52 他愛のないひと時
「何だよ急に、中で待ってたって良かったんじゃないのか」
せっかく店で温まろうと思っていたのに、俺はポールに抗議の声を上げた。何か意図があってのことだと思いはするが、もう少しぐらい気遣ってくれてもいいんじゃなかろうか。俺はお前と違ってずっと外で待っていたんだぞ。
「あのリチャードという男です」
「ん? イヴリンさんの刺繍を買ったっていう太っ腹の奴がどうかしたのか?」
「彼は兄さんにドラゴンアイを渡したネーデルランの貴族です。まさか直接的な行動には出ないと思いますが、用心に越したことはありません」
ギーがドラゴンを倒すことになった元凶の男だって? そんな奴が何故セントポーリアにいるんだ。
「イヴリンさんを狙って来たっていうのか? でもここに来たのは昨日の夜なんだぞ」
「分かりません。ただイヴリンさんが兄さんのいた『ラ・メール』の女主人だということまでは知られています。ボヌスが報告したそうですから」
「そうか」
ボヌスが味方になったか、なっていないかは分からないが、少なくともポールに自分の持つ情報を話しているようだ。その事をさも当たり前のように口にするポールに、俺はやはりそうだったのかと、あの日の事を思い出していた。
ボヌスがラ・メールに現れた夜、急に王都に行くと言ったポールに、俺は今からなのか? と不思議に思った。この時間だから良いんだとか何とか言っていたポールが、王都で何をするつもりなのか聞こうともしなかったが、いや聞いたところで教えてくれなかっただろうけれど、ボヌスのことを利用するつもりであろうことは容易に想像がついた。そしてどうやったのか知らないが思惑通り事は運んだのだろう。
「それで俺はどう動けばいいんだ」
「さすがは僕の側近ですね」
ニヤリと笑ったはずのポールの表情はいつも通り穏やかだった。今朝俺に向けていた視線は随分と冷めたものだったのに、何事もなかったかのように己の懐の中に入ようとする。俺がイヴリンさんに何かしたと疑ってたんじゃないのかよ、と言いたい事は山のようにあったけれど、そう言えばこういう奴だったな、もうどうでもいいかと俺は肩をすくめた。
「別荘の出入りに気を付けておいてくれますか。まぁ、何もないとは思うのですが。僕の方はどういう経緯であの男がここに来たのか調べてみます」
「分かった」
俺がうんと言わないとあいつは安心しないと分かっていたから、望んでいるであろう通り頷いてみせた。どのみち俺はイヴリンさんを守ると決めている。彼女が危ない目に会わないよう、どんな相手にも身を挺して立ち向かうだろう。
チリンチリンというベルの音とともにメラニーとイヴリンさんが店から出てきた。
「ホークさん長らくお待たせして、ごめんなさい」
イヴリンさんは眉を下げて心配そうな顔で俺を見上げた。ああ本当にこの人は俺を捉えて離さない。
「気にするな。それより初作品が売れたんだろ。今日はみんなでお祝いだな」
俺は頭の後ろで両手を組むと、出来る限り平常心を保とうと努めた。またポールの奴に変な顔で見られるのはご免だった。
「作品だなんて、そんな大それたものではないのですが」
「イヴリンってば何言ってるのよ、私はもっと誇っていいと思うわ」
その通りだと思う。日頃メラニーのずけずけとした物言いには辟易していたが、それが功を奏することもあるのだと初めて知った。
「僕も見て見たかったですね」
「ポールは見ちゃ駄目よ」
「なぜなのかな、メラニー。でも貴女の考えそうなことならお見通しだけどね」
「止めて、それ以上は聞きたくないわ」
「はいはい。これぐらいにしておきましょうか」
「そうね、そうして下さるかしら」
顎を斜めに上げてつんとして見せたメラニーだが、「仰せの通りに、婚約者殿」とポールが腕を差し出したものだから、忽ち輝くような笑みを零した。流石はフリースラントの華と謳われた侯爵令嬢だけのことはあって、その美しさはすっかり大人になった今、更に増しているかのようだった。ポールもまた王子と言えばを地で行く美丈夫なものだから、美男美女とはこの二人のためにあるような言葉だと当時から思っていた。
そんな二人がフリースラント王国を出て、王子や貴族という枠組みから外れた状況の中、いつまで曖昧な関係を続けるつもりなのか、俺は遠過ぎず近過ぎもしない立ち位置でそっと見続けている。ある時思い切ってメラニーとのことはどうするつもりなのかと尋ねた俺に、ポールは「あまり待たせるつもりもないのですが、兄さん次第でしょうかね」と答えた。何故そこにギーが関わってくるのか、俺はその回答を今だに理解できずにいる。
「お二人は本当にお似合いでいらっしゃいますね」
明るい声のした方を見れば、口の前で両手を合わせて微笑むイヴリンさんがいた。だがその目元は今この場にいないギーのことを思っているのだろうか、寂し気であり不安そうであった。俺で代わりは務まらないことは分かっていても、せめて傍にいてやりたいと思う気持ちは消せなかった。
「そう言えばイヴリン嬢のお好きな食べ物は何でしょうか?」
「私のですか? お魚は好きですが」
「それでは今夜は僕が魚料理を振る舞いましょう」
「えっ、お前、料理なんか出来るのかよ」
「割と得意な方だと思いますよ」
「何だか面白くねぇな」
「ホーク、その意見には私も同感よ」
メラニーがうんざりとした様子でポールの腕を離した。それを見たイヴリンさんがくすくすと笑っている。こんな他愛のないやり取りにでも彼女の気が紛れるのであれば――それでギーを待っていられるのであれば――ただ独り気丈に過ごしている彼女のためにしてあげられることが見つけられたような気がして、俺は晴れ晴れとした気持ちになった。
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