―第21話―波見の観音様と一反木綿
多分、今日は夢をみないだろうな。と、そう思った。
赤田先輩に除霊をしてもらったときもそうだった。その前の高校生の時に除霊をしてもらったときも。こういう霊的な体験をしたとき、僕は、夢をみないことが多かった。
最近、わかったことがある。そういう体験をするとき、僕は、僕ではない何かと一緒にその体験を享受しているのだ。
さっき、僕は確かに神様のような存在と話をした。ただ、その時、僕とは違う、または僕を含む、もしくは僕に含まれる、僕ではない僕もまた、もしくは、僕以上に、あの神様とコンタクトをとっていたのだ。
現実の僕は、おそらく、その時、上の空といった状態になっていたと思う。
自分が自分自身を知っているように思うのは、間違いだった。恐らく誰にとっても、得たいの知れない何かである自分がいるのだ。
その得体の知れない何かと、現実の僕が、すり合わせをするとき、それはほとんどが眠っているときで、僕は夢をみなかった。
ただ、そのすり合わせは、起きたら完全に忘れている夢と同じで、起きた後の現実の僕は、それによって確かに何か影響を受けたはずなのに、それが何かはわからなかった。
車に乗り込み、そういえば、近くに、波見の観音様がいらっしゃったっけと思い、伊集院君にお願いして、寄ってもらうことにした。僕の実家では、高山町の轟の滝という滝の近くにある観音堂のことを、波見の観音様と呼んでいて、たまにお参りにきていた。
その観音堂は、安産祈願に訪れる人が多く、また、よだれかけをかけるように紐がつるされていて、無事に生まれたら、よだれかけをかけて、子の健やかな成長を願うという風習のある場所だった。もちろん記憶にはないが、僕のよだれかけもかけに両親がきたらしい。
「うお、こんな狭い道いくんだ」
子供の頃は、観音堂に至る直前の道が、1車線の砂利道で、両脇が切り立っていて、落ちないかと怖かったのを覚えている。その細い道は、今も健在だ。あとで知ったことだが、実は、この観音堂のすぐ先にある轟の滝も一反木綿が出るといわれているところだった。
以前とかわらず、よだれかけがかかっている観音堂の前で手をあわせると、今度は、映像はでてこなかったが、先ほどの神様の存在を感じることができた。
そうか、僕は、ここで、あの神様にあっていたんだ。
ここにいらっしゃる観音様と、あの神様に何か関係があるのかどうなのか、それは僕にはわからなかったが、ふとうれしくなった。
その後は、当初の予定通り、流鏑馬で有名な四十九所神社によった。ここも一反木綿が出るという場所だ。そのまつられている神様の多さにびっくりしていると、僕の頭の中に、解凍された映像が流れてくる。ちょっと困りながら、そしてうれしそうに、子供を追いかけまわす神様の姿だった。
伊集院君は、「実家による?」 と言ってくれたけど、少し距離があったし、悪いから断った。
帰り道、伊集院君が、まじめな顔をしていった。
「じつは、権現山の、頂上で、一反木綿、みちゃったんだ・・・」
「え?どんな感じだった?」
「白くて、縦長のすーっと、上に伸びた布みたいなの・・・」
「そうなんだ」
「小林君は、見なかった?」
一瞬、どこまで話していいのか迷ったが、嘘がつけない僕は
「一反木綿といっていいのかどうかは、わからないけど見たよ。僕が見たのは、白い着物を着た、神様だった」
といった。
「神様なんだ?」
「なんとなく自分がそう感じただけだから・・・。なんともいえないけど、僕の頭の中にその神様の思いを残してくれた・・・かな」
「どんな?」
僕の頭の中に残された記憶は、次々と解凍されていく。
自然と人が近いこの場所で、今よりも、もっとにぎやかな子供達の声を聴くことができていたあの頃・・・ 山で、海で、川で、滝で、神社で・・・ 空から・・・
「僕が、見たのは・・・遊んでいる小さな子供達を、日中は、空から見守りながら・・・夕暮れ時になったら、白い着物をゆらゆらさせながら優しく追い回す、そんな神様だった」
「追い回す?」
「はよ帰らんね、ちね」
「早く帰りなさいってことか」
伊集院君は、お父さんが鹿児島出身でその祖父母は今も鹿児島市にいるから、多少、鹿児島弁がわかる。
「そうだね」
「それが、一反木綿なのかは、わからないけれど、そうだとしたら、一反木綿は子供が大好きな優しい神様だったんだなぁ」
「あと・・・なんだか、あの神様、伊集院君のことを知っているのかな? 頂上で手を合わせていたとき伊集院君に[よいなこて顔を見せたが]って言ってたよ」
「ん?どういうこと?」
「ようやく来てくれたね・・・って感じかな」
「でもうちの父も、祖父母も鹿児島市だけどなぁ」
「なんなんだろうね」
帰りは、霧島で温泉に入る予定だったが、一反木綿の余韻と少しの疑問が残る僕たちは、それを次の楽しみにして今日はそのまま帰ることにした。
その夜、深い眠りに誘われる直前の僕の頭で、最後に解凍されたのはなぜか「きばいやんせ」(がんばりなさい)と、そういう言葉だった。




