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恋愛小説

雨の日

作者: はやはや

「どんな人がタイプ?」  


 中学に入学してから、友達との話題はそればかりだ。

 校庭の桜はすっかり散り、緑の葉っぱがぐんぐん濃さを増していく。入学式から一ヶ月が過ぎた。ようやく新しい制服にも学校生活にも慣れ始めたところだ。


 お母さんの勧めで私、里川桃子さとかわももこは受験をし、この私立中学に入学した。校区内の公立中学が荒れていると噂されていたからだ。

 友達の中にはここに入るために、小学校の低学年からバリバリ塾に通っていた子もいるようだ。それを聞くと五年生の終わりに受験を決め、塾に通い受験を突破した私はできる方なのかもしれない。

 でも、そんな態度は見せない。みんな本心を話せるほど仲良くなっていないと思うから。だから

「どんな人がタイプ?」

 という話題は、受験から解放されて恋愛をしたい気持ちの表れでもあり、当たり障りない話題として、盛り上がるためのツールでもある。



 自分の中で唯一好きなのは、真っ直ぐな黒いロングヘア。特に手入れを頑張っているわけではないのに、〝天使の輪っか〟がいつも輝いている。

 それ以外は印象が薄いタイプなので「桃子ちゃんの髪綺麗だね」とか「羨ましい」と言われると嬉しくなる。

 こんな地味な私だけれど、理想のタイプはある。それは


――雨の日でも私のことを迎えにきてくれる人


 何だそれ、と思われるかもしれないけれど、私の頭の中にはちゃんとしたシチュエーションがあるのだ。

 二人で出かけていて突然雨が降る。そんな時に「何だよ。もう」と文句を言うのではなく、「ちょっと待ってて」と言って近くのコンビニまで走って行き、ビニール傘を一本買ってきて「一緒に入ろう」と言ってくれるような人だ。

 漫画やアニメの影響を受け、妄想に近いような気もするけれど、そんな風にされて嫌な気持ちになる女子はいないんじゃないかと思う。

 でも、友達の前でその話をする気にはなれなくて、いつも「優しい人」と答えている。



 私が雨にこだわるのには、もう一つ理由がある。それはお気に入りの傘があるのだ。

 水色の地のもので、小さなちゅうりっぷの黒いシルエットが、全体に散りばめらたようにプリントされている。

 持ち手も柄も黒色。その落ち着いたデザインが好きで、もう五年は使っている。

 そのお気に入りの傘を差して、(できれば一緒に入って)好きな人と下校してみたいのだ。後一カ月もすれば梅雨入りする。

 でも、その傘をそんな風に使えることはないとわかっている。



 一学期、私は淡海おうみ君と一緒に生活安全委員という、面倒な委員に選ばれてしまった。その委員会は、校内の危険なこと(廊下を走るとか窓枠に座るとか)を見つけて出し合い、他の生徒に注意喚起し、校内の事故を防ぐ目的で立ち上げられたものだ。

 各学年から二人選ばれる。私はニ組で淡海君は三組。委員に選ばれるまで、お互いのことを知らなかった。淡海君は真面目な人だ。休み時間は本を読んで過ごしていそうな。そんな空気が漂っている。

 委員会のメンバーは、二年生も三年生も男女問わず、そういう人ばかりだ。噂によれば学年のトップ10に入っている人だけが選ばれるらしい。ちなみに私の成績は、その前後なので間違いではない気はする。淡海君も同じだろう。

 委員会は二週に一回、放課後に話し合いがある。今日はその話し合いの日だった。職員室の隣の部屋が生活安全委員会の活動場所だ。大概話し合いは二時間で終わる。

 私は真剣に話を聞いているふりをして、ほとんど聞いていない。隣の淡海君に目をやると、ノートをとっている。やっぱり真面目なんだと思う。

 今日の議題は廊下を走る生徒が多く、衝突による怪我も出ていることから、そのための対策を考える、ということだった。

 上履きをスリッパに変えれば、走りにくくなるから走る人が減るんじゃないかとか、廊下に間隔を置いて花を飾るのはどうかとか、真面目な人達の会議では、ぽんぽん意見が出る。

 私は頷くだけにしている。ひとまず、今日出た意見を三年生の委員が先生に伝え、職員会議にかけてもらい、許可が出れば具体的に動く、ということで話し合いは終わった。



 みんな席を立ち帰り支度を始める。淡海君もノートを鞄にしまうと、さっさと部屋を出て行った。その後に続き、廊下に出ると目の前の中庭から声がした。何人が談笑するような声。

「あ、淡海ー!」とその中の声が呼び止める。私の少し前を歩いていた淡海君は立ち止まり、中庭の方へ振り返った。その視線につられるように、私も同じ方を向く。

 そこには、男子生徒と女子生徒が二人ずついた。多分淡海君と同じ三組の子。名前は知らないけれど、廊下ですれ違ったり集会の時に見たことがある。

 淡海君は手を上げると、その子達の方へ向かって歩いて行った。

 その姿を見送りながら意外な気がした。中庭にいる子達は、淡海君とは反対のタイプだったから。男子は二人とも制服のネクタイをだらしなく緩めてるし、女子は指定のリボン(自分で結ぶリボンが指定になっている)ではない、既製品のリボンをつけていた。

 淡海君はそのグループの側に行くと、違和感なく会話に入る。その表情は楽しそうだった。ふと淡海君を呼び止めたであろう男子が目に入った。

 襟足が長めの髪は茶色くも見える。そして目がとても綺麗に見えた。目尻がぴんっと跳ねていて、ねこのようなきりりとした目。

 その時、鼓動のリズムが一瞬狂ったような感覚になった。

 一拍分の鼓動が、どきーんと深く打つような。慌てて中庭から目を逸らし、何事もなかったかのように昇降口に向かい、靴を履きかえ学校を後にした。



 あの変な鼓動を感じて以来、私は〝ねこの目の男子〟をよく見るようになった気がする。それは気のせいだ、ということはわかっている。

 前も廊下ですれ違っていたし、集会で体育館に集まれば、隣に並ぶ二組の生徒の中に、彼の姿もあったのだから。

 でも、以前より身近に感じる。それは淡海君が親しそうに話しているのを見たせいでもあるだろうけれど、私自身が意識して目で追ってしまっているのだとわかっている。

 そして彼の名前が〝こう〟ということがわかった。男女問わず友達が多いようで、彼の周りにはいつも友達がいる。そして、顔ぶれもいろいろだ。その中の一人が彼を「こう」と呼んでいて名前を知ったのだ。



 今日の放課後は委員会の話し合いがある。面倒だけれど、淡海君の隣に座るのは楽しみだ。彼と友達らしい淡海君の側にいると、私も彼と友達のような気になるから。

 しまった。また、妄想癖が出ている。

 そう思う一方で、機会があれば〝こう〟君のことも、さり気なく訊いてみたいなんて思う。淡海君とあまり言葉を交わしたことさえないのに。

 きっと何も訊けないのに……

 頭の中でそんなことを考えているうちに、委員会の部屋の前まで来ていた。

 扉を開けたところで私の体は固まった。



 コの字形に並べられた机は、学年によって座る席が決まっている。一年生の席の片方に座っていたのは、〝こう〟君だった。


――どうして? どうして?


 戸惑う気持ちの中に、隠しきれない嬉しさのような期待のような気持ちが混じる。

 一旦、深呼吸をし〝こう〟君の隣に向かう。椅子を引いた時、その印象的な目が私を捉えた。目が合うと私の鼓動のリズムが、また一拍分狂う。

「あ、えーと……さとしが今日欠席で、その代わり」

 自分を指差しながら〝こう〟君がいう。

「あ、そうなんだね。よろしくお願いします」

 何気ない様子を装い、そう返したけれど声が緊張していた。

 さとしって淡海君のことか、と遅れて納得する。

「えっと、名前」

 私が座るのを待って訊く。

「里川桃子です」

 フルネームで答えた後、苗字だけでよかったんじゃないかと恥ずかしくなる。だって今日だけの、代理出席のこう君なのだから。でも、そんな私の様子を気にすることなく彼は言った。

「俺、佐々木耕」

 ささき こう、と心の中で繰り返す。こう君。こちらも心の中で呼んでみる。

 口にさえ出さなげば、こう君と呼んでもいいはず。

「ちなみに耕は〝晴耕雨読〟の耕」

 にっと歯を見せて笑う様子は、可愛らしいさがあった。

 わかった。こういう人懐こいところに惹かれて、耕君の側には友達が多いのではないだろうか。

 そして、今日だけしか言葉を交わさないだろう私の名前をきちんと訊いたり、自分の名前の漢字まで教えてくれる妙な真面目さ。

 人懐こい一面と真面目な一面のギャップが、彼の親しみやすさになっているのかもしれない。

 もう少し話したいな、と思ったところで三年生の委員長が、「話し合いを始めます」と言った。



 職員会議の結果、上履きの変更は保護者が関係してくるので不可、花を飾るのは万が一、花瓶が割れる等の危険があるので不可だが、それ以外のもので危険のないものなら、設置するのは可ということだった。

 私にはどうでもいい話だと思いながら頷く。

「今日は廊下に設置しても危険ではないものを考えたいと思います」

 司会の三年生の女子生徒が言う。ちらと耕君を見やると、淡海君とはちがってノートはとっていない。そうだろうな。だって今日だけだし。

「ダンボールで看板を作って設置するのは、どうですか?」

 二年生の男子生徒が、意見を言っている。真面目だ。確か二年で成績がトップだと聞いたことがある。

 話し合いの内容が全く頭に入らないまま、二時間が過ぎた。



「お疲れ」

 その声に顔を上げる。耕君が席を立ちながらこっちを見ていた。淡海君とは「お疲れ」なんて、声をかけあったことがない。

「うん」

〝お疲れ〟と同じように返すなんて、親密な気がして言えなかった。

「里川さんて、すげーよな」

 そう言われ何のことかわからず、固まっていると耕君は、ふふっと笑った。

「淡海がさ、言ってた。ノートとらなくても全部覚えられるらしい……って」


――えーっ! それはとんだ勘違い。何も聞いていないだけ。


「あ、えっと……」

 返事に困っていると、耕君は椅子を戻し「じゃあ」と言って部屋を出て行った。

 何だか心がざわざわする。ものすごく記憶力がいい人、みたいになってしまった。でも、悪い勘違いではないし、まぁいいかと思うことにした。

 きっと耕君と話すことは、もうないだろう。残念だけど。



 毎日雨が降るようになった。

 梅雨入りしたとニュースで言っていた。

 じっとりと湿気を含むのは空気だけではないらしく、教科書も制服も、前より重たく感じる。

 私の毎日は何の変化もなく淡々と過ぎて行く。雨の日は、お気に入りの傘を差して歩く。一緒に入る人はまだいない。できれば耕君に入ってもらいたいと思うけれど、その可能性はゼロだということもわかっている。


――今日見てしまった


 学校帰り、駅に向かう途中にあるコンビニの前で、耕君が女の子といるのを。女の子はちがう学校の子だった。たぶん同い年くらい。

 ツインテールに結んだ髪の毛は、綺麗にカールしていて水色のセーラー服からのぞく手足は細くて。可愛い女の子だった。

 顔を寄せ合って楽しそうに話をしていた。

 雨が降り始めたのに二人は傘を持っていなくて、コンビニの軒先で雨宿りをしていたのだろう。今日の午後の降水確率は90%。天気予報が言っていた。

 きっとやまない雨に痺れを切らして、一緒に傘を買うんだろうな。一本。そして二人でそれに入り、駅まで歩きながら、お喋りの続きをするんだろう。

 わかってる。わかってるけど、苦しい。

「耕君のこと、好きだった」

 雨の音に紛れるくらい、小さな声で呟いてみる。気持ちを言葉にすると、心にすとんと落ちる感じがする。この気持ちは、そこまで膨れ上がっていないから、きっといい思い出にできる。

 傘と一緒に顔を上げると、雨の水滴がシャワーのように降り注いだ。



*** ***



 オレンジジュースが入ったグラスの中を、ストローでかき混ぜながら、葉菜はなが内緒話をするように、テーブルに身を乗り出す。

 肩まで伸びた髪は、私に似て真っ直ぐで真っ黒だ。半年ほど前までは、まだどこかあどけなさがあった目元も、いつのまにか大人びてきたように見える。確か身長も、ぐんと伸びた。

「今日買ってもらった服、さく君、かわいいって言ってくれるかなぁ」

 そう話す頬が淡い桜色に染まる。

 来週の日曜日、葉菜は朔君という同じクラスの男の子と、映画を観に行く約束をしている。人生で始めてのデートだ。

「パパには内緒にしていて」と言う葉菜が何だか微笑ましくて、私は「わかった」と言うとともに、デートに着ていく服を買ってあげる、と言ったのだった。

 ちょっと甘すぎるかな、と思ったけれど「今回だけね」と葉菜にも言いきかせ、今日二人で買い物に出たのだった。

 小学六年生の葉菜の恋は、きっと永遠に続くものにはならないだろう。でも、誰かのことを初めて意識したり、好きになったり。その初めては〝今〟しかない。

 だから、大切にしてほしいと思う。

「ママってパパのどんなところが好きだったの? ママのタイプだったの?」


――雨の日でも私のことを迎えにきてくれる人

 中学一年生の私が答える。


「うん。そうだよ」

 そう声に出すのは今の私。


 十年前に結婚した夫は優しい人だ。だから、雨の日でもきっと迎えにきてくれると思う。ただ、そういうシュチュエーションがなかっただけで。

「あ、雨」葉菜の言葉でカフェの窓に目を向けた。窓の向こうを歩いている人は、突然の雨に戸惑うようにカフェの軒先に逃げ込んできた。

 確か今日は一日天気がよかったはずなのに。

 そう思った時、スマホが震えた。夫からのメッセージだった。

――傘、持って行ってないけど大丈夫?

 こういうところが優しいと思う。そして、はっとする。

 今、今だ。

――迎えにきて

 カフェの場所とともにその言葉を送る。するとすぐ返信がきた。

――了解 今から迎えに行く


「ママ? どうしたの? 笑ってるけど」

 口元が緩んでいるのを葉菜に見つかった。私はあの時の自分が望んでいたように、雨の日でも私と、そして娘を迎えにきてくれる人を見つけた。

 読んでいただきありがとうございました。

 みなさんにとってのかけがえのない人が、すぐ側にいますように……そして、その人にとって、みなさんが、かけがえのない存在でありますように。

 私も、そんな人をいつか見つけられたらいいな、と思っています。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 良いお話ですね。昔の淡い恋愛のお話で、胸が切なくなりました。
[良い点] 文章が丁寧で、自然に物語の世界に入り込む事ができました。 主人公の桃子ちゃんが異性に好意を抱き、自分の中で終わらせてしまうのが悲しくもあり、けれど「言えずに終わる事もあるよな」と共感でき…
[良い点] 「ちゅうりっぷ」の表現と、冒頭の「どんな人がタイプ?」をきちんと回収しているところ。 芸が細かい(誉め言葉です)! [一言] 感想返しではないですが、良質な短編が読めたので感想を。 あ…
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