虚栄
暗殺組織『虚栄』の本拠地は、とある岩山地帯に存在した。
1番近くに位置する国家からでも、10キロメートルは離れている。朝も昼も夜も、人が通ることは滅多にない場所。唯一通る人間がいるとするなら──
「ふんふふーん♪」
「……」
働き手である暗殺者だけだろう。
リベルとユマンは、"任務帰りの報告"をするために、本拠地であるここへ戻ってきていた。
眼前にそびえ立つ巨大な岩山。リベルは手を伸ばし岩山に触れる。すると、触った平面が奥に押し込まれへこんだ。
同時にゴゴゴゴゴと騒音が鳴り始めると、リベルとユマンがいた地面が地中へと下がり始め降下する。
リベルの視界が徐々に暗くなっていったと思いきや、ぱっと光を取り戻し、さっきまでとは大きく異なる光景が広がっていた。
「行くぞ」
「はい」
岩石の下に位置した世界はまるで別世界。天井も地面も壁もゴツゴツとした岩だが、人が住める建造物が幾つも存在した。
地面にあったり、円柱で支えられ宙に浮いてたり、はたまた天井にそのまま張り付いていたりと様々だった。
周囲には多くの人間もいた。フードは被っておらず、リベルと同じ黒装束に身を包んでいる。左には建物の中で、暗殺者が2人1組を組んで取っ組み合いをしていた。
両者は手にナイフを持っている。誰かがペアの肩を突き刺した。
刺された方の暗殺者は肩を抑えるが、教官らしき身体の良い女が、刺された方を蹴り飛ばし罵詈雑言を吐く。
見習い暗殺者を訓練する訓練場だった。
「相変わらず物騒~」
「リベル様も最初は訓練をしてたんですか?」
「組み手で教官殺したら、強制でやめさせられた」
「流石です」
『虚栄』は"一部を除き"、階級制度がなく、見習いを卒業したらウィルレウスの指示で任務に赴く。
頭領のウィルレウスが全てを管理している、言わば一枚岩なのだ。
通路を歩いていく2人は、無造作に開いている扉の中に入る。中には鉄が素材のような正方形の板版が設置されており、リベルはそこに手をかざし、掌から魔力を板版へと流し込む。
なんとさきほど聞いたゴゴゴゴゴという騒音がまたもや聞こえ、開いた扉は閉まり立っている地面が上へと上昇しているのが感じられた。
魔力で動く昇降機で一種の魔道具。初めに乗った物とは少し違う。
この地下では、これらが至る所に設置されている。
チーンと音が響き、扉が開く。広がるのは一本道の廊下。ユマンを隣に引き連れまた歩き出す。
前に立ち塞がったのは、王族が住む城に似た高貴な扉。
「入りまーす」
片手で扉を押して中に足を踏み込む。長机に散りばめられた大量の紙媒体を眺める1人の男がいた。
「帰りました~ボスゥ」
ユマンを扉付近に待たせて、いつもの男の総称を呼ぶ。
「……随分遅かったな……リベル」
白髪黒目の男性。その膨よかな身体を見たら、肥満と思い違いをするかも知らないが、全く異なる。
土管のように太い四肢は脂肪が存在せず、全てが筋肉でできている。
過去に何人もの人間の頭蓋骨を粉砕してきたかは、本人ですら忘れた話。
マフィア組織『極火』の頭領、テンリを遥かに凌駕する圧倒的存在感。
鋭い眼光から垣間見える完全無欠さからは、歯向かおうとすること事態を思い起こさせない。
ウィルレウスはそういう男だった。
そんな彼に対し、リベルは笑顔で語る。
「さーせん。いや〜中々手こずりましてね〜。そりゃあもう大変でした」
「お前の口からそんな言葉が出てくるとはな。よっぽどの標的だったんだろう」
「もちのろん! でーも、仕事はちゃーんとこなしましたよ。はいこれ」
リベルは今まで右肩に背負っていた鞄を床に下ろした。横に長く、ハイキングにでも背負っていきそうな鞄だった。
しゃがみ込み鞄に付いてるファスナーをジジジと開けていく。そこに"いた"のは──
「じゃじゃーん!」
"死体"────しかし、
「……見分けがつかんな」
その通り。死体は原型こそあったが、"誰なのか判別できる要素がなかった"。
顔はぐちゃぐちゃに破壊され、手足は腐敗している。なんとなく男と性別は判断できるが、リベルが殺す標的だった人物とは、100%言い切るには難しかった。
「だから言ったじゃないすか〜。手こずったって。俺もここまでなるとは思いませんでした。俺もまだまだっすね〜」
「お前の戦闘スタイルでこんな風になるか?」
「俺は曲刀の他に手と足もあるんですよ? 相手に合わせた戦いをするのがプロの仕事ですよ。それに、ユマンにも手伝ってもらったんで」
ウィルレウスは奥にあるユマンを一瞥する。ユマンは身動き1つしない。
「そうか……」
「あっ! もしかしてボス、俺のこと疑ってます〜? 心外だな〜『虚栄』トップの俺の仕事成果を疑うなんて! 俺悲しくて泣いちゃいそう」
目を擦って泣くふりをするリベル。ウィルレウスは表情1つ動かさない。
茶番をやめたリベルはまた笑顔に戻る。
「疑うなら死体鑑定でもなんでもどうぞ。新しい任務はないでしょ? ここで適当にくつろいで結果を待ってますよ」
「…………」
両者無言の睨めっこ。長く続いた。
「まあいい」
リベルから目を離す。
「一応鑑定には出させてもらう。結果まで適当に待ってろ」
「りょーかいでーす」
ふわふわした返事をし、ウィルレウスに背を向けこの場を去ろうとした時──
ギィ、と音がし、リベルが入ってきたものと別の扉から誰かがこの部屋に来た。
「おや? リベルじゃない。帰っていたのか」
赤毛のポニーテールが特徴の20代女性。
肌の面積が広く剥き出しの服装で、両足は太ももまで綺麗に露出し、胸元は大きく開かれ、ユマンほどではない豊満な胸部がさらけ出されている。
「いたのか"斬人"」
「我は貴様に会いに来たのではないが……」
少し後ろの左右には、同じく20代の男。
リベルを斬人と評した男に真っ先に目を奪われるのが、"4本の腕"。
通常の2本の腕とは異なる、魔法で作り上げられたもう2本の両腕が、肩から植物の根のように生えている異形の肉体。
一人称が我の男は、そこまで特徴と言った特徴はなく、挙げるとすれば、赤毛の女よりも体格が細いことだった。
この3人は"例外"に含まれる暗殺者。階級制度がない『虚栄』に唯一存在する猛者。
5本指に数えられるセカンドネームを与えられた、通称────
"次虚殺"。
赤毛の女、本名ジェトラ、セカンドネーム『絶拒』。
4本腕の男、本命リーク、セカンドネーム『肆腕』。
細身の男、本名ゴグレ、セカンドネーム『躯鋼』。
そして、『斬人』のセカンドネームを与えられた者こそ、リベル。
次虚殺トップに立ち、成果、実力で言えば、暗殺組織『虚栄』のトップに君臨する人物である。
「やっほ~。相変わらず3人仲がよろしい様で。何か用?」
とりわけ、ジェトラ、リーク、ゴグレの3人は、任務外で離れる時以外は一緒にいる機会が多かった。
「そうよ。あなたにじゃないから、できれば早急に去って欲しいわ。そこにいる羽虫を連れてね」
ユマンを指さしながら、命令するように言い放つ。"いつからだったか"、ジェトラはリベルを毛嫌いしていた。
「俺もちょうど用が終わったんで~。さっさと退散するといたしま~す」
入ってきた扉へ足を進める。近付きはしなかったが、リークがリベルに言葉を投げつけた。
「おい斬人。年上には敬語くらい使えないのか?」
「すいませんね〜俺学がないもんで」
「やれやれ……やはり薄気味悪い餓鬼にしか見えない。その不気味な笑みを俺に向けないでくれ」
「だから今から去るって言ってるのに。ユマン行くぞ〜」
「はい」
リベルは扉を押しかけ部屋から出る。扉か閉まる寸前、誰かの舌打ちが聞こえた。
「なーんで俺に対してあんな態度悪いかね〜?」
「あの人たちは誰にでもあのような感じです。自分より低い存在を下に見ている。他の暗殺者からも良く思われてはいません」
「やけに詳しいじゃん」
「この程度の情報は有しています。リベル様の役に立てばと」
「いいね〜。そこんとこは頼りになる」
一瞬目を見開くが、平静な顔つきで、ありがとうございます、と簡素に言った。
「リベル」
長い廊下の前方から声が響いた。リベルは声の主を見ると、軽く返事をした。
「サラじゃん」
歳はリベルと同じくらいか。人形のように可愛らしい銀髪の少女。背はリベルよりも高いが、近くで見ると大差ないように感じられる。
彼女も5本指に入る、次虚殺の1人──
本名サラ、セカンドネーム『凍世』。
少女とは思えない大人びた仕草でリベルに向かい合う。
「帰ってたのね。お疲れ様」
「ついさっきね。てかなんでここいんの?」
「リベルが帰ったって聞いたから、一応会っとこうと思って」
「あらら。真面目だね〜。ご親切にどーも」
変わらぬ笑顔のままリベルは接する。それにサラもくすっと微笑んだ。
「さあリベル様。早く行きましょう」
この場から一刻も早く去りたいと言ってるように、ユマンはリベルをそう促す。
リベルの肩を掴み前へと押す、普段しない仕草を見せている。
「おおっと。なになに急に?」
「いえ特に。さあ行きましょう」
「ちょっとあなた」
ユマンを見上げる体勢で、サラがリベルの前に立つ。
「今は私と彼の談笑中よ。割り込むのはやめてもらいたいのだけれど?」
「リベル様はお忙しいのです。サラ様と話す時間などありません」
「あなたが勝手に言ってるだけでしょ? 付き人だからって独占はよくないわ。束縛女は嫌われるそうよ?」
「俺挟んで口論やめてくんない?」
腕をクロスさせ、バチバチとスパークする火花を直視しないように目を塞ぐ。
「前にもこんなのあったかな〜?」と愚痴を漏らす。
「でもサラ、悪いけど今日はパス。ちっと"準備"があるからさ~」
「そう……なら、いいわ」
リベルの仲介で、お互い刃を収める。
バイバーイ、と片手を振ってリベルはユマンを引き連れ去ろうとし、サラも小さく手を振って見送ろうとしたが、
「ねえリベル」
サラが離れていくリベルに声をかけた。
「ん、どした~?」
「……何か、隠してることない? 私が知らなくて、あなたが知ってることはない?」
「いやない」
即答した。
「……私には、話してくれないのね……」
「なんて?」
今のサラの一声は、自身にしか聞こえなかった。
「なんでもない。またね」
言葉を最後に、リベルはサラの方を振り向かなかった。
────
約5時間後、4人の人間が地表の岩山地帯に顔を見せていた。
「やあやあ御三方! よく来てくれました!」
大音量で叫ぶリベルの声が周囲に響き渡るが、聞いているのは3人のみ。いつも隣にいるユマンは、今は姿がない。
「どういうつもり? あなたから呼び出すなんて珍しい」
「要件がさっぱりわからん」
「我も暇ではないのだがな」
その3人は、つい先ほど会ったばかりの次虚殺の方々。
ジェトラ、リーク、ゴグレである。
「わざわざ他の暗殺者を介して伝えるとか、随分回りくどいことするのね」
「俺が直接伝えたら来ないかな〜と思って」
「来ないというか会いたくないのよ。知ってるでしょ? 私たちはあなたを仲間なんて思ってない。ボスのお気に入りだからって調子に乗らないことね」
明らかに話し合いなどする気がさらさらない3人。異様な嫌われようである。
「まままっ! すぐ終わるって! ちょっと"宣言"するだけだからさ」
雰囲気など意に返さずはきはき口を動かす。
「宣言? 一体なんのだ?」
「はー……すぅー」
リークが疑問を投げかけるも、リベルは目一杯息を吸って、言葉と一緒に吐き出した。
「今日、この日をもって! 暗殺組織『虚栄』は────」
「壊滅する」
瞬間、真下に地下がある岩山の大部分が木っ端微塵に吹っ飛んだ。