37 ポールとホーク
「そうですか、ついにボヌスが現れましたか」
閉店後の『ラ・メール』で俺は昼間の出来事を話した。ポールは腕を組んで帳場のソファに背中を預けている。その瞳はどこを見つめるでもなく、この空間をただ漠然と認識しているだけのように見えた。
イヴリンさんは港の事務所から直接屋敷に帰っている。送り届けたポールは俺の伝言を受けて、『ラ・メール』に戻って来たのだった。
「それで、ボヌスってのは一体何者なんだ」
「ボヌスは――」
俺はポールからこれまでの経緯を聞いた。
背後にいるのはガリヤ王国のロベールだということ、西大陸が狙われているということ、そしてロベールとやり合うためにギーが東大陸に向かっているということを。
最初に聞いていたイブリンさんを守るための俺の立ち位置は、食堂の用心棒的なものだったはずだ。今の話を聞く限りでは、どうやらそんなものでは済まされない事は確かだろう。
「随分と話が違うんじゃないのか」
「別に隠すつもりはなかったんですけどね。ボヌスがどう出てくるかよく分からないところもありましたからね。それにイヴリンさんを守るという点に変わりはないでしょう?」
「物は言いようだな。それでボヌスには何て伝えればいい」
「ボヌスもやり手の商人です。下手な噓など直ぐ調べがつくでしょう。だから程よく事実を織り交ぜて話すのが一番でしょうね」
「程よくねぇ。で、何の事実を話すんだ」
「船に乗っているという事ですよ」
確かにギーは船に乗っている。だがそれは、程よくも何も、事実の殆ど全てではないのだろうか。
「これを兄さんから預かっています」
「なんだそれは」
ポールが取り出したのは細工の施された金属の箱だった。ポールが蓋を開けると中から出てきたのはキラキラと輝く貴石の嵌め込まれたペンだった。
「この貴石はドラゴンアイだそうです。これを受け取るように兄さんはボヌスに依頼されたんですよ」
「ドラコンアイだって!? 見せてくれ!」
「構いませんよ」
俺はポールから箱を奪うように取るとドラゴンアイを眺めた。
瞳は動いていない。
「兄さんが受け取った時は瞳は動いていたそうです」
「何だって? それじゃこのウェルペンは、いや王都だって、ドラコンに襲撃されかねなかったんじゃないのか」
「だから兄さんがクロウと一緒に討伐したそうです」
「は?」
「イヴリン嬢のためですよ。彼女の暮らすウェルペンに、ファティマ国に、被害が及ばないように」
「くそっ」
ファティマ国に来てからというもの、何にも関心を無くしていたギーをそこまで奮い立たせたなんて、『ラ・メール』に来てイヴリンさんという人物を見ていなければ、俄かには信じられなかったかもしれない。それでもなおギーのイヴリンさんへの思いが、これほど強いものとは思ってもみなかった。
出来れば俺もギーと共にドラゴン討伐に立ち会いたかった。だが兄貴が同行したのなら俺が出る幕なんてそもそもなかっただろう。
結局俺はポールの側近止まりだ。別にポールに不満がある訳じゃない。ただギーの役に立ちたかっただけだ。
きっとポールはそんな俺の気持ちに昔から気が付いている。でも知っていて、あいつは何も言わない。それが親切なのか、同情なのか、それとも憐みなのか、俺はずっとその真意を量り兼ねている。
「依頼品であるこのペンをボヌスに渡しましょう。そして船に乗ったと伝えるんです。どうせボヌスは裏事情を知らされていません。ロベールに報告したところで、兄さんが東大陸に渡ろうとしていることに辿り着くまでには時間がかかるでしょう」
「だが、依頼品を受け取ったギーがドラゴン討伐したことは明らかなんだろ。ロベールの企みに気が付いたギーが、一泡吹かせてやろうとしているのがバレるのも時間の問題じゃないのか。そうなればギーがフリースラント王国のアーチボルト殿下だと気が付く輩も出てくるはずだ。ギーの身に危険が及ぶ事になる」
「ドラゴン討伐した人物については、ケヴィン殿が対策委員会へ働きかけて秘匿にされています。ですから、ごく一部の人間しか知りません。それに東大陸では表向きドルバック貿易の名前で動いてもらうことになっています。クロウも同行させました。兄さんが向こうで同志を集めるための時間稼ぎが出来るように、最善を尽くしているつもりです」
ポールは東大陸へ行くギーを止められなかった自分を責めるように一気に話した。
そうだ。ポールはいつだってギーのために動いている。
結局俺もポールもギーが大好きでしょうがないだけなんだ。ギーの周りにはいつも彼に魅せられた人間が集まってくる。ただギーだけがそれに気が付いていない。
本当に面倒くさい奴だ。だが惹かれてしまったものは仕方ない。
「分かった。ボヌスにこいつを渡して、ギーは実入りの良い船の仕事にありついたとでも言っておこう」
「えぇ。案外依頼品を回収しただけで簡単に引き下がるかもしれませんしね。でもまぁ、そこは楽観視するのは止めておきましょう。いずれにしろ、これでボヌスの憂いを一時的に解消してあげられますからね、ボヌスに隙が出来るのは間違いないでしょう」
「どうせその隙とやらを衝いて、何か仕掛けるつもりなんだろ」
ポールの視線が俺を真っ直ぐに捉えた。狙いを定められた獲物のような気分になる。
「ホークのそういう所が好きですよ。やはり兄さんに渡さなくて正解だった」
「ちっ」
にこりと微笑んで見せたポールの顔には、先ほどのような鋭さはもうなかった。
やっぱり俺はこいつが嫌いだ。
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