第六十九話 『博識なイヴ婆と新たな手掛かり』
「どういう意味ですか?」
今回の件でイヴ婆はアイリスが"力を使わなかった"と言い放ち、責めるような視線を向ける。
そんな事を言われるとは思っても無かったアイリスは驚いた表情を一瞬見せるが、直ぐに眉間に皺を寄せて少し怒ったように聞き返した。
「そのままの意味さ。アンタが力を最初から発揮してれば誰も死なずに済んだだろ?」
「え? ……あの、私の魔力量見て言ってますか?」
「勿論さね、私の目は誤魔化せないよ! アンタが隠したつもりでいる、その奥底にある魔力はしっかりと見えてるんだよ!」
「…………?」
アイリスはイヴ婆がさっきから何を言ってるのかが分からず、ノアに助けを求めるように目をやるとノアも眉間に皺を寄せて困った顔をしていた。
「なんだい、まだシラを切るつもりかね? なら、聞くけどね……なんでアンタは"浄化魔術"を習得してるのさ? あれはね、術式を知らずに発動できる代物じゃ無いよ? 見様見真似で発動したなんて、あり得ないんだよ! 私が開発したんだからそれぐらい分かるよ!」
「で、でも……本当に見様見真似で」
「――だから、それが無理だって言ってんのさ! それに、アンタが表面上にキープしてる魔力量じゃあ足りないんだよ!」
「……確かに、そう言われれば」
イヴ婆の言い分にアイリスはぐうの音も出すに納得してしまう。
それでも、アイリスは自分が魔力を隠してるつもりなど一切無いのでなんと言えばいいのかも分からず押し黙る。
一方、ノアは記憶の断片で見たあの光景が脳裏にチラつく。
(アイリスによく似た"金髪"の少女……奥底に秘められた魔力……俺と同じで記憶が封印されているとすると……あの少女が本当にアイリスの可能性もあるって事に……)
逃げようとも言い訳をする気配の無いアイリスにイヴ婆は、首を傾げて尋ねる。
「なんだい、アンタ? もしや、本当に知らないのかい? それだけの魔力を持ってて?」
「はい。本当です!」
アイリスは顔を上げて真っ直ぐな目でイヴ婆を見つめる。
その澄んだ青い瞳は"純粋無垢な心"を感じさせるが、体の奥底に秘められた魔力がソレとは程遠いものとしか感じられず、イヴ婆は首を振ってアイリスから目を逸らす。
「……いや! 私は騙されないよ! 以前にアンタみたいな奴を信じたばかりに、私は悪魔堕ちをみすみす誕生させちまったんだからね!」
「――ん? 今、何って?」
聞いたことのない言葉にノアがいち早く反応すると、イヴ婆は一瞬固まり突然耳が遠くなったような仕草をする。
「何だって? ハキハキ喋んないと聞こえないさね!」
「だから、悪魔堕ちって――」
「おお! やっぱり、アンタなら"不死鳥の加護"を授かると思ってたよ!」
言葉を遮るように喋り出して、杖を取り出し一振りするとノアは手の甲に熱を感じ目を向けるとそこには尾羽の焼印が浮かんでいた。
「良かったねぇ〜。それを授かった者はね、自然の炎を操れるんだよ! 但し、創り出す事はできないけどね」
「お願いだから、待ってくれませんか? さっきから何を言ってるのかが分からないです」
「簡単な話さね。その魔剣の芯の素材が不死鳥の尾羽で、炎を浴びて蘇った不死鳥がアンタを認めたんだよ」
「それで、悪魔堕ちというのは?」
不死鳥の話を聞き流し、肝心な部分を急かすが――
「知らないね、全く」
「………………」
沈黙がしばらく続き、その間イヴ婆は一切表情を変えなかったのでこれ以上追求しても無駄だと思わざる得ない。
(話さないって事は"禁忌に関する言葉"だよな? 悪魔堕ちって言うぐらいだし……イヴ様の言ってる"以前"ってのは百年前の悪魔教による国家転覆の時の事なのか? その時に悪魔堕ちが誕生した。名前からして悪魔のようになるって事でいいのか? それこそ、俺みたいに? だとしたら……なんでアイリスなんだ?)
――再生する力を持つ自分より、魔力を奥底に秘めているというアイリスの方を怪しむのは何故?――という疑問が湧いて口を開く。
「あの、俺の力の方が"悪魔っぽい"気がしますが?」
「そりゃ"力"だけを言えばそうさね。でも、アンタは純粋な心を持ってるだろ。だから私は"アンタ"を信じてるのさ、その"悪魔に似た力"じゃ無くてね。それに、今日だって三大司教の前でその力を隠そうとすらしてなかっただろ? もしも、その力を悪魔と契約して手にしたのなら、巨神教の大聖堂で邪教である悪魔の力を見せびらかすような行為をするかね?」
「でも…………」
ノアは記憶が封印されている事をギルドに報告していない。
理由はいくつかあるが、一つは「どうして、記憶が封印されたと分かるのか」という問いに答えられないから。
正直に「頭の中でロイド君が教えてくれました」なんて言える訳がない。
それがここに来て、イヴ婆の問い対する答えるには適切過ぎる言葉が浮かぶ。
しかし、それを言えばギルドに秘密にしている情報がある事がバレて最悪……ロイドが禁忌の魔術を使った事がバレてしまうのではと考え込んで押し黙る。
「でも、なんだい? 言いたい事があるならハッキリしないかね。それとも……ロイドとか言う生徒が使った禁書のことかい?」
「――なぜ? それを」
一気に心臓の鼓動が早くなり、何故バレたのかと混乱している頭を懸命に回すが皆目見当がつかない。
「別に禁忌を犯した事を咎めるつもりはないさ。それに、状況から考えて友達を助けるために止むなく行使したんだろうって分かるさね。勿論、誰にも言ってないから安心しな。と言っても、禁書に何が記載されてるのかなんて誰も知らないから、あの子が禁書を使ったと告発する者もいないだろうよ。私だって知らないからね」
「そう、ですか……なら良かった」
イヴ婆の言葉に安心してホッと一息つくと、隣からの鋭い視線に気づく。
アイリスに秘密で禁忌に関する書物を調べた事を思い出して、とても気まずい時間が流れる。
「何ですか、禁書って? 今日まで一週間もあったのに聞かされてませんよ?」
「……悪い。今まで黙ってた」
アイリスの問いに少し間を開けて答えると、小さなため息が聞こえて来て少し怒った口調でアイリスが尋ねる。
「何故、話してくれなかったんですか? まさか、"禁書"だからなんて言いませんよね?」
「……済まない」
禁忌に関する事にアイリスとアルバートを巻き込みたくなかったと言うのがノアの本音である――が、それ故にアイリスの感情を逆撫でた。
「禁忌を犯した事に対する重圧に耐える気力が無い……そう思ってるんですか? それとも、兄さんが禁忌を犯した事を誰に告げるとでも?」
「違う、そうじゃない」
「でも兄さんの行動は"そうだ"と言ってますよ? 違うと言うのならなんで隠すんですか? それに、禁忌を犯したのだって"力を調べる"為なんですよね?」
「ああ……勿論その通りだ。でも、情報は」
「――ちょっと待ちな。アンタらさっきから何を言ってるのさね?」
二人の会話にイヴ婆が割り込んで、話を止める。
「何って……禁書の事を」
「だから、その禁書が何かって話さね。私が言ってる禁書は魔導兵器の事だよ?」
「ん?」
「え?」
ノアとアイリスは同時に声を漏らし、首を傾げた。
二人はずっと"悪魔教の経典"の話をしていたのに対してイヴ婆は"魔導兵器"という禁書の話をしていたという。
「えっと、じゃあロイド君が使った魔術は魔導兵器の魔術って事ですか? 悪魔教の経典じゃ無くて?」
「何言ってんのさね! 悪魔教の経典には魔術なんて無いよ! あれは悪魔教の"経典"さね! それに経典をアンタが読んでたんならロイドって子は別の書物を読んでたんだろ? なんで、そこで気づかないのさね! 禁書違いだって」
大きな掛け違いにイヴ婆が腹を抱えて笑い、ノアは言われるまでその事に全く気づかなかった。
ひとしきり笑った後、イヴ婆は魔導兵器についてこう語った。
「魔導兵器って禁書はアウルの賢者達が制作した魔導書の事さね。まぁ、まともな物はとっくの昔に朽ち果ててるからね。今残ってる物は使う事を禁止された"人の道を外れた術"が書かれてるろくでもないものさね」
やれやれと首を振りながら言い終えると、話を戻してノアが言おうとしていた事を再度尋ねる。
「それで? なんか言おうとしてただろ? ――俺の力の方が悪魔っぽい――だとか。だいぶ話が逸れちまったが聞かせてくれると嬉しいね。二人の問題は後にしてさ」
「……」
悪魔教の経典については実際に情報を全然得られなかったので、特に伝えるべきことが無いと言うのが真実だが、この状況でそんな事を言ってアイリスが納得するとは思えないし、かと言って他に言うこともないので黙ってしまう。
対してアイリスは黙ったままのノアから視線を逸らし、淡白な口調で話を進める事にした。
「そうですね。どうやら兄さんは何も話す気が無いようなので話を戻しましょう。何でしたっけ? 私の魔力がイヴ様を騙した人? と似てるとかなんとか」
アイリスの言葉を否定したいが、ノアは否定する言葉が出てない。
「魔力じゃなくて、アンタの纏ってる雰囲気って言った方が適切さね。頭の中で何を考えてるのかさっぱり分からない所とかね。アンタに比べてノアはとっても分かりやすいよ、純粋でね」
最後の言葉を嫌味ったらしく言うがアイリスは何のことか分からないので軽く聞き流して、下を向いて黙ったままのノアの肩を叩き早く答えるように急かす。
一瞬、なんの話をしているのか戸惑ったが直ぐに思い出して口を開く。
「魔導兵器の魔術を使ってああなったロイド君から言われたんですが……どうやら俺の記憶には封印が掛かってるみたいなんです。だから、もしかしたら"悪魔と契約"した記憶を封印している可能性も……無いとは言えないんです」
「ほうほう……確かに、そういう事ならアンタの力と心の純粋さの"乖離"も説明がつくね」
イヴ婆は顎に手を当てて、目を瞑りうーんっと言いながら少し考えるとパッと目を開き喋り出す。
「無いね、絶対に」
ハッキリとそう言い切ったイヴ婆に「何故、そんなことが言える?」と聞こうとしたノアを手で制止して続きを話す。
「確かに、アンタの力は"悪魔の力と酷似"してるさね。でもね、アンタからは一切邪悪なものを感じないのさ。もし、悪魔と契約してその力を手にしてるならどれだけ隠そうとも"必ず漏れ出る"んだよ。それこそ、記憶をどれだけ封印しようが無駄だよ。魂に刻まれた、その者の性質ってのは不変なのさ。まぁ、時には"染まる"事もはあるけどね……でも、本質は変わらない。アンタの心は、本当に"剣王ラインハルト"とそっくりで"どこまでも真っ直ぐ"だから私はアンタが大好きなのさ」
「――あの、ちょっといいですか?」
アイリスが手を挙げて話を止めると、イヴ婆は不機嫌な態度を隠す事なく示すが全く気に留めず話し出す。
「記憶の封印が出来るのであれば、記憶を読み取る事も可能では無いですか?」
「……まぁ、そりゃ出来るだろうね。出来ないと、どこまで封印するのかを指定出来ないし」
ぶっきらぼうにイヴ婆が答えると、アイリスは身を乗り出してこう言う。
「それじゃ大賢者とまで呼ばれたイヴ様なら、兄さんの記憶を読めるのでは? そうすれば兄さんの力がなんなのか? 私が秘めてるという魔力の正体が、なにかも分かるのでは?」
「……私が記憶を覗く事は出来ないことも無いけど、やりたく無いね。人様の記憶に立ち入るなんて死んでもね」
そう言ったイヴ婆の表情は不機嫌を通り越して、明らかに怒っており、鋭い眼差しに思わずアイリスは後退りしてソファーに尻餅をつく。
「でも、記憶を思い出したいんなら別の方法があるさね」
「……それは?」
イヴ婆に気圧されたアイリスに変わり、ノアが尋ねる。
「アンタらも聞いたことあるだろ? "一度入ったら出られない"と言われてる」
「――魔女の森ですか?」
「違う違う。魔女の森なんて、いくらでも出入り出来るだろうさね! 私が言ってるのは剣王ラインハルトが唯一、禁足地として定めた――幻想の森――の事さね」
二人はその名前を聞いてもピンと来ず、首を傾げているとイヴ婆がぼそりと「最近の若い者は御伽話をすら読まないのかね」と呟いた。
「その幻想の森と記憶を思い出す事に何の関係が?」
「幻想の森ではね、"記憶が形を成す"んだよ。その記憶の幻想達があの森には存在し続けているのさ。――ま、後は自分たちで調べな! 大図書館を探せば出てくるだろうよ。それじゃ、私はもう帰るよ」
そう言い残してイヴ婆は一瞬で学院長室から消えた。
姿が消える寸前に見えた表情はとても申し訳なさそうであり、また許しを乞うようにも思えた。




