―第5話―相原さんの、不調のきっかけだったもの
それからは講義などで見るたびに、相原さんはどんどん元気になっていった。回復が早かったのは、ありきたりだがやっぱり若さがあったからだろうか。喫茶店にはそれからもう1回行った。話の内容は、前に話したことの復習みたいなもので、相原さんが疑問に思ったことを詳しく、聞いてくるのに答えるという感じだった。結果としては、幽霊とかそういった類のものが不調の原因だったわけではないことを相原さんは理解して、目にも力が戻っていたから、もう、大丈夫なのかなと思っていたら、もう一度相原さんに喫茶店に誘われた。結局四月は、結局毎週喫茶店に行った。
春の陽気にもちょっとした気だるさが見える中、いつもの・・・ともう言ってしまってもいいだろうか、喫茶ホテイアオイまでの道を歩く。クロちゃんは、まだ相原さんの近くにいるが、鳩やスズメに気を取られているようだ。その話をしたら、クロちゃんの、いわゆるお土産の話をしてくれた。朝起きたら、死んだバッタが枕元におかれていて、叫び声をあげたという話だ。
「チリンチリン」
「こんにちは」
「あら、いらっしゃい」
鐘の音と、店員さんの声は、もう僕の味方だ。
今日は、ブレンドコーヒーに、手作りクッキーを頼んだ。相原さんはミルクティー。
「ごめんね、今日は、ちょっと私の不調の原因ってなんだったのかな、っていうのを自分なりに考えてみて、それを小林君に聞いてもらいたくて誘ったんだ」
「いや、全然問題ないけど、そうなんだ」
「ほら、私と、小林君ってあまり共通の仲のいい友達がいないから、そういう話をしやすくて」
相原さんが、笑う。共通の仲のいい友達は、「あまり」ではなく「まったく」いない。
「そりゃ、まぁ・・・そうだね」
僕は苦笑いだ。
「まぁ、それは半分本当だとして、最初に喫茶店にいったとき小林君に、いろいろ話をきいてもらったでしょ?」
「そうだったね」
「多分、あれで、大部楽になったんだと思う」
「そう言ってもらえるとうれしいな・・・」
「それで、あの頃がもうなんかすごく昔のように感じてしまって、ちょっと冷静になんであのときああだったんだろうって考えたら、それも小林君に聞いてもらいたいなと思ったんだ」
「うん、もちろん聞くよ」
「ありがとう・・・・、特別な何かあったってわけでは、ないんだけどね、多分あんなになっちゃった原因は多分よくある一人暮らしの憂鬱なのかな」
相原さんは、視線をティーカップに落としながら話してくれた。
「私、初めての一人暮らしでさ、引っ越しをしてアパートで荷物を開いて、手伝ってくれた両親と1ルームの小さな部屋でお母さんが作ってくれたお弁当を食べてさ、そして、両親が帰ったときに、その部屋の静けさになんかすごい寂しさを覚えたのね。こんなの当たり前にあることだとは思うんだけど、それですごい泣いちゃって・・・あの時の部屋に入ってくる淡い西日の光の筋が今でも目に焼き付いてる・・・」
「まぁ、1人暮らしの最初のあの静けさはちょっとこたえるよね・・・」
「そして、私はこの4年間、しっかり頑張るんだと思ったの。学業も、部活もアルバイトも頑張ってる、充実してるって、そして最後にはちゃんと就職もできましたって両親に報告したいと思ったの」
「だから、部活もすぐバレーボール部に入ったし、パン屋さんのアルバイトもすぐに始めたし、そして友達もたくさん作った」
「相原さんのイメージそのままだね」
少し、相原さんににらまれた気がした。僕のいつもの余計な一言だ。
「でも、バレーボール部は、大会もたくさん出て結構ちゃんと練習する部活でさ、部活自体は毎日あってその中で週3~4くらい行く人が多かったのね」
「それは、バイトもしてると大変だね」
「うん、それに結構飲み会も多かった」
「まぁ、この大学だと、そういう所が多いかもね・・・」
入学してすぐアルコールパッチテストがあったし、大学に入学したら、年齢に関係なくお酒を飲むのは暗黙の了解だった。
「で、その日は金曜日で特に決まった飲み会じゃなくて、いつも通り、男女関係なく行きたい人が行くってかんじだったんだけど、私は翌日、朝早くからパン屋のアルバイトがあったから、断ったのね」
「うん」
「そしたら、男子バレーボール部の先輩で、ほとんど金曜日にこない先輩がたまたまその時にきていて、大丈夫でしょ、まだ1年生とはよく話せてないから行こうよって、私と他に断った1年生二人にからんできて、結局、断りきれなくていったの」
「うん・・・」
なんか嫌な予感がすると思ったが・・・
「で、私、結構飲まされちゃって、よく覚えてないんだけど、しつこく絡んでくる先輩にいい加減にしてくださいっていって、1人で先に帰っちゃったみたいなの」
「ちゃんと帰れることは帰れたんだね」
「うん」
サークルがらみで何か事件がおこっている、ということはちょっと聞いていたから心配したが、正直ほっとした。
「でも、次の日のアルバイトに大遅刻しちゃったの、アルバイト先からの電話で起きて、とんで行って・・・お酒の匂いもしてたと思う。きつくは叱られなかったけど、すごくあやまった」
「それは・・・きついね」
「そして、アルバイトが終わって帰ってきた後に、また寝て、起きた時に、急に思ったの。なんで私こんなことしているんだろうって・・」
「一生懸命、勉強して、部活も頑張って、アルバイトもして、友達も多分たくさんいて・・・、高校時代からずっと私充実している・・・なんかそう思っていたのに、入学して半年たってないのに急にいやになって・・・で、部活をやめたの」
「そうなんだ・・・アルバイトは、やってるようなことを前聞いた気がするけど続けられたの?」
「うん、なんか、そこだけは、意固地になって、絶対にあとは遅刻せずに、1年間はしっかり頑張るって思っちゃった。だから、今月もちゃんとアルバイトは、いってるんだよ」
ちょっとだけ得意そうにそういった。
「それは・・・ほんとえらいね」
「ただ、お母さんが来てくれていたときも、引き留めるお母さんに、キツイ口調でいかないとだめなのといって、無理にアルバイトにいっちゃったからそれは、ちょっと反省してる。シフトの関係で、お母さんが来てくれた時は、アルバイトはその1回だけだったけど・・・」
「それは・・・ちょっと、何とも言えないね・・・」
アルバイトをしっかりやることが、そのときは、相原さんの心の支えの中の一本だったのろうか。
「あの遅刻が引き金だったのかな・・・・それから、アルバイトを第一にして、勉強も絶対に単位を落とさないように図書館に通ったりしてしっかりしたけど、アルバイトや、講義が終わったあと、アパートにもどると、なんかスイッチが切れたように何もやる気がおきなくなって、恥ずかしいけど部屋も散らかし放題だった。バレーボール部の友達とも自然と連絡とらなくなったし、気づいたら、大学に入学してからできた他の友達との付き合いもなんかすごく希薄に感じるようになって。そして大学の講義も何か、意味がないように思えてきてしまって・・・」
僕も、去年は、今の大学で受ける講義は、何か卒業をするためだけの事務作業、もっといえば、ただ、時間を埋めるだけの作業をしているかのように感じていた。特定の人を除いて、講義そのものは、それを受ける大学生と、その構造からして完全にミスマッチで、ただその時間を消費し、まったくの無駄なものとそういって間違いないように思えた。ただ、今は、それに答えが出たわけではないが、息をひそめている。僕も、僕自身の充実に埋もれさせた何かが、無くなったわけではない。
「そしたら、あれ、私なんで大学にいってるんだろう、って思うようになっちゃった」
「それは・・・僕も、やりたいことを探すために大学に行く、って頑張って思って勉強して・・・そして、第一志望の大学に入れずに、なぜか、第一志望の大学でないとやりたいことが探せないと錯覚して、仮面浪人を決意した気がするけど・・・」
「前に、言っていたね」
「うん、いざ大学生になると、大学を入り直せばやりたいことって探せるのか、見つかるのか・・・ただ、先延ばしにするだけなんじゃないか、もしかしたら、大学そのものが、ただの先延ばしなんじゃないかと、そう考えたりしてるうちに、もう考えることも面倒になって、ただ時間をすごしちゃってた」
「小林君もそうだったんだ・・・・それは、すごくわかる気がする・・・」
「みんな、そうならないのかな?」
「どうなんだろう・・・傍目からわからないだけで、そんな人が結構いるのかもしれないね」
「うん・・・」
「そこに、クロちゃんのことがあって・・・そして最後大根で・・・なんか、今さらながら大根ってちょっと笑えるよね」
「それは・・・そうかもね・・・」
「だよね・・・今は、小林君はそういう、悩みはないの?」
「うーん、まったくないわけじゃないけど、今は、そういう悩みにとらわれる前にポジティブにならなきゃまずいと思って、結局は、自分の心ひとつだから・・・今僕は、具体的にはなってないけど、まず、趣味でもいいから何か心を躍らせてくれるようなものを探そうと思って頑張ってるよ」
「趣味?」
「うん。相原さんは、自己紹介するときに趣味をなんて答えてた?」
「・・・猫と遊ぶこと」
「人前でも、そう言ってたの?」
「うーん、本を読むこととか言ってた気がする、正直趣味は、これです!って答えるのがすごい苦手なんだ・・・バレーボールは趣味ではなくて自分の中では部活でそれ以上ではなかったし・・・」
「僕もそうなんだよ・・・音楽?聞くことは聞くけど、熱く語れるほど詳しくもないし、みんな聴いているから、そんな中で面と向かって音楽とはいえないし・・・読書もそう。メジャーどころの作家をいくつかつまみ食いして読んだりしたけど、それで読書が趣味です・・・と言えるかといわれると・・・」
「そうそう、そんな感じに思っちゃう」
「でも、先輩に言われたんだ。なんでもいいから、他人との比較なんかまったく考えずに何かポジティブになれるもの、趣味でもなんでもいいから好きなことを探せ、って」
「先輩って前言ってたオカルト研究会の人?」
「そう、水を清めてくれて、自分に去年ついていた幽霊の除霊もしてくれた人」
「へー、その先輩は小林君についてる幽霊を、除霊できるような人なんだ。なんかいろいろ聞きたくはなってくるんだけど・・・ところで、なんで、好きなことを探せって言われたんだろう?」
「ん、いや、じゃないとまた憑かれるぞ、って」
「え、そっちの話?」
ちょっとあきれたように相原さんが言った。何かちょっと理不尽な気はする。僕達の話は、そっちの話しかないじゃないか。と思ったが、いや、これが元気になるってことなんだと少しうれしく、そして、少し寂しく思った。
足元のクロちゃんは、寝ていたが耳をピクッとさせた。
「いやいやいや、これって死活問題なんですよ?」
「そうなの?」
「うん。自分でも、前からわかっていたけど、自分って根暗でさ」
「うん」
「・・・肯定しないでよ・・・」
「自分でいったのに・・・」
「まぁ、それでさ、基本ネガティブな人間なんだ。」
「うん」
「・・・」
「で僕は、いわゆる、霊に憑かれやすい人なんだ。どうやら、姿を見ようとしなくても霊に反応して感じてしまう上に、基本、性格が優しいから、そういう人は憑かれやすいらしくて」
「へ~・・・」
「話をもとに戻すと、結局、実社会でもそうなんだけど、人間って、似た人同士で集まるってよくいうよね」
「うーん、いろんなケースがあるだろうけど、まぁそうだよね」
「それと同じで、ネガティブにしていると、そのネガティブさに安心したネガティブな幽霊が集まってきやすいらしいんだ」
「そうなんだ」
「うん、僕も高校2~3年の頃なら、自分にくっついた幽霊を自力ではがすことができるようになってたんだけど、大学に入って、さっき話にあったみたいなことを考えていたら、いつの間にか、3体の幽霊がついていて、なかなか引きはがせなくて、そして気付いたら、引きはがそうって、意志すらもわかなくなってた」
「じゃぁ、その幽霊を、去年オカルト研究会で祓ってもらったんだ」
「そう」
「その先輩、すごいんだね」
「うん。そして、ちょっとその人に、ネガティブなことを話しちゃったときに言われたんだ。小林君は、性格を変えないと、また、前みたいにずーっと憑かれるよ?って」
「だから、趣味とか好きなことなんだ・・・」
「うん、そういうものらしくて。先輩曰く、同じことをしたり、同じものをみたりしても、人によって、それをすごく楽しく感じたり、逆にすごく苦痛に感じたりする。そして楽しく感じていれば、ネガティブなものはよってこないし、苦痛に感じていたら、よってくる。それなら、なるべく、楽しく感じるように意識を変えたり、もしくは、楽しく感じられるものを探したほうが、実人生でも、霊的にもうまくいくって」
「そういえば・・・飲み会を私、楽しいと思えてなかったけど、それもそうなのかな?」
「相原さんが行っていた飲み会がそうかは、わからないけど、そういう面はありそうだよね、同じ飲み会でも、飲みたくないって人は、絶対にいて、逆に飲んですごい楽しいって人もいて、お酒の強さとかはあるけど、それを除けばしていることは同じだからね」
「そう・・・だね」
「ただ、もちろん飲み会があるんだったらそれをむりやり全て楽しいと思うようにってことではないよね。自分が楽しめると絶対に思えないし、意味もないと思う飲み会なら行かなくてもいいし、ちょっと楽しいかも?っと思える飲み会なら、それじゃせっかくだし楽しもうか、と思って飲めばいいんじゃないかな」
「なるほど・・・」
「で、先輩は、人に言える趣味とかそんな余計なことなんて考えずに、ただ、ひたすらに純粋に自分の熱意を感じられるものを探せっていうんだ。それができたら、全てが変わるって。ただそんなに簡単には見つからないとも言ってたけど・・・」
「そうなんだ・・・、それなら、私もそれを見つけることができたら変われるのかな」
「きっと・・・そうだね」
クロちゃんは、前足二本をぴんとそろえて、僕の顔をまっすぐに見つめる。その顔は、どこかそろそろ僕を、どういう人間かちゃんとみようとしているように感じた。
そろそろ、スーパーで、値引きがされる時間になりそうだ。そう思って、今日はお開きにした。