06.銀色の少女~オルト・クストーデ~
俺がお買い物に使った“扉の法”は、真言の応用だ。マントラで支配する世界の法則は、異世界転移さえも例外ではない。俺がチョコに対して行ったのは、謂わば術者の方から迎えに行く“異世界召喚”だと――……って、ちょっと待った。
「……?」
あれれ、おかしいな。
1、2、3、4……4? 俺の足元でしゃがみ込んで、リスさんになっている女の子が、一人、二人、三人……四人!
「お嬢ちゃん、旨そうなもん食ってるなー」
「って、一人増えてるじゃねーか!」
いつの間にか、人が増えている。これは単に不思議では済まない、異常な出来事だ。なぜなら、俺は真言でステータスーーあらゆる感覚をがっつり強化している。
それにお菓子に夢中とは言え、仲間は加護受けし者と手練れの騎士なんだ。誰にも気づかれることなく接近するとか、あり得ないぞ?
闖入者は外套を纏い、頭からすっぽり黒頭巾を被っている。僅かに顔を傾けた弾みに、零れた白い髪が午後の光に煌いた。
「Raa。捜したぞ、シャルマ・ティラーノお?」
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幼女を胸に抱え込み、コーナが結界魔法を唱えた。同時にクーシュの剣が、既に闖入者のうなじに突きつけられている。しかし黒頭巾の陰の口元は、
「Narf。何で今日に限ってヤノマコにいねーんだ。手間食わせんなよなー」
薄笑いを浮かべる。間延びした鼻に掛かる声は、若い女と思われる。
「何者か! 名乗れッ!」
女騎士の鋭い誰何が、張り詰めた空気を震わせる。
コーナに抱かれた幼女がびくりとした。理解る。いつものクーシュを知っている俺でも、ちょっとびくっとしたもん。
だが黒頭巾は――
頚に押し当てられた刃に沿って、ゆるりと流れるように、優雅な身のこなしで立ち上がってクーシュと対峙した。いや、その眼はクーシュではなく、俺を見ている。
フードの下から覗くその目は、闇への誘り火のように赤い。闖入者は拳を上げると、額を拭うように、頭巾をうなじへ払い落とした。
「るああ。アタシの名前はルシウ。ルシウ・コトレット」
「カルーシア地区異世界管理局出張所から来たんだ」
フードを脱いだ女は思ったより、いや、予想外に若かった。
プラチナの色をした、陽光の下で光を放つかに見える長い髪。カッパーの色をした、磨かれたような肌。ガーネットの色をした、虹彩の大きな釣り目。歳はおそらく俺とそうは変わらない……17を上回らないと見た。顔立ちは幼く、小柄で、ちょうど俺の顎くらいの背丈しかない。そして少女は……
その、立派なものをお持ちであった。
コトレットと名乗った少女は、俺の抗えざる視線に気づくと、
「るああ?」
小さな両の手をきゅうと丸め、あろうことか、
「なーふ。何だこりゃ? 何でこの見てくれで、こんなおっぱいがデケーんだ?」
いきなりがばっと、二つの膨らみを持ち上げた。あの……これ何て風船配達業者さんですか?
「Oh la la。すげえ。爪先が見えねー」
たゆん、たゆん、たゆん。これはけしからん。
少女はひと頻りそれを弾ませると、やがてぽいと手を離した。
「ああっ、まだやめないで(お嬢さん、おやめなさい、はしたない)」
「なーふ。お前、本音と建前が逆になってるぞ」
「褐色巨乳ロリ、キタコレ」
「巨乳ロリ言うな。マジでキモい」
赤いジト目が、あからさまな軽蔑を俺に伝えてくる。
「なーふ。ったく、何て姿を投影してくれるんだ。何が賢者様だか。ヘンタイだよ、HENTAI。」
自分の容姿と奇行を棚に上げ、こちらを辛辣に批判してくる。
その喉元に――……
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クーシュの剣の切っ先が、ぴたりと静止した。クーシュ・オランジナ、本気だな。次の瞬間にも喉を掻き切る構えでいる。
「何者か、と訊いている」
「るああ」
少女は人差し指で左の頬をぽりぽり掻くと、
「言わなかったっけ? 異世界管理局の者だってさあ」
その指先を突き付けられた剣の先端に押し当て、
「な……何ッ?!」
顔の前に持ち上げて「ちっちっ」と左右に振った。
クーシュが慌てて柄を両手で握り直すが、剣の揺れは止められない。
「ダメだよ、オネーサン。刃物を人に向けちゃ危ないぜー」
そう言ってルシウは、剣先からすっと指を離した。
「るああ。アタシは用があんのは、そこの変態賢者なんだ。悪ィけど、ちょっとの間、邪魔しねーでくれるかなあ?」
クーシュは両手を突き出す構えのまま、身じろぎひとつしない。
構え、ているのでは、ない。動かないのではなく、動けないのか……?
「どうした、クーシュ? 気をつけろ、コーナ!」
真言詠唱の指印を象りつつ、コーナを振り向き、呼ぶ。しかし今度は俺の方がぎくりと固まる番だった。
そしてコーナも固まっていた。
結界の呪文を唱えていたまま、口を半開きにして凍りついている、体でかばう幼女もだ。俺は怯えた顔の女の子の、頬の涙が、流れることなく目の下に留まっていることに気づく。
つまり、麻痺や呪縛を受けているのではない……?
「るああ。やめときなー。アタシに真言は効かねーから」
新たな驚きに心臓を掴まれる。俺を知っている。俺の名も、能力さえも――
だが、“俺の能力”を知っているのなら、それはそれでおかしい。
真言は世界の構造に優先する魔法だ。あらゆる“魔法抵抗”の干渉を受けず、しかも術者はステータス異常無効、“常に詠唱が可能な状態”に固定している。“マントラが効かない”は“あり得ない”んだ。
そこまで考えた時、俺の目が異常なものを捉えた。
騎士の彫像と化したクーシュ。ぱっと見、緊張感なくぼさっと突っ立っているコトレット。その向こうに広がる田園風景の空を、飛ぶ5羽ばかりの鳥……飛ぶ? いや……空中に静止してないか、あれ……?
「いひひ、気づいたあ?」
「面倒くせーからさあ、アタシとお前以外の時間を止めてやったんだよ」
目を見張る俺に、抑揚を欠いた気怠げな口調で、ことも無げにそう言う。こいつ……何なんだ? 時間操作なんて最上位魔法を、詠唱ひとつなく使った? だとすれば、その能力は真言を完全に上回る。
そこで俺は、少女の名乗った肩書に思い至った。
異世界管理局……“異世界”、だと? 思わず息を飲む。
彼女はこの世界を“異世界”と呼ぶ認識を持っている……!
それはコトレットが、俺と同じく“別の世界”から来たこと、或いは、“世界”を俯瞰で把握する視点を持つ可能性を示唆する。
そう考えると、俄かに、“管理局”という言葉が不穏な響きを帯びる。少女が使う肩書が本物だとして、本当に異世界を“監視”する立場にあるとして、なぜ彼女は俺の前に現れた?
深紅の視線が、俺の心を見透かすように突き刺さる。
心当たりが……あり過ぎる……
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ルシウ・コトレットと名乗った少女は、俺の動揺をしばし見つめていたが、
「るああ?」
やがて拳をぎゅっと握って、困惑顔で頭の横を撫でた。
あ。「またオレ何か、変なこと言ったかな?」だ、これ。
凄まじい魔法や技で周囲の度肝を抜いておきつつ、「自分的には普通のことなのに、なぜみんなが驚くか理解らない」という態度を示すことで、“桁外れに強い+世間知らず”というキャラ付けをする、アレだ。
同系統に異性からの好意に鈍感な、「お前何で赤くなってんだ?」「あいつ何を怒ってんだ?」がある。どっちもよくやるから、よく判る。
コトレットはキャラメル色の肌に映える、真っ白な歯を見せてにっと笑った。俺に背を向けて、道端の丸太柵によじ登り、
「るああ。ま、そうおっかなびくっりしなさんな、って」
腰を掛けて、足をぶらぶらさせる。
揶揄われているのだろうか?
言葉と力は謎めいているが、こうしていると、普通に可愛い女の子だ。
そもそも、どこから来たんだろう。
ヤノマコ村からとしても、村から村を来る格好ではない。フード付きマントの下は、薄手の、ご近所を出歩く格好か、下手すりゃ部屋着。膝丈のローブから伸びた先は、素足にサンダル履き、それも田舎の街道を歩くには華奢な代物だ。
柵の横木に据わり、両脚をぱたぱたしていたコトレットは、俺の視線に気づくと膝を折り、スカートの下にたくし込んだ。
「Oops。エロい目で見んなよ、るああ」
上から目線のジトり目は、見下し感半端ない。
「なーふ。ったく、とんだエロ賢者様だよ」
それこそとんだ風評被害だ。
コトレット嬢は顔中で俺をバカにしながら、左手で胸元を引っ張り、右手をぎゅうぎゅうと突っ込んで、巻いて封蝋をした皮紙を引き抜いた。自分こそ仕草がいちいちエロくて困る。
「ほらよ。お前宛だ、タイラノ・マサルう」
こっちが取りに来ると決めつけて、少女は柵の上から書簡を差し出す。
受け取ろうと足を踏み出しかけて、俺は……
まるで時間を止められたように動けなくなった。
背中を、嫌な汗が流れ落ちた。
今、呼ばれた。シャルマ、異世界の少女達からそう呼ばれるようになり、捨ててしまった名前。こことは違う世界に置いて来た、俺の本名で。
コトレットは俺の驚愕を眺めていたが、肩を竦め、書簡を引っ込めた。
「うーぷす。まあ、いいや。どーせ、口で説明しなきゃいけねーんだ」
そう呟くと、間延びしたくだけた物言いを僅かに改め、俺にこう告げた。
「シャルマ・ティラーノ……平野、勝」
「カルーシア地区異世界管理局出張所から、幾つかの勧告とお知らせがあるよ」