46 ラインバウト様との出会い
ラインバウト様にお時間を頂き、俺たちが応接室に移ったのは夜の帳が下りた頃だった。ラインバウト様は俺の後ろに控えているボヌスに興味津々のようで、早く紹介しろとばかりに、いつも以上に爛々と輝かせた瞳で俺を急かした。
この感じ――初めてラインバウト様にお会いした時と一緒だ。あの時、必要以上に距離を詰めてくるラインバウト様を警戒したことを覚えている。
そもそも俺がラインバウト様にお会いしたのは、ボヌスの独立後キャラバンをたたみ、今後の人生について当てもなく無為な日々を過ごしていた頃のことだ。
ウェルペンの港に行ったのは偶々だった。無意識の内にも商人の集まる場所に行っていたのは、俺の中に流れる商売人としての血が求めていたからなのかもしれない。
港ではファティマ国から集められた荷が、また海を越えて各地から来た荷が、船の中、倉庫や馬車へと次々と捌かれて行く。一見ばらばらでありながら統制され整然とした動きは、蟻の行列のようでもあり、見ていて飽きることがなかった。
幾日も幾日も俺は港に向かい、日がな一日、それらを眺めて過ごした。初めは物珍しさから話しかけて来る者もいたが、何をすることもなくただ座っている俺のことを奇異な目で見るようになっていった。そんな人々も俺が港と一体化し風景の一部と化す頃になって、漸く人と識別することを諦めたようだった。
そんなある日のことだ、その日は大型の船が何隻も停泊し、港はいつになく慌ただしい状況で、港湾夫に指示を出す監督者の声が辺りに大きく響き渡っていた。
「どいつだ、ここに勝手に荷を積んだやつは。崩れる前にさっさとどかせ」
「分かりましたっ」
急ぎやってきた港湾夫が言われた荷に手を伸ばそうかという刹那、積み上がっていた荷の上部がぐらりと揺れた。
危ないっ。
俺が腰を浮かせた時には、その荷は監督者目掛けて崩れ落ちて行った。
「監督!」
「……うっ」
「大丈夫ですかっ! みんな荷をどかせ。早く」
四方から集まってきた港湾夫によって素早く荷がどかされると、監督と呼ばれた人物の片手が僅かに上がった。どうやら命に別状はなかったようだ。
「無事だぞ。担架を持って来い。急いで病院に運ぶんだっ」
手際よく準備された担架に監督者を乗せると、筋骨逞しい港湾夫達は軽々とそれを担ぎ上げて、あっと言う間にその場を去って行った。
後に残ったのは指示を出す者を欠いて、行き場も分からず置かれたままの荷を前に立ち尽くす港湾夫達だった。そこに現れたのは如何にも上質な生地で仕立てた衣服を纏った男だった。男は辺りを見回すと「誰か他に指示を出せる者はいないのか」と尋ねた。港湾夫達は互いの顔を見遣ったが、誰もが首を横に振るばかりで、お前こそ何者なのかと訝し気な視線を男に送っていた。だが男はそんな様子を意に介す事もなく、監督者が残していった書類を手にすると、それに目を通し始めた。
「ここに書いてある通りに指示を出せばいいだけだ。誰かやってみる者はいないか。その者には臨時で監督者としての権限を与える。他の者は臨時監督者の指示に従え。どうだ、いないか」
男は書類を手で叩きながら港湾夫達を見回したが、それに反応を示す者はいなかった。
そもそも港湾夫というのは体力勝負の仕事であり、読み書きまで習得する必要がなかったことから、主に貧民層に人気の職業であった。
どうやらここにいる港湾夫達の中には書類を読める者はいないようだ。男は一人納得したように頷いたが、それでも諦める気はないようで、港にいる人という人に視線を彷徨わせた。
再び景色の一部に戻っていた俺は、事の成り行きをただ眺めていた。しばらくするとその男は俺に視線を留めた。まさか――俺のはずはない。だが男はつかつかとこちらに向けて歩み寄って来ると、躊躇なく俺の前に立ちはだかった。俺はぎょっとして背中を仰け反らせつつも、男の手にある書類に自然と目がいった。今日の荷捌きの予定が箇条書きになっているようで、チェックされた項目はまだ上の数行だけだった。これはさっさと取り掛からないと終わりそうにないな、と他人事のように考えていたところに男の声が降って来た。
「読めるんだろ。やってくれないか」
「何で読めると分かる」
「書類にやった貴方の目が動いていた。内容を確認したという事だろ」
男はニヤリと笑うと、俺の肩に手を置いた。
「ここのところずっと港にいるのは知っていた。荷の流れについても見知っている筈だ。頼めないか」
俺を人として認識している者など疾うにいなくなったと思っていたのに、この男は一体何者なのだろうか。俺は目の前の男を改めて見上げた。
そこにはただただ屈託なく笑う男の姿があるばかりだった。呆気に取られた俺は、「だが」と控えめに拒絶の言葉を述べたつもりだったのだが、聞こえなかったのか聞こえないふりをしたのか、男は港湾夫達に振り返ると大声で言った。
「臨時の監督者が見つかった。今日はこの者に従ってくれ」
「ちょっとあんたっ」
抗議しようと立ち上がった俺に書類を手渡した男は、「終わったら酒でもどうだ」とだけ言い残して足早に去って行った。
港湾夫達の視線が一気に注がれた俺は大きくため息をつくと、早く終わらせる事だけを考えて山となっている荷に向かっていった。
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