38 ボヌスの決意
今日ギーという青年の行方が分かって、ある程度方が付けられたなら、ロベール様が煩く言ってくることも無くなるだろう。この数か月というもの本当に面倒なやり取りばかりだった。
ロベール様からお声掛け頂いた時には、自分の商人のとしての名も遂にここまで来たかと、感慨に耽ったものだ。以前手に入れてそのままにしていた銘酒を持って来させて、まさしく酔いしれた。
そもそも私は東大陸の中央に位置する砂漠の国に生まれた。
砂漠というと何もない貧しい国と思う人間がほとんどだが、よく想像される砂丘なような砂ばかりの土地は限られており、南にそびえる山脈からの雪解け水が大きな大河となって土地を潤しているお陰で、実に豊かな生活が送れる国であった。
確かに資源という意味では乏しい国であったかもしれないが、その分交易が発達しており、商店は様々な国の様々な物資で溢れていた。
北に大きく広がるガリア王国へはこの砂漠の国を経由しなければ内陸側からは入ることが出来ないため、中継の国とも呼ばれ立派な街道を有しているまさに商人のための国であった。
私の家はオアシスを中心に広がる町の中で、商人相手に品物を卸して生計を立てていたが、私は自分の才覚一つで国を自由に渡り歩く商人という職業に憧れを持っていた。
オアシスの町がどれだけあり難い存在であったとしても、商人がそこに留まることはない。私は誰かのオアシスではなく、オアシスを利用する側になりたかった。幸いなことに私のうちは子だくさんであり、家の商売を継ぐ者はいくらでもいた。両親がうちと取引のある商人に頼み込んでくれ、私は何とか見習いとして雇ってもらえることになった。
それからの私は兎に角がむしゃらに働いた。ためになる事と思えば労力を厭わず何でもやった。様々な国の言語を習得もしたし、売り物になりそうな物の知識は片っ端から頭に叩き込んで行った。
雇い主である商人ハッサムは商品の売買だけでなく、売り物を生み出すことにも長けていた。何か特殊な技術があると聞けば私を供に出向いて行き、そこに必ず商機を見出した。
ある時砂嵐のために砂漠でのキャンプを余儀なくされたことがあったのだが、これもいつか何かの経験になると語ったハッサムの瞳は、見上げた満天の星のどれよりも輝いていた。無から有を生み出す彼の手腕に私は益々魅了されていった。彼の下で働いた日々は本当に夢のようだった。
だがフリースラント王国が連合国の支配下に入ってからというもの、東大陸の交易の流れは変わってしまった。ガリア王国はフリースラント王国に荷揚げされた物資を陸路を介さず、そのまま海上からガリア王国に運んだのだ。おかげで砂漠の国は東大陸での街道としての役目を半ば終えてしまった。ハッサムの商人としての活躍にも陰りが見え始めていた。
その日ハッサムは私を前にして言った。
――もう教える事は何もない。お前はこの東大陸に縛られることなく自由に商売しろ。
こうして私は独立し、ハッサムの下を去った。
商売の拠点を西大陸に移したこともあって、それ以来故郷に足を踏み入れたことはなかった。いや、自分の扱っている商品の大半は東大陸産であるのだから、帰ろうと思えばいつでも帰ることは可能だった。だが廃れた町の姿を見るに忍びなくて、帰るに帰れなかっただけなのだ。
ロベール様からせっつかれる度に、あのオアシスの町が思い出された。ガリア王国が欲を出してフリースラント王国に手を出したばかりに、色々なことが崩れていった。連合国として与した他の国々も、ガリア王国の属国に成り下がったような状況だ。ロベール様が国王となられた暁には東大陸はどのような形になるのだろうか。漠然とした不安が心に巣食って、日々育っていた。
取り敢えずギーさんの居所を聞き出しペンを回収しよう。先ずは目の前の憂いを取り除いて起きたい。色々考えるのはそれからの方がいい。焦って答えを出しても碌なことにならないのは、ハッサムの下で修業した経験から良く分かっていた。
私は昨日に引き続き『ラ・メール』に入って行った。
「あぁ、ボヌスさん。いらっしゃい」
「これはこれは。どうやらギーさんの事を聞いて頂けたようですね。先ずは、エールを頂きましょう」
「つまみはどうする。俺のお勧めで良ければ何か持ってくるが」
「そうですね。では今日は貴方のお勧めにしましょうか」
「分かった。少し待っててくれ」
昨日と同様並々とジョッキに注がれたエールと、何やら揚げた物が運ばれてきた。
「こいつは豆を素揚げにして塩をまぶしたものだ。エールに合うと思う。癖もないから試してみてくれ」
「ありがとうございます。それでは早速頂いてみましょうか」
表面はカリッとしているが中は柔らかく、油と塩の加減が絶妙で確かにエールに良く合う。
「これはいいですね。良い物を勧めて下さいました。それでギーさんの事、聞かせてもらっても宜しいでしょうか」
「もちろんだ。ギーって奴は船に乗ってるそうだ。実入りのいい仕事が見つかったとかって話だ。それとこれを預かっていたそうだ」
渡された箱を開けると貴石の嵌ったペンが入っていた。ロベール様から言われていた通りの品に違いない。だがその貴石が自棄に気になった私は、ペンを取り出して良く眺めた。
縦に割れた瞳孔。
これは噂に聞くドラゴンアイではなかろうか。何故こんな高価な物の受け渡しをウェルペンでさせたのか。私の頭に小さな疑問が生まれた。するとかの青年が私にそっと耳打ちしてきた。
「それ、預かった当初は動いていたそうですよ。気味が悪いですよね」
「!?」
もしこれがドラゴンアイであり、それが動いていたというのなら、このウェルペンの町どころか近くの王都にも壊滅的な被害が出ていて不思議はない。だが、ウェルペンにも王都にもそんな爪痕は何処にもない。
「ド、ドラゴンは出たのですかっ」
「ドラゴン? 何の話だ? そのペンと何か関係があるのか」
「いえ……何でもありません。とにかく預かって頂いていたのは助かりました」
「俺はただ聞いて渡しただけだ。まっ、何にしろ良かったな」
「えぇ。ありがとうございました」
青年が去って行くと私はどっぷりと思考の渦に沈んで行った。
やはりドラゴンが町に現れたということはなかったらしい。となれば、これがドラゴンアイだと気が付いた人物がその危険性を訴えて、ドラゴンは速やかに倒されたのだろう。
大事に至らなくて良かった。下手をしたら私の責任が問われていたかもしれない。
思い返してみれば、ロベール様は執拗に受け渡しについて尋ねて来られた。くれぐれも私自身が受け取り、直接運んでくることの無いように何度も注意深く仰られていた。もしロベール様が初めから生きているドラゴンアイだとご存知の上で、そのように指示していたとしたら、何を意図されていたのだろうか。
だがその答えについては、既に先ほど自ら出していたではないか。
そう、ウェルペンや王都をドラゴンに襲わせるつもりだったのだ。
あの方は東大陸では飽き足らず西大陸にも手を出そうとしているのか。
オアシスの町の景色が頭から離れなくなった。
このままではいけない。
そうだハッサムと連絡を取ろう。彼ならきっと何かの道を示してくれるはずだ。
私はペンを箱に納めると会計を済ませ『ラ・メール』を後にした。
お読み頂きありがとうございました。




