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31 出港の時

 昨夜から出発の支度に慌ただしかった別荘内も、お昼を過ぎた頃にはいつもの落ち着きを取り戻し、私たちはセントポーリアの港に向けて別荘を後にした。お父様がウェルペンからドルバック貿易の船を回している。お父様もお爺様もクロウさんも乗船という。ギーと長い間離れ離れになると分かっていたら、もっと……。




 ギーから東大陸へ行くと聞かされた時は、やはりそうかという思いが強かった。



 彼が冒険者だというのは知っていたけれど、『ラ・メール』で共に過ごす時間が長くなればなるほど、彼はいつもここではない何処かにいるような捉えどころのない感じがしていた。表面上は人当たりがいいけれど、必要以上に他人に踏み込まないようにしているし踏み込ませないようにしている。彼には他人との間に壁のような物があった。

 でも刺繍のハンカチを渡した時、ギーの存在を確かにそこに感じた。それ以来、ギーと私の距離は少しずつ近づいていったと思う。そしてこのセントポーリアで、ギーは私のことを好きだと言ってくれた。



 大丈夫、彼は必ず戻ると約束してくれた。そうよ。彼が帰ってくるまでに刺繍屋に作品を持っていこう。どれぐらい売れるのか分からないけれど、ギーならきっと大丈夫だと太鼓判を押してくれるに違いないもの。

 その時のギーの姿を思い浮かべながら私は、何気なくいつ帰るのかと聞いていた。


 ――いつとは言えない。


 ギーの声がまるで遠くから聞こえてくるような気がした。私の目から溢れた何かで視界がぼんやりとした。


 これは涙? そうか……私、こんなにもギーに惹かれていたのね。


 気が付いたら私の口から嫌だという言葉が零れていた。一度表に出た感情は留まることを知らず、好きなのと言っていた。

 ギーと離れたくなかった。


 ギーが付けてくれたブレスレットには私の瞳の色と同じ赤い石が嵌っていて、見事な銀細工と共に美しい輝きを放っていた。


 一緒に連れて行けないと言われてるのだと分かって、再び涙が零れた。ギーに抱きしめられた私は堪え切れずに声を出して泣いた。


 必ず戻る、待っていてくれと言うギーの言葉が心に沁みて行く。


 今度ギーと会う時には、もっとこのブレスレットが似合う女性になれているだろうか。胸を張ってお帰りなさいと言える自分になっているだろうか……。





 荷物の積み残しがないことを確認した船員たちがお父様に報告している。そろそろ出港の時間だ。


「イヴリン。こちらの状況は逐一ポール君から聞けるようにしておく。彼にはウェルペンの事務所にいてもらうから、いいね」 

「お父様……」

「ほら、そんな顔をしないで、お爺様にもご挨拶してきなさい」

「お爺様、私、刺繍のプレゼントをしようと思っていたのですけれど、こんなに早くお帰りになると思っていなくて、まだ出来ていないのです。ごめんなさい」

「そうかそうか。急な話だったからのぉ。私の方こそ、いつもバタバタですまいのぉ。イヴリン、また美味しい料理を作ってくれるかの?」

「はい、お爺様。いつでもご馳走いたしますわ」


 お爺様は微笑むと「素敵な贈り物を貰ったようじゃの」と耳打ちしてきた。私の腕には昨日ギーから貰ったブレスレットがあった。顔が熱くなるの感じ、気が付くとギーのことを目で追っていた。


「兄さん、くれぐれも勝手に突っ走るのは止めて下さいね」

「わーってるよ。だいたいクロウが付いてくるんだ、そういう訳にもいかないだろ」

「その通りですよ。毎回どれだけ肝を冷やしていると思ってるんですか」


 三人で話している時のギーは私に向けるのとは違った雰囲気を纏っている。ポールさんと兄弟だと聞いた時は驚いたけれど、こうして見ているとやはり似ている。ポールさんは今回乗船せずに事務所にいてくれるという。彼にならギーの様子も少しは聞きやすいかもしれない。

 私の視線に気が付いたのか、ポールさんは片目をつぶって見せると、クロウさんと連れ立ってお父様の所に行ってしまった。


「ギー」

「イヴリン」


 ギーは手を伸ばして私の腰を引き寄せると、ぎゅっと抱きしめてくれた。

 温かい。

 彼の腕の中で頬を寄せていると落ち着く。


「ブレスレット似合ってる。……それじゃ、行ってくる」


 私がこくりと頷くと、私の頭に何かが触れた。

 キス……。

 

「それでは皆さん、乗船して下さい」


 ギーの手が離れて一気に心細くなった。


 係留ロープが外されて錨が引き上げられた。

 船が徐々に岸壁から離れて行く。

 甲板に立つギーのシルバーブロンドの髪は、太陽の柔らかな光を浴びて輝いている。その表情には決意のようなものが見てとれた。

 

 私は精一杯の笑顔で大きく手を振った。






「イヴリン嬢、頑張りましたね」

「ポールさん」


 いつの間にか私の隣に立っていたポールさんが大きく背伸びをした。


「私たちも明日ウェルペンに参りましょう。アウラさんも首を長くしてお待ちですよ」

「そうですね。『ラ・メール』の様子はどうですか?」

「えぇ、何と言ってもウェルペン一の人気店ですからね、盤石でございますよ。まぁ、細かい事はそれなりに発生しておりますが」

「わかりました。夕食の時か明日馬車の中ででも教えて頂けますか?」

「かしこまりました。何時でもお声がけ下さい」


 昨日まではギーと一緒に歩いた坂道を別荘に向けて歩いていく。

 行ってしまったばかりのギーに、もう会いたくなった。

 いつまで待てばいいのか分からないことが不安でたまらなかった。


「そのブレスレットは兄さんからですか?」

「あっ、はい」

「そうですか。兄さんもたまにはやりますね」

「あの……」

「大丈夫ですよ。クロウがついて行きましたからね。兄さんの情報はきちんとお伝えいたしますので、ご安心下さい」

「わ、分かりました。よろしくお願いします」


 セントポーリアでの生活も今日で終わりになる。明日の朝こちらを立てば夜にはウェルペンに到着するだろう。刺繍のことは気にかかるけれど、先ずは『ラ・メール』に戻ってきちんと仕事したい。ポールさんの情報次第だが、色々やりたいことがあった。


 よし、私は私の出来ることをしよう。それがきっと何かに繋がっていくはずだから。

お読み頂きありがとうございました。

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