39 新店舗への想い
「それでボヌスはどうでしたか」
「慌ててたぜ。あいつもドラゴンアイがどんな代物か知ってたんだな」
昼間の様子を聞きに来たポールは、珍しく食堂のカウンターに座っている。目の前に置かれたままのジョッキには並々とエールが入っていた。
「ボヌスに何か余計な事を言ったのですか」
「別に、預かった時は瞳が動いてたって伝えただけさ。そうしたら『ドラゴンは出たのか』と身を乗り出して聞いてきた」
「なるほど。さてボヌスはどう動きますかね」
「さぁな、それはお前の方が良く知ってるんじゃないのか」
ポールは少し目元を緩ませて、昨日ボヌスに勧めた豆を一つ口に運んだ。カリッという音がして、まるでその音を楽しんでいるかのように、ポールはそれを丁寧に咀嚼した。
「ボヌスは砂漠の国ロタール出身で、ハッサムという商人に師事していました」
「していたってことは、今は違うのか」
「既に独立しています。そのハッサムですが、今はメラニーの父上が経営を任されている貿易会社の幹部になっています」
「はっ? それってロシュフォール侯爵家の貿易会社のことか?」
「えぇ、その通りです。ボヌスは、ロベールとハッサム、どちらに連絡するのでしょうね」
「何でハッサムに連絡するんだよ」
「ボヌスにはボヌスなりの矜持があるということですよ」
もう一つ豆を摘まんだものの皿に戻したポールは、漸くエールがあったことを思い出したかのようにジョッキに手を伸ばすと一気にあおった。
「今日はホークがイヴリン嬢を屋敷に送り届けてもらえますか」
「あぁ、それは構わないが何か用事でもあるのかよ」
「王都に顔を出してきます」
「この時間からか? もう酒場ぐらいしか開いてない時間だぞ?」
「だからちょうどいいんですよ。イヴリン嬢のことは頼みましたよ」
立ち上がって背を向けたポールに俺は声を掛けた。
「なぁ」
律儀に振り返ったポールは面倒くさそうな顔をしながら右手で前髪をかきあげた。きちんと相手と向き合うと決めた時、こいつは前髪をかきあげる。幼馴染ってのも便利なものだな。
「お前も気を付けろよ。いつも付いててやれなくて悪いな」
ポールは一瞬虚を衝かれたような顔をしたが、直ぐにいつも通り何もかも見透かしたような目を俺に向けた。
「そんな殊勝な台詞を聞く時が来るとは思ってもみませんでしたね。大丈夫ですよ。実は僕が強いことはホークが一番知っているでしょ?」
ふわりと微笑んだポールは今度こそ振り返る事なく歩き出した。ポールの事は元側近としていつも気にかけているが、確かにあいつは十分強い。それに狙われる可能性があるのはギーの強みでもあり弱みでもあるイヴリンさんだ。今は彼女を守ることに専念したかった。
もう少ししたら『ラ・メール』の営業時間も終わる。イヴリンさんと話が出来るのを楽しみにしている自分がいた。
「ホークさん、食堂の戸締りはいかがでしょうか」
「あぁ、こっちは大丈夫だから馬車に乗ってくれ」
「ありがとうございます」
俺はイヴリンさんが馬車に乗るのに手を貸してやった。はにかんだように俺の手を掴んだイヴリンさんの様子に、俺は思わず顔を逸らせた。
彼女が乗り込んだことを確認した俺は、馬車の扉を閉めると馭者に合図を送った。馬車がゆっくりと動き出すと、俺も手綱を引き寄せ鐙に足を掛けて鞍に跨った。
「あのホークさん」
「どうした?」
「新店の名前はどんな感じですか」
「こんな経験したことないからな。正直面食らってる」
「そうですか。でも楽しみにしているので宜しくお願いしますね」
「そう言えばポールが女性用の定食から始まったって言っていたけど」
「少し違うかもしれませんね」
「そうなのか?」
栗毛色の柔らかな髪が一房、彼女の肩からはらりと落ちた。曇りを知らない彼女の目が真っ直ぐ俺を射抜いて、忽ちその視線を逸らすことが出来なくなった。俺は水の中に閉じ込められたかのような息苦しさを感じると共に、その清廉な水の中にいることをとても心地良いと感じていた。
「カフェを、母の始めたお店ではなく自分のお店を、始めたかったのです。小さくても構わなかった。このウェルペンという港と冒険者の町で女性が気兼ねなく利用出来るような、そんなお店をやってみたかったのです。ウェルペンに新しい風を吹き込んでみたいなと」
一気に話したイヴリンさんは、躊躇いがちに微笑んで俺を見た。
「少し大袈裟でしたでしょうか」
「いや、いいんじゃないか。俺は人が何かを成す時に一番重要なのは己の想いだと思っている。店を経営するのも国を治めるのも根っこは一緒だ。そこに想いがなければ酷く空虚なものになると思うんだ。だから大袈裟だ何だと、自分の想いを小さくする必要はどこにもない。だろ?」
「まさか国を治める話と一緒だとは思ってもみませんでしたが、確かに想いというのは大切なものですね。ホークさん、ありがとうございます」
「いや、俺こそ大袈裟な話にしちまったな」
口元に手を当てて笑うイヴリンさんは、とても輝いて見えた。ついギーやポールの事が脳裏に過って、国を治めるなんて話を出してしまったが、それでもイヴリンさんの想いは彼女自身を押し上げていってくれるだろうし、彼女の想いに力を貸してくれる人を呼び寄せるに違いない。
それは誰にでも出来ることじゃない。イヴリンさんだからこそだ。
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