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87.『あっちの世界』で夜は更けて

挿絵(By みてみん)

【葡萄酒はグラス半分(3/15)】

 あたしの本来の“異世界能力(オルト・スキル)”は“魔女の薬草学(ウイッチ・クラフト)”といって、体力や病気(ステータス)を読み取る目と、あらゆる植物の薬効の知識(ウィズダム)を持っている。

 そこに申し訳程度に治癒魔法(グリアーレ)が付いているけど、こちらは悲しいかな、ちっさい子どもの病気ひとつ治せねえ、しょぼくせえ魔法(ほんのオマケ)の力だった。


 (とりで)の人間には能力持ち(スキル)は明かしてなくて、あたしは“薬学に長けた修道女(モナフィーノ)”だってことになってる。火炎も爆発も起こせねない見栄えのしねぇ地味なスキルだけど、まあ、今の仕事にはぴったり能力だ。けどさあ……


 目の前で子どもが苦しそうな時は、やっぱ歯痒(はがゆ)いよ。

 なあ、聞いてる? 上の方にいるっつう神様さあ?



 「あの……先生、タオル」

マグニに手拭いを差し出されて、私は慌てて笑顔を取り(つく)った。

ありがとう(アーチェ)、アグニ」

手渡された手拭いは、チョイと絞りが甘いが、まあ合格だ。スルーズの火照(ほて)った頬を拭い、首から胸元、背中の方もちょいと持ち上げて寝間着に手を突っ込む。白衣の天使はこれ、肉体労働者なり。


 しかし、それにしても――……

 こんな時だけど、やっぱり半端なく可愛いぞ、北方民族(アスガルド)の子ども。


 いわゆる北方ゲルマン系の顔立ちで、ほっぺ真っ白、雪の色ブラン・ネージュ・ジュー。髪は蜂蜜、瞳はサファイア。何て華やか、まるであなたはお人形さん(バンボーラ)……

(うー……それにひきかえ、あたしゃ黒髪、鼻ぺちゃ、典型的大和(やまと)民族、何とも残念な“じゃぱにーす”……)

いいもん、博多人形だってお人形さんだもん……


 青い目をしたお人形さんは、北方生まれのセルロイド――……


 んー……部屋に連れて帰りたい。そんで(自重)して、それから(自粛(じしゅく))して、一緒に(自主規制)したい……じゅるり……




 ***********************************


 「って、あら、これは……?」


 良からぬ妄想をしていた私は、ふと、少女の首筋のあるものに気づいた。

入れ墨(タトゥー)……?」

スルーズの左の鎖骨の上に、神秘文字(ルーン)のような小さな紋様があった。濡れタオルで拭いてみても取れないところを見ると、やはり肌に彫ってあるもののようだ。

「それ、護り紋(ウゾル)といいます」

マグニ少年が、ぽつりと呟いた。

「ウゾル?」

「うん。僕達の国の習わしで、スルーズは女だから小さな魔除けを彫ってるだけだけど、僕は男で戦士だから」

マグニがそう言って、シャツの(えり)をぐっと引っ張り下ろすと――


 首から胸に掛けて、複雑で呪術的な紋様(アルア)が、見えた範囲だけでもびっしりと彫り込まれていた。


 まあ、入れ墨は日本じゃイメージ悪いけど、民族・文化で多種多様、魔除けや祈願の宗教的理由で入れることもありゃあ、我が国でも漁師さんが海で亡くなっても身元が判るよう、待つ人の許へ帰れるように彫ることもあったと聞く。

 さすがに、年端もいかない可愛い少年の白い肌の、本格的な護り紋様にはチョイと驚かされは(ギクリと)したけれども、このシスター(ソレラ)・クララベル、文化や風習の違い、民族のアイデンティティーを理解しないほど、小さな尻の穴を持ってはおらぬし、持ってはならぬと思っている。


 このアプコ・オース――異なる(アルタ)の民族の、等しくない(アルタな)力関係が存在するここで、異世界転移者(オルト・トランジッテ)のあたしは中立の視点を持っていたい。



 その入れ墨は、アグニにとって大切な誇りなのだろう。

「“戦士の護り紋(ウゾル)”には祖先の霊が宿り、力と加護を与えると言います」

物静かな少年は、珍しく興奮した表情を見せた。

「僕らの父さんは“雷神(トール)”と呼ばれる、一族で一番の戦士なんです。僕もいつか、父さんみたいなアスガルドの神(オーディン)の戦士に……」



 ま、待て。少年、ここ(・・)でそーゆーこと喋るのは、何ともマズいぞ。



 あたしは天使の微笑、営業スマイル、左右の人差し指を立てて、ゆっくりとお互いの唇を当てると、少年の顔が目に見えて青褪(あおざ)めた。

「オ……ごめんなさい(オラ・エルト・マイン)、先生。僕は神様(デイオス)を信じています。北方国の神(オーディン)は、悪しき邪教の神です……」

真っ白な顔で十字(クロッツェ)を切ったマグニの、顔から消えた誇らしさと子どもらしさが、ちくりとあたしの胸を刺す。


 それで あたしは自分の口に指を当てたまま……


 左手でマグニの髪をくしゃくしゃと掻き回した。いつもの修道女の先生らしからぬ雑把な触れ方(スキンシップ)に、びっくりしたように顔を上げた。

「マグニ、知っていることと思いますが、先生もあなたと同じで、カルーシア人ではありません。先生の故郷は、ニホンという遠い国(・・・)にあるのです」

「にふぉん……始めて聞く国です」

そうだろうねえ。少年が真面目に言うので、地の笑いが出そーになる。

「遠い国です。そして、ニホンにはたくさんの神様(デイオス)がいます。国教会(レギリーオ)の神様とは違う、神様が。マグニ、内緒ですよ――……」


 「先生は、国教会(レギリーオ)の神様も信じていますが、ニホンの神様も、やっぱり信じているのです」


 マグニ少年があんぐりと口を開いた。そこでソレラ・クララベル、天使の猫被り解除。一瞬、片目を(つむ)ってにっと笑って見せる。

「マグニ。自分の神様に祈ってもいい、自分の国を、お父様を誇りに思うことも正しい。だけど、それを良しとしない人の前では、口にすべきではない。それはあなたと、スルーズを守ることなのです。判りますね、マグニ?」

それからあたしは、また取り澄ました表情(ソレラ・クララベル)に顔を戻した。


 マグニは、しばらくぽかんとして、しばらく考え込んで、そしてにっこりと笑った。おおう、これこそ天使の笑顔(ほんまもん)だわ。

「先生、また今度、ニフォンの神様のことを教えてくれますか?」

「もちろんですよ、マグニ」

私もにっこり、天使の笑顔(にせもん)を返す。


 やべー。約束したはいいが、実はあんま知らんわ、ニフォンの神話。今度まで(・・・・)にちょっと調べとかんと。やれやれ、宿題が出来ちまったな。




 ***********************************


 さ、とにかく、今はスルーズを少しでも楽にしてあげないと。あたしは幾つかの薬草(ハーブ)の袋を机に並べて、腕を組む。

「マグニ、戸棚から乳鉢を取って、それからお湯を少しカップに冷ましておいて」

うー……貧弱な手持ち在庫で、ベストの組み合わせはないものか。背後から、少年が手伝う、陶器のかちゃかちゃという音がする。

「先生……」

「なあに、マグニ」

生姜(ジンジャー)は万能薬の頼みの綱として、薄荷(ミント)甘草(リコリス)は気休めにしかならんか……肉桂(シナモン)が残り乏しいが、いいや、使っちゃおう……


 「ソレラは、戸を開ける前にノックされるんですね」

 「えー? そんなの、当り前でしょう……」


 ハーブの調合に気を散られ、さらりと流しかけて、手を止めた。



 そーか……誰もノックしないんだな。異民族(バルバロイ)子ども(ガキ)相手だもんな。悪意がある訳じゃない、最初から気にもしていない、だって相手は子ども(ニント)だもん。


 だけど子ども(ニント)は見てるんだ……

 ちっちゃなそーゆーことを、ちっちゃなその目で……


 振り返ると、異世界の少年が、じっとあたしを見つめていた。青い目(カホル・オリオ)で。じっと見ていた。だからあたしは、作り笑顔ではなく、真剣な顔で頷いた。まあ、所詮は締まらない“博多人形の真剣な顔”だけどさ。

「出来る限りのことをします。マグニ、早くスルーズが良くなるといいですね」

「はい……ありがとうございます(アーリ・オーチェ)、ソレラ」



 可愛い顔したお嬢さん(ダミナーレ)ほっぺ真っ白、雪の色ブラン・ネージュ・ジュー。髪は蜂蜜、瞳はサファイア。何て華やか、まるであなたはお人形さん(バンボーラ)――……


 るんるん、らんらん、お人形さん(バンボーラ)

 はやく元気になっとくれ。



 青い目をしたお人形さんは、北方生まれのセルロイド――……

 優しい異世界の嬢ちゃんよ、仲良く遊んでやっとくれ。



 どうか助けてやっとくれ。




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