―第31話―東京散策
赤田先輩との通話を終えたあと、僕は午前中、若者らしくお台場に行きテレビ局を見て、お昼は築地の片隅で寿司を食べ、浅草寺を散策し写真をとり、夜は、伊集院君に勧められた新宿のゴールデン街の小さなお店で一人でお酒を飲んだ。
お台場では、テレビ局を見学したときには、やっぱり柄じゃないなぁと思いながら、そこに楽しみにきたふりをした。お台場は、海浜公園など思ったより緑があったけれど、何か違和感を感じ、長居ができなかった。その違和感をあえて表現するなら「裸足になりたくない」といったところだ。
後日、そんな話を徳留先輩にしたら、「地脈の気の流れがスムーズでなかったのかもしれないよ」と言われた。お台場は、埋立地であり、人の手によって外科手術をされたような場所で、まだ地脈がうまく通っていないのでは、ということだった。埋立地であっても、人間という自然の存在によってできたものだから、年月が経てば、地脈は調っていくものらしいのだけれど、それには、数百年単位の相当な時間か、そうでなければよほど綿密な人間側の計画が必要らしいのだ。もちろん、そんな気の流れに影響を受けないだけの体質の人は問題がないけど、僕は、気が弱いらしくあまり好ましくないみたいだった。
築地で、鹿児島と違い甘くない醤油で食べる小さめの舎利のお寿司は個人的になかなか衝撃的なおいしさで、また来たいと思った。寿司を握る職人さんのキビキビとした動きに後光が見えるのは僕ぐらいだろうか。
浅草寺は、雷門の提灯をご多分に漏れず写真をとり、その下から見える龍神様を拝んだ。ふと気づくと、あちらこちらに龍神様の絵や彫刻があり、あとで調べてみると浅草寺は龍神様と関係が深いとのことだった。
本堂前でのお香の煙とそれに透ける太陽の光、そして多くの観光客の笑顔が、なぜかこの暑い中、僕にお正月のような気分を思い起こさせて、心地よかったのは、多分幼い頃に行った寺社の記憶を思い起こさせたからだ。
思えば、いつの頃からか寺社に行くときは畏れながら行っていた。でも、幼い頃、寺社に行くのは楽しいものだった。もしかしたら、神様や仏様の前で楽しむことを僕は忘れていたのかもしれない。お祭りや、盆踊り、楽しんでいる人間をみて、神様や仏様がよく思わないなんてことがあるだろうか。感謝はもちろんのこと、うれしい、楽しい気持ちをこそ、お供えすべきではないのだろうか? もちろん切羽詰まった気持ちでお願いをしに行くことだってあるだろうけれども、それが、なんとかなったときに、お礼に来た時の感謝の言葉に添えられたうれしい、楽しい気持ちをこそ、神様、仏様は望まれているのではないだろうか。
こんな考えは、失礼なのかもしれないけれど、神様、仏様は、魂の上での親であり、やっぱり僕達は、その子供なのではないかと思ったのだ。そう思えば、あぁ、僕の神様仏様に抱く思いは、成長するにつれ変わってきた両親に対する想いの変遷に少し似ていたのかもしれないと思い、合点がいった気がした。
伊集院君に、勧められた、新宿のゴールデン街の小さな飲み屋さんでは、働いている女の子が、劇団に所属していて、夢を追っている人でとても刺激的だった。東京では、いろんな分野で夢を追っている人が、たくさんそして身近にいるようだった。これは鹿児島にはない、圧倒的なアドバンテージだとそう思わされた。本当は夢を追っていいはずなのに、夢を追うことに対するあきらめの醸成が周りに同じような人が見つかりにくい鹿児島では簡単すぎる。馬鹿にされても笑われても頑張ろう、とそう思ったときに同じような仲間、ライバルがいるのとそうでないのとでは、やはり圧倒的にその想いの力に差が出てきてしまう。
ただ、一方で、本当に世の中を変えるような力は、地方にこそあるのではないかと、そう根拠のない小さな反骨心で思ってもいる。
だって人はいるのだから。
そう思ったときにパチンコ帰りの西村部長の顔が浮かんだのは、多分気の迷いだろう。
翌日、僕は朝11時の便で鹿児島に帰った。今流行りの秋葉原のメイド喫茶に行けなかったのは話のネタとしても多少心残りではあったが、多分旅には、多少心残りがあった方がいいのだ。その分、また来たくなるから。




