81.イマジカ・エ・イマジカ~交差する“世界観”~(ユマ視点)
レイスを抱えて転がり、背に庇って向き直ると、ナッド・ダムのLV100のスキル、“獣の悪魔”はほぼ発動を終えていた。
着ていた服を内側から引き裂き、見上げるような体躯と化したナッドは、全身を真っ黒な毛皮で包み、首から上を狼に変えて、喉を震わせて遠吠えを放った。
「おおー……とうとう本当に狼男になりやがった……」
「ユマ、化け物だ、化け物だぞ……」
レイスが驚愕に顔中を目にしている。モンスター初見ではない俺と違い、そりゃあそうなるだろうな。
ナッドが腕を振り、梁と柱をまとめてへし折った。老朽化した壁までもろともに崩れ落ち、月夜を背にした身の丈は“封鎖区”の巨人ほど。アホか、てめえ、塔の上から顔を出しちまったら、そりゃもう怪奇映画じゃなくて怪獣映画じゃねーか。
「こいつ、ムチャクチャしやがる……」
槌籠を上段に掲げた横で、レイスもレイピアを構える、が、可哀そうに呆然としている。少なくとも今夜まで、彼の“世界”にこんなモノは存在しなかったはずだ。
待て、俺が今立っているここは何処だ? 俺の“異世界”には魔法や怪物は存在しない。ここはナッド・ダムの”世界”なのか。レイス・オランジナの“世界観”は、どの“世界”に属している?
「いいのか、この”世界”でこの“世界観”は……?」
***********************************
「Narf、いい訳あるか。さすがにこれは、見過ごせねえ」
***********************************
……――覚えのある声が聞こえた気がした。
同時に、俺の手の中で槌籠に“何か”が起きたのを感じた。
この感覚には、覚えがある……“鍛冶神の鉄敷”……切れないモノが切れ、切れるモノが切れなくなる――対象の“干渉”の概念を反転して、物理的に切れなくなる代わりに精神や魔力、形のないモノを断ち切れるようになる術式だ。
崩れゆく“封鎖区”で“闇の集合体”を切ったように……
「またひとつ、”世界”を破壊しろってか、異世界監視人」
ナッド・ダムは黄色く光る目で俺達を見下ろした。狼の凶暴さと、人間の残忍さを併せ持った嫌らしい眼だ。
鋭い爪が振り下ろされる。俺とレイスが左右に跳ぶ。さっきまでのスピードがないのが救いか……いや、違う。奴は哂っている。今のは俺達を嬲るため、わざと外したんだ。ナッド、お前は今の一撃で俺を仕留めるべきだったよ。新しいスキルを手に入れて、少し慢心した、それがお前の敗因だ。
俺の隠し持つ”銀の銃弾 “に気づかなかったことが、な。
俺はナッド・ダムに背中を見せるほどに槌籠を振り被り、一閃――ただ彼我の空間を水平に刃が過ぎる。“鍛冶神の鉄敷”を受けた剣にとって、振る動作は呪いでしかない。刃が届くと届くまいと――……
切れると思えば切れる、それが“心の刃”だ。この世は並べて“ある”と思えば“ある”、“ない”と思えば“ない”。自分を信じさえすれば――……
今、俺はナッド・ダムの能力と“世界観”を“切った”。
「ヴ……ヴォルオオオオオオオッツ!!」
手応え、あり。折角の第二形態に見せ場なしで悪いが、こっちも戦隊じゃないんだ、倒した怪人に巨大化されても困る。
“獣の悪魔”のスキルを破壊され、ナッド・ダムは左手で胸を掻き毟る。右手は体を支えようと崩れた壁を更に崩す。崩壊はついに時計塔頂上の釣り鐘に至り――
ガァン――……ナッド・ダムの首の付け根を直撃、くぐもった音を立て、床に落ちてもうひとつ、ゴゥン――……
“止まった時計台”の数年ぶりの、そして最後の鐘の音を、人狼街に響かせた。
***********************************
落ちた鐘の残響が尾を引いて消えた時には、“獣の悪魔”も解けて、ナッド・ダムは元の姿で倒れていた。完全に意識を失っている。俺とレイスは顔を見合わせ、寝台から取った毛布を、ナッド・ダムに掛けた。“獣の悪魔”は発動の代償に、どうやら着てる服を求めるらしい。
「狼女だったら良かったのにな、レイス」
「む。君という奴は」
ナッドの隠すべきところを隠し、俺とレイスはほっとひと息――……
寝台の上で胡坐をかいた、頭巾を被った少女を振り向いた。
月明かり降り注ぐ薄い銀色の髪、磨いた銅の色の頬。真っ赤な瞳の大きな釣り目をした、10歳ばかりの幼い少女。
「Raa。久しぶりだな、ユーマあ」
異世界監視人、ルシウ・コトレットがにっと白い歯を見せて笑っていた。
「ルシウ、お前……」
思いがけないことに驚く俺は、一瞬忘れてたレイスの存在を思い出し、ぎくりとした。異世界管理局の存在は、“異世界”側の人間に知られてはならないもの、なのでは……?
「それで……君はいったい、いつからそこに?」
幼女の座ったベッドから毛布を取った時は、辛うじてスルーしたレイスも、何度見てもそこにいるなら幻覚や幽霊ではないらしいと、諦めて誰何する。
「こんばんは、サー・レイス・オランジナ。アタシの名前はルシウ・コトレット。カルーシア地区異世界管理局出張所の監視人だ」
「この“世界”の法や秩序を、管理している側のモノさ」
レイスは唖然と目と口を開き、俺を見た。俺はゆっくり頷き返す。ルシウ本人が明かしたんなら、俺が隠し立てすることもない。
「信じられん……」
真面目な男は呟いたきり、赤い目の幼女を見つめている。
「無理もないさ、レイス。今夜のことは、一夜の夢なんだ――……」
ルシウがそう囁くと、不意に、レイスの体から力が抜けた。
「レイス!」
慌ててレイスを支えると、幼女は両手をきゅうと握り、猫が毛繕いするように黒頭巾を背中に落とした。
「なーふ。申し訳ねーな、ユーマ。この狼男騒ぎは、ちょっと管理局の不手際があってな。アタシは“世界観”の整理に来たんだよ」
「あれ? お兄ちゃんに会いに来たんじゃねーの?」
俺の精一杯混ぜっ返しに、幼女は人差し指を目の下に当て、舌を突き出した。
***********************************
ルシウが立ち上がった寝台に、とりあえずレイスを横たえた。ナッドは床。二匹の犬は幼女がぱちんと指を鳴らすと、その場にお座りして微動だにしなくなる。振り返ると、ルシウが、いつものように歯を見せて笑っていた。
「ったく……用がある時しか会いにこねーんだから、つれないよな」
「なーふ。判ってんだろ、アタシがそーゆーモノだってのはさ」
「まあな、“封鎖区”じゃチューもしたし、誰よりお前を理解してるさ」
「るああ、うるさいうるさいっ。だから遊びに来たんじゃねーんだって」
そう言ったルシウに、久しぶりにレバーにパンチされた。
ルシウは「ふん」と鼻を鳴らすと、真面目な顔を取り繕った。
「なーふ。今日来たのは、さっきも言ったけど、“世界観”を整理するためだ。お前やレイスの属する“魔法のない世界観”のカルーシアに、そこのスッポンポンの」
ルシウは床のナッド・ダムを指さした。
「“チートありありの世界観”が混ざっちまったのが、今回の騒動なんだ。ま、こっちは“権限”で分離して、レイスちゃんには少し忘れてもらって、“世界観”の辻褄を合わせて“一丁上がり”なんだが……」
ルシウはなぜか、不意に俺の顔をじっと見つめた。
「ユーマ。お前、ちょっと厄介なことになってるみたいだ」
「え……俺?」
「ユーマ、お前――……他人の“世界観”が認識できるようになっちまってんだ」
ルシウは俺の傍らを過ぎ、斜め背中合わせに落ちた鐘に腰掛けた。
「なーふ。“封鎖区”でさ、いろいろムチャしたじゃねえ? あれでユーマは本来は“人”が知るべきじゃない、“世界観”の本質的なとこに触れちまったんだ」
監視人が言うには、“封鎖区”で知り過ぎた俺には、ひとつ高次から “世界観”を捉える認識が生まれたらしい。
“世界観”、つまり“思い”が“世界”を形作る理に於いて、“知っている・認識できる”ということは、ある意味で監視人の“権限”に準ずる“力”でさえある。今の俺には、カルーシアにある無数の“世界観”、自分の属しているのとは異なる“世界観”の出来事を把握して、干渉さえできてしまう、らしい。
自分とレイスの“割と現実的なカルーシア”から、ナッド・ダムの“チートやスキルのあるカルーシア”に介入してしまった――今夜の“狼男騒動”は、そういうことなのだそうだ。つまり、言ってしまえば、俺のせいってことか。
「いや……お前を”世界”や“世界観”の理に近づけ過ぎた、アタシの責任だ……」
ルシウはそう言うが、“封鎖区”でやらかした“ムチャ”の数々、どれひとつ取っても、やらなければ今二人とも生きていなかったと断言できる。
「ルシウのせいじゃないさ」
そう言うと、こつんと、少女の頭が肩に凭れかかった。
少し近くなった声が、ちょっと真剣な響きを帯びて言う。
「ユーマあ、これからは気をつけろ。その……“世界観”観は、既にお前の“世界観”に溶け込んで、アタシの“権限”でも切り離せねえ」
「ややこしいな。混乱するわ」
ルシウが前屈みになって振り向くと、銀色の髪が額をさらさら流れた。
「もう、お前の“世界観”は“魔法もチートもないカルーシア”じゃねえってこった。これからは、何もかもがお前には見えてしまう。用心して、おかしなモンには近づかないようにしろ。さもなきゃ……」
「また、今回みたいにおかしな事件に巻き込まれるかもしれない」
ルシウちゃん……知ってるか、それ、フラグって言うんだぜ。
***********************************
ま、俺の“異世界生活”が非日常に踏み込むのは、あの日、異世界管理局の扉を潜った瞬間に、既に決まっていたことだ。今更、後悔なんてありはしない。
俺は腰に毛布を掛けられたナッド・ダムに、目をやった。
「ところであいつはあれか、“チート系の世界観”ってやつか?」
ルシウは俺の陰からひょいと顔を出し、首を振る。
「るああ。いや、アレは“追放系の世界観”だよ」
「“追放系”ぇ?」
聞き慣れない言葉に問い返すと、ルシウが上目遣いに俺を見た。
「なーふ。最近ちょっと多いんだよ。“役立たずが仲間から追放される”、“実はチート能力持ちだったことが判明する”、“そっから無双が始まる”――そういうテンプレの“世界観”だ」
う……うーん……何だ、そりゃあ……
俺の“転移”した頃は所謂 “チートとハーレム”が流行りだったよな。“チート系”は、まあ、理解る。俺TUEEしたい、凄いと言われたい、モテたい……それってバカバカしいと思われるかもだけど、割と健全な願望というか、良くも悪くもストレートな欲望だよな。けど、この“追放系”ってのは……
これは……「私がモ●ないのはど●考えてもお前らが悪い!」……だな。
”追放“の“世界観”は、不満と、それは自分を理解しない周りが悪いという責任転嫁の“世界観”なんだ。それで“異世界”に、“本当はすごい自分”と“そんなことも判らないお前ら”を演じに来る……
「く……屈折してるなあ……」
思わず呟くと、ルシウはにやっと笑って、片目を閉じた。
「るああ。ちょっと前まではさ、“転移者”は“世界観”に願望を投影していたもんだが、近頃は“追放”とか“ざまあ”とか、恨み辛みをぶつけてる奴が多いぜ」
「元の“世界”、俺のいた頃よりみんな疲れてんのかな……?」
「いひひ……病んでるのさ、誰も彼も。Oops……」
「“異世界”の役割も、また変わりつつあるのかもしれねーな……」
そう言うと、ルシウは立ち上がり、スカートのお尻をさっと払った。
「さあて……そろそろレイスちゃんも目を覚ます。アタシは行くよ」
「そうか。また、会えるか?」
埃を払うのを手伝ってやると、お礼にレバー打ちが返ってきた。
「なーふ! ったく、油断も隙もねえ……つうか、アタシとまた会うってのが、どういうことか理解って言ってんだろーなあ? ま、何かあったら、顔出しな」
銀色の髪、銅色の頬。ガーネットの瞳の少女が、にっと白い歯を見せる。
「るああ。カルーシア地区異世界管理局出張所で待ってるよ」




