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55 ギーの正体

「イヴリンさん、ようこそおいで下さいました。昨日の刺繍屋以来ですね」

「あの、頂いたお手紙にはお話をお伺い出来るとありましたが」

「せっかくの再会だというのに、貴女もせっかちな方ですね」


 このリチャードという人物への不信感から、つい先を急ぎ過ぎてしまった。だが、彼の言う通り礼儀を欠いた物言いだったと反省した。


「申し訳ございません。お招き頂きありがとうございます」

「警戒心を持つということは大切なことですからね。そんな貴女が会ったばかりの私の招きに応じたぐらいですから、余程お知りになりたっかのでしょ? ギーの正体を」


 リチャードの人を見透かすような視線に、思わず顔を逸らした。


「まぁ、おかけになりませんか? 私の屋敷と違って狭い場所ですがお許し頂きたい」


 狭い場所ですって? 船の中なのにも関わらずこれだけの広さの部屋を確保しているということは、これが貨物用としてではなく、人を運ぶ事を目的として造られたに違いない。それは一部の富裕層のみに許された贅沢だ。私は先ほどの執事が引いてくれた椅子にそっと腰掛けた。


「紅茶はお嫌いではございませんか」

「あの、お構いなく。出港間際のようでしたので、お話をお伺い出来れば直ぐに下船致します」

「大丈夫ですよ。そんなに長くお引止めするつもりはありません。それでイヴリンさんはギーのことを何者だと思っているのですか?」


 先ほどの執事に目線で合図したリチャードは、テーブルに両肘をつくと顔の前で手を組んだ。


「フリースラント王国の貴族なのではないかと」

「ほぉ。それは何故ですか?」

「ギーに対して父は敬語を使っておりました。それに彼の周りにいる方たちがフリースラント語を話していたので」

「貴女はフリースラント語がお出来になるのですか?」

「一応ですが」


 少し驚いた表情のリチャードが、続けて尋ねた。


「それは興味深いですね。他にお出来になる言語はあるのですか」

「一通り出来るかと」


 リチャードが満面の笑みを浮かべたところに、紅茶が運ばれてきた。薔薇の模様の描かれたカップはそれは美しく、こちらが手にするのが憚られるようだった。


「あぁ、もう紅茶が来てしまいました。いい加減お待たせしてはいけませんね。ギーはフリースラント王国の第一王子――アーチボルト・ギー・フリースラントです。元と言った方が正確でしょうけれど。でも、イヴリンさんだって薄々分かっていたのではないのですか?」


 王子だという言葉を聞いた瞬間、周囲から全ての音が消えた。

 やはりそうだった。リチャードの言う通り、心のどこかでギーが王子なのではないかと思っていたのだ。だけどそれを認めてしまったら、彼を諦めなくてはならないのではないかと、拒絶していただけだった。

 私は震える手で目の前に置かれたカップをそっと持ち上げると、琥珀色の液体を口に流し込んだ。華やかな香りが鼻腔をくすぐり、不思議な味がすると思った途端、視界がぐらりと揺らいだ。笑顔のままのリチャードが口を開けて何か喋っているようだったが、それを確かめる術もないまま私は意識を手放した。






「マギー」

「何です? お兄様」

「お前、ピエールの所に嫁に行け」

「嫌ですわ。あの方は妻も子もいる方でしてよ。第二夫人にでもなれとおっしゃるのですか」


 玉座にだらしなく座るお兄様をきっと睨みつけた。ポール様と言えばフリースラント王国を無血開城に導いた英雄である。私の嫁ぎ先として目の付け所は悪くないと思うが、私の心はずっとアーチボルト様をお慕いしたままだった。それはアーチボルト様が東大陸から姿を消し、フリースラント王国が事実上お兄様の支配下に入った今も変わっていない。お兄様の命ならばと従ってきたが、こればかりは譲れなかった。


「妻子なら亡くなった。行き遅れのお前にお誂え向きだ」

「また殺したのですか」

「俺がやったわけじゃない」

「どうせ殺すならアーチボルト様にくっついている、とかいう小娘に方にして下されば良かったのに」

「お前はまだあいつにのぼせ上っているのか。そんなにアーチボルトがいいかっ」


 吐き出すように叫んだお兄様だったが、その声とは裏腹に表情はみるみるうちに陰っていった。


「どいつもこいつも、アーチボルト、アーチボルト。あいつと俺の一体何が違うと言うんだ」


 昔からお兄様はアーチボルト様のこととなると、躍起になることが多かった。だが私に見せる態度だけは、兄のそれとして何時如何なる時にも慈愛に満ちたものだった。だから大人しくお支えしてきたというのに、最近のお兄様は変わってしまわれた。

 もう必要ないかもしれないわね……。


「コンコンコン」


 扉の脇に控えていた近衛兵が用件を確認すると、跪いて頭を垂れていたリヒトに何か手渡し耳打ちした。


「何事だ」


 お兄様が苛立たしさをにじませた声を上げたが、リヒトは淡々とそれに答えた。


「ネーデルラン皇国のリチャード様より通信が入っております」

「繋げ」

「はっ」


 リヒトが近衛の持参した通信具のボタンを押すと、謁見の間に音声が響いた。


「これはこれはロベール皇太子殿下、ご機嫌麗しゅう」

「リチャード殿、久しいな。それでファティマ国の状況に変化でもあったか」

「実はそのファティマ国の美しい駒が手に入ったので念のためにご連絡を、と思いまして」

「ほう、その駒とは?」

「アーチボルト殿下の想い人ですよ」


 想い人ですって!? それはもしやあのイヴリンとかいう小娘のことなのかしら。


「もちろん私に献上するつもりなんだろうな」

「さぁて、どうしましょうかね」

「なんだとっ。貴様、私に逆らうのか」

「存外気に入ってしまいましてね。このまま頂いてしまうのかもいいかと思っているところなんですよ」


 いくらお兄様が声を荒げたところで、どのみち東大陸と西大陸では距離があり過ぎて、今すぐどうのこうの出来る訳ではない。それに私にしてみたら、彼女をアーチボルト様のお側から排除出来るのであれば、どちらが所有しようと構いはしなかった。


「お前が頂くだと?」

「流石アーチボルト殿下の選んだ方だ。彼は女性の好みも大変宜しいようです。それに彼女がこちらにある限り、アーチボルト殿下はネーデルランに手を出せないですしね。これは言わば保険のようなものとでも言えばご納得頂けますか。それではごきげんよう、ロベール皇太子殿下」

「くっ……」


 女神さまも少しは私に微笑んでくれるらしい。お兄様には申し訳ないけれど、これは良い機会がめぐってきた。


「お兄様」

「まだいたのか、さっさと出て行け」

「えぇ、失礼致しますわ」


 謁見の間を下がった私の後ろにリヒトが付いて来ているのを確認し、私はそっと微笑んだ。


「リヒト、ポズナント王国に向かうわ」

「マルグリット様、まさか本当にピエール殿に嫁がれるおつもりですか」

「貴方もつまらない男ね。そんなわけないでしょ。いいからポズナントに入港予定の船を調べなさい」

「船ですか?」

「愚鈍な男は嫌いです」

「失礼いたしました。早速調べて参ります」


 ああ何年ぶりだろう。漸くアーチボルト様にお会い出来る。どんな顔をされるだろうか。美しくなったと褒めて下さるだろうか。

 私は足取りも軽く長い回廊を歩いて行った。

お読み頂きありがとうございました。

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