86.『あっちの世界』の子ども達
孤児を預かる身のあたしは、子ども達に誠実でなくてはいけない。故にあたしは天使の微笑を絶やさずに、ジェネ隊長に向かって、
「喩え異民族であろうと、全ての子らは主の前に、等しく救いの手を差し伸べられねばなりません」
しれっとそう言って、胸の前で十字を切った。すると、ジェネのおっちゃん、
「や! 先生! 俺ぁそんなつもりで言ったんじゃ……」
慌てて取り繕う。
うんうん、あたしは知ってる。このおっちゃん、口は乱暴だけど、すっげえいい人なんだよ。北方の人々を差す“異民族”という言葉は、確かに蔑称ではあるのだけれど、カルーシアの常識や感覚を鑑みれば、特にジェネさんが差別的な人間って訳でもないのだ。
それに、おっちゃん、ゴメンなあ。あたしこそ、神様がどーだとか言ってるけど、本当は実家は浄土真宗なんだ……
人のいいおっちゃんは、髭と髪をわしわしと掻き回して、
「なあ、ソレラ。俺は、まあ、兵隊だしな、異民族には、いろいろと思うとこはあんだけどな、子どもは、まあ、別だよ。民族が違っても、どうでも、まあ、子どもってのは可愛いもんよ。俺もなあ、“ヒゲのオッサン”とか言ってなあ、寄って来るガキどもには、内緒だけど、菓子のひとつもなあ、こそっとな……」
そこで不意に、ヒゲのオッサンはちょっと厳しい目つきをあたしに向けた。
「だからなあ、先生さん、俺はあんたがガキどもに優しい人だから、正直、それは嬉しいこったとは思っとるんだ」
「だけどな――……」
「言っておくが、ここの子どもらは、やっぱり異民族のガキなんだ。だから、その……ソレラがしてやってくれるほど、大事に扱われないんだよ。だから、あんまりあの子らに肩入れすると、後で、辛い思いをしなさるんじゃねえかってなあ、まあ、そういうことを思うんだな。うーん、俺はあまり口が巧くないからなあ、伝わるかね、言いてえことが……」
伝わったよ、おっちゃん。そーか、おっちゃんは、あたしを心配してくれてるんだな。ちくしょう、惚れるじゃないか。出来ればいつか、おっちゃんとオデンで一杯やりたいなあ。
そんなオンク相手に、今の私が出来ることと言えば、せめて猫ぢや猫ぢやで虎を隠して、おっちゃんの理想を壊さないことくらいだな。
「お心遣い、感謝致します。今夜は寒うございます故、ジェネ様……ジェネさんもお風邪など召されませんように……」
天使の微笑の出力を女神レベルまで上げてやるってーと、おっちゃんも姿勢を正して、敬礼をくれた。
「……先生、スルーズの風邪、治してやってくんな」
「はい。神のご加護がありますように」
ほらね、いい人なんだよ、おっちゃん。おっけい、任しときなって
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ジェネさんと別れたあたしは、孤児院区画へ急ぐ。
辺境の砦は物資が乏しい。資金面よりむしろ、雪と氷に閉ざされた僻地への輸送の難が大きい。故に、アプコ・オースの責任者は物資管理に心を砕くケチンボさんだ。故に、夜間の灯火は最低限とし、燃料も出来る限り切り詰める。故に、どこも薄暗いし、クソ寒いんだ、クソめ。
灯りの間隔があるから、壁の影はゆらゆらと背丈が高く、みんな部屋に閉じ籠ってるから、足音がかつーんかつーんと高い。
ああ、イヤだな。静か過ぎて、辛気臭え。
こんな静か過ぎる夜には、職員区画と孤児院区画を隔てる無駄に頑丈で厳重な扉が、きっと不必要に静寂を乱すに違いない。バカみてーに分厚い扉が、バカみてーにデカい音で……
ガチャ、ギイイイィィィ――……バタン! ほらな?
職員区画と孤児院区画の間の無駄に頑丈で厳重なバカみてーに分厚い扉は3枚あって、扉ひとつを閉じて施錠の後、次の扉を開くのが“規則”として定められている。
何でかってっと、理由も方法も、食品工場とかで虫とか入らないよーにすんのと同じだな。つまるところ――……
子どもでも敵国の人間、ってこった。
孤児達の教育係であるあたしは、孤児院区画の鍵は預かっている。けれど、権限は預けられていない。夜間、番兵を伴わずカーサ・オルバに立ち入ることは、実は規則違反だったりする。
子どもとは言っても敵国人、甘く見てはならんとゆー軍人的見解が正しーか、敵国人とは言っても子ども、みんないい子だよとゆー宗教家的観点が正しーのか、そいつは一概には言えないけど、あたしは職業柄、後者を支持したい。
まあ、考えが甘いんだろうなー。あたしは兵士達のように厳しい現実を見ていないし、“戦争を知らない子ども達”聞いてた世代の、孫の世代だからなー。
でも、毎日顔を合わせて、「先生、先生」ゆーてくる子達だからなー。
そして、職員区画から見て最後、最も孤児院区画側の扉が、夜の静寂に、バカみてーにデカい音を立てて閉まった。
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さて、孤児院区画――……
ここにいるのが捕虜かつ子どもということで、灯りの心許ないこと、実質右手の手燭だけが頼りとゆー塩梅だ。
あたしが入ってきたのは広間のような空間で、中央は吹き抜け、一階と二階の回廊の左右に、外から鍵の掛かった孤児達の部屋が並ぶ。その構造と荒い石造りの壁が相まって、あたしは映画で見た監獄を連想してしまう。
並んだ扉は孤児達の居室で、最大100人チョイが受け入れられるが、今いるのは20名にチョイ少なく、6人部屋をチョイ余裕をもって3人ずつで使わせてあげられている。この時間、子ども達は寝息を立てているだろう。
おやすみ、いい夢を見てるように。
で、一階の幾つかの部屋は教育係の職務室になっていて、そこの右手の二つ目が医務室だ。風邪引きスルーズは、今夜はそこで寝かせている。鍵を使い、ノックをして、ひと呼吸待ってから、扉を開けた。
「……スルーズ?」
扉の隙間から中を窺うと、ベッド枕元の椅子の少年と目が合った。
「起きていたの、マグニ」
机に手燭を置きながら問うと、少年がこくりと頷いた。マグニは風邪引きスルーズの幼い兄だ。妹の看病をするという名目で、今夜は医務室で休むよう、あたしが許可しておいたのだ。
部屋が冷え切っている。あたしは薪ストーブに火を入れ、
「スルーズの具合はどう、マグニ?」
水の入った薬缶を上に乗っける。この寒さはキツいけど…
(うー……小5くれーの男子に火の番させる訳にもいかねーからなあ)
やっぱし、今夜はあたしも夜通しこっちにいた方がいいだろう。少年は角灯とストーブで赤く染まった顔で、妹の寝顔を見つめている。
「熱が、下がらないみたい。咳は、少し治まったみたいだけど」
マグニ少年はぽつりと答えた。マグニは、齢の割に落ち着きがあって、思慮深く、妹思いのいい兄ちゃんだ。印度の火の神様みたいな名前なのに、どっちかってーと物静かな子だった。
湯を沸かす支度を終え、あたしも少女の枕元で身を屈めた。粗末な木のベッドに、幼い少女が眠っているが、その寝息は安らかではない。
「……先生……」
「スルーズ、いいから寝ていなさい」
薄っすら開いた少女の目を手で閉じて、額に触れる。熱を見ながら、あたしは両目を閉じて、両目を開いた――……
(うーん……確かに、喉の炎症は少し引いたな。煎じた薬湯が効いてくれたようだ。しかし熱がなあ……小さい子はどんどん体力を奪われる。マルベリー、せめてリンデンかクコでもあれば、少しは違うんだけど……)
「マグニ、お湯を盥に入れて、熱すぎるようなら少し水を足して、タオルを濡らして絞って頂戴。火傷をしないように気をつけて」
マグニが頷いて椅子を立つ。私は手をスルーズのでこちんから離し、寝間着の胸元を少し緩めた。
「熱っ」
「マグニ、気をつけて」
(……やっぱり消耗が気になるな……あっちから抗生物質と解熱剤でも持ち込めれば……いや、薬草の手に入る季節だったら、葛根湯くらい自分で調合するのに。せめて点滴代わりに、あたしの下手な回復魔法を掛けとこう……)
と言っても、気休めくらいにしかならないけどさ。本当に、あたしの治癒魔法は、能力のオマケ程度のもんだから。
薬も、魔法も、この冬の砦では何もかも足りない。“あっちの世界”であれば注射一本で治るような、ただ風邪をこじらせただけの小さな女の子を、“こっち”のあたしは無力を噛み締めて見守るよりなかった。