59 決意
間が空いてしまいました、申し訳ございません
「ジュール殿下、大変申し訳ないのですが、イヴリンさんはお会いになりたくないそうです。今はそっとしておいて差し上げませんか」
「彼女の意思ということですか……そういうことでは仕方ありませんね。しかしリチャード殿、まさか貴殿自らご連絡下さるとは思ってもみませんでした」
「それはこちらの台詞ですよ、殿下。いや元殿下ですかな。それではご機嫌よう」
机の上の通信具はそれ以上何も伝えては来なかった。彼女の意思だと言われてしまえば手も足も出せない。
リチャードの言葉を信じるのであれば、イヴリン嬢の受けたダメージは思ったよりも大きかったということだ。少なくともリチャードの所から出る気が起きない程には。
今のまま強硬手段に出たところで彼女を苦しめるだけだろう。かと言ってそっとしておくのも限界がある。兄さんのためにも早く戻ってきて欲しいところだが……。
ソファに背中を預けて天井を眺めた。王都の部屋の見慣れたそこは10年分の歳月が経っているはずであるが、何も変わったようには見えない。
「全くリチャード殿の言う通り『元』なのですよ。私たちはいつまでフリースラントの幻影に悩まされ続けるのでしょうね」
誰にともなく吐いた言葉もまた天井に吸い込まれて跡形もなく消えていった。
「クロウ、通信具を出してくれ。早急に確認したいことがある」
マルグリットとの話を終えて戻ってきた俺の要求に、クロウは片方の眉だけ器用に上げた。先ずはイヴリンが本当にリチャードの所にいるのか確かめる必要があった。何か聞きたそうにしながらも黙って通信具を差し出したクロウに、俺は内心深く感謝した。
「直ぐに戻る」
俺は部屋を出ると庭園に向かった。シンメトリーに造られた庭の所々には綺麗に刈り込まれたトピアリーが配置されている。俺はそれらを横目に奥の木立の中へと進んでいった。
常緑樹に囲まれたそこにはお誂え向きの白い四阿があった。ここなら聞く者もいないだろう。俺ははやる気持ちを押さえて慎重に通信具のボタンを押し込んだ。呼び出しの青い光が点滅し始める。1回、2回……俺は無意識にそれを数えていた。早く、早く出てくれ。
「クロウ、何かありましたか?」
「ポール、俺だ。イヴリンはリチャードの所にいるのか?」
「兄さん……」
ポールの沈んだ声に、マギーの言う通りイヴリンは確かにいないのだと信じざるを得なかった。
「なぜだ? 何でいなくなった? 攫われたのか? お前たちが付いていながらどうしてっ」
「申し訳ありせん」
落ち着いた声が響いた。
矢継ぎ早の問いかけに対するポールの第一声は謝罪だった。言い訳をしてくれた方が、どれだけ気持ちのやり場があったことか。焦りにも似た感情に俺は自分を制することが出来なかった。
「謝って欲しい訳じゃない! 何があったか聞きたいんだ」
「イヴリン嬢の意思なのです」
「……」
俺の中の何かが崩れ落ちていった。
「兄さん?」
「分かった……もういい」
「兄上! ちょっと待ってく――」
まだ音を吐き出し続けている通信具のボタンを押した。通話を表す赤い光が音と共に消えていった。
イヴリンが俺のもとから去ってしまった。事実だけが大きく俺にのしかかってきた。
俺は……。
「アーチボルト様、こちらにいらしたのですね」
「マギー」
「お食事の用意が出来たそうですわ」
「そうか」
「気のない返事ですわね。それ程にわたくしの提案は気に入りませんでしたこと?」
「いや、そうだな」
「どちらなんですの?」
ころころと笑うマギーの艶やかな髪が風になびいた。
「マギー、お前の提案を受ける」
マギーは目を大きく開いたが直ぐに疑うような視線を俺に向けた。
「後になって撤回するのは無しですわよ」
「ああ大丈夫だ」
そっと差し出された手を俺は取った。
「ギー様、ケヴィン殿をお連れしました」
「二人とも座ってくれ。マルグリット王女殿下の話だが、俺を旗印にクーデターを起こすことになった」
「アーチボルト殿下がですか? ピエール様ではなく?」
そもそも俺たちはピエールを担ぎ上げようとしていたのだから、ケヴィンが驚くのも尤もだった。
「ピエールの妻子がロベールによって殺された。今の彼は抜け殻同然だ」
「ですが殿下が立たれるのは危険過ぎます」
「ファティマ国を守るにはそれが一番手っ取り早いと思っている。東大陸の平和を取り戻せる上に、フリースラント王国の復興も夢ではない」
「復興!?」
いつもは無口なクロウが珍しく慌てた声を出した。
「俺が旗印になれば自然とそういう流れになるだろう。これは悪い話じゃない」
「ですがギー様が旗印になった後は、クーデターが成功した暁にはどうなるのですか? ギー様にご執心だったマルグリット王女殿下がただそれだけを提案したとは思えないのですが」
「何もないさ」
「本当ですか?」
クロウから真っ直ぐ向けられた視線が痛かった。マギーが俺の耳元で囁いたお陰で、クロウもケヴィンもイヴリンがリチャードの所にいることは知らない。もしマギーとの結婚の話をすれば、こいつのことだからきっと反対するだろう。
「マギーもロベールのやりように黙っていられなくなったんだろう。幼馴染みに酷いことは要求しないさ」
「なら宜しいのですが」
明るい声を発した俺に、クロウは漸く追及の手を緩めた。
結局俺は先ほどポールから聞いたイヴリンの現状について二人に話すのをやめた。仮に攫われたのだとしても東大陸にいる俺たちで出来ることは余りにも少なかった。きっとポールが報告しなかったのも、そういうことを考えに入れてのことだったのだろう。
ケヴィンとクロウの二人に話したお陰で俺の気持ちは固まった。
イヴリンの幸せため。
俺はそのためにここに来たのだし、それはこれからも変わることがないのだ。たとえそれが一緒に居られる未来ではなかったとしても。
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