82.ポワレ・オー・シュラプ~海老の蒸し焼き~(エピローグ)
「いやはや……事実は小説より奇なり、とはよく言ったものだな」
レイス・オランジナが葡萄酒の杯を空け、嘆息した。いつもの礼式的な近衛兵服や町に出る時の簡易な騎士装束と違い、レイスの平服は気取らぬものだがいかにも上品な仕立てをしている。こうして見ると流石の貴族の御嫡男、様になる男だ。
“狼男の夜”から数日後――……
“お前の一番いい店で一杯奢れ”の約束通り、事件の始末から解放されたレイスと俺は、ようやくテーブルを挟んで祝杯を上げた。妹御も是非にと申し出てくれて、うちのミシェルもジュースのコップを鳴らしてご満悦だ。
まあ、俺は冷や汗をかいているんだが。
王都屈指のカルーシア料理の名店、“エル・セレール・オー・マーレ”――……シュマフ産のワインと魚介料理、ことに海老の料理が絶品と評判の、格式もお代もちょっと庶民にはハードル高めの超一流店である。
なるほど、ここがレイスの”一番いい店“かあ……そういう意味じゃねーよ、アホめ。このお坊ちゃまめ。判り易い真似しやがって。周りはみんな着飾った貴族様か富裕層で、平服平民の客なんて俺らだけだっての。
「これはレイス様、いつも当店をご贔屓頂き、誠にありがとうございます」
ほらぁ、初老で白い口髭をきちんと整えた支配人っぽいオジサンが、わざわざテーブルまで挨拶しに来てるし。あの夜以来、こうやって友人として気安くするようになったけど、やはりレイスは名門貴族のご子息、改めて思うと身分が違うよな。今更畏まるつもりは毛頭ないけれど。
「レイス……どうも庶民は場違いなようだぞ」
「何を。私の連れにそのような無礼を申す者はない、気を楽にしたまえ」
「無理を言う。妹はまだメニューすら読めん、高級店に迷惑だろう?」
俺がそう言うと、澄ました顔の支配人が小さく咳払いをした。
「仰る通り、ビッグスロープ様。当店ではお客様にはお子様であろうと、守って頂きたい最低限のマナーがございます」
思わず俺が姿勢を正した。
そう言った支配人、すっとミシェルの目線にまで身を屈めて、
「お食事は楽しく、にっこり笑って、がマナーでございますよ、ミシェル様。美味しいものをいっぱいご用意しますので、お約束して頂けますかな?」
「はあい! ミシェ、おぎょうぎよくする!」
支配人は相好を崩すと、俺の方へ小声で囁いた。
「……こちらのお席は、周りのお客様もお子様連れが多うございますので、そうお気を遣われなくても大丈夫でございますよ」
そして再びミシェルの方へ姿勢を低くして、
「ただし、好き嫌いはしないこと、ですぞ」
茶目っ気たっぷり片目を閉じた。オジサン、めっちゃ格好いいな。
なるほどな……これが正真正銘の一流の品格というものか。
「レイス、確かに“いい店”だ」
そう言うと、友人はにっこり笑い、空いたグラスを軽く掲げた。
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ナッド・ダムは、二匹の飼い犬とともに行方を眩ました。
レイスが覚えているあの夜は、銀のナイフを投げ、俺がナッドを打ち、召し取ったところまでだ。ナッド・ダムが“獣の悪魔”のスキルを使い、化け物に変身した“非現実”は監視人が“なかったこと”にしたようだった。
深夜最寄りの衛兵詰め所に放り込んだナッドは、翌朝警吏本部へ押送された――が、その移動中を二匹の犬が襲った。僅かな混乱が生じ、収まった時には、既にその姿はなかったという。
恐るべき逃げ足の速さだとも、悪名高い人狼街の住人の手引きがあったとも、やはり本当の狼男だったのだと、幾つもの噂だけが後に残った。
公には、狼男の正体は獣扱いの技能を持つ盗賊だった、男の優れた体術と大型の犬の存在に、人々が惑わされ、いもしない狼男が作り上げられたのだろう……と、まあ、常識的な落としどころに落ち着いた。果たして狼男の幻想は砕け散りながら、わずかに現実にかけらを残して幕を下ろしたのだった。
俺には判る。ナッド・ダムを逃がしたのは、ルシウだ。
ナッド・ダムが当局に引き渡されれば、国教会の異端審問を免れなかっただろう。奴をこっちの“世界”から消して、狼男の存在も、謎は謎のまま有耶無耶にしてしまう。それが監視人の描いた絵だったようだ。
レイスは見事狼男を退治したと、姫殿下に無事面目を施した。
「欲を言えば、金色の犬を捕まえてきて欲しかったのう」
とのお言葉も、“狼男の肩に突き立てた銀ナイフ”を献上してご満足されたとか。
「結局件のナイフは殿下に秘匿され、料理番の手に戻ることはなかったのだ」
と、レイスはエル・セレール名物“大海老のポワレ”の殻を、ナイフとフォークで優雅に剥がしながら、大いに笑った。
ついでにレイスは近衛兵隊内でも、“魔物相手の大捕り物”と大評判を取った。また当人が物語の主人公にしたいような美丈夫だから、一躍王都の時の人だ。
ついでに俺も、アヴェルトのおっさんがテキトー言いふらしてくれて、
「モンスターハンターを始めたらしいな」
「オランジナの坊ちゃんとデキてるって本当か?」
などと、傭兵仲間からさんざ言われてるけどな。あのクソ親父め……
と、まあ、これが俺だけが知る、狼男騒動の舞台裏だ。
ナッドが自分の“世界”へ戻ったのかどうか、俺には知る由もない。
奴は俺達の”世界”から“追放”された、確かなのはそれだけだ。
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さて、いっそ開き直って店の雰囲気に臆するのをやめると、さすが王都の貴族御用達、料理ひと皿麦酒一杯取っても、場末の酒場とはモノが違う。
俺は貝の白ワイン蒸しに手を伸ばす。妙に細長い形をした変な貝だけど、食いごたえがあってなかなか旨い。元の世界では見たことがない、カルーシアにしかいない種類だろうか(ちなみに悠馬が食べているのは罵刀貝で、メジャーではないけれど、“こちらの世界”でも食べられています)。
こうしてみると、あの狼男の一夜――……
剣敵が気の置けない知己となり、名店の酒肴に舌鼓を打ち、ミシェルが料理の味と店の雰囲気に押されたか、今までどうしても食べられなかった玉葱を克服した。しかも俺は――こちらから会いに行くも躊躇われていた異世界監視人と思わぬ再開を果たした。結果的に、まあまあ実入りのいい骨折りだったと言えるだろう。
ルシウが忠告をくれた、俺の新しい“世界観”――他者の“世界観”に関われてしまうってことは、胸の中に不安の影を落とし、いずれまた厄介事をもたらすだろう予感もあるが……
「おにいちゃん、おいしーねえ」
「ははは、今宵は愉快だな、ユマ。全て君のお陰だ」
ミシェルもレイスもご機嫌だし、今日のところは“王都は世もこともなし”だ。二度目に異世界管理局を訪ね、自らの意思で扉を潜った時から、当たり前で平穏な異世界生活に別れを告げる覚悟はできている。
狼男騒動、これにて一件落着だ。
めでたし、めでたし――と、ミシェルとレイスに笑い返し、手のジョッキをテーブルに置こうとして――……
……――俺は凍りついた。
『人狼には関わるな』
手元の紙ナプキンに忽然と現れた、インクの跡も乾かない殴り書きを見下ろしたままで――……
~“狼なんて怖くない”・完~




