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48 再びセントポーリアへ

 イヴリンさんがセントポーリアに行くというので、俺は護衛としてついてきた。ウェルペンより南に位置するため暖かいと聞いていたが、夕闇が迫る時刻ともなるとそうもいかず、俺は薄着で来たことを後悔していた。ポールにはもう少し羽織って行った方が良いと言われたのだが、奴の助言に素直に従うのが癪でそのまま来てしまったのだ。

 だがドルバック貿易の別荘はこの坂を上り切った辺りということだった。もう少しの辛抱ですみそうだが、無意味な痩せ我慢をしている自分が、何故だかとても滑稽に思えた。


「やっぱり陽が落ちるのが早いな」

「そうですね。そろそろ一ヶ月になりますから、もう冬と言ってもいい時期です」

「あぁ、そうか。セントポーリアに暫く行っていたんだってな」


 ひと月ほど前までセントポーリアで、身を潜めるギーに付き添っていたと聞いている。その時にギーとイヴリンさんの間に何があったのかまでは、ポールは教えてくれなかった。ギーのことだから言葉足らずのまま離れてしまったのかもしれず、普段気丈に振る舞っている彼女ではあるが、そろそろ一ヶ月という言葉にその心中はきっと穏やかではないのだろうと感じた。当時を思い出させるようなことを口にするべきではなかったか。

 しばらく待ってみたが、答えたくないのか、それとも何か考えに耽っているのか、イヴリンさんは何も言わなかった。


「ところで今回セントポーリアには何の用事があるんだ?」

「刺繍を持ってきたのです」

「刺繍?」

「はい、セントポーリアのお店と契約していまして、私の作品を売って頂けることになっているんです」

「教会のバザーとかの話は聞いたことがあるが、お店に作品として置ける程って――イヴリンさんは凄い腕の持ち主だったんだな」

「そうだといいのですが」

「俺にも見せてもらって構わないか」

「もちろんです。別荘に着いたら感想を聞かせて頂けますか」


 漸く笑顔になったイヴリンさんを見た俺は、先ほどまでの寒さも忘れて、馬の腹を蹴って先を急いだ。途端に冷たい風が顔にあたったが、今の俺にはそれぐらいがちょうどいい気がした。

 坂を上り詰めると眼下にセントポーリアの灯りがチラチラと見えた。海岸から程なく台地がせり上がっており、その最上段に別荘はあった。遠目に見ても大きな佇まいだったが、到着したそこは別荘と言うよりは豪奢な邸宅で、王都にある俺たちに用意された家よりも随分と立派なものだった。


「これは豪華な別荘だな」


 正直な感想を漏らした俺に、イヴリンさんは僅かに頬を緩ませた。


「一日中馬に乗りっぱなしにさせてすみませんでした。さぁ、早く中に入りましょう。それにホークさん、実は寒かったでしょ?」

「えっ。何で分かった」

「ふふふ。何か温かい物をご用意します」


 そんなに態度に出る方ではないと思っていただけに、ずばり言い当てられたのは少しショックだった。俺は厩舎の場所を確認すると、馬を休ませに向かった。





 パキっと木の爆ぜる乾いた音がサロン内に響いた。先ほど暖炉に大きな薪を追加したばかりだ。俺はソファに身を沈めながら、目の前で揺らぐ火をただ眺めていた。


「あの、ホークさん。今お時間よろしいでしょうか」


 扉の向こうから遠慮気味に顔を覗かせたイヴリンさんは、手に大きな布を持っている。


「あぁ、悪い。ぼーっとしてた。俺なら暇だが」

「刺繍を見て頂けないかと思って」

「それは光栄だな。是非見せてくれ」


 彼女が持ってきた布をテーブルに広げると、忽ちそこには新旧の建物が入り乱れた町並みが海をバックに現れた。太陽に照らされて光る波の一つ一つがキラキラとして潮の香りが漂い、通りを行き交う人々は買い物を楽しんでいる。商店のドアを開ける音や呼び込みの声まで聞こえるかのようだ。

 そうかここは――別荘に来るときに眼下に見かけたセントポーリアか。これは刺繍という域を遥かに超えその風景を浮かび上がらせる、まさに魔法だった。俺は言葉を無くしてその世界に入り込んでいった。


「あの、ホークさん?」


 どれぐらいそうしていたのだろうか、小さく俺を呼ぶ声に我に返った。


「悪い、今セントポーリアを散歩しているところだった」


 俺が頭に手をやると、イヴリンさんは頬を赤らめながら両手を胸の前で合わせて、それはそれは嬉しそうに笑った。


「何て素敵な感想なんでしょう。ホークさんは詩人ですね」


 これまでの人生で詩人だなんて言われたことは一度もない。俺は次にどう返したらいいのか正直よく分からなかった。


「そうだ、良ければ明日の朝にでも散歩に付き合ってくれないか。セントポーリアの海を見てみたい」


 照れ隠しというのもあったが、ただ散歩を提案しただけのつもりだった。俺の何が間違っていたのだろうか、先ほどまで笑っていたイヴリンさんの目から突如として大粒の涙が溢れ出した。

 俺は慌てて駆け寄ると、彼女にそっとハンカチを差し出した。


「すまない。何かやらかしたか?」


 ぎこちなくハンカチを受け取ったイヴリンさんは、それを目元に当てると首を横に振り、一人何かに耐えるかのように立ち尽くした。

 声を押し殺し小さく肩で息をしていたが、俺が傍にいることを忘れていなかったようで、漸く手を離した。

 俺は膝に手をつき中腰になって、その顔を覗き込んだ。


「大丈夫か? もう落ち着いたか?」

「ご心配をおかけしました。もう大丈夫です」

「そっか。なら良かった。散歩の件は忘れてくれ。それと街に出るようなら護衛に付くから声を掛けてくれ」


 このまま立ち去ることも出来た。だが腰を伸ばして立ち上がった俺はイヴリンさんの肩に手を置いて言った。


「いいか、あんまり頑張り過ぎるのは体にも心にも良くない。時には弱音を吐くことも必要だ。もちろん時と場所は選ぶ必要があるし、その相手もよく考えないとならないけどな。分かったか?」


 こくりと頷いたイヴリンさんの頭をすると撫でると、俺は「お休み」と言ってサロンを後にした。

お読み頂きありがとうございました。

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