45 ボヌスの師 ハッサム
ポール殿下として正式にお会いしたのは、その時が初めてだった。以前から貿易会社内でラインバウト様と話しているところを見かけていたため、その存在は認識していたのだが、まさかその人物がフリースラント王国の元殿下だとは思いもしなかった。
それは、かれこれ一週間ほど前に遡る。
ファティマ国王都にある貿易会社の執務室に来客の知らせがあった。その来客の名はボヌス。かつて俺のキャラバンで一緒に各地を回った優秀な弟子だ。
東大陸内陸部の交易路が用をなさなくなり始めた時、俺はボヌスに独立を勧めた。いつまでも自分に縛り付けておいてはいけないと分かっていたが、中々手放せずにいた俺にとって、それは女神からの掲示ともいうべき機会だった。
あれからボヌスはどうしていたのか、今この貿易会社で幹部にまでなった俺ならば、調べようと思えばいくらでも出来るはずであったが、敢えてしてこなかった。キャラバンへの未練なのか、それともボヌスという才能あふれる弟子への嫉妬なのか、結局自分でも分からないまま今日ボヌスの方から自分を訊ねてくることになったのは、何という人生のいたずらなのだろうか。
久々に見たボヌスは身なりからすると成功を納めているように見えた。だが彼の表情は悩みを抱えているようでもあり、また何かの決意を秘めているようでもあり、複雑な心情を反映してすっきりとしない曇天のようだった。
「ハッサム隊長、ご無沙汰しております」
「久しぶりだな。何があった」
元気かでもなく稼いでいるかでもなく、唐突に切り出した俺の言葉に、抱えていた重荷を下ろしたようにボヌスの肩から力が抜けたのが分かった。
ボヌスの故郷である砂漠の国ロタールの現状については貿易会社に身を置くものとして把握しているが、それは商人であるボヌスも同じことだ。いや、俺以上に知っていてしかるべきだ。それならば、ボヌスは一体俺に何を求めてここまで来たというのだろうか。
膝の上で組んだ手を眺めたままボヌスは静かに話し出した。
「ガリア王国のロベール様からの依頼で取り寄せた品は、貴重な貴石が嵌ったペンの筈だったのです。ただその後街道が封鎖されて……私が再びウェルペンに戻った時に確認したその貴石はドラゴンアイでした。しかしそのドラゴンアイは元々は動いていたと言われたのです。まさかあの方が西大陸まで手を伸ばそうとされているとは思いもしていなかった……。もうロタールのような荒んだ光景は見たくない」
訥々と語られた内容はボヌスの動揺を反映してか、酷く断片的だった。だが彼が扱った商品がドラゴンアイであり、それが動いていたというならば、ドラゴンが襲来した可能性があったということに他ならない。それだけでも十分に恐ろしい話ではあるが、それが意図的に行われたことなのだとしたら、その真意は何なのか。
「それで、そのペンはどうした」
「こちらにあります」
俺はボヌスから渡された金属の箱を開けた。縦に開いた瞳孔――間違いなくドラゴンアイだ。瞳は微塵も動きはしない。貴石としてのドラゴンアイだ。
「このドラゴンアイが動いていたと言われたんだな」
「はい、気味が悪いですよねと」
「それでペンの取引相手は誰だったんだ」
「ネーデルラン皇国のリチャード様です」
ネーデルラン皇国だと。ガリア王国はネーデルラン皇国と手を結ぶつもりなのか。
「ウェルペンで確認したと言っていたが、ペンの受け取り場所はどこだったんだ」
「ウェルペンです。私が直接受け取ることのないように言われておりましたので、ウェルペンの若者に依頼したのです」
「だがドラゴンなど来ていない」
「そうなのです、師匠。誰かがドラゴンを倒したのです。ですがウェルペンや王都が壊滅的な被害にあう未来もあったに違いないのです。たかが一商人に過ぎない私が、国を壊滅させるきっかけを作るところだった」
ボヌスは顔を歪めて拳を固く握りしめていた。
この話が事実なのだとしたら、ロベールがネーデルランと結託してファティマ国に狙いを定めたに違いない。彼らは一体人の営みを何だと思っているのだろうか。東大陸の現状も彼らの目に映りはしていないのか。彼らのやっていることは、まるで子供の陣取り合戦のように無邪気で絵空事で空虚だ。彼らの行いに伴う犠牲が何であろうと彼らが気に病むことは何もないのだろう。何故なら彼らの行っているゲームには、職にあぶれ明日を生きるのもやっとの民も、飢えに苦しみ生死の境を彷徨う民も存在していないのだから。
本来であれば、このペンを依頼主であるロベールに渡せば、ボヌスの受けた依頼は完了の筈である。だが彼は俺の所に来た。きっと何とかしなくてはならないという思いが彼を突き動かしたのだろう。
その思いは俺の中の熱いものを呼び覚ました。幸いなことに俺の雇い主はフリースラント王国元外務大臣のラインバウト様だ。盤上のゲームに狂する彼らに、ないがしろにしている民の力を見せてやるには、うってつけの相談相手ではないだろうか。
俺はボヌスの肩に手を置くと大きく頷いた。
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