―第6話―ゴールデンウィークの予定
僕のアルバイト先は居酒屋で、店名は「きんまさき」といった。そのアルバイトから早番で夜の10時に上がったとき、携帯に相原さんからメールが入っていた。
[大した事じゃないんだけど、少し聞きたいことがあるから電話していい?]
着信時刻は、1時間前。メールじゃなくて電話か・・・と思いすぐに電話をかけた。
「あ、小林君、ごめん、電話かけさせちゃって」
「いや、別に全然大丈夫だよ、アルバイトで携帯確認できなくて」
「あ、バイト終わり?ごめんね、電話すぐかけなおすね」
「いや、今月ほとんど、通話してないし、もう月末だからこのままでいいよ」
自分で言って、少し寂しい。
「そう、ありがとう、じゃ手短に話すね、小林君ってゴールデンウィークは実家に帰るの?」
「うん、春休みに帰らなかったからね」
「いつからいつまで?」
「5月3日から、7日までフルで帰るよ。春休みにアルバイトたくさん出たから、バイト先の人が、とっていいよって言ってくれたんだ」
「そう・・・迷惑じゃなかったらでいいんだけど、そのうち1日、向こうのどこかでか時間とれない?」
「時間?」
「うん、お母さんが、小林君にお礼を言いたいって」
「いや・・・そんなこといいのに、電話ももらったし・・・」
体調が随分よくなったとの相原さんの報告を受けた2度目の喫茶店の日の夜、相原さんから、「お母さんがお礼をいいたいというから、電話をかけさせてもいい?」という電話がありすぐにかかってきたお母さんと少し話をした。内容は、娘のことを気遣ってくれてありがとう。親に連絡をするように言ってくれてありがとう、とのことだった。電話の先でも頭を下げているのがよくわかるくらい、かなり丁寧に何度も何度もお礼をいっていただいた。
相原さんを連れて病院にいき点滴を打ったことも、その時初めて聞いた。それを聞いたときは、きっと自分が思っている以上にあのとき相原さんの体調はきつかったんだ、もっと早く話を切り上げるべきじゃなかったか、と思ったが、前回、喫茶店で、話を聞いてくれて助かったといわれ、ほっとしたところだった。
「かなり、お母さん、気にしてるみたいなんだけど、ダメかな?」
「いや、そんなことはないよ」
「よかった」
「相原さんは、何日に帰るの?」
「私は4日から6日まで」
「そうか、じゃぁ、ちょっと向こうで会う友人とか、墓参りに行く日とか確認してみるね、長めに帰るからいつでもいいやと思って、予定を立ててなくて・・・相原さんは4日から6日までのうちでダメな日とか時間はあるの?」
「4日は、友達と会うつもりだけど、ずらせると思うから、いつでも大丈夫」
「了解、じゃぁ、確認したら連絡するね」
ただの、接点のほとんどないクラスメイトだったはずの相原さんと、向こうで、相原さんの親と一緒にあうことになった。車のヘッドライトの光と、タイヤの走行音に追いこされながら、僕は自宅のアパートまで流されていく。
結局、5日の日に、僕が相原さんの自宅に伺うことになった。向こうから、挨拶にきてくれると、言っていたが、実家に来てもらうのはちょっと、というかかなり気が引けた。僕の実家は、校区内ギリギリで、遠かったし、僕の両親には、そんな話はもちろんしていない。僕は、自動車免許をとったから実家の車での運転の練習がてら行くからといって、こちらから行くことを了承してもらった。
ゴールデンウィーク初日、僕は、前日のアルバイトの疲れを感じながら垂水フェリーに乗る。
鹿児島県は、同じ本土でも、薩摩半島と、大隅半島の行き来にはフェリーを使うことが多かった。同じ県のしかも本土内でフェリーを使うことを、東京から大学にきた友達に珍しがられたが、地図を見て、薩摩半島と大隅半島の行き来は、神奈川県から、千葉県へ行くのと似たようなものだといったら、東京湾アクアラインがあるから、と言われた。都会人は容赦がない。
垂水フェリーの甲板で、風に吹かれながら見る海上の桜島は、いつもと変わらず煙をはきだしている。煙は、僕たちが、届かない雲まで容易に手を伸ばしている。こんな景色がある県なんて他にあるのかな、と、ぼーっと見ていたら、うどんを食べ損ねた。帰りには、ちゃんと食べよう、そう思って、フェリーを降りた。