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22 セントポーリア

 俺とクロウ、そしてイヴリンの3人はウェルペンから馬車で一日程のファティマ国の南端にある景勝地セントポーリアに来ていた。ケヴィンによるとここは元々温泉保養地として栄えていたが、ウェルペンと違って北の森の魔獣の影響を受けていないため最近特に賑わっているそうだ。滞在先のケヴィンの別荘は半円形の湾をぐるりと囲んで急にそそり立つ西側の斜面に建てられていて、朝日が海から昇る様子は、海面に金糸や銀糸を織り込んで行くようでとても美しかった。

 ケヴィンが別荘で過ごさないかと提案してきた時はまさかイヴリンが一緒とは考えてもみなかった。だがケヴィンにどう説得されたか知らないが、イヴリンは『ラ・メール』の仕事を休んで俺たちに同行し、別荘の女主人として様々な事を切り盛りしてくれている。ケヴィンの誕生日会から一ヶ月が経とうとしていた。

 こんなにゆっくりとしたのは久しぶりだった。早起きが習慣化していた俺は今朝も浜辺をのんびりと歩いていた。


「ギー」


 俺が振り返ると朝日を浴びて栗毛色の髪をキラキラと輝かせたイヴリンが走ってくる。朝日を連れてきたのがイヴリンではないのかと俺は思う。俺に色をもたらすのはいつでも彼女だ。


「そんなに走って危ないぞ」


 差し出した手をイヴリンが掴んだ。

 イヴリンとの距離はここに来てから少しだけ縮まった気がする。


「待っててって言ったのに、何で置いて行くのよ」

「お前、半分寝てただろ」


 俺が散歩に行く時は声を掛けてくれと言われていたので、今朝も彼女の部屋をノックしたのだが、返ってきたのは生返事で、まだ起きていないことは直ぐに分かった。

 不服そうな顔をしているイヴリンの頭をポンと軽く叩くと、照れたように視線を逸らした。俺はイヴリンの手をギュッと握り直した。


「今日は、あっちの岩場まで行ってみるか」

「うん」


 ここから先は浜辺が無くなり断崖絶壁が続いている。岩場まで来た俺たちは適当な所に腰を掛けて打ち寄せる波を眺めていた。


「ところで『ラ・メール』の仕事を放り出してきて良かったのかよ」

「アウラがいるもの」

「イヴリンに起こしてもらえない客が離れるかもしれないぞ」

「かつての『ラ・メール』の看板娘は母のクラリスとアウラだったのよ」

「は?」


 何を聞かされたのか理解を拒んだ俺は口を噤むことにした。

 規則的に寄せては引く波が俺の心に溜まった澱を洗い流していくようだ。頭上をカモメが大きな声で鳴きながら飛んで行った。


「そういえば、イヴリンの母親はフリースラント王国の出身なんだってな」

「メールポワという家の二女だったらしいわ」


 メールポワ家と言えばフリースラント王国に代々続いた名門侯爵家に違いない。確かあの頃の当主はフィリップだったか。フリースラント王国……もし俺があそこに戻ることが出来たら、何か変わるのだろうか。

 俺は頭を振った。俺は俺として生きて行く。


「なぁ、イヴリン」

「なに?」

「俺がまともな職に就いたら喜んでくれるか」

「当たり前じゃない。お祝いしてあげるわよ」

「くっくっ。それは楽しみだな」

「でもそうなったら、ギーは『ラ・メール』で仕事しなくなるのね……」


 空を見上げたイヴリンの表情は俺からは良く見えなかった。

 冷たい風が吹いて来た。ウェルペンもセントポーリアも南に位置しているとは言え、冬が近づいてくるこの季節ともなれば内陸からの風は冷たくなってくる。


「戻るか」


 こくりと頷いて立ち上がったイヴリンに自分が羽織っていた上着を掛けてやる。俺はイヴリンの手を引いて別荘に戻った。





「イヴリン嬢、お昼頃にケヴィン殿とフィリップ殿がこちらに到着されるそうだ」


 クロウが告げた言葉にイヴリンの顔が綻んだ。


「そのフィリップってのは誰なんだ?」

「ほら、さっき話したメールポワ家のお爺様よ」

「あぁ」


 あのフィリップか。東大陸からわざわざ来たのであろうか……。西大陸と東大陸とは船で一ヶ月程かかる。フィリップがこちらに到着しているということは、少なくともケヴィンの誕生日会の頃には西大陸へ来ることにしたという事だ。ケヴィンにボヌスを探るのを任せはしたが、フィリップを呼び寄せた意図は何なのだろうか。


 朝食の後、ケヴィンやフィリップのためにお菓子を作るのだ、と張り切るイヴリンの手伝いをクロウが買って出た。ここに来てからクロウが甘党であることを初めて知った。氷の騎士が聞いて呆れる。

 そのお菓子が出来上がろうかという頃、ケヴィンとフィリップがやって来た。


「お爺様! お久しぶりです」

「おぉ、イヴリン。クラリスかと見間違えたよ。綺麗になった」


 駆け寄って行ったイヴリンに破顔したフィリップは、あの頃より白髪は増えているが、まだまだ眼光の鋭さは健在のようだ。抱き締めたイヴリンから手を離したフィリップは窓際に立っていた俺とクロウに気が付くと、大きく目を開いて答えを求めるようにケヴィンの顔を振り返った。


「イヴリン。皆さんで昼食を頂こうか。準備をお願いしても?」

「はい、お父様。皆さん、少しお待ち下さいね」


 イヴリンがサロンを出て行くのを確認するとケヴィンがフィリップに頷いた。フィリップは驚愕の表情を浮かべると、俺の前に進み出て胸に手を当て頭を深く下げた。


「殿下。まさか再びお会い出来るとは……長生きはするものですな」

「フィリップ卿、久しいな。私も卿も年を取ったか」

「何を仰いますか、殿下は精悍さが増して良い男になられましたぞ」

「はははっ。そうか。卿にそう言って貰える日が来るとはな」

「クロウ、良く殿下を守り抜いて来たな。礼を言うぞ」

「フィリップ卿、勿体なきお言葉でございます」


 クロウが頭を下げると「クロウは殿下に誓いを立てた騎士なのだぞ。殿下以外の人間に気安く敬意を表するのものではない」と軽く睨んだ。頭に手をやったクロウにフィリップは僅かな笑みを浮かべた。


「私をわざわざ呼びつけおってと思ったが、こういう事であったか。それでこの度は一体どういう事なのか説明して貰えるのだろうな」

「お義父上、もちろんでございます。ですが、先ずは昼食でも如何でしょうか」

「それは願ったりだな。ウェルペンに着いたと思ったら直ぐに馬車に乗せられてここに連れて来られたのだ。少しぐらい休ませてもらっても許されるだろうよ」


 平謝りするケヴィンにフィリップが大笑いしていると、準備が出来ましたとイヴリンが呼びに来た。俺たちはイヴリンの後に続いて食堂に向かった。

 テーブルには新鮮な魚の酢漬け、豆と肉の煮込み、干し魚の揚げ物そして魚介類と野菜のスープなど地の物を中心とした気取りのない料理がずらりと並んだ。食後のデザートにイヴリンとクロウお手製のお菓子も振る舞われ、俺たちを大いに満足させた。


「誠に美味しかったぞ。イヴリンはいつでも嫁に行けるな。どうだ、東大陸でいい奴を紹介してやろう」

「お義父上、イヴリンを私から取り上げるつもりですか」

「はははっ。いつもはお主が独り占めしておるのだ、いいではないか」


 嫁……そう、だよな。イヴリンは嫁に行って不思議のない年齢だ。ケヴィンはああ言っているが、フィリップの紹介なら安心出来るだろう。だが今の俺ではイヴリンの相手として、フィリップが首を縦に振ることはあるまい。





 昼食後サロンに集まった俺たちの話は自然とフリースラント王国のことになった。


「現在のフリースラント王国はガリア王国の王太子ロベールの意向により、貿易に関わる税率が悉く上がりましてな、東大陸における貿易の中継地としての役割が危ぶまれている状況なのでございます」

「フィリップ。分割統治されている筈なのに、なぜガリア王国の意のままになっている」

「はい。ロベールが王太子になると連合国側の重鎮は皆ガリア王国に与したのでございます。ある者は金で、ある者は家族を人質に取られ、またある者は殺されたと噂されております」

「それで国民は」

「表向きは変わりございません。ですが実態は、国中に配置されたガリア王国の兵が好き放題しているため、人々は息を殺して生活しております」

「……」


 まさかそんな事になっていようとは……。俺の祖国に何かできることはないのだろうか。そんな俺の憂いを汲み取ったのか、フィリップは俺に視線を向けた。


「ところでアーチボルト殿下。殿下はどのようにお暮らしでございますかな」

「私は、冒険者ギーとして暮らしている」

「冒険者でございますか。それはなかなか目の付け所がようございましたな。殿下の魔力量でしたら怖い物はございますまい」

「お義父上、アーチボルト殿下は先日ドラゴンを討伐されたのですよ」

「何と、ドラゴンとな。クロウ、お目付けも大変じゃの」

「フィリップ卿からも少し殿下を諌めては頂けないでしょうか」

「おい、クロウ」

「ふぉっふぉっふぉっ。それで冒険者ギーがどのような経緯でケヴィンと知り合うことになったのですかな」


 ケヴィンがドラゴンのオブザーバーとして俺のことを紹介して貰った経緯と『ラ・メール』にいた事について話した。


「そうでございましたか……クラリスの始めた『ラ・メール』に。縁とは不思議なものですな。殿下が救われた命がこうして結び付いていくのやも知れません」

お読み頂きありがとうございました。

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