23 浜辺の散歩
翌朝、俺がいつも通り散歩に出ようと部屋を出たところ、待ち構えたように立っていたのはフィリップだった。フィリップがいつまで滞在なのか聞いていないが、当分の間泊まって行くような事を話していた。
「殿下、宜しければこの辺りをご案内頂けませんかな」
「いつも散歩している浜辺で構わないか」
「もちろんでございます」
イヴリンには声を掛けなかった。きっと拗ねるだろうと思ったが、フィリップが俺を待ち構えていたという事は話があるのだろう。
今日もいい天気だ。風もあまりなく海は凪いでいる。イヴリンがいないことがとても残念に思えた。しばらく無言で歩いていると漸くフィリップが口を開いた。
「殿下。イヴリンと親しいのですな」
「イヴリンは『ラ・メール』の主人だからな」
「なる程。そうとも言いますな」
「含みのある言い方だな。フィリップ卿」
俺のイヴリンへの気持ちなどお見通しと言わんばかりの顔をしているフィリップを軽く睨んだ。それに構わずフィリップは問いかけてきた。
「ところで殿下は今後どのようにされたいとお思いですかな」
「私は……」
俺はどうして行きたいのか。そう、俺はイヴリンと共に生きて行きたいのだ。
「フィリップ卿、私はこれまで生きる意味を見出せずにいた。ただ空気のように漂い、自分の存在を持て余していた。だが私は、今、生きたいと思っている。私は私の存在を許そうと思っている」
「とてもいい顔をされておりますな」
そう言うとフィリップは手を胸に当てて跪いた。
「アーチボルト殿下、メールポワ家がお力になりましょう。殿下の御心が赴くままに動きなされ。どこまでも付いて参りますぞ」
「フィリップ卿……。分かった。その申し出有難く受ける。ただし私が間違った方向に進んでいる時は遠慮なく申してくれ。それが条件だ」
「かしこまりました。お任せください」
俺とフィリップが別荘に戻ると怒ったイヴリンが仁王立ちしていた。
やっぱりか。
でもイヴリンが怒っていてくれた事が何だか嬉しかった。イヴリンにとっても俺との散歩の時間がかけがえのないものであってくれたら、どんなに幸せだろう。
「何で二人だけで散歩に出られてしまうのですか。昨日もちゃんと待っててと言ったのに」
「悪かったよ。また付き合ってやるから」
「ふぉっふぉっふぉっ。イヴリン、まぁそう怒るでない。儂が案内して欲しいと頼んだのじゃ。大切な時間を邪魔して悪かったの」
フィリップが目を細めて俺たちを眺めた。
「もう、今度はちゃんと声を掛けて下さいね。さっ、朝食の支度が出来ましたから食堂にいらして下さい」
ぷりぷりと怒りながら歩いていくイヴリンの後ろ姿に、俺とフィリップは顔を見合わせて笑い合った。
朝食を食べ終わり部屋に戻った俺がイヴリンの機嫌は直っただろうかと考えていたところに、クロウが顔をひょっこり覗かせた。
「殿下、ちょっと宜しいでしょうか」
「どうした改まって」
「もしお時間がございましたら町に買い出しに行って頂けませんでしょうか」
「別に構わないが。珍しいな、クロウから用事を頼んでくるのは」
「実はイヴリン嬢が買い出しに行くから付き合ってくれと私に言って来られまして、ギーには今朝置いて行かれたから声を掛けるつもりはないと怒っておいででして……」
「まだ怒ってるのか……」
「女性が怒っている時は早めに対処せよと、姉が常日頃申しておりました」
「そ、そうか。分かった、クロウ。余計な気を遣わせて悪かったな」
慌てて部屋を出ようとする俺に「イヴリン嬢は調理場におられます」とクロウが教えてくれた。頷いた俺は走り出した。
「イヴリン!」
「どうしたの、そんなに大きな声を出して」
「いや、そ、そのだな、買い物に行くと聞いて」
「……クロウが話したのね。しょうがないわねぇ」
「俺も一緒に行っていいか」
「荷物持ちだからね」
「もちろんだ」
「それじゃ、早速行きましょう」
「お、おう」
イヴリンの顔は心なしか明るい気がして俺はほっと胸をなで下ろした。
別荘を出た俺たちは浜辺に向かう道の途中を東側に折れて町に下りて行く。斜面を削って作られた道の片側には土留めのために石が積まれている。石の間からはみ出している草は冬を前に少し色褪せてきていた。
「今朝は悪かったな」
「お爺様に付き合ったのならしょうがないわ」
「浜辺じゃないけど、町に散歩って言うのも悪くないな」
「散歩じゃなくて買い出しよ」
「なぁ、イヴリン」
振り返ったイヴリンの頬に俺は手を伸ばした。見る間に顔を赤くしたイヴリンを堪らず抱き寄せた。俺がイヴリンの耳元で「後で夕日を見に行くか」と提案すると、腕の中のイヴリンが上目遣いで「本当に?」と聞いてきた。俺が「約束する」と答えると漸くイヴリンは笑みを覗かせた。
俺はイヴリンそっと離すと手を差し出した。
「先ずは買い出しだな。さぁ、行くか」
迷わず俺の手を取ったイヴリンと一緒に町へと続く坂を下りていった。
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