1 冒険者ギー
連合軍総司令官のピエールが腰に佩いた幅広の剣の柄に手をかけて言った。
「フリースラント王よ、今投降して頂けるならば国民の命は保証致しましょう」
「その言葉に二言はないな」
「女神セレーネの名に懸けて」
父は後ろを振り返り、王妃である母と私、そして弟の顔を見た。一瞬父の目に悲しみの影が走ったような気がしたが、次に見た時には一点の曇りもない目をしていた。私は覚悟を決めた。
「分かった」
「国王一家を拘束しろ!」
ピエールが柄にかけていた手を離したのと同時に、彼に従っていた騎士達に取り囲まれた。
俺は静かに目を覚ました。もう10年になるか……久々に見たな。俺は頭を横に振ると夢の中の情景を追い払った。
昨夜から降り続いた雨で、何となく陰鬱とした気持ちが空気にまで伝わったかのように部屋全体がどんよりしていた。だからと言ってせっかく口利きしてもらった仕事を休む理由にはならない。
このところ目立った依頼がなかったせいで懐具合が寂しい。俺は顔だけ洗うとシャツを羽織って部屋を出た。
階段を降りて1階の工房にいたおじさんに声を掛ける。
「おじさん『ラ・メール』に行ってくるんで」
「おー、食べる分は自分で稼がなきゃな」
豪快に笑うおじさんに手を上げて俺は通りに出た。空は相変わらずどんよりしているが、だいぶ小降りになっていた。
俺は走り出した。
ここはファティマ国の港町ウェルペン。俺はこの町で冒険者をやっている。と言っても、シーカーと言われる探し物の専門家だ。目的のものがあればダンジョンにも潜るし、魔素濃い森の中で魔獣退治もする。そういう訳でオールマイティにこなせはするが、魔獣と戦うのはなるべくなら遠慮したいと思っている。世の中命あっての物種だ。
それにしても金持ちっていうのは、どっから奇妙奇天烈な物の情報を得てくるんだろうと不思議に思う。依頼される物のほとんどは聞いたこともないような物ばかりだ。だからこそ魅力であり、その不確かな情報を元に探すことに金をかけるのかもしれない。まぁ、そのお陰で俺の生活が成り立っているんだから文句を言うつもりはない。
大通りをしばらく走った俺は、この町で一番大きな宿屋兼食堂『ラ・メール』に入っていった。
「おはようございます」
「ギー、いい所に来てくれたよ。ちょいとこれを運んでくれないか」
「分かりました」
おばちゃんが運んでいた大きな酒樽を担ぎあげるとカウンターの裏に持っていく。
宿屋兼食堂とは言っても、港町だけあって当然酒も出す。冒険者ギルドのお勧めの店でもある『ラ・メール』は泊まって良し食べて良し、そして飲んで良しの三拍子揃った人気店だ。
まだ朝食には早い時間のせいか利用しているのは港で働く見知った顔の奴ら数人だった。大通りに面した窓に視線を向けると商人というには上品な身なりの男が店を伺っている。この時間に到着した船でもあっただろうか。少なくと定期船の運行時間じゃないことは確かだ。それとも別な宿に泊まったがここでの食事を勧められたか。
その商人は俺に見られていたのに気が付いたのか店の中に入ってくると、カウンター寄りの壁際の席に座った。
「何にしますか?」
「あぁ、酒はあるか?」
「ありますよ。エールと蒸留酒、それにワインですかね」
「エールで頼む。それと何か軽くつまめるかな」
「灰色狼の干し肉とかどうです? 美味いですよ」
「じゃあ、それをもらおうか」
俺はジョッキにエールをなみなみと注ぐと、麻袋から取り出した干し肉を盛った皿と共に持って行った。
「お待たせしました」
「君に少し頼みたいことがあるんだが」
その商人は「まぁ、座ってくれ」と俺に向かいの席を勧めた。
俺は椅子を引くと言われた通りに座った。
「実はウェルペンに到着する船がある。その船である物が届くことになっているんだが、私は所用があって到着の日はこちらに来られないんだ。君にはその荷物を代わりに受け取ってもらいたいんだが」
商人はそう言うとジョッキを傾けてエールを飲んだ。
まぁ、身なりは悪くなさそうだが、何で見ず知らずの俺に頼むのか気になるところだ。だが俺もシーカーと呼ばれる冒険者だ。怪しげな依頼をする奴は、大抵後ろ暗いことの一つや二つ持ってるものだ。闇雲に疑ってばかりでは商売が成り立たない。
「私の名はボヌス。ここも人目に付くから夜にでも別な所で話しをしよう」
男は懐から紙とペンを取り出しさらさらと書き込むと、それを俺に渡してきた。
「ところで名前を聞いてなかったね」
「あー、俺はギーだ」
「よろしく、ギーさん」
ボヌスと名乗った男はテーブルに金を置くと、灰色狼の干し肉には手を付けずに店を出て行った。
俺はその干し肉を齧りながら片付けを始めた。
それにしてもボヌスの奴、俺が断るとは微塵も思ってない様子だった。だが、俺の事を知っていた訳でもなさそうだ。
俺はボヌスから渡された紙を改めて見た。そこに書かれていたのは、町外れにある居酒屋の店名『ラ・ニュイ』だった。船で届く荷物か。まぁ、夜になればもう少し話してくれるだろう。
「ギー、おはよう」
宿屋側の階段から降りて来たのは『ラ・メール』の看板娘イヴリンだ。
「イヴリン。もう客を起こしたのか?」
「朝出港する船があるのよ。頼まれた人だけね」
朝のうちに出る船に乗る客は宿屋に起こしてくれるように頼む。イヴリンが起こしてくれるからという理由だけで『ラ・メール』に泊まる奴もいたりする。
まったくイヴリン様様だな。
「今日もうちで仕事なのね」
「あー、ここんところ依頼がさっぱりでな」
イヴリンは腰に手を当てて言った。
「いい加減、まともな職を探しなさいよ」
「イヴリンが面倒見てくれてもいいんだぜ」
干し肉を持ったままの手でイヴリンを指した。顔を真っ赤にしたイヴリンが雑巾を投げつけようとしている。
俺は「外の掃除してくるわ」と言って急いで逃げ出した。
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