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89.『こっちの世界』のおばーちゃん

挿絵(By みてみん)

【葡萄酒はグラス半分(5/15)】

 さて、鈴さんは、関西で言うところの“()(つか)いィ”である。


 これはド●ゴンボールの登場人物のよーに、手からエネルギー弾を打てるとゆー意味ではない。また、“気遣(きづか)いをする人”とかと言えば、それも厳密には違う。


 注目すべきは“気ぃ遣いィ”の最後の小さい“ィ”である。


 関西弁における“ィ”とは、“~する人”を意味する接尾語である。つまりは“player”の“er”だ。代表的な単語では“いらんことしィ”=”余計なことをする人“というのがある。これでお気づきになったかもしれないが、小さい”ィ“は多少揶揄(やゆ)的な響きを伴う。

 “気ぃ遣いィ”とは、単純に“気遣いをする人”ではなく、“気にしなくてもいいとこまで気を遣っちゃう人”を可笑(おか)しむニュアンスを含んでいるのである。


 そして鈴さんは、その“気ぃ遣いィ”なのであった。


 頭の中では割とゾンザイな口調で思考する鈴さんだが、本来は外面(そとづら)と相手の顔色を気にするタイプである。それはカルーシアにいる(ソレラ・クララベルの)時の、“天使の猫被り”からも(うかが)えるのではなかろうか。

 鈴さんは小さい頃から、病弱であることで両親に負担を掛けているという、感じる必要のない引け目があって、お父さんとお母さんが優しいから、余計に申し訳なく思いながら14歳まで生きてきた。


 “気ぃ遣いィ”は既に鈴さんの人格(パーソナリティ)の一部、否、根幹なのである。



 故にお気に入りの場所に誰かがいるのを見た、“気ぃ遣いィ”の鈴さんはこう思うのだ――……

(ありゃあ、先客かあ……うーん、ベンチは二つあるけどなー、知らない人と隣り合わせってのも気ぃ遣う(・・・・)し、向こうもわざわざ人気のない裏庭に来てるんだから、他の奴がいた(・・・・・・)らイヤだろー(・・・・・・)。しゃあない、今日は早いもん勝ちってことで退散するかねー……)

こんなふうに、ぐじゃぐじゃっと先回りして考える。と、相手が顔を上げて鈴さんに気づく。すると鈴さんの思考プロセスは次のよーなパターンを辿(たど)る……

(あちゃあ、見つかっちゃった……この裏庭(こんなとこ)、用もなく通り掛からないからなー。ここで回れ右しちゃったら、あの人がいる(・・・・・・)から帰った(・・・・・)ってあからさまだよなあ……気を悪くしちゃう(・・・・・・・・)かなー……?)


 “気ぃ遣いィ”の鈴さんは、そんなことまで先回りして考える。だーれも何とも思ってないことまで、気ぃ遣って、心配してしまうのだ。



 そして行くに行けず戻るに戻れず、プラスとマイナスの心理的葛藤(アンビバレンツ)に板挟みになった“気ぃ遣いィ”の鈴さんはどーするのか。


 そう、にへらと笑って接近して行くのである。


 ああ、笑顔(それ)は鈴さんの持ち得る唯一の武器。敵意がないことを示すことこそが、無抵抗主義者の気高き闘争。ああ、その姿はトルストイかガンジーか。左の頬をぶたれたら、右の頬を差し出しましょう……


 けれど、出来ればぶたないで……



 あたしは、謎の笑顔を浮かべつつ、裏庭のベンチへとにじり寄る。うー……先客さんには会釈で済ますべきか、挨拶のひとつも掛けるべきか……場所柄、年齢や体調なんかもばらっばらだから、顔色なぞ(うかが)ってから判断すべきかもしれない。


 えーと……幾つくらいの人だろう……?


 ここから見た感じ、女性には間違いないんだけど、顔が見えないせいか、どーも年齢がはっきりしない、と言うか……

 不思議なことに、あたしが瞬きをするたびに、一歩進むごとに、その人は幼い少女に見えたり、年上のおねーさんのようだったり、同年代の女の子だと思えたり、ころころと印象が変わるのだ。


 気がつけば、あたしはベンチの前に立ち止まり、その人は私を見上げてた。

 信じられないような、赤い色をした瞳があたしを見上げて、きらりと光った。


 「Raa(るああ)――……」


 その人は、どこか異国風の発音で、そう呟いた。

 これが、私のその人の出会いだったのだ、のだ――……



 後に知るその人の名前は、ルシウ・コトレットさんといった。




 ***********************************


 アンパン片手、パジャマによれたパーカーを羽織(はお)り、足元ツッカケのあたしは、会釈すべきか、挨拶すべきか――……迷った末にどっちつかずでへらっと笑って、空いたベンチに腰を下ろした。完全に不審者じゃねーか。ただ言い訳をしてしまうと、その人は何つーか、あたしが圧倒されるよーな、すごいきれーな人だったんだよね。


 まあ、少々お歳は召して(・・・・・・・・)いらしてるんだけど。


 あたしは、20(ハタチ)より上の人の歳は、30前後(あらさー)なのか40前後(あらほー)なのかなんて、ぶっちゃけよく判んないん(あらえっさっさー)だ。個人差もあるしね。その人は、60は超えていそーだけど、実際どんくらいなのか、70にはなってねーよなー程度にしか判らねえ。とにかく、“ばーちゃん”だ。


 それで、名前からも判ると思うけど、日本(ニフォン)人じゃない。外国の人だ。



 まず目を引くのが、その髪。白にほんの少し灰色を混ぜたあの色は、白髪ではない、あれは銀髪(アルジェ)だ。肌は褐色だけど、日に焼けたのではない、たぶん生まれながらの銅色(コプレ)。とても健康そう――と病院で言うのも可笑(おか)しいけど――で、また齢を判らなくする。


 けれど、何より鮮やかに印象に残る、一度見れば忘れられないのが――……


 信じられないような、ガーネットのような真っ赤(ルータ)な色の、その瞳だった。



 ベンチに腰を下ろしたあたしは、本の一冊を脇に置き、古事記のページを開いたものの、あんまし頭に入ってこなかった。隣のベンチに座っている、ばーちゃんが気になって仕方がない。


 えーと、仁徳天皇は、国の家々からメシ時に(かまど)の煙が立ってないのを見て、「民はまともにメシ食えてないのか」と、その後3年労役と徴税を免除したそーな。宮殿はボロくなって雨漏りしたけど、やがて国中の(かまど)から煙が立ち昇るのを見て喜んだっつうから、まさしく “仁”と “徳”の人だよな。


 それにひきかえ、「君可愛いねー」の雄略天皇ェ(うっかりおじさん)……


 ところで、前に仁徳天皇陵、いわゆる前方後円墳を見に行ったことがあるんだけどさー、あれって名前は“前方”で四角が前なんだけど、どっちかってと“円”が前っぽい感じしない、デザイン的に? それと、古墳って近くで見ても何も面白くねーぜ。近くで見ると、あれ単なるモコッとした森だぜ。古墳は上の方から俯瞰(ふかん)で見ねーと何が何だか――……



 「お嬢ちゃん(ダミナーレ)、それはおとぎ話の本かい?」

 「ひょえいっ?!」



 頭のてっぺんから、新しい言葉が出た。


 慌てふためき、挙動不審MAXで振り向くと、赤い目のばーちゃんが、口に手を当ててクスクスと笑っていた。

「るああ。済まないね、急に声を掛けて。おどかしちまったかい?」

「あっ! やっ! その、ハイ……いやっ、イイエ!」

何をテンパっておるのじゃ、あたしは? 病院暮らしが長くて、ご年配の方々(じーさまばーさま)と接する機会は人より多いはずなのに。


 頭の中でぐちゃぐちゃと考えるタイプなだけに、鈴さんは突発的な出来事(イレギュラー)に非常に弱い。ちらちら気にしていた(「もんすたあ さぷ)相手に話し掛けられて(らいずど ゆう」で)、その容姿と外国人であることも相まって、鈴さんは完全に硬直(フリーズ)してしまう。


 それでもあたしは何とか態勢を整えんと(リカバーを)試みる。

(えーと、何だって……“おとぎ話の本”……?)

ばーちゃんの目線を辿(たど)ると、ベンチに置いた私が持ってきたもう一冊の本。その表紙に掛かれているのは、中世ヨーロッパ風の風景と、不敵に笑う魔法使い風の少年と、彼を取り囲むやたら瞳とおっぱいの大きな女の子達……


 どう見てもラノベです。本当にありがとうございました。

 立て直し(リカバー)に失敗し、再び混乱に陥ったあたしは何を思ったか……



 手にした食べかけのアンパンを、二つに割って片方差し出した。


 汗がどっばーと噴き出した。何やってんだ、あたしー?! 何で無言でアンパンなんだよ。好意的なゴリラかよ。しかも食いさしだよ。ばーちゃん、目え丸くしてるよ。うーん、せめて「コレ……食ベテ……」くらいの言語能力は見せるべきだろうか。アンパン突き出したまま微動だにできずにいると――


 「……ぷっ……いひひ、あはははは――……」


 ばーちゃんが笑い出した。まあ、そら笑うわなー。意思疎通の出来ないコミュ障女子中学生が、(かたく)なにパンを突き出すこの状況。ところがばーちゃん、

こりゃ失礼(ペルドン)。うーぷす、あんまり唐突だったもんでね」

ひょいと食べかけのアンパンを手に取った。

私の国(・・・)の古い習慣にねえ、“パンを分ける”というのがあるんだよ。大切な食べる物を分け合うことで、昔は和平の儀式だったりしたそうだけど、まあ、今じゃお祝いの時とかに、クッキー割って食べたりするくらいだねえ」

そう言うと、ばーちゃんは食べかけのアンパンを、ひと口ぱくっといった。


 「お友達の印、ありがとうね」


 にっと白い歯見せた、その悪戯(いたずら)っぽい表情は、彼女をぐっと若く……まるで少女のようにさえ見せた。

「るああ。だけど、いきなりだったのと懐かしいやらで、ついね。びっくりさせたろう、異国人のばあさんが急に笑い出すもんだから」

「いえ、こちらこそ、すいません、急に……」

そう言って、あたしも慌ててもう片方のパンにかぶりつく。そして、二人揃って吹き出した。



 「るああ。ルシウ・コトレットさ、可愛い異国のお嬢ちゃん」

 「私は、鈴。椋田鈴です」



 こうしてあたしとコトレットさんは出会い、パンを分け合う仲、齢の離れたお友達になったのだった。




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