20 その名は
誕生日パーティが終わるとケヴィンの言葉に甘えて俺たちは泊まって行くことになった。案内された客間は随分と豪勢な部屋で、内装に使われている壁紙の模様はかつてフリースラント王国で使用されていた伝統的な柄の一つだった。きっとフリースラント王国とも貿易をしていたのかもしれない。あの肥沃な土地が思い出され懐かしさが込み上げてきた。
コンコン
「はい」
「ギー様。ケヴィンでございます」
俺が扉を開けると、ラフなスタイルに着替えたケヴィンがワインの瓶とグラスを抱えて立っていた。
「お邪魔してもよろしいでしょうか」
「飲ませてくれるならな」
俺の言葉に微笑んだケヴィンはローテーブルにグラスを置くと酒を注いで俺に渡した。
グラスに口を付けると芳醇な香りが広がる……。
「これはフリースラント産のワインか……」
「えぇ、おっしゃる通りでございます」
「そうか。それで何か話があるんだろ?」
「はい、ギー様。リチャードという男に心当たりは?」
最近俺が接したリチャードと言えば、俺に『ドラゴンアイ』を渡した貴族風の男だ。ケヴィンはどこまで把握しているのか。
「何が知りたい」
「お気に障ったのなら申し訳ございません」
頭を下げたケヴィンが実はと始めた話によると、リチャードという男は隣国ネーデルランで魔石の貿易で財を成した貴族だという。そのリチャードが『ドラゴンアイ』を手に入れたという話を貿易仲間から極秘で聞いていたところにリチャードの船がウェルペンに入港予定であることが分かった。密かに探らせていたところ、俺がその船に乗り込み程なく降りて来たと思ったら、そのまま北の森に向かったと報告があったとのことだった。その後ドラゴンを討伐したと聞かされては、『ドラゴンアイ』とドラゴンの関係に気が付くのは当然かもしれない。
さすが貿易業を営んでいるケヴィンと言ったところか。まさかリチャードの方から探られるとは思ってもみなかった。
「ギー様。私でお力になれることはございませんでしょうか」
……何故俺にそこまでする。
「たかが冒険者で『ラ・メール』で仕事をあてがってもらってるような奴でしかない。そこまでしてもらう義理はない筈だ」
少し考える素振りを見せたケヴィンが観念したように口を開いた。
「アーチボルト・ギー・フリースラント殿下。ドルバック貿易は貴方様に助けて頂いたことがあるのでございます」
――その名は。
もう二度と呼ばれることはないと思っていた俺の名。アーチボルト・ギー・フリースラント。まさか10年も経ってから聞くことになるとは……。
言葉を切ったケヴィンは俺をじっと見つめると直ぐその後を続けた。
「今では私の貿易業も順風満帆でございますが、10年以上前、東西2つの大陸の間に広がる大海に発生した予期せぬ巨大嵐に因って、事業の存続が危ぶまれるような壊滅的な被害を受けたことがございます。その巨大嵐で多くの船の大半は錨を入れた甲斐もなく海の藻屑となりました。ただ唯一フリースラント王国付近を航行しておりました船だけが、入港を許され難を逃れたのでございます。その中にドルバック貿易の船もございました。その折、陣頭指揮を執っていらしたのがアーチボルト殿下、貴方様です。……実はその船には私の妻のクラリスと幼いイヴリンが乗っておりました。クラリスはフリースラント王国の出身でございます。アーチボルト殿下はドルバック貿易だけでなく私たち家族の恩人なのです」
「イヴリンが……」
俺は言葉を失った。
巨大嵐のことは俺も良く覚えている。
それまで天気は極めて良好であり雲一つない空に、船に関わる者たちは当分無事な航行が続くと安心していたのだ。ところがだ、あの日、大海の中央付近で突如発生した嵐は見る間に巨大嵐へと発達した。
大陸沿岸を航行中の小型船は嵐を避けるためこぞって入港許可を求めたが、大概の国は自国の船を優先し入港を求めた船のほとんどは拒否された。そのため締め出された船は沖合で嵐をやり過ごす筈だったのだが、想定外の風の強さに次々と波にのまれていった。
幸いなことに大陸への中継地点として機能してきたフリースラント王国は沿岸部に大小様々な港を有する国だった。嵐の異様さを瞬時に感じとった俺は国王陛下に掛け合い、船の大きさに合わせて寄港を求めてきた船を各港へと捌いていった。
嵐が過ぎ去った後、数か月に渡り船の残骸が漂着したことは嵐が如何に巨大であったかを物語っていた。
そうか……あの時の船の一つだったのか。
「アーチボルト殿下。あの時の恩を忘れたものは一人とておりません。その思いは今や貿易に携わっている者全てに広がっております。お願いでございます。差し出がましいことは百も承知しておりますが、私たちに殿下のお力にならせて頂けないでしょうか」
「だが……私はもう何も持っていない。力になってくれるという貴方の言葉は嬉しく思うが、何も返してやることが出来ない」
「見返り等求めてはおりません。それに既に御身自らドラゴンを討伐して下さいました。ウェルペンを救って頂いております。それだけでも十分でございましょう?」
真っ直ぐに俺を捉える瞳に何と返したものかと思案に暮れていた。
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