44 動き出す時間
「ドミニク殿、落ち着かれたか」
「えぇ、ごめんなさいね」
声もなくほろほろと泣き出したドミニクの肩を支えていたクロウが静かに声をかけると、ドミニクは軽く頭を振って顔を上げた。
「でもこんなことってあるのね。本当にこの方がアーチボルト殿下なのよね」
改めて俺をまじまじと見るドミニクの横で、クロウが咳払いをした。
「殿下がこの島に来たことは内密にしてもらえると助かるんだが。ったく、自分からばらす奴がいるか」
俺を軽く睨んだクロウの顔立ちは『氷の騎士』と呼ばれた当時の精悍さで、それを見たドミニクがひっと息を呑んだ。
「クロウ。だからお前の顔は怖いって、いつも言ってるだろ。ドミニク、重ね重ね済まないな。こいつはこう見えても少し堅苦しいだけなんだ」
「ふん。お前が砕け過ぎなだけだろ」
「ふふふ。二人ともいい関係なのね」
俺たちのやり取りに、ドミニクが漸く笑顔を見せた。
「それで殿下はどうしてこの島に? 東大陸に何をしに行くのつもりなの? 観光、の訳ないわよね」
「ロベールに喧嘩でも吹っ掛けようと思ってな」
「は?」
ポカンと口を開けたまま立ち尽くしたドミニクは、何を言われたのか正しく理解しようと努めているようだったが、直ぐに諦めたのか両手を上げて降参の意を示して見せた。
「ロベールって、ガリア王国の王太子のことよね。一体どうするつもりなの」
「あいつのやりようが気に入らなかったんだ。文句の一つも言ってやりたくなった」
クロウが額を押さえてため息をついた。
「ガリア王国に乗り込むつもり? そんなの無理よ」
「そうでもないさ。現にドミニクだって東大陸のあちこちを回ったんだろ」
「でも結局何も出来なかったわ」
「それでも諦めなかったからここにいるんだろ?」
「それはそうだけど」
「大丈夫だ。後は俺に任せてくれ。東大陸丸ごと平和にして見せるさ」
ドミニクが大きく目を見開く様が、まるでスローモーションのように俺の瞳に映った。
「それでドミニク。お前が見て来た東大陸のこと、詳しく教えてくれないか」
「え、えぇ。もちろん何でも話すけど」
「けど何だ?」
途中で言い淀んだドミニクを見上げると、ドミニクは俺を真っ直ぐに見返してきた。
「いいえ、何でもございません。私の見聞きして参りましたこと、全てお話しさせて頂きます」
口調を変えたドミニクは先ほどまでとは違って、地に足のついた現実を生きているように見えた。理想の未来を追いかけて、それでも何も出来ず止まっていたドミニクの時間が動き出した瞬間だったのかもしれない。イヴリンによって俺の世界に色が戻った時のことを思い出さずにはいられなかった。
「ドミニク殿、いい顔をしておられましたね」
「あぁ、そうだな」
ドミニクに見送られて店を出たのは夜が更けてからだった。その間、客が一人も来なかったのには、商売としてどんなものかと正直こちらが心配になる程だった。
ドミニクは言っていた通り東大陸中を回っていた。フリースラントを出た彼は隣接するポズナント王国に入り、そこから砂漠の国ロタール経由でガリア王国に向かっていた。比較的影響の少ないと思われるポズナント王国ですら物資の滞る有様で、ロタールや元凶のガリア王国に至っては、その日を暮らすのもやっとな状況の人々で溢れている町もあったとのことだった。
俺がやらなくても遅かれ早かれ火を噴くことになるのは明らかだった。
「ところで、ロベールには本当にお会いになるつもりなんですか」
「ここまで来ってのに、まだ言うのか。俺が直接会って話す。そうじゃなかったら、誰があいつと話が出来るっていうんだ」
「それは連合国の者が……。ギー様でなくてもいいではありませんか」
「ロベールは昔から同い年の俺に対して勝手に敵対心を抱いててな、まともに相手をしてやらなかったのが良くなかったんだろう。俺があいつの妹と婚約してれば、あいつも俺との接点が出来て、自分の気持ちを拗らせずに済んだのかもしれない。まぁ、今更言っても始まらないがな。でもな、ネーデルラン皇国を西大陸を巻き込んだのは、いくら何でもやり過ぎだ。見過ごすわけにはいかない」
「差し出がましいようですが、現在ドルバック貿易がバックアップして下さっていますが、はっきり言えばギー様には後ろ盾がございません。ポズナントでピエールに繋ぎを付けたところで、ガリヤ王国とやり合う事など不可能に近いのではないでしょうか」
クロウは俺のこととなると心配し過ぎるきらいがあるが、彼の言うことはもっともだった。
「そうなんだよなぁ。殴り飛ばして終わりになんねぇかなぁ」
直接手を出すのは危険だと言わんばかりに、クロウがぎょっとした顔をした。
「そんな簡単に言いますが、ロベールはイヴリン嬢も巻き込まれていた大嵐を引き起こしたとも噂されている御仁なのですよ」
「それもあるんだよなぁ。ロベールってそんなに魔力強かったか? まぁ、ロベールがやったにしろ誰かにやらせたにしろ、厄介な事に変わりはないか」
「またそんな悠長な」
「まっ、ドミニクじゃないけど、行ってみるしかない時もあるだろ。あいつにあんな顔させちまったんだ、責任ってもんがあるだろ」
俺は隣を歩くクロウを見た。端正な顔立ちはこちらがイラっとするほど男前だ。フリースラントを出てからも律儀について来るこいつのことを、鬱陶しいと思ったことも多々あったが、今はこんな俺を見捨てずにいてくれたことに正直感謝している。
「クロウ。付き合ってくれるよな」
「もちろんです」
俺が素直に頼んだのが余程嬉しかったのか、クロウが令嬢を落としまくった笑顔を浮かべた。ったく、俺にそんな顔しても何の得にもならないってのにな。俺はクロウの肩に手を回すと桟橋に向かって歩き出した。
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