17 森の混乱
結果から言えば、森の入り口に繋いでいた馬は逃げていた。あれだけの爆発があれば当然なのだが、途方に暮れた俺は両膝に手を当てて肩で息をした。治癒魔法をかけた方がいいんだが、上手くいきそうな気がしない上に、今日はもう魔法は使いたくなかった。
一方クロウは辺りを確認すると、平然と口笛を吹き鳴らし始めた。するとどこからともなく2頭の馬が走ってくるではないか。
「は? お前の飼ってる馬だったのか?」
「そんな訳ないだろ」
「なんで呼んだら来るんだよ」
「えっ? 人に飼いならされた馬ならそんなもんだろ?」
「もう戻って来ないものかと思ってた。ありがたい、助かった」
ここで馬がなかったら帰り着く自信がなかった。くそっ、思ったよりダメージを受けている。
「ギー、大丈夫か?」
「大丈夫だ。さっさと帰ろう」
「あぁ」
俺は肩の荷を馬に振り分けると鞍に跨って腹を蹴った。馬はウェルペンに向けて走り出した。
ここを曲がれば鍛冶屋の工房のある裏通りだという所で俺は馬を止めてクロウに礼を言った。
「クロウ、付き合ってくれて助かった。馬を返しておいてくれるか?」
「わかった」
「ところでクロウはどこに泊まってるんだ?」
「ギルドの広場に面した宿屋『ルポン』だ」
「わかった。後で連絡する」
馬から荷を下ろした俺は、クロウが立ち去るのを見送った。裏通りを進み鍛冶屋の工房の中に入る。ありがたいことにおじさんはいない。俺は階段を上がっていき、部屋に入るや否やベッドに倒れ込んだ。
ちょっと無理し過ぎたか……。俺はそのまま吸い込まれるように眠りについた。
どれぐらい経っただろうか、俺は喉の渇きに目を覚ました。体中が痛む。やはり少しでも治癒魔法をかけておけば良かっただろうか。俺は既に回復していた魔力を全身に行き渡らせて治癒魔法を展開した。体が光に包まれて温かくなって行くのがわかる。
よし、こんなものか。試しに少しずつ動かしてみる。腕を上げたり足を動かしたりしてみたが問題なさそうだった。俺はベッドから起き上がると浄化魔法で体を綺麗にし、服を着替えて工房に降りて行った。
「ギー、おはよう。昨日に引き続き今日も早いな」
「えぇーーっと、おじさん、おはよう」
おはようって……。森から戻って来たのは夕方過ぎだった。それから一度も目覚めずに翌朝まで寝続けたことになる。ということは『ラ・メール』の早番の日か……。
「『ラ・メール』に行ってくるよ」
「おう。しっかり働いてこいよ」
「りょーかい」
今日も豪快に笑うおじさんに見送られて工房を後にした俺は、大通りに出ると『ラ・メール』を目指して歩き出した。そういや、メラニーはポールと会ってどうすることにしただろうか。
俺が『ラ・メール』の扉を開けると、いつもなら港湾関係の人間が数人という食堂の中はほぼ満席だった。何だこれは?
「ギー、良い所に来てくれたよ。朝から凄い人で手に負えないんだ。食堂の方頼んだよ」
「わかりました」
俺はすぐさま食事の終わったテーブルの片付けから始めた。ギルドの応援要請はまだ出たままだろうが、それにしても多すぎやしないか。次々に注文が入り息つく暇もない。
結局、客が帰ったのは昼に入る少し前だった。この分だと直ぐ昼の客が入ってくるだろう。俺はため息をついた。
「ギー」
「おう。メラニー、ポールと話したか?」
宿屋側の階段から降りて来たメラニーは浮かない顔をしている。
「話はしたけれど、早く王都に帰れって」
「そうか。ポールもメラニーの事が心配なんだな」
「そうなの?」
「そりゃ、そうだろ。メラニーにとっては王都にいる方が安全だと分かってるから帰れって言ってんだろ」
「そっか」
「ポールはあれでも昔からメラニーの事をずっと見てる」
俺はメラニーの頭にぽんと手を置いた。
「ギーのくせに」
「なんだそりゃ」
憂いが取り去られたのかメラニーの表情には明るさが戻った。
「ちょっとクロウの所に行ってくるわ。それから王都に戻る」
「王都まではクロウに送ってもらえ。ついでで悪いがクロウに夕方ギルドで落ち合おうって伝えてもらえるか?」
「わかったわ。ギー、ありがとう。それじゃね」
俺はメラニーを大通りで見送ると再び客の入り出した食堂の仕事に戻った。
俺が『ラ・メール』の仕事を上がったのはそろそろ夜の帳が降りようかいとう頃だった。今日は忙しいこともあってイヴリンを見ていない。休みだったんだろうか。イヴリンの顔を見ないと何だか森から帰ってきた実感が湧かなかった。
一度部屋に戻り換金する荷物を抱えた俺はギルドに向かった。広場まで来るとちょうど『ルポン』から出て来たクロウと鉢合わせた。
「クロウ、メラニーのこと悪いな。何か言ってたか」
「ギーにお礼を言っておいてだとさ。屋敷までちゃんと送ってきたから安心してくれ」
「そうか。助かった」
二人でギルドに入る。受付にジャックの姿はなかったが、今日は換金なので用があるのは報告カウンターの方だ。俺たちがそちらに向かって歩き出すとカウンターの奥の扉からギルドマスターが出て来るのが見えた。彼は俺たちを認めると親指を立てて自分が今出てきた扉を指差した。
俺たちは案内された小部屋でギルドマスターと向かい合わせに座った。
「ギーとクロウ。ケヴィン様から聞いたがドラゴン討伐の礼を言わせてくれ。対策委員会の面々に許可を取って、魔素溜りへの調査を討伐依頼に切り替えた」
「それは助かる。悪いな気を遣わせて」
「そんなのドラゴン討伐に比べたら造作もないことだ」
ギルドマスターは気さくに笑った。だが、その笑みをすっと消すと探るような目をして話を続けた。
「それで、ここからが本題だ。俺が気になっていることは二つ。一つ目は魔素溜りの調査の筈が何故討伐になったのか。二つ目は何故ドラゴンが来る場所を予測できたのか。俺が思うにドラゴンが来ることを予測出来たから、討伐に切り替えたと考えるのが自然だ。つまりドラゴンが魔素溜りから出てきた理由が分かったということだ。その理由が俺には分からん」
さすがギルドマスターだ。確かに前日に魔素溜りの調査に一週間くれと言っていた者が翌日には討伐してきましたでは不自然に思って当然だろう。ただケヴィンにも『ドラゴンアイ』の話をしていないのに、ギルドマスターに先に話すのも気が引けた。それにボヌスや彼の依頼人の件について探られるのは避けたかった。
「ギルドマスターの言う通りだ。魔素溜りから出てきた理由が分かったから討伐することにした。黙っていたことは謝る。だが、その理由については明かすことは出来ない。だめか?」
悩んだ末に俺は正直に話した。
「そうか。俺の考えも満更じゃなかったか。理由についちゃ知りたいのは山々だが、結果から言えばドラゴンは討伐されてウェルペンの町は守られた。ギルドとしてはこれだけで充分感謝に値する。だから今回は聞かないことにしておく」
「済まない。感謝する」
「それじゃ、金の話だ。先ほども言った通り今回の討伐は依頼にした。その依頼料の支払いと素材の買い取りってところか。それで持ち帰ってきた素材がそこの大きな袋か?」
俺たちは魔石を始め持ち帰った素材をテーブルに並べた。
「流石にどれもでかいな。よし、ちょっと待っててくれ。直ぐに金の用意をしてくる」
ギルドマスターが部屋を外すとそれまで黙っていたクロウが口を開いた。
「ギルドマスターが話の分かる奴で良かったな」
「あぁ。助かった」
戻ってきたギルドマスターの手には巾着が握られていた。
「小さい方は大陸金貨だ。大きい方は残りの銀貨と銅貨が入ってる」
「分かった。何もかも済まないな。ところで一つだけ聞いてもいいか?」
「何だ?」
「今朝『ラ・メール』の食堂が今までよりも混んでいた。今回のドラゴンの討伐と関係があるのか?」
「あぁ、ドラゴンが倒されたせいで早くも森のパワーバランスが崩れたんだろう。魔獣がうようよお出ましになってる」
俺たちはギョッとした。
「大丈夫だ。追加の応援要請を出してるからお前たちに依頼したりしねぇよ。というか、他の奴らにも稼がせてやらないとな」
腰に手を当てて笑うギルドマスターに、俺たちはなる程と頷いた。
お読み頂きありがとうございました。




