87.『あっちの世界』で夜は更けて
あたしの本来の“異世界能力”は“魔女の薬草学”といって、体力や病気を読み取る目と、あらゆる植物の薬効の知識を持っている。
そこに申し訳程度に治癒魔法が付いているけど、こちらは悲しいかな、ちっさい子どもの病気ひとつ治せねえ、しょぼくせえ魔法の力だった。
砦の人間には能力持ちは明かしてなくて、あたしは“薬学に長けた修道女”だってことになってる。火炎も爆発も起こせねない見栄えのしねぇ地味なスキルだけど、まあ、今の仕事にはぴったり能力だ。けどさあ……
目の前で子どもが苦しそうな時は、やっぱ歯痒いよ。
なあ、聞いてる? 上の方にいるっつう神様さあ?
「あの……先生、タオル」
マグニに手拭いを差し出されて、私は慌てて笑顔を取り繕った。
「ありがとう、アグニ」
手渡された手拭いは、チョイと絞りが甘いが、まあ合格だ。スルーズの火照った頬を拭い、首から胸元、背中の方もちょいと持ち上げて寝間着に手を突っ込む。白衣の天使はこれ、肉体労働者なり。
しかし、それにしても――……
こんな時だけど、やっぱり半端なく可愛いぞ、北方民族の子ども。
いわゆる北方ゲルマン系の顔立ちで、ほっぺ真っ白、雪の色。髪は蜂蜜、瞳はサファイア。何て華やか、まるであなたはお人形さん……
(うー……それにひきかえ、あたしゃ黒髪、鼻ぺちゃ、典型的大和民族、何とも残念な“じゃぱにーす”……)
いいもん、博多人形だってお人形さんだもん……
青い目をしたお人形さんは、北方生まれのセルロイド――……
んー……部屋に連れて帰りたい。そんで(自重)して、それから(自粛)して、一緒に(自主規制)したい……じゅるり……
***********************************
「って、あら、これは……?」
良からぬ妄想をしていた私は、ふと、少女の首筋のあるものに気づいた。
「入れ墨……?」
スルーズの左の鎖骨の上に、神秘文字のような小さな紋様があった。濡れタオルで拭いてみても取れないところを見ると、やはり肌に彫ってあるもののようだ。
「それ、護り紋といいます」
マグニ少年が、ぽつりと呟いた。
「ウゾル?」
「うん。僕達の国の習わしで、スルーズは女だから小さな魔除けを彫ってるだけだけど、僕は男で戦士だから」
マグニがそう言って、シャツの襟をぐっと引っ張り下ろすと――
首から胸に掛けて、複雑で呪術的な紋様が、見えた範囲だけでもびっしりと彫り込まれていた。
まあ、入れ墨は日本じゃイメージ悪いけど、民族・文化で多種多様、魔除けや祈願の宗教的理由で入れることもありゃあ、我が国でも漁師さんが海で亡くなっても身元が判るよう、待つ人の許へ帰れるように彫ることもあったと聞く。
さすがに、年端もいかない可愛い少年の白い肌の、本格的な護り紋様にはチョイと驚かされはしたけれども、このシスター・クララベル、文化や風習の違い、民族のアイデンティティーを理解しないほど、小さな尻の穴を持ってはおらぬし、持ってはならぬと思っている。
このアプコ・オース――異なるの民族の、等しくない力関係が存在するここで、異世界転移者のあたしは中立の視点を持っていたい。
その入れ墨は、アグニにとって大切な誇りなのだろう。
「“戦士の護り紋”には祖先の霊が宿り、力と加護を与えると言います」
物静かな少年は、珍しく興奮した表情を見せた。
「僕らの父さんは“雷神”と呼ばれる、一族で一番の戦士なんです。僕もいつか、父さんみたいなアスガルドの神の戦士に……」
ま、待て。少年、ここでそーゆーこと喋るのは、何ともマズいぞ。
あたしは天使の微笑、営業スマイル、左右の人差し指を立てて、ゆっくりとお互いの唇を当てると、少年の顔が目に見えて青褪めた。
「オ……ごめんなさい、先生。僕は神様を信じています。北方国の神は、悪しき邪教の神です……」
真っ白な顔で十字を切ったマグニの、顔から消えた誇らしさと子どもらしさが、ちくりとあたしの胸を刺す。
それで あたしは自分の口に指を当てたまま……
左手でマグニの髪をくしゃくしゃと掻き回した。いつもの修道女の先生らしからぬ雑把な触れ方に、びっくりしたように顔を上げた。
「マグニ、知っていることと思いますが、先生もあなたと同じで、カルーシア人ではありません。先生の故郷は、ニホンという遠い国にあるのです」
「にふぉん……始めて聞く国です」
そうだろうねえ。少年が真面目に言うので、地の笑いが出そーになる。
「遠い国です。そして、ニホンにはたくさんの神様がいます。国教会の神様とは違う、神様が。マグニ、内緒ですよ――……」
「先生は、国教会の神様も信じていますが、ニホンの神様も、やっぱり信じているのです」
マグニ少年があんぐりと口を開いた。そこでソレラ・クララベル、天使の猫被り解除。一瞬、片目を瞑ってにっと笑って見せる。
「マグニ。自分の神様に祈ってもいい、自分の国を、お父様を誇りに思うことも正しい。だけど、それを良しとしない人の前では、口にすべきではない。それはあなたと、スルーズを守ることなのです。判りますね、マグニ?」
それからあたしは、また取り澄ました表情に顔を戻した。
マグニは、しばらくぽかんとして、しばらく考え込んで、そしてにっこりと笑った。おおう、これこそ天使の笑顔だわ。
「先生、また今度、ニフォンの神様のことを教えてくれますか?」
「もちろんですよ、マグニ」
私もにっこり、天使の笑顔を返す。
やべー。約束したはいいが、実はあんま知らんわ、ニフォンの神話。今度までにちょっと調べとかんと。やれやれ、宿題が出来ちまったな。
***********************************
さ、とにかく、今はスルーズを少しでも楽にしてあげないと。あたしは幾つかの薬草の袋を机に並べて、腕を組む。
「マグニ、戸棚から乳鉢を取って、それからお湯を少しカップに冷ましておいて」
うー……貧弱な手持ち在庫で、ベストの組み合わせはないものか。背後から、少年が手伝う、陶器のかちゃかちゃという音がする。
「先生……」
「なあに、マグニ」
生姜は万能薬の頼みの綱として、薄荷と甘草は気休めにしかならんか……肉桂が残り乏しいが、いいや、使っちゃおう……
「ソレラは、戸を開ける前にノックされるんですね」
「えー? そんなの、当り前でしょう……」
ハーブの調合に気を散られ、さらりと流しかけて、手を止めた。
そーか……誰もノックしないんだな。異民族の子ども相手だもんな。悪意がある訳じゃない、最初から気にもしていない、だって相手は子どもだもん。
だけど子どもは見てるんだ……
ちっちゃなそーゆーことを、ちっちゃなその目で……
振り返ると、異世界の少年が、じっとあたしを見つめていた。青い目で。じっと見ていた。だからあたしは、作り笑顔ではなく、真剣な顔で頷いた。まあ、所詮は締まらない“博多人形の真剣な顔”だけどさ。
「出来る限りのことをします。マグニ、早くスルーズが良くなるといいですね」
「はい……ありがとうございます、ソレラ」
可愛い顔したお嬢さん。ほっぺ真っ白、雪の色。髪は蜂蜜、瞳はサファイア。何て華やか、まるであなたはお人形さん――……
るんるん、らんらん、お人形さん。
はやく元気になっとくれ。
青い目をしたお人形さんは、北方生まれのセルロイド――……
優しい異世界の嬢ちゃんよ、仲良く遊んでやっとくれ。
どうか助けてやっとくれ。




