83.コトレットさんの報告書
Narf。面倒くせえ――……
アタシは腰で後ろ手を組み、右足に乗っけていた体重を左側に移した。一応は場所柄を弁えて、それなりの“見た目年齢”をして来たが、頭ん中には「帰りて―」という思いしか詰まっていない。
でっけえデスクを挟んで、薄紫にも氷の青にも見える灰色の眼差しが、アタシの出した報告書から上げられた。
「……また随分と“権限”の“特例”を使用しましたね」
「まあ……必要に応じまして」
「私には必要以上に思えますがね、ルシウ・コトレット監視官」
秀でた額の下から、じろり、険しい一瞥が飛んでくる。彼が人差し指の関節で、ぱん!と鳴らしたのは、例の“封鎖区”を片付けた時の報告書だ。
“異世界転移者”に協力させたのに始まって、あれと、これと、それと……んー、ひとつひとつは監視人の“権限”の範囲内なんだが、まあ、さすがにあれだけテンコ盛りやりゃあ、“本部呼び出し”をされもするか。
……――アタシが今いるのは、“ここにあるけど、どこにもない場所”だ。
ここはアタシの受け持ちを含む領域の異世界管理局支部――目の前にいる男が、一応アタシの上司であるテゥルト・テトラチップ支部長だ。痩身の壮年、人当たりはいいが一筋縄ではいかない男。冬の曇り空のような目で咳払いのひとつもされりゃ、その辺のオッサンが怒鳴り散らす百倍は肝が冷える。
テトラチップは所謂管理職で、そのお仕事は各”世界”の出張所の監視人の統括、そして監督と指導――……
つまり、今、アタシがやられてるヤツだ。
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支部長の有り難え訓戒が、アタシの右耳から左耳へ心地よく抜けていく。何でちゃんと聞かねーかって? ばーか、聞き飽きてるからだよ。
そうそう、こんな話があるんだ。題して“ハズレスキルが噛み合う男”。
この前ちょっと話した転移者なんだけど、付いた能力が“虫属性特効”なの。虫にだけ強えんだ。
「Oops。それはハズレっぽいなあ」
「異世界に来て、最初のボスが吸血鬼だったんですけど……」
「虫特効で? そりゃキツいな」
「それが名前がモスキート伯爵で」
「Raa。それは効くね。虫特効効くわ」
「その後、邪神の教団の陰謀に巻き込まれて」
「ほうほう」
「最強の改造兵士団が差し向けられることに」
「るああ、ヤべえ。虫特効じゃどーにもならねー」
「それが、最強の改造人間と言えば、やっぱりバッタ男で」
「イケるなー。虫特効、結構イケるなー」
「なんだかんだで、ついには魔界で魔王とラストバトルに」
「うーぷす。虫特効で魔王まで行っちゃったかあ」
「ええ、魔王ベルゼブブとの死闘は……」
「勝てるよ、ワンチャンあるよ。相性抜群だよ」
結局その子、ハズレスキルで“異世界生活”完走して、また別の”世界”に転生してったけど、やっぱスキルと鋏は使い様とはよく言った――……
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「聞いていますか、コトレット監視官」
「もちろんであります、テトラチップ支部長」
ご要望とあらば復唱できるぞ。こちらが涼しい顔をしてやるってーと、支部長は小さく頭を振って、
「コトレット監視官……少しやり方が古いのではないですか」
腕を組み、両方の肘をデスクに置いた。
「確かに、今回の“封鎖区”なら、“権限特例”の適応は已むなしと言えるでしょうね。“転移者”に協力を要請するのも、少々前時代的な気もしますが、この場合の定石ではある。最悪の想定では監視人自らが“核”として“破局の因子”を安定させる……ふむ、“協力者”の安全も確保している。さすがベテラン監視官、完璧です。ですが、コトレット監視官――……」
そう言いながらアタシに向けられたテトラチップの瞳は、次第に色を失い、光彩までほとんど真っ白になった。当人曰く、“白眼視”だっつうから、くだらねえ。
「私には君はいつも、“世界” を破棄する、という選択肢を意図的に除外しているように思えますね」
アタシは感情を出さないよう努めたが、
「……本件は、“世界破棄”を検討せずとも解決できると判断しましたし……」
さて、この曲者相手に成功してるか、あんまり自身がねーな。
「ひとつひとつの”世界”を、“たかがひとつ”と考える傲慢を監視人は持ってはならない――……それがアタシの信念ですので」
相手の目を真ッ正面から睨んだが、相手もそんなんで怯む玉じゃねえ。
「“異世界管理局十訓”……出張所でも、就業前に独りで唱和しているのかな? 実に昔気質の君らしいですね」
「もちろん”世界”を軽んじはしません。しかしながら、”世界”を重んじて監視人が犠牲になっては、本末転倒でしょう」
テトラチップは、アタシの頭蓋骨の裏ッ側でも見てんじゃねーかってくらい、じっと目を覗き込んでくる。
「今回だって、随分綱渡りだったように思えますよ?」
アタシとテトラチップは、現実時間できっかり1分間睨み合った。
と、テトラチップが表情を緩めた。勝った……じゃねえか。相手が大人の対応をした感じになるとムカつくから、アタシも愛想笑いを浮かべる。
「ともあれ、難しい“封鎖区”を処理した手際は、いつもながらお見事」
支部長が人差し指でぽんと、報告書に“済”を意味する印を捺した。
「ご苦労様です、コトレット監視官。これからも活躍を期待していますよ」
「ありがとうございます、支部長。それでは、アタシはこれで」
軽く頭を下げると、アタシの旋毛に向けて――……
「私の言ったこと、忘れないでくださいね?」
アタシは顔を上げると、右目の下を指で押さえつつ、舌を出した。
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上司にあかんべえして振り返った“扉”は、カルーシア地区異世界管理局出張所に通じている、というか、その扉を開いた監視人の出張所に通じている、そーゆー扉だ。ま、んなこたァどうでもいい。終わった終わった、帰ってメシでも食い行くかあ――……っと。
「ルシウちゃ~ん、ねえ、ルシウちゃんってばぁ」
後ろから、野太くネチっこい声が飛んできた。げんなりして肩越しに後ろを見ると、デスクの向こうで、灰色の目をした“少年”がにこにこしてる。
「なーふ……まだ何か用かよ、テゥルト?」
「えー……もうちょっと遊ぼうよ、ルシウ」
アタシの耳に入るのは、今度は澄んだボーイ・ソプラノだ。
「アタシはてめーと遊んでた覚えはねーがな」
アタシが毒づくと、少年は薄氷色の瞳を輝かせて笑う。
その少年は、片手二つのちょっと上くらいの年恰好だ。気づけば、アタシも少年に見合う姿に、年齢を下げられている。
「うーぷす……何故だろう、いつもこんくれーのトシにされる」
アタシはテゥルトに指を突きつけた。
「るああ。お前らはロ●コンばっかだ」
「あらヤダ!」
テゥルトは一瞬“いかついオカマさん”でバチンとウインクし、
「それはどうだろう、マイ・スイート・ハニー、ルシウ?」
輪郭がゆらりと揺らぎ、線の細い青年が若気け面で投げキッス。
「君が相手に与えている印象が、君に反射してるだけかもよ?」
「“世界観”とはそーゆーものだよ、ルシウ?」
なーふ、反論できねえ。少年がにっこりと笑う。くそ……あの姿でもこの姿でも、やっぱりテゥルト・テトラチップは苦手だ。
「冗談は置いといてさァン、ルシウちゃ~ん」
またオカマ……自分がさんざふざけ倒して、それはねーと思うが。
「例の話なんだけど、ちゃんと考えてくれてるぅ?」
アタシはまたも、ぐっと言葉に詰まった。
「……るああ。またその話かよ……」
「こういう機会でないと、ルシウ、なかなかこっちに顔見せないからさ」
少年は悪意なんてこれっぽっちもありませんって顔で、にっと笑う。
「で――……どう? カルーシアの監視人を辞める気に、なってくれた?」
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アタシが「はあ」とため息をつくと、あっちも負けじと「ふう」と返す。
「ルシウ、君には管理職に来て欲しいんだよ。そろそろ育てる側に回ってもいいんじゃないかなあ?」
「るああ……アタシは現場が好きなんだよ……」
前々から、出張所から支部への配置換えは打診されていた。柄じゃねえって、のらりくらりとしてたけど、最近ちょっと圧力が強くなってきた。
と言って、テトラチップは、ばん!と辞令を突きつけるよーなやり方はしないと、アタシは知っているけれど。
少年の足元から伸びた影が床で、すうっと長くなる。
「カルーシアは古くて良い”世界”だから、気持ちは理解るよ」
本人も影に身の丈を合わせて、白いつるりとした頬を人差し指で掻いた。
「けど、大好きな君と一緒に仕事をしたい、僕の気持ちも汲んで欲しいな」
「うーぷす。そーゆーのいいって」
「うふン。あたしは本気よォン、ルシウちゃん」
「そのちょいちょい出てくるオネエはどーゆーことなんだよ?」
アタシはバチンとウインクするオッサンを睨みつける。
「なーふ。相変わらず、どこまで冗談なんだか判りゃしねえ」
そう呟くと、ティルトは目の笑みだけをふっと消した。
「僕はいつだって全部本気さ、ルシウ」
テゥルトが次々と移ろわせた姿が、ひとつの素顔に収束する。
「君だって判っているはずさ。カルーシアは時を重ねている分だけ、問題もまた多い”世界”だ。君の肩入れが過ぎるのが、必ずしも良いとは言えないってことは」
「現に、逢坂悠馬君の“世界観”に、変質が起きてるね?」
「るああ、それは……」
「管理局に引っ張り込む気なのかな?」
「るあっ、違う、そのつもりはない!」
「だったら、もうちょっと注意しないと」
ぐうの音も出ねえ。黙り込んだアタシの肩をテゥルトがぽんと叩いた。
「何も意地悪で言ってるんじゃないんだ、ルシウ。ただカルーシアは罷り間違えば、”世界”から“封鎖区”に変わる惧れを秘めている」
薄氷色の瞳が、またアタシの目の奥の奥を覗き込む。
「判るよね? いずれ大きな問題が起これば、僕は支部長としての“権限”を使わざるを得ない……僕が望むと望まざると、ね」
判る――……テゥルトの言うことは正しい。だからアタシは、テゥルトから少し身を離すと、その脇腹にドッスと正拳を入れた。
「ぐぶっ! ……ちょ、ルジウ……いぎなり、何すんの……?!」
「なーふ。理屈で負けて、腹立ったから殴った」
「あのさ……僕が上司であるとか以前に、人としてどうなの、それ……?」
アタシはもう一度「べえ」と舌を出し、今度こそ踵を返し、アタシの“世界“への”扉“を開き――……
「その”世界”が好きなら、くれぐれも気つけるのよォン」
「るああ。忠告は受け取っとくぜ、テゥルト・テトラチップ支部長」
……――この“どこでもあって、どこでもない場所”を後にした。
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バタン、と扉を閉め、またすぐに開く。
そこにあるのは、王都カルーシアのメイン・ストリート、コンツラート通りからひと筋外れた見慣れた路地裏通り。
ここはアタシの”世界”――この部屋は、カルーシア地区異世界管理局出張所だ。
部屋を出て、ぶらり、大通りの方へ足を向ける。今日は……お、漁師の曜日か、定食屋ちえがこっちに来てる日だ。気分直しに、ケイジャン・チキンでも肴に一杯やるのもいいかもしれねーな。
雑踏に紛れ込めば、小娘の一人、目に留める者はない。この、”世界”に溶け込んでいる、“在”ることを許されている感じが、アタシはとても好きだ。
仄かに感じる潮風の匂い、人々の暮らしの賑わい、“異邦人”達の“世界観”が騒めいて……本当は、アタシはその全てから関係のない存在なんだけど、こうしていると、ほんのちょっと、”世界”の一部であれるような、そんな気がして――
ほんのちょっと、嬉しいんだ。だから……
るああ。もう少しだけ、ここでこうしていたいな――……
ねえ……それって、そんなに許されない望みなのかな――……?
【“コトレットさんの報告書”・完】