42 バー・アール
「これはちょっとした町ですね」
「全くだな」
泉を過ぎると辺りを暗くしていた樹々はまばらになり、やがて開けたその先には沢山の建物が所狭しと並んでいた。こちらの建物は先ほどのような高床式ではなく、直接大地に建てられたごく一般的な造りで、どれも何かしらの品を扱う商店のようだ。大抵の店の軒先には小売り致しますという案内が掲げてられている。またそれらの店とは別に食べ物や飲み物、娯楽のための屋台、医院や教会のようなものまであった。
中継地故に船への供給品のみを扱う無機質な場所と思っていたが、この島は既にここで暮らす者達のための場所になっていることがわかった。
「せっかくだ、何か食ってみるか。クロウ――念のため敬語は使うなよ」
「わ、分かった」
顔を強張らせたクロウに苦笑する。船に乗ってからというもの、ずっと様付けて呼ばれていたため、堅苦しい感じがしていた。そういえばイヴリンは俺のことを躊躇いなくギーと呼んでいたが、その声音はとても心地良かった。
「ギー、あっちで甘い物を売っているようだ。見てもいいか」
「お前はほんと好きだな。ホークはそんなに食わないぞ」
「俺とポールは甘い物が好きなんだ」
「ははは。そうだった、俺とホークが食わない派だったな」
その店には町中のカフェにあるような小綺麗な物が並んでいるわけではなかったが、素朴でこの島と調和のとれた品々に好感が持てた。店番をしているのはすらりとした長身の青年で、先ほどからこちらをチラチラと窺っている。
「何か甘くないものはあるか」
「まぁ、甘いものはお嫌いですか」
少し甲高いねっとりした声で尋ねられ、思わず青年本人から発せられたものなのかと彼の顔を凝視してしまった。
「くすくす。この喋り方、気になりますか」
「い、いや、すまない。こちらが悪かった」
「いいんですよ、慣れてますから。それで甘いものは駄目と……それならこちらは如何でしょう」
青年が指差した先には、丸い形の焼き菓子があった。表面に黒い粒粒が見えるが、いわゆるクッキーのようだ。
「黒い粒は胡椒なんですよ。ここのオリジナルです。是非食べてみてください」
節の無い長い指でクッキーを摘まんだ青年は、「あーん」と言いながら俺の口元に近づけたてきた。俺がぎょっとして固まると、「あら、ごめんなさい。ついくせで」と俺の手のひらにクッキーを乗せた。
この場で食べていいものかと躊躇したが、青年の視線に耐え切れず、俺はクッキーを口に入れた。サクサクとした歯触りの後、口から鼻に抜けるこの甘い香りは――フェイジョアだ。だが口の中は胡椒がピリっと効いていて、お菓子というより酒のつまみになりそうな一品だった。
「フェイジョアか。絶妙な組み合わせだな」
「あらぁ。フェイジョアを知っているなんて、東大陸のご出身なのかしら」
うっとりとした表情を浮かべて、身を摺り寄せて来る青年を押しとどめている横で、クロウがくつくつと笑っている。その様子を見た青年が、今度はクロウに狙いを定めた。
「そっちのお兄さんは甘いのがお好みみたいね。いいのがあるわよ」
クロウが目を白黒させている。
フェイジョアのクッキーはセントポーリアでイヴリンのお手製の物を食べて以来だ。まさか中継島で食べることになるとは思いもしなかったが、イヴリンに胡椒との組み合わせを試してもらうのも悪くなさそうだ。
「そういえば、この島に酒場があるんだろ?」
「まぁ、酒場に行くつもりなの? なんだ、早く言ってよ。私が酒場のオーナー、ドミニクよ。もうすぐ店仕舞いの時間だから、少し待ってて」
島の店が思いのほか多かったから、何気なく聞いただけなのだが、まさかこの美形の青年がオーナーとは、確かに島は狭かったか。
ドミニクを先頭に俺たちは島で唯一の酒場に向かっている。
いつの間に購入したのかクロウの手には大きな袋があった。俺の視線に気が付いたクロウがぶっきらぼうに「胡椒のクッキーも買った」と言った。俺がニヤニヤして「船の奴らの土産になりそうだな」と返すと「甘いのはやらん」と大真面目に答えてきた。
「ここよ。さっ、入って入って」
ドミニクの背後にはこじんまりとはしているが周囲に比べると新しい建物があった。正面に大きく『バー・アール』と看板が掲げられている。
鍵を開けて入った店内は窓が少ないせいか薄暗く、正面のカウンターに10席とソファ席だけのようだ。
「オーナー、今日は早いですね」
カウンターの脇から顔をひょっこり覗かせたのは、桟橋で荷車を引いていた少年だった。
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