必ず、約束を破るために
燦々と太陽が照りつける。かなり蒸し暑く
先日の豪雨が嘘のようだ。
「済まない。遅れてしまったね」
私はいつもの様に謝る。
彼女は、黙ったままそこにいる。
私の横には、妻の真由と息子、そして娘二人。
私は彼女に花をあげて、水もあげた。
果物もあげ、最後に彼女を拭いていく。
彼女は、やはり何も言わない。
私は、蝋燭を燭台に置き、灯をともすと線香を近づける。
子供達を座らして、各自に数珠を渡す。
一番下の娘は、わかっていないだろう。
きょとんとした顔をする。
「お父さんの真似をすればいいからね」
私は目を瞑り、手を合わせる。
薄目を開けて、娘を見ると私の真似をしている。
一番下の娘は、彼女を知らない。
六年前の一昨日、私は、いや私と息子は彼女を失った。
◇◇◇
私と彼女の出会いは40年も前になる。
私が二歳の頃、実家マンションの下の階に
産まれたばかりの彼女が引っ越してきた。
所謂、幼馴染みだ。
両親同士も仲が良く、小さい頃からよく遊んでいた。
当時恋愛感情などお互いになく、中学に上がった頃から
疎遠になった。
彼女に初めて彼氏が出来た話を聞いた時も
特に何も思わなかったが、
高校生になり大型二輪に乗った彼女を見た時は流石に驚いた。
お互い社会人となり、私も彼女も実家を出た。
私が三十歳手前頃、
偶然私の仕事場に彼女がやって来る。
勤めていたのは、居酒屋だったので単に客としてだが。
久しぶりに会った彼女に飲みに誘うと、
すんなり、OKしてくれた。
しかし、私は情けない事に、その頃色々上手くいかず、
彼女に愚痴ってしまう。
彼女は、黙ってずっと話を聞いてくれていた。
やがて、連絡先を交換し頻繁に会う様になる。
私は彼女にいつの間にか惚れ、
告白し、付き合い始めて一年後、彼女と結婚をした。
息子も産まれ、幸せな日々を過ごし始めた矢先、
彼女に病気が見つかった。
乳癌の末期。
医師からその話を聞かされた時、目の前が暗くなる。
私の前から彼女が居なくなる?
考えただけで、心臓が誰かに掴まれた様に痛む。
胃の中から全てを吐き出しそうになる。
私は弱い。
彼女に病状を伝えてしまった。
自分が楽になりたくて。
けれど、彼女は私の背中を叩きながら逆に励まされた。
「一緒に戦ってくれるよね?」
彼女の言葉に、私はもちろんだと答える。
「まだまだ、やることがあるのに負けてられないよ」
彼女は強い。不安など微塵も感じさせない。
そんな事あるわけないのに。
私は彼女の不安に気づいてあげられなかった。
私は弱い。
彼女に私の不安を背負わせた事にも気づかずに。
それから、半年も経たず彼女は私と息子の前で、旅立つ事になる。私は彼女に何もしてやれなかった。
六年前の七夕の日。
息子と一緒に短冊に書いた
“お母さんの病気が治りますように”の願いが
叶わなかった日。
◇◇◇
今、私の横にいる妻の真由は、彼女の姉にあたる。
彼女を失い、男手一つで息子を育てる決意はしたものの、
仕事で夜に家を空けるため、
私は実家の上の階に引っ越した。
真由は、当時結婚をしていたが、
離婚して実家に戻って来ていた。
お互い同じ年頃の子供を持つ親として、
相談や私の店で働いてもらっていた。
私は弱い。
一人でいることに耐えられず真由に甘えてしまった。
私と真由は籍を入れた。七月七日、七夕の日。
愛する彼女が旅立っていった日。
真由には申し訳ないが、
私が一番愛している女性は彼女だ。
真由もその事を知っている。
真由は結婚前、それでもいいと言う。
そんなわけ無いだろう。
女性として妻として、いい気分の筈がない。
私は一つ決意をする。
それは、ほんの些細な事。
決意を妻に話す。
「そんなこと出来るの~?」
妻はいつもと変わらない雰囲気でおどけてみせる。
しかし、どこかしら嬉しそうな妻に、
私も改めて決意する。
私は妻との約束を破らない。
私は彼女との約束を必ず破る。
◇◇◇
「それじゃあ、そろそろ帰るよ。
来年は間違いなく七月七日に会おう」
私はいつもの様に彼女と約束をする。
必ず、私は来年も七月九日に会いに行く。
必ず、約束を破るために。