第七十二話 『少女との出会い』
ノアとアイリスは自分達の偽物に連れて行かれたアルバートを日が傾くまで探していたが、手掛かりの一つも見つからず途方に暮れていた。
「魔力の痕跡すら見当たらないな。それに、この森は何処まで続くんだ?」
「上から見渡せたらまだマシなんですが、この森は結界で覆われているようで森より上には行けませんからね……確認も出来ない」
ノアは身体強化で、アイリスは飛行魔術を駆使して、かなりの距離を移動したが森は何処までも続いていた。
途中に小さな川や池、少し開けた場所などに出た時は少し休憩を挟んで魔力感知を出来る限り広げての捜索なども行ったが、魔物一匹すら確認出来なかった。
「少し、休みましょう。ここら辺も魔力感知に反応は無いので安全です」
「そうか、分か――」
その時、ノアとアイリスの下に少女の悲鳴が聞こえて来た。
「え、人? そんな……反応は」
「急ごう! この森について何か知ってるかも知れない!」
「は、はい!」
悲鳴の聞こえて来た方に全力で駆け付けると、開けた場所で銀髪の少女が人型の魔物に襲われているのを目撃する。
「ん? なんだ、あの魔物……魔力を感じない?」
視界に映る人型の魔物から一切の魔力を感じ取る事が出来ず、ノアが一瞬戸惑っていると少し遅れて来たアイリスが魔術を発動して魔物の頭部を吹き飛ばす。
すると、欠損した部分から魔力が溢れ出すのを二人は感知した。
「まさか、今まで魔力を遮断してたの? そんな事をする魔物が居るなんて……」
「アイツ、まだ動くぞ」
頭部が無くなった魔物はゆっくりと後ろを振り返り、手に持つボロボロの杖を二人に向けるが、ノアが飛ばした斬撃が身体を三つに分断すると魔物は靄となり散るように消えて行った。
「魔力の遮断が出来る魔物が居るとは、油断できないな……」
「うーん、未だに信じられないですけど取り敢えず、あの少女に話を聞きましょうか」
「ああ、そうしよう」
腰を抜かして地面に座り込む銀髪の少女に歩み寄ると、背後に大きな魔力がいきなり現れたのを感知して武器を手に警戒する。
「いつの間に? さっきまで何の気配も無かったのに」
「ここら辺に魔力の反応は無かった筈なのに、こんな大きな魔力を見逃した? あり得ない……」
ノアとアイリスは先程の"魔力の無い魔物"に続いて、今度は近くに居たのに気付けなかった存在に動揺を隠し切れない。
しかも、今度の相手は魔力だけでかなりの実力者である事が容易に想像出来る。
【動くな】
「――ッ!」
その声が聞こえた時には既に、ノアとアイリスは全身が石になったように固まっていた。
その事に気が付いた途端、内側から魔力を一気に湧き上がらせて全身の自由を取り戻す。
「なに?」
驚きの声を上げる姿の見えない相手にノアとアイリスは、すぐさま反撃の一撃を放つ。
【魔力障壁】
しかし、その言葉と共に現れた、目に見える魔力の壁によってノアとアイリスの攻撃は完全に防がれた。
「お前達は危険だ、【ふ――】」
「――違うよ! お姉ちゃん! この人達は私を助けてくれたの!」
「…………本当か?」
「本当だよ!」
少女の言葉で姿の見えない相手は魔力を抑え、森の中から姿を現した。
長い灰色の髪に黒い瞳をしたその女性は、銀髪の少女ととても顔が似ている。
女性はノアとアイリスに頭を深々と下げた。
「妹を助けてくれて、ありがとう。そして、先ほどはいきなり攻撃して済まなかった」
「いや、気にしないでくれ。妹を守る為に取った行動だろ? 自分たちも自衛の為に反撃しただけで戦う気は無い」
「そうか、それなら良かった」
誤解が解けた事でノアとアイリスはホッと一息ついて武器をしまう。
お姉ちゃんと呼ばれる女性が地面に座り込んだままの少女に歩み寄ると、少女はブワッと泣きながら謝る。
「――ごめんなさい! お母さんとお父さんに外は危ないって言われてたのに……私、お姉ちゃんの手伝いがしたくて!」
「分かってる、大丈夫だから。そんなに泣かないで」
お姉ちゃんは泣きじゃくる妹を優しく抱きしめて、一瞬で落ち着かせた。
少女が涙を袖で拭うとお姉ちゃんの手を借りて起き上がる。
「助けてくれて、ありがとうございます! まさか、この森に他に人が居るとは驚きです! 良かったら、私達のお家に来ませんか?」
突然の誘いにノアとアイリスは驚き「良いのか?」と少女の姉に目を向けた。
「ああ、当然だ。妹の恩人に礼が出来るのは嬉しい。それに、この森について知りたい事があるんだろ? 私の知ってる範囲なら答えれるよ」
「そう言う事なら……」
「ですね、せっかくですし……」
ノアとアイリスは顔を見合わせて、その申し出を快く受け入れた。
その後、少女と姉の後ろを着いて行き、しばらくすると森の中に大きく開けた空間に出る。
そして、その空間の真ん中にポツンと蛇のような木に絡まれた石造りの家があった。
「アレが、私達のお家です! お母さんに結界を解いて貰うので待っててください!」
そう言うと少女は大急ぎで家の中に入って行った。
「結界、見えるか?」
「いえ、全く……」
魔力感知の範囲を狭めて魔力を探るが全く反応が無く、首を傾げていると少女の姉がその疑問に答えてくれた。
「私達の母が施した結界だからな。見えなくて当然だ、気にしないでくれ」
「お母様は凄腕の魔術師なんですか?」
「いや"魔術師"などでは無い。あんな連中と一緒にしないでくれ」
「あ、すみません……」
アイリスの発言にイラッとしたのか、少女の姉は口調が強くなり空気が一気に張り詰める。
しかし、次の瞬間には家の扉が開いて、少女の呼ぶ声が張り詰めた空気を元に戻すと、アイリスが萎縮しているのを察して優しく話しかけた。
「誤解するような言い方をして済まない。君の事を言った訳ではないから安心してくれ。さぁ、中に入って」
「あ、はい。わざわざ、ありがとうございます」
そう言いながら頭を下げるアイリスを見てノアは内心で「随分と繊細だな」っと思っていたら、少女の呼ぶ声が再び聞こえて来たのでノアとアイリスは敷地内に足を踏み入れた。
「娘を助けてくれて、本当にありがとう。僕たちが目を離した隙にお姉ちゃんを追って行ってしまったんだ、本当に」
「まぁまぁ。貴方、話は家の中でしましょう。さぁ、入って狭いけど」
「お邪魔します」
両親と少女の後に続いて、家の中に入る。
家の真ん中に食卓テーブルと四脚の椅子があり、家全体を暖炉の"暖かくない炎"が明るく照らしていた。
そして、家の左奥と右奥に二階に上がる階段が見えた。
ノアとアイリスは四人家族の家としては正直少し手狭だなと思ってしまう。
現に、両親と少女とノアとアイリスの五人が入るにも、食卓テーブルを囲まないといけない。
「どうぞ。椅子に座って、足りない分はお姉ちゃんが作ってくれるから。気にしないで」
「ありがとうございます」
礼を言い、椅子に座ろうとするとノアの方の椅子だけが他の椅子と違う事に気づく。
他の椅子は一つ一つを組み立てて作ったのに対し、一脚だけまるで木を削って椅子の形にした様な作りだった。
「ん? え、もしかしてコレって」
「そうよ! それはお姉ちゃんが作った物なの、器用でしょ!」
ノアが聞こうとした事を母親が自慢する様に言うと同時に、開きっぱなしの扉からノアが座っている物と同じ作りの椅子がふわりと入って来て空いてる場所に静かに置かれた。
「ありがとう。お姉ちゃん」
「急いで作ったから荒いのは許して」
「いやいや、何を言ってるんだい。立派だよ、ありがとう」
そう言って両親は完成したばかりの椅子に腰を下ろし、お姉ちゃんが座るのを待ってから話を始めた。
「改めて、ゲトヒトスから娘を守ってくれて本当にありがとう。君たちが居なかったらと思うとゾッとするよ」
「そう。だから、そのお礼として今晩だけでもご馳走を振る舞わせて貰えないかしら?」
「…………」
ノアとアイリスは母親の申し出より、先に父親が言った聞いたことの無い魔物の名前に意識が向いていた。
その事に少女がいち早く気づいて、「知らないの?」と尋ねられた二人は同時に頷く。
「じゃあ、私が教えてあげる! "ゲトヒトス"はね、この森に住まう"記憶を喰らう魔物"の事だよ!」
「記憶を……喰らう?」
「まさか、私達の記憶が無いのは……その魔物に記憶を喰われたから?」
少女の説明を聞いたノアとアイリスは目を丸くし、自分達の置かれている状況を理解し始めた。
と、その時ノアは"幻想"という言葉を黒い子竜が言っていた事を思い出す。
今の少女の話が子竜の言う"幻想"であるならば、自分自身の"幻想"又は"記憶を食らった魔物"がこの森の何処かを彷徨っている事になる。
冷静に考える程にもう一度、あの偽物達と遭遇出来るのだろうかと不安が募っていく。
(見つかるのか? 何処まで森が広がっているのかも分からず、魔力感知を掻い潜る事の出来る存在なんて……。もし、見つからなかったら……忘れた記憶は一生戻らない? そんな事は)
「――ダメだ!」
ノアは悪い方に考える頭を振って、居ても立っても居られず立ち上がった。
今すぐにでもこの家を飛び出したい気持ちに駆られるが、無策で動いてどうにかなるとは到底思えないので、縋る思いで少女のお姉ちゃんに目を向ける。
「言っただろ、私の知ってる範囲の事なら教えられると。取り敢えず、落ち着いてくれ」
「……分かった」
荒くなった呼吸を整えて椅子に座り、話が始まるのをじっと待った。
「恐らくだが、二人はまだ完全に記憶を喰われた訳では無いと思うぞ。本来、記憶を喰われた者はゲトヒトスが見せる"夢"に囚われて夢から離れる事が出来ない筈だからな」
「それは……何故?」
「さぁ、そこまでは私にも分からない。だが、今まで見て来た人達は、夢に囚われたままこの森で一生を過ごしていたよ。でも、君達は"此処"にいる」
その言葉で、あの偽物が自分たちの幻想又は記憶を喰らった魔物で無いと分かった。
つまり、あの時の偽物はアルバートという子竜の"夢"だと言うこと。
「何か、思い当たる節があるようだな?」
「……もう一人、仲間がこの森に居ます。けど、そいつは自分達とそっくりの偽物と何処かに行きました。と言う事は、俺達の記憶を食らった魔物は別にいる」
「――今すぐに、探しに行きましょう!」
アイリスが席を立ち、そう言うと少女が急いで立ち上がり扉の前に立ち塞がる。
「もう、夜になるから外は危険だよ! それに、ゲトヒトスはこの森に住んでるから居なくならないし! そうだよね、お姉ちゃん!」
「ああ、その通りだ。実際、夜に外を出歩くのは辞めた方がいい。この森は夜になると静まり返るんだ、まるで森全体が"眠り"に落ちたように」
「そうですか、なら……明日にしますか」
こうして、ノアとアイリスは森の中にある四人家族の家で一泊する事になった。
日はどんどん沈んでいき、あっという間に夜になる。
月が照らす森の中で、動く"影"が一つ。
その影は、蛇のような木に絡まれた石造りの家の周りをゆらゆらと動き、そっと影を敷地内へと伸ばしていく。
しかし、あと一歩の所で扉の前に白い蛇が現れ、威嚇の一声で影は形を崩して闇に溶けていく。
溶けゆく影は白い蛇に対して、こう呟いた。
――我、権能に抗うとは何とも忌々しいことか――
その呟きが消えると共に白い蛇も扉の前から姿を消した。
月が照らす森の中で、白い蛇に絡まれた石造りの家が一つ。
まるで、この森の主たる威光を放っていた。




