28 職人ダヴィド
昨日イヴリンに思いがけず自分の気持ちを打ち明けた俺は、職人ダヴィドを訪ねて再びセントポーリアの町に下りてきた。当初は刺繍のお礼に渡すつもりでいたが、イヴリンへの思いの証として持っていて欲しいという気持ちが高まっていた。
工房を訪ねる前に昨日訪れた『ラ・ポンツ』に寄ると、再びシモンが出迎えてくれた。
「よう、ギー。どうだった、フェイジョアは? フィリップ卿もお気に召したろ?
「あぁ、イヴリン……嬢を東大陸に連れて帰ると息巻いていた」
「はっはっはっ。それで今日は何だ? 買い忘れた物でもあったか?」
「いや、昨日教えてもらった『モンレーヴ』でいい職人を紹介してくれたから、これから訪ねようと思っている。何か手土産になりそうな物はないか」
「手土産か。やっぱり東大陸の物がいいのか?」
「あぁ。何かお勧めはあるか?」
俺の記憶が正しければ、あの透かし彫り細工はフリースラント王国お抱えの職人の手によるものだ。そんなダヴィドに渡すなら東大陸にまつわる物にしたいと思っていた。
「それならフェイジョアのジャムはどうだ? 他には果肉を乾燥させたお茶も人気だが」
「ジャムとお茶、両方とも貰っていこう」
「毎度」
小さなパン屋の角を曲がると細い上り坂が続いている。せっかく下りてきたっていうのに上るのか、と俺はため息をついた。手にした袋にはシモンの所で購入したジャムとお茶が入っている。ブレスレットを売ってもらえないまでも、フリースラント王国の話ぐらいはしたいものだと思っていた俺は、気持ちも新たに足を踏み出した。
壁から銀工房と書かれた札が下がっている小さな建物が見えてきた。中から金属を打ち付けるリズミカルな音が断続的に聞こえている。邪魔をしたくないと思い扉の前で待っていると、程なく音が止んだ。
コンコンコン
「誰だ、納期ならまだ先の筈だが」
「実は『モンレーヴ』の主人に聞いてきたのだが」
「エドガーか……」
扉を開けたダヴィドはぼさぼさの頭に作業着姿の30代半ばの男だった。彼は俺を一瞥すると、目を丸くして口を開けたまま固まった。
「透かし彫り細工について話を伺っても?」
「あ、あぁ。取り敢えず中に入ってくれ」
工房の中は作業台に鋸、鎚、様々なサイズの鏨や松脂、それに何に使うのか用途も分からない物が足の踏み場もないほど並べられている。ダヴィドはそれらを器用によけながら工房を突っ切って奥に進んでいった。
案内された先は小さなキッチンにテーブルと椅子が置かれただけのこじんまりとした部屋だった。南側に取られた窓から降り注いだ日差しが部屋に暖かみを与えている。
狭い所で済まないという彼に勧められて、向かい合うように座った俺は『ラ・ポンツ』で購入した袋をテーブルに置いた。
「フェイジョアティーとジャムだ。口に合うといいが」
「好物だ……」
「それは良かった」
ダヴィドは早速紙袋の中からお茶を取り出すとお湯を沸かし始めた。ティーポットに入れられた乾燥したフェイジョアの果肉にお湯が注がれると甘い香りが部屋中に広がった。ダヴィドはお茶を蒸らしている間に、ジャムを手際よく小皿に移していく。
蒸らし終わった茶が俺の前に置かれたカップに注がれた。礼を言うとジャムを一匙カップに落とし口を付け。豊かな自然に恵まれオレンジ色の屋根が所せまして並ぶフリースラント王国の景色が脳裏に浮かんだ。俺たちはしばらく無言でフェイジョアの香りを楽しんだ。
お茶の準備をしながらも俺をちらちらと窺っていたダヴィドが再び俺に視線を向けた。
「あの、エドガーとはどこでお知り合いに?」
「実は『モンレーヴ』で見事な透かし彫り細工のブレスレットを見せてもらった」
「もしやそれは赤い石を嵌めたものでしょうか」
「その通りだ。贈り物にしたいが売る気があるかと尋ねたら、ここを教えられた。預かり物だから直接許可を貰う約束になっていると」
俺の言葉を聞いたダヴィドの口元が震えている。彼はやおら立ち上がると俺の前に跪いて頭を垂れた。
「アーチボルト殿下、お会い出来て光栄にございます。お抱え職人としてお仕え致しました日々を忘れたことはございません。まさか十年も経ってセントポーリアの地でこのような機会に恵まれるとは……」
「やはり貴方は王国お抱えであったか。あの後、職人は散り散りになったと聞いている。皆、息災か?」
「はい。皆元気にしております」
「そうか、王家が不甲斐ないばかりに済まなかったな」
「滅相もございません。国民を守るために国王一家が国を出られたこと、感謝することはあっても恨みに思った者など誰一人としておりません」
だがそうして守った筈の国民が、今やガリア王国の支配にひっそりと暮らしているかと思うと胸が締め付けられるようだった。
「今は俺も平民だ。頭を上げてくれ」
漸く椅子に戻ったダヴィドが俺にブレスレットについて話してくれた。
「実はあのブレスレットは、王城に連合軍が押し入った混乱に乗じて密かに工房より持ち出し、エドガーの元で保管しておりましたものでございます」
高度な技術が注ぎ込まれた作品である。この先職人制度のような環境が整わなければ二度と作ることが出来ないかもしれない。それを売ってくれとは言えないか……。
「売れる筈もないな。いや、済まない。皆が息災であると聞けただけでも良かった」
「いえ、そうではないのです。あれは、国王陛下の命を受けて殿下のために特別に作ったものでございます。国王陛下はアーチボルト殿下が自ら望む相手を選ばれた際に渡してやりたいと仰られ、その時手に入っておりました色石の中で特に品質の良い赤い石を嵌めこんだ物なのでございます。ですから、お相手の瞳の色に合わせて石を変えて欲しいと言われておりました」
「私が自ら相手を選ぶ……?」
第一王子である自分に自由意志の結婚などある筈もないと思っていたのに、父がそんなことを言っていたとは俄かには信じられなかった。
「はい、国のためにではなく、自分のために選んで欲しいと仰っておりました。そうすることが殿下を強くし、結果的に国も強くするのだと」
「……」
「殿下は、先ほど贈り物と仰っておられました。是非、お受け取り下さいませんでしょうか」
「私はもう平民だ。私に渡してしまっていいのか?」
「元々殿下のためにお作りした物にございます。国王陛下もお喜びになりましょう。アーチボルト殿下、それで石の色はいかがいたしましょうか。少しお時間を頂くかもしれませんが、必ず品質の良い石で仕上げてみせます」
「い、いや、石の色はあのままでよい」
「左様でございますか」
安心したように微笑んだダヴィドはキッチンの引き出しから手紙を取り出すと俺に渡して寄こした。大分前に書かれた物なのか少し折れ曲がったところもあるが、封蝋がされていることから、きちんとしたものであることが分かった。
「これは?」
「エドガーに渡して下さいませんでしょうか。それで私の許可が下りたことがエドガーに分かります」
「そうか……」
「殿下、フェイジョアありがとうございました。久々にいい夢が見られそうでございます」
ダヴィドに見送られて工房を後にした俺は、そのままエドガーの店『モンレーヴ』に向かって歩き出した。そう言えば『モンレーヴ』は私の夢という意味だったか。俺の今の夢はイヴリンと共にあること。それがどのような形になるか分からないが、必ず彼女を守り彼女の元に戻ると決めていた。
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