84.少女はいつか、少年の物語を綴る
気になる人がいました。
その人は遠い国から来たという、不思議な人でした。彼と初めて出会ったのは、夕暮れも近い大聖堂の階段でした。彼は森の人のような新緑の色の異国の装束を身に纏い、石段に腰を下ろして遠くを見つめていました。
彼の口から時折語られる物語は、私と出会う前のことも、私と出会ってからのことも、まるで絵空事のようで、夢物語のようで。でも、信じられないお話の中に、必ず真実のかけらが秘められていることは、世間知らずの小娘だった私にもちゃんと判っていたのでした。
本当に、本当にその人は忘れ難い人でした。
~女流劇作家アーシャ・ノエル・ロランの回顧録より~
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某月某日
今日、町で変な男の子と出会った。見たこともない超緑の服を着て、大聖堂の階段にぼんやり座っていた。話し掛けてみたけど、どうも言ってることが要領を得ない。これってもしかして、キオクソーシツってやつ?
けどその子、路地裏で絡んできた3人のゴロツキを、その辺にあった箒であっと言う間に叩きのめしちゃった。びっくり。
お爺ちゃんに相談したら、仕事や住むところを世話してあげてくれることになった。お爺ちゃんは顔が広いからひと安心だ。
男の子の名前は、オサカ・ユマ。異国の人だろうか、不思議な名前だ。
某月某日
オサカ・ユマが、ユマ・ビッグスロープと名乗ることにしたらしい。やっぱり変な名前だ。
某月某日
びっくりした。ユマってあんなに強かったんだ。
今日はお城の剣術大会。出場したユマはあれよあれよと勝ち進み、なんとあの近衛兵のレイス・オランジナ様の剣を跳ね飛ばして、勝ってしまったのだ。あまりのことに、会場が一瞬静まり返ってしまったくらいだ。
私はあんな、剣をパートナーに円舞を踊るような剣術を今まで見たことがない。横で観ていたお爺ちゃんは、「やはりあの小僧、異邦人じゃな」と呟いていた。
ちなみに優勝したのはアヴェルトさんだった。ユマもさすがに、王都一の傭兵には敵わなかった。残念。
某月某日
お爺ちゃんに頼まれていつものシュマフ産の蒸留酒(お爺ちゃんはこれしか飲まないんだ)を買いに行ったら、店のおじさんにシュマフには魔法使いがいるんだという話を聞かされた。賢者様とも呼ばれていて、魔法で人々を助けておられるのだそうだ。まあ、魔法使いなんてホントにいるワケないけど。
けど、ユマにこの話をしたら、「へえ、そんなのもいるんだ……」って何だか考え込んでいた。あれ、信じちゃったのかな?
某月某日
大通りに新しいお店ができてた。居酒屋みたいだけど、看板が外つ国の文字で書いてあって読めない。ちょっと気になる。今度ユマに連れて行かせようかな?
某月某日
あの野郎、ふざけんな。
2日前からあいつが部屋に戻ってない。エイレーヌおば様にもお爺ちゃんにも、この私にもひと言もなしだ。まったく、いったい何処をほっつき歩いてるんだか。
某月某日
ユマがまだ戻らない。どうも傭兵組合の仕事ではないらしい。けれど衛兵のツベエさんは、いなくなった日にユマが仕事装束でコンツラート通りを歩いているのを見掛けたらしい。
本当に、何処へ行ってしまったのだろう。もしかして、ユマの身に……いや、縁起でもないことを書くのはヤメよう。本当になったら困る。
某月某日
ユマがいなくなって、1週間が経った。
何だか私は、このままユマが戻ってこない気がして、とても不安だ。あの日突然私の前に現れたように、また突然不意に消えてしまうんじゃないかって。
けど、ひと言もなしにとか、ふざけてるにもほどがある。帰ってこなかったら絶対許さないんだから!
ユマのバカ、いったい何処で何しているのよ?!
某月某日
あのバカが帰って来た。
10日もいったいどこで何をしていたか訊いたら、魔法使いと一緒に冒険をしていて、巨人や竜を退治していたのだと言う。とりあえず、ぶん殴っておいた。
某月某日
ユマが幼女を連れて帰ってきた。金色の髪と赤い目をしていて、妹だと言う。嘘をつくな。何処で拐わかしてきた?
お爺ちゃんが言うには、傭兵は仕事柄、訳ありな事情を背負い込むこともある、あいつから話すまで余計なことは訊くな、だって。それも判るけどさ……
水臭いじゃない、私達、もう家族みたいなものなのにさ。
某月某日
ミシェル可愛い。超可愛い。この子は私の妹、もう家族だ。
某月某日
町であの女の人を見掛けた。
あの人はいつものように、黒頭巾から銀色の髪をさらさらと零して、男の人のような大股で颯爽とコンツラート通りを歩いていた。
何処の誰かは知らない。けれど異国的な顔立ちと褐色の肌、そして宝石のように赤い瞳が、一度見たら忘れられないくらい印象的だ。
あの人は幻想を纏っているかのようだ。あの人が歩くと、その周りだけまるで異世界になってしまう。
某月某日
ユマから彼の祖国の話を聞いた。
彼の故郷は、海を越えた東方国の果ての小国だそうだ。ユマの持つツチグモとかいう剣も、東方のもので、彼の国は剣士をサムライと呼ぶのだそうだ。
都には天高く聳える朱塗りの塔があるのだとか。小さな国だけど自然が豊かで、夏はカランポーのように暑く、冬は北方くらい寒くなり、春には全ての枝に花だけをつける木々が町中を桃色に染め、秋には葉の色の変わる木々が野山を真紅と黄色に彩るのだという。
それから、魚を生で食べて、あの怪獣の鯨も捕って食べる……オイ、ちょっと待て。そこまでいったらさすがに嘘だろ、コノヤロウ。
某月某日
南の草原帯でユマが、狼に腕を噛まれて大怪我して帰ってきた。幸いなことに後に●●●が残る傷じゃなかった。良かった。
あいつ、確かに傭兵として名が売れてきてるけど、まだまだ駆け出しなんだってことを肝に銘じろってんだ。いい薬だ、バーカ。
後に残る怪我じゃなくて、本当に良かった。
某月某日
最近、貴族の不良息子が町で偉そうにしてて、すっごい迷惑だ。ユマに言ってやっつけてもらおうかしら? けど、いくらユマが強いって言ったって、やっぱり貴族に手を出しちゃったらマズいか。うーん……
某月某日
酔い潰れたユマを、獅子髪の傭兵さんが送り届けてくれた。なにやってんだ、このバカは。獅子髪さん、ここしばらく大変だったと聞いていたけど、今日はずいぶん楽しいお酒だったようで、良かった。
そう言えば獅子髪さん、
「ビッグスロープの奴ぁ、やっぱり怒らせるとおっかねえや」
そう言い残して帰った。酔って酒場で暴れでもしたんだろうか?
某月某日
市場でアヴェルトさんと、マーサさんとカナちゃんと会った。久しぶりの家族のお出掛けだそうで、カナちゃん、すごく嬉しそうにしてた。
それにしても、マーサさんの黒髪はいつ見ても羨ましいくらいきれいだ。この辺りでは珍しい髪色だけど、そう言えばユマの目と髪も黒い。もしかすると、同じ地域の民族なのかもしれない。
某月某日
久しぶりに図書館に行った。目当ての戯曲を何冊か借りて、ふと奥まった棚の三巻組の本に目が留まった。題名は『白雪姫』。その本は、何だか……とてもイヤな感じがした。
巧く言えないのだけど、何だかその本が、ちゃんと私達の世界に属していないような、そこにあってはならない異物のような、そんな気がした。
その本が上巻・下巻・下巻という並びになっているのに気づくと、まずますぞっとして、私は逃げるように図書館を後にした。
あれは何だったんだろう? ただあの三冊の本があると思うと、ちょっと図書館に行くのが怖い。返しにいく時はユマを連れて行こう。
某月某日
ユマがレイス・オランジナ様と狼男退治をしたらしい。町で噂になっている。あいつ、また私に黙って人狼街なんて物騒なところに……もっとも、ユマくらいの傭兵になると、むしろならず者達の方が怖がるかものしれない。私は“そのユマ”と、いつもの“あのユマ”が、どうしても頭の中で一緒にならないんだけど。
ともあれ、奴の胡散臭い武勇伝に、とうとう狼男退治が加わってしまった。呆れるより外はない。
ところで久しぶりにお見掛けしたけど、やっぱりレイス様は見惚れるくらいキレイな人だ(ドキドキ)。あの方が何だかんだユマを気に掛けている様子なのは、やっぱり、“そういうこと”なのだろうか(ドキドキ)。
某月某日
ユマから、また面白い話を聞いた。この前の仕事で――……
某月某日
あいつ、また私に断りもなく、今度は――……
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劇作家アーシャ・ノエル・ロランの名が文壇に上るには、この日記よりまだ10余年の月日を待たねばならない。代表作『剣士ユマ・ビッグスロープ』の冒険譚シリーズを手掛けるのは、彼女が知命を越えて後のことである。
『剣士ユマ・ビッグスロープ』の連作はその筋立てから、傭兵ビッグスロープの行状記を下敷きに脚色した創作物だと考えられている。しかしながらアイシャ・ロランは、あの荒唐無稽の物語は全て実際に傭兵ビッグスロープの口から聞き伝えたものであったと、自身の回顧録に書き記している。
想像力豊かであったのは劇作家か、それとも傭兵が意外にも剽軽の人柄であったのか、今となっては我々読者に知るすべはない。
また、アーシャ・ロランとユマ・ビッグスロープの親交の結末がいかなるものであったのか、それも残念ながら伝えられてはいない。
さて、今あなたが手に取られた日記は、彼女の没後に見出され、この度遺族の承諾を得て刊行されたものだ。若き日の劇作家のみずみずしい心情、何気ない日常が少女らしく可愛らしい筆致で綴られており、読み手の微笑みを誘う。
のみならず、日記はアーシャ・ノエル・ロランとユマ・ビッグスロープとの交流の実際についての貴重な記録であり、『剣士ユマ・ビッグスロープ』が誕生した経緯に知見を与えるものとして、文学史上にも重要な資料であるといえるだろう。
ただ、自身の日記が広く公開されることを、天国の劇作家が苦笑しているか、立腹しているか、或いは赤面しているかは、読者各人の想像に委ねたいと思う。
~“少女はいつか、少年の物語を綴る”・完~




