49 私と友達にならない?
「おはよう。久しぶりね」
(この女性は確か……)
「メラニーさん?」
「覚えていてくれたのね。嬉しいわ」
「イヴリン嬢。おはようございます」
「ポールさん!?」
朝食の支度をしようと食堂に向かっていた時だった。突然、声を掛けられて振り向いたその先に居たのは、風にそよぐ一面の麦畑のように輝く金髪に艶やか椿の葉のような碧の瞳のとても華やかな女性だった。
誰だったか一瞬戸惑ったものの、直ぐにメラニーさんだと思い出した。やけにギーと仲が良かったので、とてもやきもきしていたら、ギーがメラニーさんはポールさんの婚約者だと教えてくれたのだ。思えばあの頃から既にギーの事が好きだったのかもしれない。
それにしても二人並んでいると本当にどこぞの王子様とお姫様といった雰囲気で、こちらが気後れしてしまうほどだ。
だが挨拶をしたポールさんの顔は何故だか陰って見えた。
「あの、ポールさんはどこかお加減が宜しくないのですか?」
「私は何ともありませんよ。それよりイヴリン嬢、朝食の準備に取り掛かるところとお見受けしたのですが、宜しければメラニーにもお料理を教えてあげて頂けないでしょうか」
「は?」
メラニーさんが何を言われたのかとばかりにポールさんの顔を見上げるが、ポールさんはただニコニコと私の返事を待っている。
「あの、私は構いませんが……メラニーさんがお望みなら」
私がメラニーさんの顔をそっと伺い見ると、ポールさんと私の顔を交互に見たメラニーさんは、ため息を一つ漏らすと「分かったわよ」とポールさんの顔を横目で睨みつけた。
「私何も出来ないけど、手伝うから教えてくれる?」
「はい。それではお手伝い宜しくお願いしますね」
ひらひらと手を振るポールさんに見送られて、私とメラニーさんは食堂に向かった。
食堂の扉を開けてメラニーさんを中に招きいれると、突如メラニーさんに腕を掴まれた。
「それで、あなた何があったの?」
「はい?」
お料理を教えるという役目を負ってここに来た筈だと思っていたが、何があったのかと詰め寄られるとは思ってもみなかった。
「目が腫れてるし、隈も出来ているわ。ホークに何かされた?」
目!? 昨晩泣いたのが分かってしまったのかしら。それがホークさんのせいにされようとしている?
ホークさんは寧ろ気遣ってくれたというのに、私は大きく首を横に振った。
「いいえ何もされたりしていません。ホークさんはとても優しい方です」
「そう? なら何故?」
今朝鏡を見た時にはそんなに酷いことになっていなかったと思ったのだけれど――昨晩結局良く眠ることが出来なかった。やはりこの地は思い出が多過ぎて辛かったのだ。
「何故と言われても……」
「じゃあ、ギーなのね」
メラニーさんの一言を聞いた途端、自分の顔から表情が抜け落ちるのが分かった。時が止まったような静寂の中、感情の発露を求めるかのように手だけが小さく震えた。呼吸の仕方さえ忘れて視界がぼんやりとしてきた時、包み込むような温かさが、海の底のような暗く冷たい空間から私を救い上げてくれた。
「泣いていいのよ」
私を抱きしめてくれたメラニーさんが、背中に回した手でポンポンと優しく叩いてくれる。昨日散々泣いたにも関わらず、私の目から次々と涙が溢れて止まらなかった。
お母様を亡くして以来、泣くことに、いや、もしかしたら自分の感情を表に出すことに躊躇いを覚えるようになっていた。それぐらい私の一挙手一投足をお父様も周りのみんなも見守ってくれていることが分かっていたからだ。
だがギーの前では、私はとても自然でいられた気がする。ギーにはどんな自分も見せることが出来たのだ。いつもどこか身構えていた私にとって、これはとても不思議な感覚だった。
「ギーなんて私から言わせれば、ギーのくせにってぐらいなものよ。まったくあなたも変な人に見込まれちゃったものね」
くすくすと笑いながら話すメラニーさんの声は、乾燥した海綿のように固く穴だらけの私の心に沁み込んで行く。
「ねぇ。私とお友達にならない? ギーの話いっぱいしてあげる。その変わりあなたも私の知らないポールの話をしてくれないかしら。やっぱり恋愛相談は女同士じゃないとね」
私が顔を上げると、メラニーさんは先ほどのポールさんのようにニコニコと微笑んでいた。この二人はやはりお似合いのカップルなのだと改めて思った。私とギーもいつかこの二人のようになれるだろうか。
「よろしくお願いします」
「えぇ、こちらこそ」
私が差し出した手をメラニーさんはそっと握り返してくれた。
「こんにちは。刺繍を持ってきたのですが」
「おやまぁ、あんた。そうかい、そうかい。ついに出来上がったんだね。それで今日はでかい兄さんじゃなくて友達と一緒なのかい」
奥から出て来たのは、前回私に刺繍を売ってみないかと勧めてくれたオーナーその人だった。頭の上で無造作に纏められた髪はどうやって止めているのか、恰幅のいい彼女の豪快な動きにも崩れることなく収まっている。
無事に朝食を済ませた後、町に出掛けるという私にメラニーさんも一緒に付いて行きたいというので、ホークさん共々例の刺繍を持って来たのだ。そのホークさんは、メラニーさんに外で待っててと言われて、この場にはいない。
取り出した布をオーナーが物をどかせ空けてくれたカウンターの上に広げて見せると、彼女は目を大きく見開き、口をポカンとさてせ固まったまま動かなくなった。
「あのぉ。いかがでしょうか」
「って、あんた。これは一体どうなってるんだい」
「セントポーリアの町並みなのですが」
「やだね、そんなことは分かってるんだよ」
彼女が私の背中を遠慮なしに叩くものだから思わず咳き込んでいると、横から顔を出したメラニーさんまで、私の腕を痛いぐらい掴んできた。
「噓でしょ? これイヴリンが全部一人で刺したの?」
「え? えぇ、そうだけれど」
「やだ、これポールには内緒にしておきましょ」
「構わないけれど。でも私が刺繍をすることはポールさんもご存知ですよ」
「でもこの作品のことは知らないわよね?」
「はい、昨日ホークさんに見せたのが初めてなので」
「へぇ。それでホークは何か言った?」
「それが最初は何も言わなくて、心配になってどうしたのかと聞いたら、『セントポーリアで散歩しているところだった』と言われました」
「そうそう、それだよ!」
突如としてオーナーの声が響き渡った。
「そのホークって人は凄いね。この作品を表すのに一番しっくりとくる台詞だよ。存外物の神髄が分かってるのかもしれないね」
「ホークのくせにっ」
メラニーさんの口癖に思わず笑ってしまった。どうやらメラニーさんに掛かると誰でも同じ扱いになるようだ。
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