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5日目・・・ もしかして…? あの日からの後悔。

だらだらと書いてしまった文章を、ここまで読んで下さった皆様ありがとうございます。

いよいよ夢も5日目に、そして時計台での事故と同じ日付まであと3日となりました、

颯太はついに友人全員をこの件に巻きこんだところで、ここから流れが変わります。

作者もベタですね…、小説好きの皆様ならもう予想されていたと思います、

もうお解りですよね、そう キーワードは 〈タイムスリップ〉

「うっ、う~ん、もう朝か?」


昨日の夜に開けておいたカーテンの隙間から見える窓は、

外が明るくなっていることを示していた、どうやら久しぶりに朝からの晴れたようだ、

そういえばどうやって眠りについたっけ? 確か布団はかけた記憶がないが、

きちんと…ではないが体に掛け布団がかかっていた、そのまま時計を探す。


「もう10時を過ぎてるのか、どうりで明るいわけだ」


寝転んだままベッドサイドテーブルに置いてあった携帯電話に手を伸ばす、

特に何も連絡は入っていないようだ、まぁ、昨日の今日だからなぁ…。


「あっ、すっかり忘れてた」


携帯電話の電源を入れてメールチェックしていて思い出した、会社宛に診断書を送信することを、

俺は起き上がりベッドから降りて もらった診断書を探した。


「確か… カバンに入れたままだったような…、おっ、あったあった」


買い物に出た時のカバンとは別の、退院したときのカバンの中を探った、

汚れ物はすぐに出していたし、必要なものは特に入ってなかったので、

なんだかんだ そのままになっていたのだ。

すぐにカバンから封筒は見つかった、封筒から中身を取り出す。


「写メでいいんだよな、別にFAXじゃなくても、ん~と」


テーブルを片付けて診断書の写真を携帯電話で撮りながら送信文面を考えていた、

写真を撮り終り、診断書を封筒に戻してデスクの上に置きに行って、

そのまま側の椅子に腰かけた。

ある程度は個人情報を避けた写真編集して添付してメールを送信した。

個人情報を誤って送ったらたまらないし、一応 届いたかの確認をすぐに会社に電話した、

その辺ちょっとうるさいんだよな、ちょうど、その上司は席を外していたらしい、ツイてる、

送信と写真編集の理由の伝言を頼んで電話を切った、これで安心、お小言を聞かすにすんだ。


「これで休みは勝ち取った とはいえ 何をするか…だ、その前に」


もう昼前なのに、いつもなら “だらしない” と起こしにくる母さんが来ていなかった、

もしかしたら布団は母さんがかけてくれたのか? んな訳ないか…。

そんなくだらないことを考えながら汗をかいた服を着替えて、

脱いだ服と昨日の借りた服を持って部屋を出て下の階に向かった。


「あ~、腹へった、なんかあるかなぁ」


そう、いつもなら朝食はとっくにすんでいるはずの時間だ、

身体は正直だよな腹は減るんだもんな。


下の階に着いて洗面所によって洗濯物をカゴに入れた後、鏡を見る、包帯は大丈夫そうだった、

顔を洗って、うがいをして…。


「ハゲ…てないよな…」


包帯で見えないのにやっぱちょっと気になった、それから洗面所を出てリビングに向かう。


「おはよう、母さん」

「あっ、おはよう颯太やっと起きたの?」

「ああ、あのさぁ カズマから借りた服 洗濯物カゴに入れたから、よろしく

  それでさぁ、腹へったんだけど何かある?」


母さんはリビングのソファーに座りテレビを見ながらコーヒーを飲んでいた、

テーブルにはちょっとした菓子が、近くにアイロン掛けの終わったワイシャツが置いてあった、

どうやら ひととおり家事を終えてくつろいでいたようだ。

まぁ 当然のごとくだが父さんは仕事に行っているようだった。


「じゃ ご飯作らないとね」

「作る? ならいいよ俺が作るから座ってて」


母さんはリビングに入った俺の言葉を聞いて立ち上がろうとした、

俺はそれを止めた、そして母さんの側に近づいた。


「もうすぐ昼だろ、せっかくの休みだし 俺がなんか作るよ、材料ある?」

「なに言ってるの、あんたはケガ人でしょう、母さんが作るわよ」

「来週まで休みだからさ、たまにはいいだろ?」

「何? なんか頼みごとでもあるの? なにもでないわよ」

「…別に無いよ、もう信用ないなぁ」


頼みごとがない訳ではない、そう時計台だ、行くといえば まず止められるだろう、

母さんが時計台に付き合ってくれる… というより

付き合わせるまでの説明が出来る訳がなかった。

わかってる、わかってるのに、どうやって外に出ようか? ということが頭の隅から離れない、

行きたいという押さえられない気持ちと、心配をかけるという後ろめたい気持ちが交差する。

母さんが話しかけてくれたことで その悶々とした状態は一掃された。


「じゃ お願いしようかな、おばあちゃんに頼まれごとしてるから 出かけでもいいよね」

「頼まれごと?」


スープの冷めない…っていうのは大げさだけど、わりと近くに俺の祖父母は住んでいる、

しかも両家ともだ、遠い方の実家でも高速を使わず車で一時間とかからないだろう、

おかげで地方の実家に遊びに行くというイベント感覚は子供の頃からなかった。

母さんは買い出しとか 付き添いとか 日頃から行っているようだった、

多分この間の病院帰りのおつかいもそれだったのだろう。


「なんか おじいちゃん腰をやっちやったらしくて、今日は買い出し頼まれたの」

「えっ、じいちゃんが? ひどいの? 動けないとか?」

「いや、重い物の買い出しだって、通院はひとりで行ってるようだし、大丈夫でしょ」

「そうか、それなら俺が買い出しに行こうか?」

「いいわよ、母さんが行く、その包帯見たらおばあちゃんたち もっと心配するでしょ」

「『もっと』って話したの?」

「ちょっとね、落ち着いたら会いに行ってあげなさい」


ひととおり話終わった母さんは立ち上がってから俺の頭を軽く撫でた。


「じゃ 母さん準備してくるから、お昼 作っておいてね、食べたら出かけるから」

「ああ、何がいい?」

「あんたが作れるものなら なんでもいいわよ、冷蔵庫のものはテキトーに使っていいから」


アイロン済みのワイシャツを手に持ち、

飲みかけのコーヒーと俺を残して母さんはリビングを出て行った。

これで内緒で出かけることは出来るが、でも、本当にいいのか? 

また行きたい気持ちが沸き上がる、でも俺 何人も心配させてるんだなよな…、

まさか ばあちゃんたちにまで話がいっているとは思っていなかった。


「あっ、とりあえず昼メシ作らないと…」


ちょっと小腹が空いていたのでテーブルの菓子をもらってからキッチンに向かった、

封を開け菓子を食べながら、母さんの言葉通り冷蔵庫の中や戸棚の食材をチェックした。


「ん~、パスタかなぁ」


俺が作れるものといったらだいだい決まっている、焼き飯系、麺類系、しかも簡単なやつ、

とりあえずテキトーに食材を見繕ってキッチンに出した。

手の込んだ料理等は出来る訳もないのだ、その辺は母さんも期待してはいないだろう。


期待か…、俺がまたあの時計台に行けば母さんたちを心配させるんだよな、

しかも、ばあちゃんたちまで…、それで得られるものって、俺の期待のものって…、

どうしても頭からその事か離れなかった。


「っ、イテっ」


パスタのために用意をした野菜を刻んでいて指を切ってしまった、

ぼーっと考えなから料理していたからだ、すぐに水道でキズを洗う、

一旦キッチンを出てリビングの救急箱を取りに行った。


「そういえば、トモや拓哉に包帯を巻いてもらったっけ」


救急箱から絆創膏を取り出して指につけながら、みんなが来たあの日のことを思い出していた。

あの日から俺、時計台に行ってはいろんな人を巻き込んで、さんざん迷惑をかけて、

そうまでして俺がしてることって、ただ夢を見るだけ、ただ夢の続きを見るというだけ、

そうそれでちょっとだけ安心したいだけ、そう ただの… ただの俺の自己満足。


「あれっ、颯太 指切ったの? なら母さんが作ろうか?」


いつの間にか母さんがリビングに戻って来ていた、まだ家事の残りがあったらしい。


「ちょっと作るの久しぶりでさ、でも大丈夫 俺が作るよ、昼はパスタだから」

「そう、そんなに期待しないで待っとくわ」


そう言い残して母さんはまたバタバタとリビングを出て行った、俺もキッチンに戻る。


残りの野菜を刻んで、トマトソースパスタの素とツナとパスタを用意して、後は調味料、

鍋とヤカンに湯を沸かして、フライパンを用意して、それと皿とスープカップ、

お湯が沸いたところで火を止め母さんが戻って来るのを待った、出来立ての方がいいだろうし、

冷蔵庫から飲みものをだしてコップに注いで 残りはまた冷蔵庫にもどした、

ついでにフォーク類とコップを持って、ダイニングテーブルに置いて側の椅子に腰かけた。


「……やっぱダメだよな」


喉を潤し一息ついて、まるで自分に言い聞かせるようにつぶやいていた。


「どう、こっちはだいたい終わったけど出来た?」

「ああ、後は仕上げだけ、出来立てを食べようと思って」


あと少しでコップの中身を飲み終えるぐらいの頃に、母さんがリビングに戻って来た。

俺に声をかけたあと、母さんは飲みかけのコーヒーを持って来てダイニングの席に座った、

俺は返事通り料理を完成させるためにキッチンに入った。


「スープは、どのスープがいい?」


カウンター越しにいつくかの粉末スープを見せながら母さんに尋ねた、

母さんはカボチャのスープがいいらしい、俺はコーンスープを選んだ、さあ 後は仕上げだ。


フライパンにオリーブ油とツナの油を、そして刻んだタマネギを炒めて始めてから、

パスタを茹で始めて…、タイマーをセットした後はもうフライパンに材料を足していくだけだ、

ソースがあるおかげで、麺の茹で上がりと同時にあっという間に仕上がった、

冷めたヤカンのお湯を沸かしなおして粉末を入れたカップに注ぎスープも出来上がり、

それぞれの器に料理を盛り付けキッチンカウンターの上に置くと、それを母さんが受け取った。


「へぇ~、颯太にしては手際よく出来たじゃない、美味しそうだわ、ありかとうね」

「『…にしては』は余計だってーの」


キッチンの火の元をチェックしてから今度は冷蔵庫の中から飲み物を出して、

飲み物とコップを1つ持ってダイニングテーブルに向かった。


「飲み物はこれでいいよね」

「飲み物? なんでもいいよ あったかいうちに食べよう、じゃあ いただきます」

「いただきます」


母さんの向かい側に座って、さっき飲みかけのコップの中身を飲み干してから、

あらためて二人分の飲み物をコップに入れて俺も食べ始めた。


「美味しいわよ颯太、あんた上手くなったんじゃない?」

「そんなことないよレトルトだし、そういえばさ 拓哉がスゲー料理が上手くて、

  しかも超美味いんだ、もう 嫁レベルだよアレは」

「拓哉って八代先生? もうそんなに仲良くなったの?」

「ああ、この間カズマの家に行った時 作ってもらったんだ」


食べながら会話は弾んだ、母さんは新しい仲間の話、いや、イケメンの話に興味津々だ、

めちゃくちゃ食いついている感じだった。

急いでいたのか、先に料理を全部食べ終わり母さんが切り出した。


「ごちそうさま、それでね 颯太」

「んっ 何?」

「今日こそは 家でおとなしくしてるんでしょう、必要なものがあれば買ってくるわよ」

「ああ、そうだね…、必要なものねぇ…」


「わかった、じゃ 後はよろしく」


俺の言葉を聞いて母さんはリビングを出て着替えに行った、俺も最後の一口を食べ終わり、

カウンターに食べ終わった食器類と残りの飲み物を置いて席を立ちキッチンに向かった、

冷蔵庫に飲み物をしまって、さっきの調理道具と一緒にカウンターの食器を洗い始める。


「……おとなしく…か」


〝おとなしく〟の母さんの言葉に両方の意味で何も言えなかった、

だからこそ買ってくるという申し出に〝特に無いよ〟と答えた、

必要なものはだいたい揃っているし、

おとなしく… しなきゃいけないこともわかっていた。


「そうだよな、…おっと!」


流し台の中で汚れ物は洗い終わり後はすすぎというところで、

水道から勢いよく水をだし過ぎてしまった、水しぶきを見て慌てて調節する。


「今日は久しぶりにスッキリ晴れたのにな」


水しぶきを見たらなんとなくそう思ってしまった、

あの日からの 昼間でもどんよりとした暗さと違って、今日の窓の外はずっと明るかった。


俺はあの日からずっと どんよりした雲の下で、

たまにずぶ濡れになって、実験を繰り返してたんだ、

みんなを心配させて、振り回し続けて、

巻き込んだ結末は多分最悪で、何も生産性の無い。

それなのに、みんなは黙って俺のワガママに付き合ってくれた。


「はい、終わりっと」


洗い物は終わった、すべての食器も調節道具もしまい終わり、後片付けは全部終わった、

そして、モヤモヤした俺の気持ちもスッキリとしまい終わったそんな気分だった、

そうだ、これからはおとなしくしていよう、みんなを心配をさせないために。


「颯太、そっち終わった? じゃ 出かけてくるね」


母さんはキッチンの俺に声をかけてからそのまま玄関に向かった、俺はその後をついていく、

玄関先で〝通り雨があったらよろしく〟と言い添えてから玄関を出て車に向かっていった。

どうやら洗濯物とかは干してないらしいが、窓が一部が開いているらしい、

その言葉に返事をして玄関で見送る俺に手を振ると、母さんは車に乗って出かけていった。


「家の中は俺ひとりだし、しっかりと戸締まりをして、

とりあえずキッチンで飲み物と菓子をゲットして 自分の部屋でゴロゴロするかな」


その独り言にしたがうように 戸締まりを確認してからキッチンにたちより、

必要なものを持って自分の部屋に戻った。


「もらった薬を飲んで、後はどうするかなぁ…」


部屋に入り、テーブルの上をちょっと片付けて、

キッチンから持ってきた、ジュースと コップと 菓子、

それにテキトーにヒマつぶしになりそうなものをその辺から出してテーブルに置いてから、

窓のカーテンを開けてテーブル前に座った。

リモコンでテレビを点けて、昨日の残りのペットボトルの水で薬を飲んだ。


「この薬あと何日分だ、…にしても、なんだか似たような番組ばかりだな」


チャンネルを変えながらつくづく思ってしまった、休んでみたけど案外ヒマだということを。

食べ終わったばかりだし菓子って感じじゃないし、昼間っから酒は…キズもあるしマズイだろう、

ひとりだから秘蔵のお宝ビデオって気分でもないし…。

一応、携帯電話を手に取ってみたけど、やっぱ連絡等は入っていなかった。


「あぁ、あいつらも仕事だもんな、あ~ヒマ」


ゴロンと寝転んだ、相変わらず窓の外はいい天気だ、これで雨なんか降るのか? 

母さんの言葉が気になって、すぐに起き上がってテレビで天気予報を探してみた、

ちょうど昼のニュースの時間ですぐに見つかった、

テレビの中の気象予報士は局地的に豪雨と注意を呼び掛けているようだ、

こんなにいい天気なのにホンと降るのかねぇ? 立ち上がり窓の外を眺めてから本棚に向かった、

さっき寝転んだ時に視界に入った白い収納箱を持って今度はベッドに腰かける。


「この間も開けたし、大丈夫だよな…」


自分でしまっておいて…だが、何を入れたかは ざっくりとしか覚えていなかった、

あの当時、とりあえず香織さんにつながるものを全て放り込んだからだ。


「へぇ~、こんなものまでしまってあったんだ」


大学生の頃の写真はもちろんだけど、就職の励ましやアドバイスの一筆メモとか、

紙袋とか、古いものだと中学生の時の思い出の写真とかが入っていた、懐かしい。

やっぱあいつらのおかげだ、あの頃のものを見ても嫌悪感がない、懐かしいとすら思える、

昨日は拓哉に過去の話をしても大丈夫だったし、だからもう大丈夫、大丈夫だ

しっかり思い出として向き合える、そう、もう時計台に行かなくたって平気だ。


とりあえず中身を全部出してみた、そしてひとつひとつ出したものを手に取り、

懐かしさを感じながら眺めては、箱の中に戻していく、そしてふと気がついた。


「やっぱ社会人のものがほとんど入ってないな、そういえばアレって…」


この箱の中に入っていた社会人の頃のものといえば、この 小さめな紙袋 だけだった、

中身を入れる前のように折り畳んだままの状態で箱の中にしまってあった、

紙袋だけを残して あとは箱に戻してから蓋をした。

それから ベッドの上にそれらを置いたまま立ち上がりデスクに向かう、

デスクの引き出しを開けて、

デスクに置きっぱなしになっていた診断書の封筒と中の小箱と入れ替えて引き出しを閉じた。


「この書類を無くすと大変だからな、んっ? 誰からだ」


不意にテーブルの上の携帯電話が振動を始めた、SNSのメッセージを着信したようだった。

テーブルに小箱を置いて 座ってからメールを開いてみた、

どうやら会社の上司からの受領報告と一眞たちからの連絡らしい。

今回ばかりはさすがに上司も心配はしてくれたようで、返信もしなくてよさそうだ、

そして、一眞たちは休憩時間を利用して連絡してくれたようだった、

ちょっとの心配と、時計台への好奇心が隠せない様子だった。


ナイン “昨日のことは平気か? で、今日はどうするんだ?”

バディ  “昨日って何?”

ナイン “いやー 昨日は二人で ずぶ濡れ になってな” 

バディ  “何? いつの間にそんな関係に!?”

ナイン “そうなんだよって…、まぁ それはおいといて、

あ~ もう仕事だ、あんまムチャすんなよ”

バディ  “俺もだ、また連絡する”


“今日はおとなしくしてるよ 仕事 頑張れな”


とりあえず返信しておいた、忙しそうだから またネトゲとかで話せばいいだろう、

そういえば拓哉からは連絡はないな、

連絡先交換したあの日から拓哉からのメッセージは一度も入っていなかった、

医者は忙しいんだろう、昨日は一眞とゲーム設定したし、また全員で遊べるといいな…。


返信を終えて携帯電話をテーブルに置いた、ふと昨日の拓哉の言葉を思い出した。

〝法則通りなら、過去は何をしていたんですか?〟っていう言葉を。


あの頃のことは大筋では覚えてるけど、確かに当時はどんなことをしてたっけ? 

どうもはっきりしない、なんか色んな記憶が混ざってごちゃごちゃな感じすらする。

さっきの箱にもこれといったものは入っていなかったし、携帯電話とかのデータもない、

細かく思い出そうとしても記憶の手がかりになるものがなかった。


特にテレビも好みの内容がないし、気まぐれに当時のことを調べてみることにした、

あの日から この年のことだけは、とにかく避けて触れないようにしていたからな、

苦しんだ頃とは違う、今ならこの年の そう例えあの事故のニュースを偶然に見てしまっても、

前よりは冷静でいられるだろう、今ではそう思える。


あの頃 俺は勤めていた会社を辞めた、診断が出て休職も選択できたけど、

とても勤められる状況ではなかった、ホンの数ヶ月だけやっていた社会人1年目、

会社も 先輩もよくしてくれたのに、俺はただ迷惑をかけただけだった…。


「あの頃の俺、7月に入ってからは夢の通り浴衣選んで、指輪買って…、あと何してたっけ」


新入社員の頃は思い出せるのに、あんなに大事な1週間のことは なんとも…、

告白に緊張してたから前後を…って感じな訳ないよな、調べたらもっと思い出せるかな。


「検索ワードは とりあえず “20××年7月“ “ニュース” とかでいいかな」


とりあえずヒマつぶしに用意してたタブレットタイプのノートパソコンで、

過去のニュースを検索してみた、出てきたのは…。


議員の発言問題、景気回復、芸能人のデキ婚、そんな話題ばかりだった、

これじゃ今とさほど変わらない感じだ、なので もう少し調べて見た。


「“各地でゲリラ豪雨やゲリラ雷雨が相次ぐ“ か、たしか夢でもゲリラ豪雨っぽかったよな」


最初の日の夢、夢の中で香織さんとコーヒーを飲んでいた あの時は雨だったんだよな…。

調べるうちに、だんだん 過去の事実 と あの リアルな夢 が一致していく、

やっぱ 明晰夢 じゃなくて 俺の 潜在記憶 なんだろうか? そんな感じがしてきた。

そしていよいよ まだ夢で見ていない日のニュースが一覧に出てきた。


「あ~、これあったわ~、ホンとあの時は散々だったんだ」


その検索の内容は、“落雷による大規模停電のニュース” だった、

ニュースの記事を目にしてやっと思い出した、ホンとドンだけ思い出すの避けてたんだ。


当時は その 大規模停電 に会社のビルも巻き込まれて、

パソコンがやられてデータもぶっ飛んで、おかけで会社は大混乱したんだった。


「これも あの頃か」


今度は ゲリラ豪雨で各地の鉄道網がマヒした というニュース だった、

実際に俺も巻き込まれて、なかなか電車に乗れなかったんだ、いろいろあるもんだなぁ…。


あの頃の仕事のことは思い出すけど、香織さんの話となると やっぱ はっきりと出てこない、

多分、花火大会の日まではほとんど接点を持たなかったんだろう、なんだかそう思えてきた。

香織さんは勘がいいから、単純な俺の隠し事なんかすぐにボロが出てバレるだろう、

あの指輪は告白、いや もはやプロポーズのぐらいのつもりで買った指輪だったんだ、

まぁ、いきなりプロポーズは さすがに無いけどな。


「このニュースは…」


やっぱ出てきた、当時はかなり話題になってたし、マスコミ関係者も来た、

時計台の事故のニュース…、思わずクリックする手が止まってしまった、

でも同時に、以外と落ち着いていること俺は気付いた、あれだけ息が出来なかったりしてたのに。


「拓哉の言う通り 記憶の整理 なのかもな」


みんなに話したり、夢を見たりしたおかげで以前よりは冷静でいられるのかもしれない、

でも…、その先を見ることなくタブレットの画面を閉じ、そして一口コップの水を飲んだ。


「いくら落ち着いていても、ちょっとな…」


つけっぱなしだったテレビは14時が過ぎたことを示していた、

とりあえず立ち上がりトイレに向かう、用を済ませて洗面所で手を洗って鏡に目を向ける。


「ダメだ、今日はダメだ、おとなしくするんだろ」


まるで鏡の中の自分に言い聞かせるようにつぶやいて、冷たい水て顔を洗った。

それからキッチンに向かい適当な容器に氷を入れて部屋に戻った。


「やっぱぬるくなったよな」


容器の氷をテーブルのコップに移し、ぬるくなったジュースをその上から注ぐ、

残りは蓋を閉めて近くに置いた、そして立ったままコップのジュースを勢いよく飲んだ、

ああ、冷たくて旨い、コップと入れ換えに小箱を持って、ベッドに腰かけた。


「やっぱ あの頃の思い出のものはこれぐらいしかないんだな」


手に持った小箱から中身を取り出す、指輪ケースを、結局 渡せなかった指輪を。

このケースの中の指輪は台座から石が外れている、落とすと厄介だから慎重に開けないと…、

そんなことを考えながら、ゆっくりと指輪ケースの蓋をあけた。


「……あれっ? 石が… 外れてない」


指輪は何年も経っているのに、まるで購入したばかりのようにキレイだった、

そして何よりも 石が台座にしっかりとついていた、何で? だって 確かにあの時…、

そういえば最近こんな風に違和感を覚えたことがあったような…。

そうだ、拓哉だ、拓哉が来た日だ、あの日にケースを触って違和感を感じてたんだ。

拓哉が初めて家に来たあの日に、久しぶりにこの指輪ケースを手に取った、

でも すぐに下で騒ぎがあって、しっかりと見ないで蓋をして離れてたんだ、

それで なんだかんだ そのまま小箱に入れデスクの引き出しにしまったんだった。


「何で? 誰かがなおしたとか? そんなの聞いてないし、でも、なんか違うような…」


違和感の原因は、記憶と違い石が台座についている ということだけじゃない、

なんだろう、なんか、ただ見てるだけなのに、何かが引っかかる そんな感じだった。

あの日、香織さんに指輪を渡せなかったあの日、指輪を落として確かに石が外れたんだ、

でも、なんだかキレイというか…、いや、なんというか…、ん~ デザイン… か?

ケースの中にある指輪を眺めていると、夢の中で何回か見ていたせいか、

夢で選んだものと感じと似ていると錯覚してしまう、なんだか記憶とは違う気がしてならない、


「これって、多分この指輪の手提げだよな」


さっきあえて紙袋だけ この指輪に関連するものか確めようと思って箱から出しておいたのだが、

やっぱり指輪の店のものだった、とにかく指輪ケースの蓋を閉じて小箱にもどし、

思い出のものが入っていた箱の上に置いた、そして今度は紙袋の中身を調べてみる。


「紙袋だけだよな…、んっ? 店の封筒」


紙袋を開いて中身を全部出してみると、折り畳んだままの新しい紙袋と封筒が入っていた、

どうやら紙袋は予備で、封筒は店の領収書の封筒らしい、

箱に上に乗せた小箱の横に並べるように2枚の紙袋を畳んだ状態で重ねて置いた。


それから封筒を手に取り、中身を確認すると何枚の用紙が入っていた、 

とりあえず取り出してみた。


「えっ~っと、領収書と… これは保証書か?」


箱の上に乗せた紙袋の上に封筒と目を通した中の書類を重ねていった。


「これ、文字入れの依頼書だな…… えっ? これって」



「行かなきゃ…」


書類を見ていた手を止め 俺は立ち上がった、そして、目標に向かって行動を開始した。


鍵、携帯電話、財布… あ~もうどうでもいい、テレビの画面の時間は15時間近だ、

結局、手にしたのは鍵と携帯電話、さっき手にした書類はどうしたっけ?

部屋を飛び出してから、1階へかけおりる、そのまま玄関へ、そして靴を、

あ~あわてるとなかなか入らない、さっき戸締まりしたよな、火は大丈夫なはずだよな、

やっと靴を履いて玄関を飛び出す。


「あ~もう、こんな時に~」 


なんで俺、素直におとなしくしようとしてたんだ、やりたいようにすればよかった、

後悔はなんとか… だ、かろうじて玄関を施錠して、鍵をポケットにしまうと、

門扉を開けて走り出しだ、後ろ手に荒っぽく閉めすぎたせいか、

バンって音がしてたけど しっかりと閉めてる余裕がなんかない。

とにかく、とにかく走った、携帯電話を握りしめ 目的地へ、そう、時計台 を目指して。


「何で? 何でアレが? どういうこと? それってもしかして…、あ~間に合え~!」


家から時計台はそんなに遠くない、けど問題は時間だ、となれば 多分ギリギリ、

苦しい 息が切れる もっと鍛えとけばよかった、やっぱ 俺おっさんだ、

少し走ってみて気付く、もう家の近くまで空が暗くなっていた、雷の音か大きくきこえる、

もう雨具を取りに戻る時間なんてない、そのまま走り続ける。


「見えた、時計台」


あ~こんな時に車が、時計台の向かい側の歩道で足止めをくらった、

携帯電話を見れば画面はもう少しであの時間を示していた、その画面に雨粒が当たった。

お願いだ、早く渡らせてくれ、頼む 時計台に 時計台に触れさせてくれ、

祈るような気持ちで車が通りすぎるのを待った、車が途切れた すぐに道を渡る、

間に合うのか? もう時間が過ぎてるかもしれない、頭にそんなことがよきる。


「お願いだ繋いでくれ~」


片手に携帯電話を握りしめ、俺は両手で時計台に触れた。





「……で…くれ」

「はい、何をご用意すればよろしいですか?」

「えっ? あっ、え~っとなんでしたっけ?」


間に合った、俺 間に合ったんだな、だってここは…。


見覚えがあるのも当然だった ここは指輪を買った宝石店だ、

そういえば昨日の夢で 《お渡し / 7月5日》 って書類があったな、今がそうか。

店員がなんか変な顔をしているが、まぁいいだろう。


「お客様、ご注文頂いた指輪の文字入れですが 文字の確認はいかがですか?」

「あっ、そうか その話でしたね」


目の前にある依頼書と指輪を照らし合わせる、文字は問題なさそうだ、それより…。


「すみません、お願いがあるんですが…」


俺は店員に声をかけた、店員が俺の希望を聞いて動き出す。

目の前の依頼書の隅には俺が書いた “落書きメッセージ” がそのまま残っていた、

指輪も替わっていないようだし〈夢の中の俺〉は〈28歳の俺〉が選んだ指輪を購入したらしい。

ならメモ通りにそのまま購入したってことだよな、

それにしても怪しいメッセージとかあるのに 

なんの疑問を持たなかったのか?〈夢の中の俺〉は。

いろいろとチェックをしていたらさっきの店員が戻ってきた。


「こちらの指輪でよろしいでしょうか?」

「ありがとうございます、じゃ 写真を取りますね」


店員はちょっと複雑そうな顔をしていたが 黙って俺の側で見ていた、

俺はこの店員に、〝前回諦めた大きいサイズの指輪とこの指輪の写真を撮らせてほしい〟

そうお願いしたのだ、もちろん断られたが、

〝次回購入を検討したい〟と購入を匂わせて強引に了承させた。

手早く2つの指輪の写真を携帯電話で撮って、お礼を言って返却した、

購入した方にはラッピングを頼んで出来上がりを待った。


大きいサイズの指輪はやっぱ見覚えがある、実際の過去に購入したもので間違いないだろう、

早く出来ないかな、間に合うか? 待ってる時間がすごく長く感じる、

この〈リアルな夢〉の中でやりたいことがある、いや ありすぎる、いや 何をすればいい?

また頭の中がごちゃごちゃだ、ホンと俺は計画性がない、時間が、時間が足りない。

携帯電話を取り出す、時間は《20××年7月5日 18:51》を示している、

ここに来て10分ぐらいだろうか? とりあえず香織さんにメールをしてみた、

だけど返事がない、多分 今日は勤務日だな、なら まだ店に居るかな…。


「大変お待たせいたしました」


先ほどの店員がラッピングを終えて指輪を持ってきた、俺に見せ確認を始める、

あ~、早く、早くしてくれ 急いで受け取り乱暴にカバンに放り込もうとして店員に止められた、

丁寧にも、持ち運び用の紙袋の中に取り替え用の紙袋と領収書入れてくれ、

そして本体はカバンに入れて汚さないようにビニールの袋で覆うようにして包み直してくれた、

とにかくすべてをカバンに入れて店員にお礼をすると足早に店を出た。


「香織さん、出てくれ」


俺は香織さんの勤める店に直接電話した、すぐに電話はつながったのだが、

出たのはマスターだった。


「お待たせいたしました」

「もしもしマスター、俺です三浦です、櫻井さん、香織さんはいますか?」

「ああ、なんだ三浦くんか、香織ちゃんなら 今 買い出しに出てるよ」

「どのぐらいで戻りますか?」

「そんなには遠くないから7時過ぎには戻ってくると思うけど」

「じゃ、俺そっちに行くので待ってくれるように伝えてください」

「ああ、伝えておくよ、そんなに急ぎなの? なら…」

「はい、それじゃお願いします」


マスターの言葉を聞き終える前に電話を切った、そして走り出す、駅に向かって、

会社からは間に会わなくても、ここからなら、ギリギリ 間に合うはずだ、

走りながらも考えていた この〈夢の中の俺〉のことを、俺が目覚めた後のことを

〈28歳の俺〉が意識を支配していることを〈夢の中の俺〉はどう思っているのだろう、

仮にも この数日は 毎日1時間ぐらい意識がない状態で過ごしているのに、

なんの不安や疑問も持たなかったのだろうか? まぁ それで助かっているのだが、

この〈リアルな夢〉のキーとなるのは 多分〈過去と未来の俺たち〉なのだから。


「俺の考えが正しければ、伝えなきゃ、香織さんに絶対に伝えなきゃいけないことがある」


ほどなく駅に着いた、帰宅時間なのか ちょっと混雑しているようだ、

改札を通り電車で香織さんの店に向かう、順調につけば5~10分ぐらいは時間がとれるはずた。


「なんだいつもより混んでないか、プレゼント潰さないようにしないと」


〈夢の中の俺〉のためにも、これ以上プレゼントを乱暴に扱うのはマズイだろう、

とにかく片手に携帯電話 片手にカバン を持ちホームにきた電車に乗った、

これで間に合うけど、なんだかめちゃくちゃ混んでるな…、

なんだか潰れるってぐらいな感じで込み合っている、どうやら遅延しているらしい、

社内アナウンスで遅れを詫びている、乗れたからこのまま動いていれば問題ないだろう。


それより問題は携帯電話だ… 込み合っているせいでほとんど手が動かせなかった、

〈夢の中の俺〉に伝えたいことが山ほどあるのにコレじゃ携帯電話を操作出来ない、

駅に停車するたび場所を少しずつ変えながら、手が動かせるのを待つしかなかった。


〝〈夢の中の俺〉が信じて、そして簡潔に伝えられれる文章は…〟 ずっと考えていた。

少しの時間もムダに出来ない、俺がここにいれるのは約1時間なんだから、

やっと手が動かせる席の前に近い場所に移動できた、すぐにメールを自分の携帯電話に送った。


「やっと着いた、そうだ」


ホンと走ってばっかだな、遅延の影響があったらしい予定よりちょっと遅く着いた、

でもまだ間に合う、駅の時計をチラッと確かめて、ちょっとだけ携帯電話に小細工をした、

それから、とにかく改札に、とにかく香織さんの元に急いだ。



「いらっしゃいませ」

「こんばんはマスター、香織さんは?」


カランカランというドアベルの音とともに俺はいきよいよく店に入った、

その音にマスターが出迎えをする、俺はあいさつそこそこ香織さんの居場所を訪ねた。


ふいに手に持っていた携帯電話が振動を始める、さっき設定したアラームだろう、

さっき駅で俺は 目覚めそうな時間の5分前 にアラームをセットしていた、

スーツのポケットに携帯電話をしまう、ということはあと5分も時間がない。



「ほら 香織ちゃんはあそこに居るよ、でも そんなに急いでた…」


マスターが何か話しかけている、でも もうその内容が俺の耳には入ってこない、

肩で息をしながら香織さん一点を見つめる、どうやらお客さんにコーヒーを運んでいたようだ、

コーヒーを運び終わり振り向いた香織さんは俺に気がついたのか、

手にしたトレイを持ち直しこちらに近づく、気付いた合図なのか俺に小さく手を振っていた。


〝言わなきゃ、言わなきゃ、言わなきゃ〟 マスターを置いてゆっくり香織さんに近づく、

息は整ってきた、もう声もしっかり出るだろう、今度は足早に香織さんに近づく、

香織さんに触れることの出来る距離になるのはカウンターの前ぐらいか? ちょうどいい、 

何人かお客さんがいる、きっと変に見られるだろう、いや、そんなのどうでもいい、

俺 今どんな顔してるのかなぁ、スゲー怖い顔してるんだろうな、でも もう時間がない、

香織さんが心配した表情を見せる、その顔を俺は真っ直ぐ見つめながら近づく、

店内の様子も、お客さんも、マスターも、どんどん俺の視界からなくなっていく、

ただ、ただ香織さんだけを 香織さん一点を見つめていた そんな俺に香織さんが話しかける。


「どうしたの颯太くん 急ぎの用事?」

「……ぬんだ」

「えっ?」


やっぱ いざとなると顔が見れない、うつむき加減で声を絞り出す、

手にしていたカバンを落とすように手放しことをきっかけに俺は顔を上げた。


「何? 怖い顔をしてどう…」

「……死ぬ…んだ、死ぬんだ君は」

「えっ、ちょっと、痛いっ 痛いってば」


俺は自由になった両手で香織さんの両方の二の腕辺りを外側から掴んだ、

俺と向かい合うようにしっかりと強く、俺しか見えないように、俺だけを見るように、

力が強すぎたのか香織さんがトレイを落とした、だけど俺にはその音すら聞こえなかった、

もう俺と香織さんの声しか、香織さんの驚いた表情しかわからなかった、それでも 続けた。


「君は死ぬんだ」

「何を、何を言ってんの、それはいつかは…」

「違う、もうすぐ君は死ぬんだ、今週の花…」

「ちょっと、颯太くん、大丈夫?」


あれっ、声が、声が出ない、ここが、ここが大事なところなのに、何で? 何でだよ。

口を動かしてるのに声が出ない、声を出そうとしてるのに伝えたい言葉が声にならない、

もう時間なのか、でも目の前は白くならない、なら頼む、伝えさせてくれ。


〝香織さん、君は死ぬんだ、花火大会の日に交通事故に巻き込まれて君は死ぬんだ〟


香織さんから手を離して声を出せずもがき苦しんでいる俺を、香織さんが俺を介抱している、

次第に視界が戻る、店内の様子が見えるようになってきた、マスターが近づいてきたようだ、

待って、待ってくれ、まだだ、まだ伝えてない、香織さんに伝えてない…。


俺の願いもむなしく、目の前は真っ白にかわっていった……。





「…ってくれ」


俺は右手を伸ばしていた天井に向かって、どうやら仰向けに寝ていたらしい、

おそらくここは拓哉の勤務する病院だろう、

場所こそ前回と違うようだか、同じような作りのサイドテーブルがあった。

体がだるい、でも起き上がれそうだ、俺はベッドから起き上がり裸足のまま立ち上がった。


「あー、点滴が邪魔だ」


残り少なくなった点滴の針を勝手に引き抜いて手から外した、

サイトテーブルの引き出しにあった携帯電話を取り出しそのまま病室を出る、

足がおぼつかない、力が入らない、これ病院着だよな、俺はどうしたんだ? 

いつの間にか着替えさせられていて、点滴されて、俺 今どうなってるんだろう、

病院にいるとわかっていても、それしかわからない、体の自由がきかない、おまけにさっき勝手に針を抜いたところから血が滴ってきたらしい、どのくらい流れてるのか見てみた、

少し下を向いたおかげで、病院着のポケットを見つけた、とりあえず携帯電話はそこに入れた。


歩いているうちに体もだんだん思うように動かせるようになってきた、これならいける。

行かなきゃ、とにかく行かなきゃ、とにかく あの時計台 へ。


いてもたってもいられなかった、行ったとしても意味がないことなのかもしれない、

でも、とにかくじっとしていたくなかった、もう入院もしたくない。



「何をなさってるんですか、そこ血が出てますよ、病室に戻りましょう」


後ろから女性の声がした、振り返るとその声の主は あのキレイな看護師の佐々木さんだった。

説明ができる訳もない、捕まれば 多分 入院させられる、俺は走って振り切ろうとした。


「待って下さい、誰か、誰か来て」


佐々木さんは人を大声で呼んだ、全力で動けるどころか ほとんど回復していなかったらしい、

あっさりと服を引っ張られて引き戻される、逃げられる訳ないのにそれでも俺は抵抗した。

騒ぎを聞き付けて看護師達が集まりはじめる、見舞いの人達も病室から出てきたようだ、

患者らしい人も見えはじめた。


「大丈夫ですから、病室に戻りましょう」


とにかく振り切ろうとあがいて、なんとか入院病棟の出口を出ることが出来た、

すぐ側にエレベーターが見えた、そして その近くに階段をみつけた、

エレベーターは待っていられない、とにかくその階段から降りようとした、

その時、階段の側のエレベーターが開き、中から病院の守衛と医師らしい若い男性が出てきた。

俺の行く手を阻むように横に並び壁を作る、さらに騒ぎが大きくなっていく、

あ~どうでもいい、なんだっていいんだ、俺は絶対 入院しない、時計台 へ行くんだ、


特に武器がある訳でもないのに、さっきからみんな飛びかかってはこなかった、

患者だからなのか? これならなんとかいける、このまま下に行って、それで それで…。


「何やってんだよ、颯太さん」

「えっ?」


突然 名前を呼ばれて声の方を見た 俺の名前がを叫んだのは拓哉だった、

驚いた表情を見せている、どこから来たんだ?

隣には大塚先生が見える 看護師に何か指示を出してるようだ、マズイ、捕まったら…。


「やめろ、離せ、離せってば!」


二人に気を取られたせいで、いきなり羽交い締めにするように後ろから体を掴まれた、

多分、守衛と来たあの医師だろう、なんとかその拘束を振りほどこうと手を大きく振り回す、

やめろ 俺は絶対に時計台に行くんだ 邪魔するな、だんだんイライラしてきた、

完全に拘束できてなかったのか、ジタバタあがいていたら うまく羽交い締めが外れた。

今だ、突破してやる、人間の壁の隙間を目掛けて勢いよくぶつかり、走って逃げようとした、

でも、足がもつれてうまく走り出せない、というよりバランスが取れず転びそうな感じだ、

あ~俺 カッコ悪い、このままだとスッ転んで顔面をおもいっきりぶつけるドジっ娘だ。


「あっ、あぶない」


そんなのドジっ娘をまるで王子様のように正面からカッコよく救ったのは拓哉だった、

ホンと俺 カッコ悪い 超カッコ悪い、スゲー無様だ、でも そんなのどうだっていい、

チャンスだ、拓哉なら、拓哉ならわかってくれる、これで時計台へいける、俺は身をゆだねた。


「大丈夫ですか? さぁ 病室へ戻りましょう」

「…何で? 何でだよ、嫌だ、イヤだ、俺は入院したくない、離せ」


転倒しそうになった俺の体をしっかりと正面から抱き抱えるように受け止めた拓哉は、

俺を抱き抱えたままで まっすぐに立たせると 今度は俺の顔が見えるぐらいに体を離して、

そして俺のおでこに自分のおでこがあたるぐらいまで顔を近づけて、そう告げた、

やっぱ拓哉も医者なんだ  拓哉の医師としての口調を聞いて希望が絶たれた気がした、

なら、たとえ拓哉でも振り切らないと、

 

「離せ、離せ拓哉、お前だって容赦しないぞ」

「ダメ…、ダメだって颯太さん、落ち着いて」

「離せ、俺にはやることがあるんだ」


俺は叫びながら またジタバタと暴れた。

暴れる患者を押さえつけるというより、興奮した彼女を激しく抱きしめるという感じで、

俺は拓哉に拘束された、コレじゃ俺 少女漫画のヒロインじゃないか、あ~ホンともう。

拓哉は まだ諦めずジタバタしている俺を押さえる力を強めて、手の位置を俺の頭に変えた、

俺の顔を拓哉の肩辺りに埋めさせるようにして押さえつけて、そして耳元でささやいた。

もう体に力が入らなくなったのか…、立っていられないぐらいに力が抜けていく、

俺は拓哉のその言葉を聞いて 拓哉の 拓哉の胸の中で崩れ落ち、目を閉じた。


「颯太さん、僕に任せて、僕に薬を使わせないで…」




「あっ、目が覚めましたか、そのままずっと起きなくてもよかったのに」


まだ ちょっとボーっとしてる、どうやら病室に戻されたようだ、

また点滴がつけられている、隣に看護師がいたらしい。


「あっ、西山さん」


看護師は西山だった、それより…だ、

看護師の西山さんが、何故か ものすごーく不機嫌な顔をして作業をしていた、

しかも はっきり敵意のある言葉を発してる、今度は俺 何を踏んだ? さっきの大暴れか?

ホンと今は いろんな意味で彼女の相手をする気にはなれないんだが、

西山さんはすごーく何かを言いたそうだったから、まぁ 付き合って聞いておこうか、

あぁ、ホンとしょーがない かまってちゃん だな、

正直 体も起こしたくないぐらいの気分だが、俺は横になったままで話しかけた。


「さっき佐々木さんを見たけど、担当は佐々木さんじゃないの?」

「それって、私じゃ不服ってことですか」

「そんなことはないよ、でも俺が患者だとやりづらいんじゃないの?」

「別に、患者は患者だし、誰だろうが関係ないし」


おいおい、患者って呼び捨てか、もしかして さっき暴れたから看護師さん全員に嫌われたとか?

マジか? …まさかそこまで? ヤベっ 俺やっちまったかな…、とか思っていたら、

どうやらそうじゃないらしい、西山さんは明らかに敵意をみせながら返事をしていた。


「ちょっと八代先生と仲がいいからって、私の方が一緒にいた時間が長いんだから」

「時間って、俺はもう八代先生と俺の家で一緒に食事したよ」

「はぁ~! 八代先生と家で食事~! なにそれ!

  ちょっと抱きしめられたからって、八代先生が本気な訳ないじゃない!!」

「…もう、好きなら好きって言えばいいんじゃないか」

「えっ?」


何だ 俺が原因じゃなくて ただの焼きもちか、機嫌が悪いのは案外普通の理由だった、

西山さんもあの騒ぎを見てたんだな、それにしても俺と拓哉がって妄想しすぎだろ…。

俺の言葉に動揺してるのか 西山さんの顔が少し赤くなった。


「はぁ…もう、 好きなんでしょ、八代先生のこと」

「はっ はぁ~、アンタ 何 言ってんの」

「強がる顔もかわいいよ」

「えっ?」


怒ってるんだけど、なんか かわいいな、これが乙女っぽいって感じだろう。

俺の言葉にさらに顔が赤くなる、動きも止まってしまった、ちょっとからかいすぎたかなぁ、

ヤバいちょっと涙目になっているようだ、漫画のヒロインみたい、ホンと乙女だね~。


「残念でした、ここの担当は私です、佐々木さんも八代先生もこないんだから!」

「八代先生も? そう…なの?」

「そうですぅ~、八代先生はもう帰ったんだから!」


仕事じゃなければ舌をだして べぇーってやりそうなぐらいの勢いで怒っている、

反応が子供だな、でも 西山さんは聞き捨てならないセリフを言った。


「拓哉が帰ってる?」

「そうですぅ~、八代先生は今日は日勤だから この時間ならもう帰ってるんだから!」

「そんな、そんなのって…」


さっきの言葉は嘘だったのか? 拓哉 俺、拓哉を信じたのに…。

拓哉は俺の話を聞いてくれるって信じてくれるって、

俺、拓哉の言葉を信じたから、ここにいても大丈夫だって思ってた、なら…。


「そこ どいてくれ、俺は退院する」

「なっ、ちょっと、おとなしくして」


きっと怖い顔をしてるだろう、俺はだるい体を起こして点滴も構わず立ち上がろうとした、

西山さんが強張った表情で俺を必死に止めようとしている、構うもんか、俺は退院するんだ、


「勝手に僕が帰ったことにしないで下さい、西山さん」

「西山さん、もう下がりなさい」


病室に医師と看護師が入ってきたのか? 

騒ぎはじめた俺たち二人に、前方を残して閉まっていたカーテン越しに声がかかった。


「……拓哉」


さらに近づいて来て姿を見せたのは拓哉と佐々木さんだった。

佐々木さんにピシャリと言われた西山さんは動きを止めていた、

なんか小さくなったようにさえ見える。

よかった、拓哉は帰っていなかった、二人は俺のベッドの側までやって来た、

よくみると拓哉の白衣には血がついている、さっきの俺の血なのだろうか?


「西山さん、後は私が引き継ぐから あなたは担当から外れて 一度 戻りなさい」

「はい、わかりました、すみませんでした」


西山さんはちょっと泣きそうな顔をして自分の持ちものだけを持って病室を出て行った。


「三浦さん、おとなしくしてくださらないと 今すぐ退院していただきますよ」

「退院? したいです、俺 今すぐ退院したいです」

「こう言えばわかりますか、ただの退院ではなく レッドカード 退場です、

それくらい大きなことなんですよ」

「…すみません、おとなしくします」


佐々木さんにきつくビシッっと言われるとなんにも言えない感じだ、西山さん大丈夫かなぁ。


「あの~ 佐々木さん」

「どうかされましたか?」

「あんまり西山さんを怒らないで下さい、俺がちょっかいを出したからなんで …すみません」


ちょっとビビりながら佐々木さんに西山さんのことで声をかけた、

佐々木さんは俺と話ながら必要な看護作業を続けている。

俺が話しかけたことで佐々木さんは作業の手を止めて、

ベッドの上に足を伸ばした状態で座っている俺の腰の辺りまで布団をかけてくれた。 


「そうですか、じゃあ、今度あなたが暴れたら西山さん “も” たっぷりお説教します」

「“も”って、それって」

「西山さんがたっぷり怒られるか? はあなたにかかっているということです」

「じゃ、もう暴れません」

「そうですか でも暴れなくても ちょっとはお説教しますよ、それでいいですよね 先生」

「はい、患者さんの不安をあおることは言うべきではないですから」

「まぁ、三浦さんの言葉に免じて 説教ではなく注意ぐらいにしてあげようかしら」


そう言うと キツい真剣な表情 から 初めて会った時のような穏やかな表情に戻って

俺と拓哉に頭を下げてるとカーテンを閉めて病室を出て行った、

カーテンに囲われてるだけだけど拓哉と二人になった。


「ごめん、拓哉、それって俺が汚したんだよな…」

「こんなのたいしたことはないよ、ただ床の掃除が大変だったみたいだけど」

「…ごめん」


まずは拓哉が着ている白衣を汚したことを詫びた、

帰ってきた返事は俺がたくさんの人に迷惑をかけたという内容だった、思わずうつむく。


「ちょ、ちょっと なんだよ拓哉」

「よかった、颯太さん」


カーテンが完全に閉まってなかったら みんなにちょっと誤解されたかもしれない、

突然 拓哉が、さっき暴れた時のように、ベッドの上で座っている俺の体を抱きしめたてきた、

そして耳元でつぶやいた、何? 俺ってそんなにヤバかったの? ちょっと心配になった。

体がだるいせいか俺は拒むことなく されるがままに拓哉に抱きしめられていた。


「まだ体に力が入りにくいですか? じゃあ 横になりましょう」


拓哉は俺から離れてそう言うと、俺がベッドに横になるために手を貸してくれた、

そしてベッドサイドに立ったまま拓哉は話を始めた。


「じゃ、颯…、いえ三浦さん、真面目な話をしましょう」


さっきまでの 不安で怯える子犬のような 泣き出しそうな表情とはうって変わって、

スマートに仕事をこなす医師のような表情になり これからの説明をはじめた。


「どこから話せばいいでしょうか、まず… そう、ご家族ですが別室に待機しておられます」

「えっ、別室ってなんでだよ 拓哉」

「先ほど かなり興奮されておられましたので、私が先に様子を伺いに来たんです」


拓哉は見舞いにきた友人のようにベッドやベッドサイドの椅子に座り話すこともせず、

俺が普通に話しているのに、一切 仕事の口調を変えないまま話を続けた。


「本日中に、退院をお望みですね…」


あくまでも医師として淡々と話を進める拓哉、俺は次第に真剣な拓哉のペースに飲まれていく、

俺はベッドから見上げるように、時々うなずきなから話を聞いていた、話の内容は…。


「まずは…、現在の状態です。

 発見されたときかなり体温が低下していました、低体温症だと思われます、

 先ほども足元がお歩付かなかったようですが、おそらくその影響でしょう、

 その他については検査結果を診断した医師から、先日の状況と変わらないと聞いています」


低体温か…、横になっていたけど眠くなることなく、俺は拓哉の話に聞き入っていた、


「そして、発見時についてですが、通報は お母様 からでした。

 後でご本人に詳しく聞いて頂けばと思いますが、診断のため状況をお伺いしたところ、

〝帰宅したら家に居らず探し回って時計台で倒れているところを発見した〟と、

 そのようにおっしゃっていました」


どうやらまた母さんに心配をかけたらしい、後で絞られるだろうな…。


「先ほどですが、この地域で夕方にかけて視界が悪くなるほどの激しい雨、

 そう、いわゆるゲリラ豪雨がありました、視界が悪くなるほどの雨だったそうです、

 おそらく三浦さんは時計台で意識を失い そのまま地面に倒れ、

 誰にも発見されることもなく 豪雨の中で雨に打たれ続けたのでしょう」


雨に打たれ続けた? だからか、布団の中がすごく温かく、とても心地がいい、

体のだるさが少しずつなくなっていく感じすらしている。


「雨のせいで出歩く人もまばらで、雨が上がった後も運悪く発見されなかったと思われます、

 その結果、濡れた衣服のまま長時間放置されて体温を奪われることになったようです、

 やがて、体が温度変化に付いていけず完全に動けなくなったと思われます。

 もし、発見が遅れていたら、あるいは命に関わっていたかもしれません…」


拓哉の淡々とした口調がすごく冷たくって、次第にことが重大であったことを思い知る。


「話は大体こんなところでしょうか」

 

話終えたことに安堵したのか、淡々とした口調が少し普通の口調に変わった、

だけど、今度は更に表情を引き締めて俺に話しかけた。


「いいですか三浦さん、先ほどといい、あなたは多くの人に迷惑をかけただけではなく

  自分の命までも危険にさらしたんです、このことをご理解していますか」

「……ごめん、いや、すみませんでした、八代先生」

「謝る…、謝るのは僕じゃないですよね」

「……はい」



それ以上 言葉にならなかった、年下におもいっきり怒られた、凹まない訳がない。

それを見てか、拓哉は両膝を床につけ膝間付いて両肘をベッドに乗せて、

目線を近づける格好でしゃがみこんだ。

何だ? 黙っていた俺に追い討ちをかけるのか? 俺は更に怒られる覚悟をした。


「…よかった」

「ごめんなさい って、えっ?」

「本当に無事でよかった、もう怒らせないで下さい、僕は怒りキャラ苦手なんですから」


怒られると思って思わずギュっと目を閉じて 拓哉の声を聞くのと同じぐらいで謝っていた、

けど 予想と違う言葉に驚いて、開いた目に映ったのは、俺の肩辺りを軽くつかみ、

また半泣きで、まるでおそるおそる甘える子犬のように俺を覗きこんでいる拓哉の姿だった。


「ごめんな、拓哉、ホンとごめん」


俺は掛布団から手をだして拓哉の頭をポンポンとしてから撫でた、黙って拓哉はうつむく、

静まり返った病室で二人、時間がゆっくりと流れる、そして拓哉は立ち上がった。


「すみませんでした、では 三浦さん話を続けましょう」

「その前に拓哉、もう勤務時間外じゃないのか? さっき西山さんが言ってたぞ」


西山さんの言葉がちょっと気になっていた、拓哉に迷惑掛けっぱなしかもしれない。


「確かにそうだけど、大塚先生にお願いしたんだ、颯太さんと話をさせて欲しいって」

「俺と? 何で」

「まぁ、あそこまで大騒ぎするんだから、何か事情があるのかなぁって」

「拓哉…」

「着替えて来てもよかったんだけど、この方が移動が楽だし、もう動ける?」

「動けると思うけど、退院できるのか?」


「失礼します」


俺の希望むなしくっていうか、やっと退院の話に入った時、カーテンが少し開いた、

そして大塚先生と佐々木さんが俺のベッドにやってきた、点滴の取り外しらしい。


「三浦さん、もう落ち着かれましたか? ちょっと八代くんを借りますね」

「ちょっと待って下さい先生、三浦さんもう一度確認します ご希望は 退院 ですね」


俺は真剣な顔をしてうなずいた、もう信用を失ったし ダメかも知れないけど、頼む拓哉。


「すまない佐々木さん、ここを頼めるかな」

「はい、大塚先生」

「ちょっとご両親も含めて話をしてきます、まだ安静になさってください」

「はい、わかりました、あの、大塚先生」

「はい」

「先ほどは…、先ほどは取り乱して すみませんでした」


大塚先生はニコリと目を細めて笑うと小さくうなずき 拓哉を連れて病室から出て行った、

残された佐々木さんは黙って病室のベッドの足元側のカーテンを開くと、

ワゴンから必要な道具を用意して、そして点滴をはずしにかかった。


「すみません三浦さん、点滴を外しますね」

「はい、お願いします、佐々木さん、あの…」

「はい、どうかされましたか?」

「先ほどは取り乱してすみませんでした、皆さんにもお詫びをお伝えください」

「あらっ、はじめて真面目なことをおっしゃいますね」


いつの間にはずしたの? ってぐらい痛みもなく点滴は外されていた、

そして佐々木さんもニコリと笑った、


「それでは、このままおとなしく安静にしていてください」


そう言って開いたカーテンを閉めて作業ワゴンを押して病室を出ていった、

この病室には俺だけなのだろうか、静まり返っている。


体のだるさはほぼ感じられなくなった、お腹はそんなに空かないけど、

なんとなく飲み物が飲みたかった、部屋が乾燥しているのだろうか? 喉を潤したい。


「今は何時なんだろう、あの後はどうなったのかなぁ」


夢が気になってしかたがなかった、もしかしたら調べれば 何かわかるかもしれない、

でも、ここにいたら…、とにかく明日も、明日も時計台にいくんだ、 

必ず行かないと、そこで俺は取り戻すんだ、俺の未来を。


でも おとなしく待っているしかなかった、考えれば、俺の手元にあるのは携帯電話と鍵だけ、

なら、体力温存だ、せめてどうするか考えないと、あと2日しかない。


「颯太、このおバカ」

「ちょ、ちょっと母さん、ここ病室」


考えながら横になっていたら、カーテンを乱暴に開けて文字通り母さんが乱入してきた、

包帯をしている頭を叩けずにお腹の辺りをバシバシと叩いている。


「もうワガママ言って あんた退院できるわよ、頼んでくれた八代先生に感謝しなさい」


そこから先は早かった、母さんが持ってきた服に着替えてから、

ナースステーションに寄って、先ほどの騒ぎを皆さんにお詫びした、そして出口に向かう。

西山さんは前回のように怒って… んっ? ちょっと顔が赤いような、気のせいか。

それから退院手続きをした、後は車を出すだけなのに、なぜかロビーで待つことになった。


「父さん、心配かけて すみませんでした」

「反省はしたんだろう」

「はい もちろんしてます、 でも なんでロビーで待ってるの? なんかあった?」

「ああ、詳しくは後で話す、まあ、お互いさまだ お前も後でちゃんと説明しろ」

「……はい」



それからほどなく 帰るために父さんの運転する車に全員で乗った…のだが。


「それでなんで乗ってるんですか、八代先生」

「いや~、それが退院の条件なんで、そうですよね~ お母様」

「そうですよね~ 八代先生」


病院のロビーで待っていた理由 それはなぜか拓哉を乗せるためだった、

母さんが助手席に、俺たち二人が後部座席で俺が助手席側で座っていた、

なんだか拓哉は母さんと息のあった会話をしている。


「今度は着替えを借りなくても大丈夫だよ 颯太さん」

「なんだよ、なんでそんなに都合よく着替えを持ってるんだ」

「『都合よく』って 病院で使う着替えだよ、今日みたいに汚すことがあるから」

「…そっ、そうかって でも」


耳をピン立てとシッポをブンブン降っているはしゃぐ子犬のように、

お泊まりだ~ってなんだか楽しそうにしている感じの拓哉に、俺はちょっとイラっとした、

拓哉はここまで子犬キャラだっけ? 最初とイメージが全然違う。


「車内で騒ぐな颯太、後で説明してやる」

「…はい」


力が入ればちょっとした取っ組み合いしたいぐらいだったが…、父さんに怒られた。

確かに今日は俺が悪いけど… あ~もうイラっとする、母さんはまた楽しそうだった。


それからしばらくして車は俺の家に着いた。



「それじゃ、食べよういただきます」

「いただきます、お母様」

「いただきます」

「はい召し上がれ」


なんだかんだいってダイニングテーブルで四人で食卓を囲んで夕食になった、

体がちよっと汚れてたから俺は帰ってすぐに短めにシャワーを浴びた、拓哉もその後に続く。

その間に出来た夕食はなんと 豪華な中華料理 って訳もなく、ただ単に時間がなくて、

冷凍やレトルトのおかずにプラスして作っただけのようだ、その原因はもちろん俺だが。


「お母様、これすっごく美味しいです」

「私は焼いただけですよ、レトルトですから」

「でもこの玉子がふわっふわで美味しいんです、この間のオムライスも美味しいかったし」

「えっ、そう嬉しいわ、先生、家ではお母様じゃなくておばさんでいいですよ」

「えっ、でも」

「颯太の友達はおばさんって言うからなれちゃって、そういえば先生はお料理が上手だとか」

「そんなことはないですよ、じゃ、僕のことも先生はやめてください」

「じゃあ、拓哉くんでいいかしら」


「それでさぁ、なんで拓哉が来ることになったんだ、そろそろ教えてくれよ」


息子の男友達と話すというより、嫁や彼女との女子トークを楽しむって感じで、

話がなかなか途切れない、俺は無理やり話の腰を折った。

それから食事中の話題は、いったい何が起こったか? に変わった。

まずは病院での話になった。


「じゃあ、何が知りたいですか? 颯太さん」

「全部!」

「それじゃ答えにならんぞ 颯太」


父さんが順序立てて説明をしてくれた、その内容は。


「『家に帰ったら颯太が家にいない、電話しても出ない』母さんの連絡に父さんも驚いたんだ、

 テレビもつけっぱなしだったって、母さんちょっとパニックになっていて、

 とにかく心辺りを探すか、誰かに聞いてみるように伝えた、

 それが夕方の5時ぐらいだ、父さんの仕事が終わる時間だから、一緒に探すつもりだった、

 その時、母さんが言ったんだ 『この間 倒れた場所に行ってみる』と」


そういえば あわてて家を出たから結構そのままだったんだな。


「それからしばらくして、また 母さんから父さんの携帯に連絡が入った。

『時計台で倒れているお前を発見した、意識がない、なにより体がすごく冷たい、

 救急車を呼んだ』と それで父さんもすぐに家に帰って、

 母さんからどこの病院か聞いて 必要なものを持って病院に向かった、

 病院で先生から話を伺っている時にお前が病院で暴れていると連絡が入ったんだ」


俺が目覚めた時にはもう病院に二人ともいたんだな、俺を見ていたのかなぁ。


「その時に八代先生が『これ以上興奮をさせないよう 一度 友人として話をさせて欲しい』と

担当の先生に提案して 間に入ってくれたんだ、それからはお前が知る通りだ」


それからバトンタッチするように拓哉が説明をかわり、父さん達にも説明を始めた。


「お二人が別室で待っている間に颯太さんと話しました、というよりもお説教をしました。

 なぜ倒れたか、強引に帰ろうとしたのか? そこまでは 詳しく話せませんでしたが、

 話してみて もう興奮した様子はなく、騒いだのは一時的な混乱によるものと判断できました、

 そして身体的な症状も回復もみられ、なによりも強く退院を希望されていましたので、

 担当の大塚先生に〝退院してもいいと判断する〟と報告しました、

 その後は、ご両親を交えて話し合いとなり…」

「話し合いになってどうなったんだ拓哉」


四人ともほぼ食事を食べ終わっていた、すでに時計は10時に近くになっている、


「ごちそうさま、すまない、私はここで風呂にはいらせてもらう、母さん後はよろしく」

「はい、用意しておきます」


どうやら父さんは、風呂に入る前だから 晩酌を我慢していたらしい、

三人を残してリビングを出ていった、母さんもキッチンに向かう、

そして拓哉は最後の一口を掻き込むと俺の知りたい話を続けて話し出した。


「ああ、美味しかった、ごちそうさまでした、それで…どこまで話したっけ?」

「焦らすなよ、父さん達と何を話したんだ?」


車の中でもずっと気になっていた、なんで拓哉が家にくるんだ? 訳がわからない。


「颯太さんのご両親を交えて話し合いをしました、まずは病気のことを」

「病気って変わりなかったんだろ?」

「身体的だけではなく心的な話も含めてです、意識を失うことが続いていることから、

  やはり再発ではないか? なら帰宅より一時入院をって」

「それをどうやって止めだんだ」

「それはね…」


もう明らかにアウトで入院だろうってくらい話が傾いている様子だったらしい、

その時にキッチンにいる母さんから話かけられた。


「ご飯はもう食べ終わったんでしょ、後は二人でゆっくり話なさい、後は明日 詳しく聞くから」

「えっ、ああ じゃあそうする、ごちそうさまでした」

「何か必要なものある?」

「とくにはないかな、拓哉は?」

「飲み物だけもらいたいです」

「そう、じゃ持っていきなさい、あまり遅くまで騒ぐんじゃないわよ 二人とも」

「わかってるよ」


俺も飲み物を持っていこう、それからキッチンに自分達の食べ終わった食器を運んで、

変わりに冷たいペットボトルのドリンクを持って二人で俺の部屋に上がった。


部屋の照明をつけると、見事に俺が飛び出したままの状態だった、さっき片付ければよかった。

拓哉をドア付近で待たせて、ベッドに置いた収納箱の上のものをとりあえず中に入れてデスクへ、

それとテーブルのタブレットタイプのパソコンもデスクに移して必要な場所を確保する、

そして落ちていた書類と封筒を拾って封筒に戻しデスクの箱の上に置いた。


「お待たせ、まぁ、その辺に座りなよ、ちょっと下に行ってくるから」

「うん、ありがと」


入れ替わりに俺は昼間使っていたコップと空のペットボトルを持ってキッチンに向かった、

キッチンの母さんに手に持ったものを渡して、変わりに2つのカップをとってもらった、

カップには氷、そして1つには水も入れて、それと リビングにある救急箱を持って、

拓哉の待つ部屋に戻った。


「お待たせ、ほらカップ持ってきた、なぁ拓哉、包帯を巻いてくれないか」

「ありがとう、 包帯まくの? いいよ」


拓哉にカップを見えるようにして部屋に入りテーブルに手に持ったものを置いてドアを閉めた、

母さんにもらったカップはステンレスタイプで少し温度が変わりにくいものだ、

これで冷たいままのドリンクが飲める、戻って来たときもだけど拓哉は座らずに立っていた、

テーブルに無造作におかれていた飲み薬を必要数取って、袋をデスクに移す、

水の入っているカップを持ってベッドサイドテーブルに置いてからベッドに座り薬を飲んだ。 

拓哉はドリンクをカップに注いでいる、ついでに自分の分も飲み干したカップに注いでもらった。


「じゃここに座ってもらっていい?」

「ああ、頼む」


拓哉がベッドからテーブルの側に移るように手で合図した、俺はそれに従う。


「じゃ こっち向いて」

「ああ すまない頼む、 …なぁ、拓哉」

「えっ、何?」

「その… 頼んでくれて… ありがとう」

「…いいよ、別に」


膝立ちで俺の後ろに立ち、包帯を巻いてくれている拓哉はその手を止めることなく

俺の言葉に返事をした。


「これでよしっと、じゃ 続きね、そっちの話は長くなりそう?」


拓哉は包帯の処理を終えると 救急箱を片付けながらそう聞いてきた、

俺の反応を見て、〝じゃ、手を洗ってくる〟と告げると部屋を出ていった。

俺、どう話せばいいんだろう、頭がおかしいと思われるだけだ、きっと誰も信じてはくれない、

なら自分でなんとかするしかない、今 時計台に行けば またあの夢を見れるだろうか。


「お待たせ、話の続きしよう」


部屋に戻って来た拓哉はテーブルの側にあぐらをかいて座った、

俺はそのままベッドを背にして座っていた、

拓哉とは向い合わせではなく直角になるような形になった。


「じゃ さっきの話の続きだね、どうしてここに僕がいるのか」

「そうそう、何でここにいるんだ?」

「……その前に、続きを聞いた後でいいから、僕を助けてね 颯太さん」

「えっ?」

「じゃ、話の続きね」

「ちょ、待て 拓哉 助けって…」


俺の言葉を聞かない振りをして拓哉は話を始めた、

助けてってすごく気になるが、とにかく話を聞いてみることにした、話はこうだった。


「颯太さんがエレベーター近くで気絶したあと すぐにご両親と話し合いをしたんだ、

 興奮状態が続いているようだし、ご両親と大塚先生は入院をさせることに賛成だった、

 いわゆる睡眠薬でこのまま眠ってもらって様子を見ようって話だったんだ」


やっばみんなうつ病を疑うよな、薬って 俺 結構やばかったのか…。


「でも僕は話を少し聞いていたから、何かがあったんだと思って、

 入院に反対したんだ、 だけど いろいろと詳しく話せない部分が多くて、

 うまくで反論できずに押しきられそうになって、それで二人で話したいって提案したんだ」


二人っきりになったからか拓哉の口調は友達と話すような感じに戻っていた、

病院のように話されたら ちょっとキツかったかもな…。


「だけど、みんなすごく怒ってたし、不安がっていて、二人は危ないってとめられて 

 なんとか説得して、それで僕たちが話した後、改めて退院をお願いしたんだ、

 だけど、やっぱりダメだって言われて…」


暴れたのはやっぱマズかったなぁ、またお詫びしないとなどと考えていた、

そして拓哉の話は続く。


「それで僕が提案したんだ」

「提案? どんな提案をしたらその状況がひっくり返るんだ?」

「僕も颯太さんに相談があるから、友達として家に遊びに行ってケアをしますって」

「えっ、たったそれだけ」

「簡単に言えばそうだけど、ちゃんと説明はしたよ、必ずしも入院が得策ではないとか

  病院こそが症状を悪化させるケースだってあるんだとか 色々とね」

「ふ~ん、まぁ その機転で助かったんだから、ありがとな」


誉められたことで めっちゃ喜ぶ子犬のように喜んでいる、耳としっぽまで見えそうだ、

なんかキャラ変わった、絶対変わったろ、何で? もとからこのキャラなのか拓哉。


「それでさぁ、さっきから言ってる相談ってなんだ? スゲー気になるんだけど」

「ああ、それはね…」

「えっ~、大学病院の部長からお見合いをせまられた~」


俺が拓哉の相談ごとに触れると少し困ったような表情を見せて、

そしてさらっと大したこと無いよっていう感じで 俺に相談内容を告げた、

俺の反応に拓哉があわてふためいた顔をしてる、俺もあわてて口をふさいだ、

もう深夜だからな、それにしても、爆弾発言を聞く側ってこういう感じなんだな、

ちょっと一眞達の言葉を思い出した。


「それでね、颯太さん携帯電話みた?」

「えっ、全然 見てないけど」

「だろうね、昼間のうちにSNSのメッセージ入れたんだけど、一眞さん達に」

「あっ、ホンとだ」


俺が連絡したあとに拓哉のメッセージが入っていた、相談したいこととあわせて、

俺のことも少し心配しているようすだった、


「“おとなしくしてる”って書いてあったのに どういうことなんですか?」


口調の変化とともに 子犬の耳としっぽをしまい、すっかり出来る男の顔に戻ってる、

拓哉はキャラ替えがうまいのか?

それよりも俺は話さないといけない、俺の過去のこと、俺の後悔についてを、

拓哉は俺の話を父さん達に話すだろうな、多分それを約束してここに来たんだろう、

みんながどんなに心配しても俺は明日もあそこで気絶をしなければならない、

絶対にいかなければいけない、時計台 へ。

俺はカップのドリンクを飲み干すと、もう一杯注いでから話を始めた。


「聞いてくれるか、拓哉」

「そのためにきたんだよ 颯太さん」

「信じてもらえなくてもいい、でも、どうしてもやらないといけないことがあるんだ」


俺のその言葉に、拓哉もペットボトルの飲み物を追加でカップに注いだ、そして一口 口に含む。

さっき書類を拾って封筒にしまった時に確認した、

今日〈リアルな夢〉を見たあとも “アレ” は変わってなかった、

決して見間違いではないんだ、なら…。

あの時 誰にも話せなかった、俺だけが知っている過去の真実、あの日からの後悔、

俺はもう何も出来ず後悔はしたくないんだ。


「嘘だろ…すべてはその言葉から始まったんだ、全部 全部… 俺のせいなんだ…」




ー 事故 そして その後 ー



花火大会の当日、俺は香織さんへのプレゼントの指輪を持って時計台に向かっていた。

時計台の通りに近づくにつれて なんだか騒がしいことに気がついた、

救急車? パトカー? まるで自分がサイレンの音に向かっている感じだった、

いつもはそんなに騒がしくないのに、なんだか車の往来も激しいような気がする…。


「事故でもあったのか?」


進行方向正面、時計台のある通りに差し掛かる角のところにパトカーが停まっている、

なんだか人だかりができているようだ、大きな声がするし、慌てている人も見えた、

とにかく待ち合わせ場所に行かなきゃ、俺はそのまま待ち合わせ場所に向かった。

パトカーを横目に時計台のある通り曲がって入ると、目の前に救急車が止まっていた、

救急車を避けるように道路を渡って、時計台の向かい側の歩道から時計台に向かった。


更に俺の後を追うようにパトカーと救急車が通りに入ってきた、何が起きたんだ? 

立ち止まり辺りを見渡してみる、何かが時計台のある歩道の方に起こっているようだ。


多分、関係者と救急隊員や警察官 そしてやじ馬 携帯電話で写真をとろうとして人もいる、

やじ馬が邪魔しないよう時計台の通りを封鎖するようだ、曲がり角で規制が始まった、

早く香織さんを見つけなきゃ、

この騒ぎだ 俺たちも邪魔しないように早くこの通りから出ないと。


「携帯電話、バッテリー大丈夫かなぁ」


さっき見たらバッテリーの残りほとんどなかったから、とりあえず電源を切ってた、

取り出して試しに電源を入れると電源は入った 使えそうだ、すぐに香織さんに電話した。


俺は ほぼ時計台の前に着いた、車が破損してる? 時計店にぶつかったのか?

多分、どこかに移動してるだろう、まぁ、会えれば問題ないんだし、場所を聞かないとな。

向かい側の歩道から時計台を見てみたけど、救急車が停まっていてよく見えなかった、

人命救助してるようだが、とにかく周りが慌ただしい。

この騒ぎだ 間違いなく移動してるだろう、この電話でどこにいるかわかるはずだ。


「えっ…」


携帯電話から呼び出し音が聞こえる、でもそれとは別に、

騒ぎの中から着信音が聞こえた気がした、しかも香織さんのと同じ音が、

携帯電話のバッテリー切れとともに呼び出し音が切れた、

そして 聞こえていた着信音も 切れた。

音は向かい側の救急車の方から聞こえた気がした、

隙間から見えた救急隊員が手に携帯電話が握られていた、

通りにはもう緊急車両しか入れないようだ、思わず側に近づく、救急車の側に。


「……うっ、嘘…だろ…」 


手に持っていたカバンを落としてしまった、

救急車の後ろ側から車体で隠れている反対を覗いてみた そこに見えた光景は、

時計台の側で血だらけの浴衣を着た女性が救命処置を受けている姿だった。

呆然とする俺を警察官は遠ざけようとした、けど 身体が思うように動かない、

その姿を見ていたのか、手に携帯電話を持った救急隊員が話しかけてきた。


「もしかしてさっきの電話… お知り合い方ですか、こちらへ」


救急隊員は俺を支えるようにして救急車の反対側へ、さっき覗きこんだ時計台側へ導く、

その後すぐにストレッチャーに乗せられた浴衣の女性が救急車に乗せられた、

すれ違うその女性の顔…それは。


「かっ、香織さんっ!」


握りしめていた手をほどかれるようにはずされて、

持っていた携帯電話をスーツのポケットに入れられて、

落としたカバンを渡され救急車に乗せられた、そこからは はっきりと思い出せない。

ただ自分のカバンと香織さんの荷物らしいものを持って、救急車の中で祈っていた、

途中 何か聞かれていたけど、何を答えたんだろう、よく覚えていない。

正しく答えられていたのだろうか? よくわからないまま病院について、

救急車から降ろされて、ここに座って待つように言われて無理やり座らされて、

カバンから指輪の箱を出して握りしめて、そしてまた祈った。

しばらくすると 香織さんの家族らしい人が来て、泣き叫んでいた、

俺は…俺は待っていた ただひたすらに手術室の側で待っていた。


どのくらい時間が経ったのだろう、手術室から一台のベッドが出てきた、

俺はそのベッドの行方を座ったまま目で追っていた、指輪の箱を握りしめていた、

そのベッドは近くの部屋に入った。

それからしばらくして 香織さんの家族らしい人達が看護師さんに呼ばれた、

その人達は看護師に連れていかれて部屋に入った、すぐにその部屋から大きな声が聞こえた、

とても、とても苦しく、重く、まるで周りの空間まで震わせて響きわたるような声が、

しばらくしたら何人か出てきた、支えられるように出て来た人もいた、そして看護師さんも。

俺はふらふらと立ち上がりその部屋に近づいて、中を覗き込んだ。


「なんだ、誰もいないじゃん」


そうだよな、誰もいないんだよ、こんなところで何を騒いで…、とりあえず中に入った。


そこには、きれいに化粧をしてお腹のあたりで手を合わせて、

ベッドの上で香織さんが横になっていた、なんだ、ここにいたのか、寝てんじゃん、

足元側のベッド上で俺は手に持った指輪のラッピングを破り、指輪を箱から取り出した。


「ねぇ、香織さん、起きてよ、これ、気に入ってくれるといいんだけど」

「俺さぁ、香織さんに伝えたいことがあるんだ」

「ねぇ、ねぇってば、起きてよ、ほら、これ、指にはめてみてよ」

「やっぱちょっと大きかったかな、今度一緒に直しに行こう」


まるで独り言のように返事がないのに俺は香織さんに話し続けた、

まだ香織さん起きないなぁ… 俺はベッドに腰かけて香織さんの左手の薬指に指輪をはめた、

起きたら驚くかなぁ、手のぬくもりを感じる、俺 香織さんの手を握りしめてるのに…、

なんで、なんでだよ…、なんで 握ってないように感じるんだよ。


「花火大会、終わっちゃったね、俺のせいだね」

「ねぇ、起きてよ、ねぇってば 香織さん、怒ってよ、“遅刻はダメだ” って怒ってよ」


香織さんを起こしたいだけなのに、揺すってもなかなか起きてくれない、

いつの間にか俺の目から涙が溢れて頬を伝っていた。


「何をしてるんだね君は」


急に後ろから声をかけられた、とても冷たい男性の声、それに驚いて思わず振り向いた、

その時、握っていた 温かい香織さんの手を離してしまった。

はずみで香織さんの手は力なくだらりとベッドの外に垂れ下がった、そして…、


「なんだねこれは、今の話しはどういうことだね」


香織さんの薬指から指輪が抜け落ちた、小さい音なのになぜか金属音が部屋中に響いた、

声を荒らげた男性は、指輪を見つけると、拾うことなくおもいっきり踏みつけた。


「今すぐ出で行きたまえ、お前のようなものが入っていい場所じゃない」


その男性はさっきの俺の言葉を聞いて理解したのだろうか、その真意はわからなかった、

でも、胸ぐらを掴みそうなほどの勢いで声を荒げてるのに、決して俺に触れることなく、

代わりに軽蔑したような眼差しを俺に向けて出口を指差した。


それでも香織さんにすがろうとする俺を、

その男性と一緒にいた看護師が引き離し、文字通り俺は部屋からつまみ出された。

騒ぎを聞いて来たらしい別の看護師に支えられるようにして、先ほどの椅子に座らされた。


「確か 救急車でご一緒にこられた方ですよね、大丈夫ですか?」


言葉が出ない、声にならない、看護師が言ってることに答えたいのに、なんで、なんで…。


「先ほどは失礼した、君は香織と一緒に救急車で来たそうだね、失礼だが…」


先ほど軽蔑した目で俺を見た男性が、椅子に座る俺の側にやって来て声をかけてきた、

どうやら隣の看護師に何かを言われてきたようだ、俺は声を絞り出す。


「あの…俺、……香織…さ…んの、教え子で…、三浦と…」


なんとか声が出た、それをきっかけにうなだれるだけだった頭が動かせるようになった、

ゆっくり顔を上げる、その視界に男性の腰の辺りと女性が近づいて来るのが見えた。


「教え子? 香織のかね」

「そういえば、家庭教師したことあったじゃない そのことじゃないかしら」


近づいて来たのは年配の女性らしい、もう男性の側まで来ていた、

なんだか気を使うように話しかけている。

部屋を出てここに座り直してから、俺はまだ誰とも顔が合わせられないでいた。


「それは かなり前の話だろ、何で今さら教え子がいるんだ? それにあれは…」

「……すみませんでした」


〝あれ〟と言われて思わず顔を上げた、俺の顔が相手にはっきりとわかるほどに、

そして その男性の顔を見るなり、その男性がすべてを言い終わる前に

俺の口から謝罪の言葉が漏れていた。

俺の言葉の意味を理解できないのか周りの人は唖然といている、また俺は少し顔を伏せた、

まっすぐに顔が見れない、目が見れない、だけど、まるで床に話すように俺は続けた。


「すみませんでした、多分、いや、絶対、俺の…俺のせいです」

「どういう意味だね、君が事故を起こしたとでも言うのかね」


男性の声が先ほどのように荒っぽくなる、椅子に座っていた俺は勢いよく椅子から降りて、

床に膝をつき土下座した、頭を床にこれでもかってぐらい擦り付けて、また涙が流れる。


「俺、今日の花火大会で香織さんと時計台で待ち合わせをしてました、それで…」

「貴様ー」


話の途中で男性が、土下座をしている俺のスーツの襟首あたりを強く引っ張った。


「さっき香織に言ってたことだな、やはりあれはそういう意味だったんだなー」


怒りからだろうか、すごい力だった、あっという間に俺の顔は強制的に上げられた、

そして肩の辺りをおもいっきり蹴り飛ばされた、周りから悲鳴のような声が聞こえた。


「立て、立てコノヤロー」

「やめてください、誰か、誰か来てー」

「やっ、やめ、やめなさい」

「放せ、コイツだ、コイツのせいだ、さっき香織の前でコイツが言ってたんだ

 コイツが遅刻したと、コイツが遅刻しなければ香織は事故に巻き込まれなかったんだ」


俺は立ち上がれなかった、男性は更に俺の腹辺りを蹴り上げ、俺は床に転がった、

痛い…のに 涙はもう流れていなかった、そこから先ははっきりと覚えていない、けど…。


「あの、これを…」


ちょっと時間が立っていたのかもしれない、いつの間にか手当てをされたようだ、

半袖のワイシャツ姿だった、腕のところに湿布のようなものがついている、それより…。


「さっき踏まれたせいで、石が外れちゃったみたいで、探しておきました、

  ほら ここに、リングと一緒に入れておきますから、カバンに入れちゃいますね」

「……」

「大丈夫、しゃべらなくてもいいですよ、口の中が切れてますから、お大事に」


さっきの騒ぎの中にいた看護師だろうか 踏まれた指輪のことを知っていた、

力なく座っている俺に指輪を見せてるとケースにしまい親切にカバンに入れてくれた。


ここは処置室か? 今頃になって気がついた、それからしばらくして医師? が来た、

何か俺に話している、だけど言葉が途切れ途切れにしか頭に入ってこない。

どうやらあの人達は香織さんのお父さんとおばあさんらしい、ああ、だからか…。

俺はそのまま帰らされた、けど、その日どうやって病院を出て家に帰ったのかわからない…。


それからしばらくして両親が俺を迎えに来てくれた、…警察署に。

全然 覚えてないけど、俺は数日、音信不通で、両親がずっと探していたらしい。

俺が見つかったきっかけは、酔っぱらい同士のケンカで警察に捕まったことだった。

どうやらかなり泥酔して、集団相手にケンカを買って無謀にも突っ込んで、

無様にボコられて俺はやられた、結果、双方 留置場で頭を冷やすはめになったらしい。


家に連れ帰られて我にかえった俺は、家族に調べてもらい香織さんの葬儀に行こうとした、

当然のごとく ご家族に激怒され、門前払い食らって、こっぴどく追い返された、

そんな無様な俺の姿を報道のカメラは決して逃してはいなかった。


俺は病院で蹴られて、加えてケンカでもケガしていた、

さらに被害者遺族から激怒されていた。

報道記者達は、ここぞ とばかりに俺を取り囲み、こぞって取材をしようとしてきた、

遺族激怒の理由を暴こうと まるで犯罪者のように、俺はそれに耐えきれずそこから逃げた。


それから記者達は、関係者の取材と称して 自宅まで追いかけてきた、

そしてついに記者たちは俺のことまで調べはじめた、

その事で噂が一人歩きをはじめてしまった、

否定しても広がる噂に俺たち家族は逃げ回って、しばらく家に閉じこもるしかなかった。

皮肉にも その報道が俺に事実を告げた、あの日、香織さんに何が起こったのか を。


連日、あらゆるところで繰り返し事故の悲劇を告げる映像が流れていた。 


“花火大会の会場に向かう見物客を巻き込み車が暴走 死傷者多数”

“また子供が犠牲に…、夏休み前、花火大会の悲劇、暴走車による多重事故”

“運転手は薬物使用? 携帯電話片手にあおり運転? 運転手逮捕へ”


連日の報道はどんどん過熱していった、あおり運転をしたドライバーは吊し上げられ、

そいつが逮捕されたことで取材は家に来なくなり、火を消すように噂も終息していった。

だけど、嫌でも目に入ってしまう 記事が映像が容赦なく俺だけを追いかけ続ける…、

残酷なまでに俺に真実を見せつけ、俺の 時 はそのままそこに縛り付けられてしまった。


そう、事故の起こった時間は、俺たちが待ち合わせの時間を少し過ぎた頃、

あの日、俺が遅刻さえしなければ香織さんは事故に巻き込まれなかった、 

あぁ、香織さんのお父さんの言う通りだ、思った通りだ やっぱ 俺のせいだ…。


あの日から、会社どころか、一時期にケガの通院や家族の外出すら難しくって、

やっと取材も来なくなり、近所の誤解もとけて家族も外に出れるようになった、

だけど俺は、食事もほとんど喉を通らなくなって、ついに誰とも話せなくなった、

そのうち、外に出ることも、いや、部屋から出ることもできなくなって、仕事も辞めた、

そしてついに自分を傷つけた…。



「それから何度もやっても、家族に止められて、ついに病院に連れていかれて」

「うん、それで?」

「たくさん医者と話したんだ」

「たくさん話したの?」

「話した、話したんだ、香織さんとのこと、でも 出ないんだ」

「出ない?」

「あの日から…、香織さんのお父さんに怒鳴られたあの時から、

  香織さんのことを話しても、涙が 涙が出ないんだ、俺、俺…ずっと…」


あの日の記憶について、俺が直接 第三者に詳しく語るのはカウンセリング以来だろう、

拓哉はこんな俺の話を根気よく聞いてくれていた。


「ずっと 何?」

「みんなが心配してくれてるって知ってた、父さんも、母さんも、兄貴も…、カズやトモだって、

  だから、だから…俺、みんなの為にも どんなことをしても戻らなきゃって」


どんなに悲しくても、後悔しても泣けなかった、香織さんのことで泣けなかった、

だから俺は決めたんだ、俺はあの箱のように俺の後悔を封印し続けると、

それが、苦しくて、心に危ないバランスを保つことになっても、それでいいんだ、

みんなにバレないように俺が我慢を続ければ もうみんなに迷惑をかけないんだから。


「でも、ずっと どこかで思ってた」


俺がそれを背負いながら生きていけば、それがみんなのためだと、でも…。


「こんな俺をことを心配していたなんて みんなが知ったら、

 香織さんのお父さんのような眼差しで… きっと俺 見放されるんだ、そう思ったら俺…」

「そう思ったら怖くなった、ずっと誰にも 本音…を言えなくなった?」


俺はまたうつむいた、言葉が出なかった、もう、ダメだ 拓哉の顔を 目を 見れない…。


「つらかったね」


つらかった? 心療内科の医師もそんな風に言ってたさ、俺はゆっくり顔を上げた。

拓哉もきっとみんなと同じ顔をしている、とても心配そうに、壊れ物を扱うように…、

みんなはこんな俺を… こんなどうしようもない俺を心配してくれるなんて許される訳がない、

優しくされる そんな資格はない だから俺は…、俺だけが苦しめば…、だってこれが俺の…罰。


さっきまで、テーブルに手を置いて、俺を直視しない程度の距離を保っていた拓哉は、

腰を上げて這い寄るように近づいて片手を床についたまま、もう片方の手を俺の膝に置いた。


「大切な人のことで涙が出ないなんて、すごくつらいことだよね 颯太さん」


さらに俺の側まで来て膝立ちになった拓哉は、俺の両肩をそっとつかんだ、

側に来て触れられたことで ゆっくりと俺は顔をあげた、それに合わせるかのように

拓哉は目に高さに、自分と視線を合わせるように膝を曲げ 座るとそう言った。


想像とは違っていた、今まで俺が見てきた人たちの眼差しとも、

想像していた眼差しとも、拓哉の眼差しはどれとも違っていた。

義務を果たすような眼差しでも、哀れむような眼差しでもない、

みんなのと同じ優しい眼差し、だけどちょっと違う、どこか暖かくって、悲しい眼差し、

…なんか似てる…のか? なんで、そんな風に思うんだ?


それから俺は話した、うつ病の治療でも、どんなに聞かれても誰にも語らなかったあの日のこと、

そう ずっと隠していた、あの日の俺の愚かな行動を。

土下座をしたあの日、俺が香織さんに伝えたかった言葉を、拓哉に。


「あの日も俺はいつも通り遅刻して香織さんを待たせてたんだ。

  いつも遅刻しても連絡すらしてなかった、俺は罪悪感を持ったことがなかったんだ、

  だって香織さんは遅刻してもいつも待っていてくれるから、

  ごめんって謝ったら優しく叱って、そのあとは必ず許してくれるから」

「そう…なんだ」

「それなのに、俺は、俺は…、香織さんが巻き込まれたのは俺のせいだ、

 遅刻するなんていつも通りだって、だから今日もいつも通り俺を許してくれるって、

  でもまさか あんな、あんなことになるなんて、もう笑ってもらえないなんて、思って…」

「そうだよね、思ってなかったんだよね…」


土下座したあの日から、なんとなく、みんな あの日のことを俺に語らせないようになった、

俺も気付かない振りをしてた、その方が向き合わない方が みんな… いや自分が楽だったから、

香織さんの話をしても苦しくなるだけ、泣きたくっても、もう涙すらでないんだ。


あれっ なんでだよ、涙はもう出ないんじゃなかったじゃないか? 

涙が溢れてくる、なんで 止まらない…。

泣きじゃくっている俺の話を聞きながら、拓哉は俺を抱き寄せて、

そして俺の頭を撫でてくれていた、俺は、拓哉の胸の中で泣きじゃくりながら身をゆだねて、

そして つぶやいたあの日香織さんに伝えたかったことを。

それから まるで泣きつかれて眠る子供のように目を閉じた。



「…ごめん、ごめんなさい香織さん、遅刻してごめんなさい、もう二度と待たせないから」



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