恐怖を増幅させた。


抗えない記憶を体に植え付けてしまった。


「愚か者め。まだ大した成果も上げてないでやめるだと? 私は冗談が嫌いだ。救ってやった恩を返すのが仁義だろう。薄情者が」

「あ、ああ……」

「私が貴様のような奴を見るのが初めてだと思うか? いたさ。抵抗する奴は。だがその全ては今隷として忠実に仕事をこなしている。何も子ども程度の命如きでとやかく言わなくなった。大体どうして心が淀む? あの生命体は小さな大人と考えれば、老人や中年と何ら変わらないのだぞ?」


本気で言っているのか? 私は涙を流した。痛みに耐えられなかったのではない。ただ純粋に、目の前にいる男に怯えているのだ。


「実験はいくらでもやったさ。乳児、幼児の段階では魔法術式は抽出できるのか。だが駄目だった。やはりある程度成熟した段階で魔法術式を取り出すのが一番良い。後は人種の違いで魔法に差が出るのか。これはあまり良い結果は得られなかった。もっと深い所だと障害を先天的に持つ子どもはどうか? これは論外だった。知的に問題のあるゴミは魔法術式など(もっ)ての(ほか)。ロクに喋れんから苛立ちを募らせるだけだったなあ」


なぜ息をするようにそんなことが言える? まるで不良品に落胆しているような口ぶりだった。それが真っ向からの本心だと……私は信じたくなかった。


「まあつまり、私の言いたいことは、欲しい物を得るには、それなりの困難が伴うと言うことだ。貴様もお母さん(てにしたいもの)が存在するなら、余計な口を挟まないことだな」


私はそれ以来、抵抗する気力が起きなくなった。


無心であり続けることを心掛けた。じゃないと自分が自分でいられなくなりそうだったから。


痛いのがやだ、死ぬのはやだと、私の本性は独りよがりな自己の精神だった。


しかし毎日実験台にされる子どもに対して、ごめんなさいと心の中で呟いた。


私は最低で最悪だった。


毎日……毎日……毎日……ロボットのように同じ作業を淡々とし続ける。太陽の光をまともに浴びないせいか、私の心は闇に覆われていた気がする。


私の心を繋ぎ止めていたのは、恐らく母さんに会えることを願っていたからだろう。


私の人生はどこでこうなった? そんな無駄な考えをしていた時、新しい話を男から聞かされた。


(れい)としての役目は置いて、"(そだ)()"になれ」


聞いたところによると、今まで見てきた子どもたちは、殆どが育て屋という存在から受け渡された子たちらしい。


その子どもたちのことを、男は『"魔才"』と呼んでいた。魔法に()けた才人、詳しく言えば、魔法術式を多く有せる存在を指した。


育て屋は『魔才』と呼ぶ子どもたちを選別し、魔法を教え育て上げる。その子どもたちは何一つ知らぬまま、最後には研究所へと送られる。


役割が変わっただけで、地獄を逃れられたわけじゃなかった。一瞬だけ期待した私は愚か者だったと思う。


逆らえるはずもなく、子どもを選別しろと言われるがまま地上に出た。


何年の間外に出てなかったか。太陽が眩しかった。でも心の闇は何重にも重なって、晴れる気がしなかった。


このまま逃げようとも思ったが、そんな勇気はなかった。逃げたことに男が気づいたら、絶対に殺される。私は彼の駒の1つに過ぎない。


「…………」


無気力に時を過ごした。外に出たからと言って、やりたいこともない。母さんがどこにいるかもわからない。


私は屍とどう違うのか誰かに問いたかった。


「……ここはどこだったか」


気づいたらとあるスラム街に来ていた。異臭が酷く、とても人が健康でいられる場所とは言えなかった。


そこいた────"1人の男の子"に目が留まった。


「……」


ゴミの山をごそごそと漁っている。飢えを凌ぐために食料を探しているのだろう。


孤児だとすぐにわかった。ここに孤児の1人や2人いてもおかしくはない。周りを見ても似たような、路上に座り込んでいる子どもが複数人いる。


ただ単純に、1番最初に彼に目が留まっただけだ。


「……」


私は自然と彼の元へ足を進めていた。足取りが重かった。それまで足の感覚を感じず歩いてきたから。


「ん? ……お兄さん。なんか用?」


彼はそう呟いた。


「……自分の名前……わかるかい?」

「ルーだけど……」

「そうか。ルー──」


「私が助けに来た。もう大丈夫」


私はその時、自分がおかしなことを言っていることに気づいた。




少年──ルーをスラム街から連れ出し、男が用意していた民家から離れた一軒家に住まわせた。


風呂に入らせ身なりを整わせた。すると、ルーのお腹から大きな音が鳴り響いた。


「ご、ごめんなさい……」

「謝ることはない。そろそろ夕飯だね。私が何か作ろう」


キッチンへ赴き料理の支度をする。昔から母さんの料理を手伝っていたので、腕には自信があった。


「……」


私は自分が言った言葉を思い起こしていた。


【私が助けにきた。もう大丈夫】


どの口があんな言葉を吐けたのか。ルーが可哀想だったから手を取ったのか? 自分の良心に従って人助けをしたのか?


違う。どれも違う。私は恐怖心に負けてルーを救った。自分の弱さに付き従い、1人の純粋な子どもを実験台にしようとしている下衆だ。


「私は……良い奴なんかじゃない……」

「え?」

「いや、なんでもないよ。さあ、たくさん食べなさい」


出来上がった料理をテーブルに運び、食事の準備を整えた。料理ができると言ったが、レストランで働いている専門の料理人には劣るも劣る。


「い、いただきます」


ゆっくりとスプーンを掴み、暖かいスープをすくう。恐る恐る、ルーはスプーンを口に運ぶ。


「っ! おいしいっ!」


ふわっ。


私の中の何かが"晴れた"気がした。


ルーは慣れない手つきで食器を持ち、私が作った料理を勢いよく口に放り込む。


「うっ! ごほごほっ!」


ルーが()せた。一気に食べ物を喉に詰め込んだせいだろう。


「大丈夫かい? ほら水を」

「んんっ! ぷはっ! ありがとう……ございます」


料理を胃に流し込んだ後、不意にルーは瞼から涙を流し始めた。


「ど、どうしたんだい? 何かよくない食べ物があったんじゃ!?」

「いえ……違います。こんなに……こんなに美味しい料理を食べるのが……久しぶりで」


ふわふわっ。


また"晴れた"。


「僕……ずっと1人で。毎日寂しかったんです。夜は寒くて……辛くて……周りの大人は怖い人ばかりで……助けを求める人もいなくて。だから……シエンさんが来てくれた時は……本当に嬉しかったんです」



「シエンさんみたいな、"良い人"に拾われて良かった」



心の闇が晴天になったと同時、私は心に激痛を感じた。


良い人……良い人?


ポタ。


ルーのではない、私の涙が落ちた音だ。


「違う……違うんだ。私は……私は罪人なんだ……弱いんだよ……良い人……なんかじゃ……」

「シエンさん? どうして泣いてるの? どこか痛い?」

「……いや。なんでもないよ。さあ、暖かいうちに食べなさい。今度はゆっくりにね」

「うんっ!」


この時からだ。私が、"立ち向かう"と決めたのは。




やらなければならないことは、あの男が私の体に刻み込んだ魔法術式の解除。これをやるのは初めてではない。


いくらか挑戦はしたが、私の貧弱なメンタルと複雑な術式構造のせいで断念してしまっていた。


でも今回は違う。できるまで止めることは許されない。


でなければ、私はルーを"救った"と胸を張って言えることなど出来はしない。


癪に触ったが、育て屋として支給される資金は余りにあり過ぎた。私は全てルーのためにつぎ込んだ。


不自由なんてさせなかった。私の料理を美味しそうに食べている姿は、私の心が癒された。


育て屋として魔法を教えなければならなかった。本当はこんなことしたくなかった。


ルーぐらいの年頃は、もっと他にやることがあるはずなのに。しかしやらなければ、男の矛先が私だけではなくルーに向かう可能性も捨てきれない。


私は自衛という適当な理由を付けて、ルーに魔法を教え始めた。


術式の解除と並行して行うルーとの生活。辛さは感じなかった。寧ろ、ルーとの生活があったから、私はやるべきことに集中できた。


そこで問題が生じた。


「シエンさん! またできました!」


ルーには魔法の才能があった。質としては疎らな部分はあるが、明らかに魔法術式を構築する過程が早かった。


日にちが進むにつれ、ルーが所有する魔法術式の数が多くなっていった。


「予想外だ……まさかこんなことが……!」


このままでは術式を解除する前に、ルーの『魔才』としての器が男に知らされてしまう。


私は急いだ。なんとしてでもやり遂げる。


その間もルーには急いでいる素振りなど見せずに、一緒の時を過ごした。


町に買い物に出かけたり、一緒に料理をしたり、私が勝手に作ったルーの誕生日を祝ったりした。


そしてようやく、7割の術式の解除に成功した。



進捗(しんちょく)は順調そうだな。シエン」



悪夢が訪れた。


ルーが寝静まった深夜に、男は私の前に突然現れた。


「どうしましたか……?」

「そんなに警戒するな。今日は報告したいことがあってな。貴様が育てている子ども……ルーと言ったか? 明後日には研究所に移動させることにした」

「なっ!?」


最悪のタイミングだった。後ちょっとの時にこの始末。


神様は私に恨みでもあるのか? 私を嫌っていることは確かだった。


「ちょっと待ってください! そんないきなり言われても!」

「十分過ぎる時間を与えたはずだ。ルーも最初に比べて体重も身長も大分増加した。極めつけは『魔才』としての資質の顕現。私の"望む物はない"が、抽出するのに最高な頃合いだろう」

「しかし……しかし……」

「なんだ? "私に言いたいことでもあるのか"?」


全身の力が虚脱する。背中に気持ち悪い汗が流れるのを感じる。やはり私は弱い。決心したはずなのに、この男を前にすると痛みと恐怖に支配される。


だが私は──


「……3週間後に、ルーの誕生日があります。どうか……その日を過ぎてからでは駄目ですか?」

「……」


考える猶予が欲しい。私の今考えられる打開策を言い放った。


「良いだろう。ならその日の明後日にする。それ以上の変更は受け付けない」


男はそう言い残し姿を消した。私は束の間の安堵をした。そしてすぐに取り掛かった。


「どうする……! 最速で解除をしても後4ヶ月はかかるっ! 期限までに間に合わない! クソッ……クソッ!」


ふと、私はあることに気づく。


"その後はどうする"?


私は術式を解除した後、ルーを連れてどこか遠く離れた場所に逃げようと考えていた。全て忘れて、ルーのためだけに生きようとしていた。


しかし、そううまくいくだろうか? あの男の魔の手から完全に逃れられるか?


同じ人間とは思えない、底が知れないあの怪物から、果たして私はルーを守れるのか?


何より私は、多くの囚われている子どもたちが気がかりだった。


「……」


多くを見て見ぬふりをしてきた私。もう私は、母さんにも、ルーにも、心の底から誇れる人生を送ってはいない。


それでも、私にできることはまだないのか…………


「……ルー。私を……ひと時だけ……許してほしい」



◇◇



「駄目! 行っちゃ駄目! お願いだから待って! 待ってよ、ねえっ!!」


私を引き留めようとするルーの声に苦しみながらも、私は振り返らなかった。


きっとルーは、私を恨むだろう。良い奴が悪い奴だった絶望は、幻滅されても当然だ。


でも私は言った。ルーには聞こえない声で。




「必ず迎えに行く」




◇◇




時は瞬く間に過ぎ、そして────




「決戦の時だ。"フィーニス=ヴラク=フィナル"!」

「ほぅ……」


運命の日がやってきた。


「わざわざ匿名で呼び出しがあって来てみれば……これは少し驚いた。音沙汰が全く無いと思っていれば、自分から現れてくるとはなあ、シエン?」

「色々お前に言いたいことはあるが、まさか一国の王だとはな。流石に私も驚いたよ」

「ふふ。"お前"か。少しピリピリしてるんじゃないか?」

「黙れ。お前の悪行も今日で終わりだ。お前を殺した後、悪王という存在を世に(さら)け出してやる!」

「大層な目標だ……最早賢王となった私の功績を覆せるとは思えないがね」

「何が賢王だ……私があの時から何も調べてないと思うのか? "私の母をとうの昔に殺していたのは知っているんだぞ"!!」


私の母は既に亡くなっていた。死に顔は腐敗して見ることすら叶わなかった。


「なんだ知っていたのか。まあ私の魔法を解除してから随分経った。不思議ではないか」

「お前が奪わせていた魔法術式の居所も突き止めた。ただわからないのは……どの魔法術式があった場所も……"意味がわからなかったことだ"」

「わからないか……まあ仕方ない。"私にしかわかりはしない"」

「どんな思惑があるにせよ、ロクでもないことは間違いない。お前がこの世界に居続ける限り、起源を断たない限り、邪の連鎖は永久に終わらない!」

「……はあ。まるで正義の味方気取りじゃないか、シエン?」


正義。


私とは正反対の単語が現れた。


「貴様の(しん)(そこ)が透けて見えるようだ。親の敵討ちか? 今まで見捨ててきた者たちへの贖罪(しょくざい)か? はたまた、偶然出会った子どもだけは、という矮小なお思いか? 小さい……あまりに小さい。それが私を殺す動機とは……考える時間が足らなかったのではないか? 私が貴様に刻んだ魔法術式に細工をし、私が即座に気づける仕掛けをやろうと思えばできたのだ。だがしなかった……なぜだかわかるか? 貴様如きが反乱を起こしたところで、"大した障害にもならんからだ"」

「黙れ……」

「貴様も台に貼り付けにされていた子どもたち(モルモット)と何も変わらん。非力で、脆弱で、無力で、"救いなどない凡骨"だ。そんな存在がまるで世界を救う勇者のようにほざく。どれだけ成長しようと、私から見ればあの頃と何も変わ──」

「黙れえええええええええええええええ!!!」


怒りに任せて声を張り上げた。私は過去に大声を出した記憶は一つとしてなかった。


「……そんな声を出せるんだな」

「お前が……私をどれだけ否定しようが構わない。私は紛れもなく愚者だ。私は私を許すことなどできはしない。でも……そんな私に彼は言った。私は"良い人"だと」

「知能が発達しきれていない幼子の妄言だ」

「それでも良いさ。その言葉がどれだけ私の心を抉り、どれだけ私の闇を払ったか知らないだろう。私はまだ……ちゃんとした礼を言えていない。もう私のことなどかつてのようには思っていない。だがそれでも、私は──」



「彼を迎えに行くと決めたんだっ!」






◇◇






「力を持たざる者の夢は──儚いものだなあ。シエン」


"私は負けた"。


自分が用いる最高の知と技の力、念入りに仕込んできた作戦、ルーにすら教えていない秘策の手段すら、この男には通用しなかった。


男は涼しい顔をしていた。15回は斬り飛ばしたはずの両腕が、何事もなかったかのようにくっついている。


私には左腕がなかった。片目は潰れて視力を失った。体中は傷だらけで見るに堪えない。


完敗だった。認めたくない事実が、問答無用に私に降りかかる。


「ああ……貴様が可愛がっていた子どもは実に可哀想だ。救ってもらった恩人に裏切られ、暗い暗い地下でひとりぼっち。全ては貴様の失態だシエン。魔法術式を解除した後、真っ先に逃げれば良かったのだ。そうすれば、少しは長く共に時間を過ごせたものを……これが貴様が求めた結末か?」


そんなわけないだろ。私は言ったはずだ。


「か……彼を……迎えに……行くんだ……」


さっきまでの大声が出ない。そんな力も私にはもう残ってないのか。


「その夢はもう叶うことはない。貴様に"呪い"をかけておいた。わずか1年末足らずで死に至る。直接私が手にかける必要もない。いずれ醜く腐敗し、誰にも看取られることなく孤独な死を迎える。私に楯突(たてつ)いた者には相応(ふさわ)しい……いや、相応しいと呼ぶにも、些か滑稽だな」


男は私に背を向ける。最早死人同然の私にはもう興味がなくなったようだ。


「さらばだ。精々後悔の念を抱きながら死を待て」


男は消えた。


「……"またこれか"」


まだ何とか残っている魔力で治癒魔法を行使しても、無くなった左腕は戻らず切断面を閉じるのみ。


眼球も再生できない。魔力が全開しても恐らく同じ。呪いとやらが私自身を阻害しているのだろう。


「ルー……負けてしまったよ……もう……会えないのか……」


涙が止まらなかった。己の未熟さを呪う。もう心は闇に沈んでしまった。


「会いたいな……今すぐ会いたい……」


ルーの顔を見れば元気が出る気がする。彼の笑顔を見るだけで、私は勇気が湧いてくる。


しかし、もう私にはそんな顔をしてくれないし、私を軽蔑する顔だって見れはしない。


第一こんな姿でどう向け合えばいいのか?


「……ああ。そうだ。まだ……私は……"やり残したこと"を……やらなければ……」


会うことはもうできない。ならせめて────



◇◇



人も寄りつかない()びれた家の前に座っていた私の前に、"それ"は現れてきた。


「やぁ……来てくれたんだ……」

「不本意だがな……」


変わらない。"あそこで見たままの姿だった"。背中に広がる"双翼"が、より目の前にいる生物の神秘さを引き出していた。


(ドラゴン)……いや……確かルーが名前で呼んでいたね……確か……」

「お前が我の名を軽々しく口にするな。イかれた狂人者が」

「ふふふ……ルーがくれた名前……気に入ってるようだね……まあ……それもそのはずか……ルーは優しいから……生物の垣根など超えて接してあげられる子だ……だから……彼のことは嫌わないでくれよ……」

「……そんなことはどうでもいい。わざわざ魔力波長まで飛ばして呼びつけるとは。見つけるまでだんだんと波長が弱々しくなったのは、"その体のせいか"?」


◾️◾️が遂に指摘してきた。私は見事醜悪な姿と成り果てていた。


腐敗しきった体は悍ましいの一言で片付けられるほど醜かった。顔は(ただ)れ、残った片目も視力が殆どない。


右足の膝から下が欠損している。左足もまともに歩くことすら困難。


残った右腕は虫に喰われたかのように死体の物と相違ないできになってしまっている。


◾️◾️が来るまで時間がかかってしまったから。でも、私が滅ぶ前に来てくれて良かった。


「正解だよ……私の命はもう長くない」

「無様だな。何があったか知らんが、お前は我に看取られて欲しかったのか? 我を都から引っ張り出してきたあの男同様、研究所にいたお前も含め、我は決して許しはしない」

「そう……だね……それで良い。ぶっ、がはっ! はぁ……はぁ……私を許すな。私は……君も……ルーも……救えなかった……嘲嗤(あざわら)って構わないよ」

「……そんな姿の者に、罵る価値もない。さっさと要件を言え。内容次第では、朽ち果てる前に我が焼き殺す」

「……これを」


私の右腕の掌に光の球を出現させる。光の球は宙に浮かび、◾️◾️の腹部へと寄っていく。


「っ……」

「そう構えないでくれ……君に見せるのは私の記憶。"後の残りは……預かっておいてくれ"」


光は◾️◾️へと吸い込まれる。すると、◾️◾️の鋭い眼光の奥に何かが光ったように見えた。


「なんと……お前……これは……」

「別に許してもらうためにじゃない……ただ……もしこれから……ルーにまた出会ったら……渡してほしいんだ……」

「……それだけか? それだけのために研究所に爆破の細工をし、我を脱出させたのか? なぜあの子どもに何も話さなかった?」

「私が……"良い人"じゃなくなったからだよ……これで……私の役目は終わった」


私は心が軽くなった気がした。安堵した瞬間、痛みを感じなくなった。


「間違いだらけの人生だった……」


心残りはある。後悔もある。もっと私が賢ければ、あの男すら度肝抜く策があったかも知れない。ルーを──救えたかもしれない。


「そ……うだ……ルーの誕生日……祝いたかった……私が作ったケーキを……おいしそうに……食べてくれるんだ……とってもかわいいんだよ……」

「我に言うな」

「大人になって……一緒にお酒を飲むんだ……見てみたいなあ……ルーは顔もいいから……絶対…………すぐにお嫁さんを……連れてくる……」

「だから……我に言うな」

「そしたら……私が相手の親に言うんだ……ルーを幸せにする覚悟はあるかって……あれ? ……逆だったかな……でも……私は言えないな……親じゃないから……」

「……」

「…………どこかの土地に……桜という花が咲いてるらしい……桃色で……視界いっぱいに広がって……目を疑う絶景らしい。……そこでご飯を食べるんだ。花見って言うらしい……何気ない……話を…………絶対…………たのし…………い……………………」


眠くなってきた。かすれた視野にルーが見えた気がした。でも、瞳が潤んでよく見えなかった。


「……」

「……」

「……」

「……おい。どうした?」

「……」


………………………………………………………………。



◇◇


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