第89話 チョコーレートケーキは甘くない
柏木奈乃は着替えてから家をでた。
本当はもっと早い時間に帰宅して暗くなる前に出かけるつもりだったが、軽音部で思いの外時間が取られた。
1年生達がなかなか開放してくれなかったからだ。
楽しくてついつい軽音部に長居してしまった。
家に帰ってから服を着替える。
どんな服にするか悩んだ。
白のブラウスに水色のカーディガン。同じ水色のロングのスカート。それにハーフコートを羽織った。
駅前の広場に既に江島貴史が来ていた。
黒のチノパンに黒系色のジャンバーを着ている。寒いのか上着の前を留めていた。
まだ日が暮れたばかりで人通りは多いが、江島くんは目立つ。
ちょっとワルぶった格好が可愛くって、カッコいい!
「江島くん!」荷物を持っていない方の手を大きく振りながら駆け寄る。
江島くんは私を見てちょっと嫌そうな顔をした。
何で?
「おう、大声で呼ぶな」
「え? ごめんなさい……」
「いや、怒ってない」困ったように頭をかく。
「呼び出してごめんね」
「おう、構わない。で、何だ?」
「これ、渡したくって」紙袋からラッピングされた小さな箱を取り出す。
「ん? 何だ?」
何って、今日はバレンタインデーだよ?
「あ? ……学校で渡せばよかったんじゃ?」
むー。友チョコじゃないから、ちゃんとオシャレして渡したかったんだよ。
「柏木、義理堅いよな」
軽音部員全員に配った事を言っているんだろうけど。
義理じゃないよ。
「何か飲むか?」
江島くんは自販機で缶コーヒーを二つ買った。私にブラックコーヒーを渡して、自分はミルクコーヒーにしていた。
江島くんは花壇の縁に腰掛けると、渡した箱を早速開ける。
ここで開けるんだ?
私は江島くんの隣に座る。
もっと近くに寄ってもいいかな?
江島くんはラッピングされた小箱を開け、チョコケーキを取り出す。持ち運びやすいように四角形にした。
透明袋に入れてリボンで結んである。
「えらく厳重な包装だな」
本命チョコのラッピングってこんなものじゃないの?
「これも手作りか?」
「うん」
手作りのお菓子を作ったら、毎回江島くんにも食べてもらっている。
「お、美味いな」手づかみでかぶりつく。
「えへへ」やった! 褒められた!
「だいぶ菓子作り上手くなったな」
もっと褒めて!
「高瀬にも渡すのか?」
むー、いま雪穂ちゃんの話しなくてよくない?
雪穂ちゃんにも渡すけど。
「て言うか、高瀬と交換するのか?」
雪穂ちゃんはバレンタインのチョコレートとか用意しなさそう。多分していない。
江島くんのケーキも缶コーヒーも無くなっても、私はゆっくりとコーヒーを飲む。
江島くんは私が飲む終わるのを、急かしもせずに待ってくれる。
「柏木、寒くないか?」
江島くん、寒いの?
「寒い」そう言って勢いよく江島くんにもたれかかる。
今の、寒かったらくっついてもいい、って意味だよね?
「まだ寒い」探るように甘えてみる。
江島くんは少し考えてから、私の肩に手を回して抱き寄せてくれた。
嫌がられなくて良かった。ホッとする。
江島くんは優しいよね。
コーヒーを飲むこともやめて、江島くんの腕の中でじっとしている。
江島くんは黙ったまま付き合ってくれる。
あったかい。
「奈乃ちゃん、上がって」嬉しそうな雪穂ちゃんに出迎えられた。
一応、家の近くまで来てから電話したので、最低限の身だしなみを整える時間は有ったのだろう。
紺のジーパンに白にスクエア柄のトレーナーを着ていた。
雪穂ちゃんの部屋着ってどんなだろう?
だらしない格好とか想像できない。
予定よりだいぶ遅れた。
江島くんにバレンタインのチョコレートケーキを渡したら直ぐにくる予定だったけど、渡して終わりってわけにはいかなかった。
江島くんの腕の中が心地よすぎた。
江島くんも文句言わないから、かなりの時間幸せに浸っていた。
後の予定を全てキャンセルしてずっと江島くんといたかったけど、寒い冬の夜にいつまでもいさせるわけにはいかない。
居間はエアコンをつけたばかりなのか、まだ少し室温は低かった。
「これ、チョコレートケーキ、作ったの!」
「ありがとう、奈乃ちゃん」ずっと期待する目で私の荷物を見ていた雪穂ちゃんは、嬉しそうに破顔した。
よかった。こんなに喜んでもらえるなら、苦労して作った甲斐があった。
「コーヒー淹れるから、座ってて」
うん、こうなるよね。
もう一か所行くところあるんだけど、断れない。
雪穂ちゃんは私にブラックコーヒーを出してくれる。自分はミルクと砂糖を入れていた。
高そうなお皿やカトラリーを用意して、すっごく丁寧にラッピングを解く。
「とても美味しいわ」
そう、雪穂ちゃんに喜んでもらえて嬉しいよ。
「軽音部でチョコレートを貰えなかったから、私には無いのかと思っていたわ」
皆がいるところで渡せないよ。差がありすぎるもの。
雪穂ちゃんが食べ終わったので、コーヒーを飲み干して帰ろうとする。
もう一か所行きたいから。
帰ろうとしたら雪穂ちゃんに頬を触られた。
「バレンタインデーのプレゼントはこれだけ?」
え? チョコレートしか用意してないよ?
他にもプレゼントするものなの?
雪穂ちゃんは捕食者の目で私を見てくる。
あ、私の身体をプレゼントにするのか……。
こんなもので良いなら、我慢して好きにさせてあげるけど……。
今日は時間がない。
「ごめんなさい、雪穂ちゃん。今日はもう遅いから」
晩ごはんをお家で食べると言ってあるから。と嘘をつこうとして、思いとどまった。
「ごめんね。時間があるときにプレゼントさせて。ね?」
雪穂ちゃんは残念そうな顔をしてから、「こんど、奈乃ちゃんをリボンでラッピングしていいかしら?」とイタズラっぽく言った。
冗談だよね?
本気かな?
雪穂ちゃんだから本気かも。
「服の代わりにリボンだけね」内緒話をするように、耳元で囁かれる。
ゾワっとした。
あ、これ本気だ。
次のデートは酷い事されそうだけど我慢するしかない。
「……うん」本気で嫌がっているのがバレない程度にイヤイヤ同意してみせる。
雪穂ちゃん、こういうの好きだよね。
「じゃあ今日のところは……」何か代案を考えている。
まだ何かしないとダメなの?
「奈乃ちゃんからのキスのプレゼントで我慢してあげる」
え? ヤダ。
「私からするの恥ずかしいから、やだ」モジモジしてみせる。
「だーめ」雪穂ちゃんが可愛く言った。あんまり似合わないよ。
一瞬で唇にキスをする。
「はい、終わり」
「えー、ちゃんとして」
「恥ずかしいから、嫌」
強く拒否しすぎた。
雪穂ちゃんがムッとする。
怖いよ……。
「恥ずかしいから、雪穂ちゃんからして」何とか可愛くごまかす。
「しょうがないわね」
雪穂ちゃんにキスをされた。
とても長い時間、激しいキスをされる。
離して貰ったときには酸素不足でグッタリしてしまって、ソファーに沈み込んだ。
雪穂ちゃんから見たら、私が気持ち良すぎて呆けているようにでも見えるのだろうか。雪穂ちゃんは満足そうに私を見下ろす。
私、まだ予定あるんだけどな……。
読んでくれてありがとう。




