58 それぞれの苦悩
マギーと共にガリア王国を治めるだと? それは即ち……。
「王女であるわたくしと結婚してアーチボルト様、あなたがガリア国王となるという事ですわ」
押し黙っていたピエールがぴくりと反応した。
「クーデターを起こすには旗印となる人物が必要です。残念ながら東大陸にそんな人物はもう残されておりません。少し前までならこの英雄ピエールでも良かったのですけれどね」
マギーはまるで物でも見るような目つきで、頭を抱えてうずくまるピエールを指差した。十年前のあの日、俺たち一家の前に毅然とした態度で現れた精悍な男の姿はそこにはない。
「彼はこの通り使い物にならない。でも民衆が立ち上がるのを待っていては時間もかかるし、被害は甚大。民の疲弊した東大陸が復興にこぎつけるまでに、ネーデルラン皇国が攻めてこないとも限らない。勢いづいたネーデルラン皇国が東大陸の次に狙うのはどこか、きっとファティマ国が落とされるのも時間の問題でしょうね」
マギーの言っていることは全て正論であった。ファティマ国がロベールに狙われていたからこそ俺が東大陸までわざわざやってきたのだ。だが仮にロベールを倒した後はどうなるのか? 事と次第によっては結局ファティマ国は落とされてしまうということではないのか。
「東大陸の国々がきちんと自国の立て直しに向き合うためにも、絶対的な安定が必要なのです。それには復興フリースラント王国とガリア王国との新たな協力体制を作り上げて見せるのが一番効果的ですわ。そしてその目玉とも言うべきものが、アーチボルト様とわたくしとの結婚です」
静かに歩み寄ってくるマギーに対し、俺はソファから一歩も動くことが出来なかった。柱時計の規則正しい音だけが、やけに大きく聞こえていた。
リチャード様のお屋敷に来てもう一週間近くになるだろうか。私はどこかに閉じ込められる訳でもなく、自由に過ごすことを許されていた。あの白髪の執事をはじめ屋敷の方々は平民に過ぎない私に丁寧に接してくれている。
朝靄の中乗り込んだ船で寝てしまったらしい私が、漸くちゃんと目覚めたのは天蓋付きの大きなベッドの上だった。そこがネーデルラン皇国のリチャード様のお屋敷であるという状況を知るや否や、私は直ぐに帰ると申し出た。だがリチャード様は落ち着いた声音で「もちろん貴女がそれを望むならばファティマ国までお送り致します。ですが本当にお戻りになりたいのですか、事実を知った今でも」と、聞き分けの無い子供に聞かせるように語った。そして返事も出来ずにいる私を気の毒に思ったのか「好きなだけ居ていいのですよ。寧ろ私としてはそうして頂きたいと思っています」と続けた。その時のリチャード様の瞳は、私に真っ直ぐに向けられていた。
戻ってどうするのか。未だにその答えは見つかっていない。ただ朝晩リチャード様と共に食事し、それ以外の時間は綺麗な庭園を散策したり大好きな刺繍をしたりして日がな一日を過ごしている。私はギーが王子だという現実に向き合う勇気が持てず、ここでの時間に逃げ込んでいた。ここに居る間は諦める必要のない私でいられる気がした。
その日の夕食、珍しくリチャード様は無口だった。何をして過ごしたのか些細なことでも聞きたがっていたというのに、今日は何も聞いて来ない。給仕の者たちの無駄のない動きばかりが、やけに気にかかった。
「イヴリンさんは、ジュール殿下とはお親しいのですか?」
漸く口を開いたリチャード様が尋ねられた人物の名前に心当たりはなかった。
「ジュール殿下?」
「あぁ、貴女には知らされていないのでしたね。アーチボルト殿下の弟君、ジュール・ポール・フリースラント殿下のことです。彼が貴女に面会を申し出ています。しかし正面から来るとは思いもしませんでしたね。あちらも必死というわけですか」
そうか……ギーが第一王子なのだから弟のポールさんは第二王子。クロウさんはギーの騎士で、クロウさんの弟のホークさんはポールさんの騎士になるのだろうか。そしてメラニーさんは第二王子の婚約者。王家に嫁ぐ程の上位貴族のお姫様なのね。何もかもが繋がっていくと同時に、自分だけが一人部外者なのだと思い知らされた。
「会いたくありません」
自分で発した言葉だとは思わず、私はその響きを聞いてただ驚いていた。
「そうですか。それを聞いて少し安心致しました」
なぜリチャード様がそんなことを言うのかよく分からないが、先ほどに比べ機嫌がいいことは確かだった。
「あの、私……」
「大丈夫ですよ。ジュール殿下には私からお断りしておきましょう。私が無理やり貴女を留めていると思われる可能性は否めませんが、私も紳士の端くれですからね。貴女の意思を尊重致しましょう」
リチャード様にもフリースラントの人たちにも迷惑を掛けていることは分かっている。でも今はまだ何も考えたくなかった。出来ることならギーに会う前の自分に戻りたかった。
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