79.トランジッテ・エ・トランジッテ~異邦人達~(視点ザッピング)
【レイス視点】
待ち伏せを警戒しつつ、塔を時計盤裏の機巧部屋まで、ユマに背を預けたまま登り詰めた。機械やら動力やらでもっとごちゃごちゃしているかと思ったが、存外がらんとしている。時計の機巧は錆びつき、この部屋で刻が止まって久しい。
高い天井は頭上にぶら下がった鐘まで吹き抜けで風が通り放題、住んで快適とは言い難いだろう。壁際に小さな机と椅子、毛布を丸めた簡素な寝台。床に転がった何本かの酒瓶が調度の全てであった。
そして男は、部屋の柱に背を凭せ、上がってきた我らを見据えていた。
「……――お前らか。俺の可愛い魔獣を痛めつけてくれたのは」
男の足元には金色の犬が、しきりに顔を顰めながら侍っている。男――私やユマと同年代と思しい――はそう悪い身なりをしておらず、旅装を簡略した丈夫な行動服姿。携えた得物は鞭……しかし拵えは武具ではなく、乗馬用か調教用のそれと見える。
顔や腕が毛で覆われてはいない。筋骨逞しい大男でもない。だが……
「お前は、“狼男”なのか?」
そう問い質すと、男はにやりと不敵な表情を見せる。
「答えは半分YES、半分NOだな……」
言うや男は指の呪いの印を象り、低く何事かを呟いた。
その途端――……何が変わった訳ではないが、男の雰囲気ががらりと変わった。まるで姿はそのままに獣と化したように、或いは己の内に飼ってある獣の鎖を解き放ったかのように。
「くく……“獣降ろし”、魔獣使いLV99のスキルさ……」
「む……手向かうつもりか?」
左手で防御小剣を抜いた。この者、やはり魔性のモノ――手加減できる相手ではない。まともに当たれば力負けする。斃すには一撃で急所を貫くよりない。
姫殿下、申し訳ありません、どうやら生かして捕らえることは能いませぬ。
「ふっ、当然だ。こっちは、そろそろ衛兵か何かとやり合うイベントでも起きないかと、心待ちにしてたんだ」
鞭が二度空を切ると、金色の獣がのそのそと部屋の隅に下がった。
「ヴィクトル、お前は香水の匂い抜けるまでお座りしてろ」
「クゥーン……」
狼男は鞭を投げ捨て、革手袋を直した。拳のところに鋲がある――こっちが本来の武器、格闘術が奴の流儀か。
狼男が掌を床につくほど、低く身を屈めた。
先手を許す義理はない。突くなら止まっている間の方が良いに決まっている。
が――……私が送り出した刺突の下を、槌籠の峰が擦るように撥ね上げた。
「ちょっと待った、レイス」
「ユマ、何をする!」
剣を構えに戻して抗議の声を上げると、ユマは刀身を背へと流して狼男を見据え、静かな声で言った。
「覚悟して切るならいいが、切った後で知ったでは後味が悪い」
「レイス、あれは“人間”だぞ」
「何……?」
ユマは狼男に向け、私の聞いたことのない言葉を口にする。
「お前、もしかしてオルト・トランジッテか……?」
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【ユマ視点】
“異世界転移者”――……
“LV99のスキル”、“衛兵か何かとやり合うイベント”……その言い回しでピンときた。そのメタな視点は、こいつ、“異世界転移”してきた奴じゃないか、と。向こうさんも、さすがに驚きを隠せなかった。
「ってことは、お前も……?」
やっぱりか。レトリバーやコーギーがいる時点で何かおかしいと思ってたが、あれはこいつが連れてきたか、それとも召喚でもしやがったんだろう。
「ユマ・ビッグスロープだ。カルーシアでは傭兵をやっている」
俺が名乗ると、相手は一瞬迷いを見せたが――
「……ナッド・ダム。お前と同じ、通り名だがな……」
身を起こし、名乗った。俺の経験則から、語呂合わせか言い換えだろう。
「ナッド・ダム……なるほど、ここに住んだのは“ノートルダムの鐘撞き男”か。狼男と言い、怪奇映画が好きらしいな……タムラ、ナッド……ナオトか?」
「本名当てんなクソ野郎。そっちこそ、折角の“異世界転移”で、えらく地味で地道なことやってんじゃねーか」
まあ、異世界監視人お墨付きの、堅実で真っ当な“世界観”だからな。その割に、人のおかしな“世界観”で苦労させられるけどな。
「余計なお世話だ。俺に言わせりゃあ、そっちがあんまり派手にやってるから、こっちにまで皺寄せが回ってきてんだぞ――……で」
「この狼男騒ぎは何な訳?」
ナッド・ダムは俺の問いに、尊大な仕草で肩を竦めた。
「復讐――……とはちょっと違うかなァ? “異世界”に来てみたけど、あまりにもシナリオが面白くなくてさあ。だったら俺の能力で、自分の手で面白おかしく演出やろうか……ってな」
あー……何か――……
「演出はいいが、他人に迷惑掛けんなよな」
「別にいいだろ、脇役なんざどーなろーが」
むかつくなー、こいつ――……
“異世界”の全てが、自分のためにあるとでも言いたげな傲慢さ。自分が“世界”の主人公であるかのような思い上がり。何が腹が立つって……
まんま監視人と会う前の俺だ。くそ、自分の黒歴史を現在進行形で見せつけられているよーで、めちゃくちゃ恥ずかしい。
「今回の件は俺の方の“世界観”にまで波及してきてるんでな、ちょっとだけ控えてもらえないか?」
一応言い聞かせてみるも、案の定ナオトは憎げに挑発をくれる。
「何で脇役の“世界観”を、気にしなくちゃいけねーんだ? むしろ……」
「くっくっく……むしろ、最高のシナリオ展開じゃねぇか。“魔獣使い”ナッド・ダムの物語、第2章7話『“転移者”VS“転移者”』ってとこだな」
「……よそう。“異世界転移者”同士戦ってもしようがない」
「ヤだね。折角のイベントだ、楽しませてもらうぜ」
「……そうだろうねえ」
背後に置いていた槌籠の刀身を、改めて陽の構えに据える。
「お前みたいな“転移者”がいると、またアイツの仕事が増えるからな。ボランティアで片付けといてやるか」
「思わせぶりな台詞を吐くねえ……」
ナッド・ダムが再び地に伏せるごとく、身を沈めた。
「レイス。相手は投降勧告に応じずだ、制圧するぞ」
「相判った」
相棒が、何も問わず頷いた。
「ナッド、あんまりムチャなチートは使うなよ?」
そう言葉を投げると、ナッド・ダムは不敵に笑い、床を蹴った。
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【レイス視点】
ユマと、狼男の交わした会話は、概ね私には理解できなかった。端々から察するに、もしかすると同郷の異邦人同士なのか。
しかし狼男は傲岸な印象で、ユマのようには好感は持てないタイプだ。なのでユマと狼男の話が決裂し、正直ちょっと私は嬉しく思っている。
狼男が殴り掛かる、と同時にユマが回り込むよう足を運んだ。その太刀筋も身の熟しも、ユマは私の剣とは対照的に円を基調にしている。
(……――悪くないかもしれない)
彼の弧の動きと私の直線の動き、二つの剣が縦横に噛み合うのなら、それは狼を捕らえる檻となるのではないか――……
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【ユマ視点】
俺がナッド・ダムの左へ回ろうとするや、レイスが正面から踏み込む素振りを見せ、敵のスピードを僅かに鈍らせた。俺の動きを完璧に読んで、サポート入れてくるとはさすが。ナッドからすると、俺の攻撃は線で来る、レイスの攻撃は点で撃ち込まれる。
その狭間で足を踏み外した時、俺達のいずれかが人狼を刺す。
脇構えから刃を返し、巻き込むように逆袈裟を仕掛ける。
「峰打ちか……甘い“世界観”してやがる」
ナッド・ダムは仰け反って刃を躱すと、反動で鞭のように掴み掛ってきた。
“お節介な時間干渉”――……
仰け反ったナッドに、更に踏み込んで切り上げた槌籠で突きを送る。
「へえ、やるな」
狼男はそのまま逆らわず背後に倒れ、強烈な足払いを放った。
更に1秒戻る――……
仰け反ったナッドの、下半身を刈るように力ずくで刃を落とす。
「っと、危ねえっ」
器用な奴だ。今度はバク転で俺の手元近くを蹴り上げやがった。無理な体勢をしていたせいで、大きく崩される。これはマズい。
その1秒も無かったことになる――……
仰け反ったナッド……うーん、打つ手がなくなったぞ。俺は残心したまま大きく数歩間合いを離した。
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【レイス視点】
追撃に行くかと見えたが、ユマは体勢の崩れた相手から、逆に逃れるように後ろへ跳んだ。一瞬のことだったが、何故か、私には激しい攻防があってユマが退いたような――そう思えた。と、狼男が倒れる寸前から、ぐうっと上半身を戻した。
「カウンター狙ってたの、バレてたみたいねェ~」
む……ユマの奴、また数手先を見越して剣を引いていたらしい。
「慎重派なのかい、それとも勘がいいのか……?」
「なァに、臆病なだけさ」
ユマが自嘲すると、狼男の笑みが口元を残して消えた。
「くく……そういう奴が一番怖いんだ……」
そう、ユマは怖いのだ。そこが判るとは、貴様もなかなか見どころがある。
狼男は拳を軽く打ち合わせると、ユマに殴り掛かる。
と――……狼男はユマの間合いの外で床を蹴り、ほぼ直角に私を標的に変えた。
何という身体能力……しかし私とて惚けてはいない。カウンターは何も貴様の専売特許ではないのだ。相手の攻撃線から身を逃しつつ、刃を繰り出す。その勢いでは避けられまい!
「へえ……こっちの兄ちゃんも隙がねえや」
狼男は感心したよう呟くと――再び床を叩いて突進を曲げた。
「な……馬鹿な……?!」
結果、狼男に対し無防備に体を開いた形になった。そこへ、しっかりと体重を乗せた肘打ちが突き刺さる。
「ぐ……!」
「レイス!」
不覚――……ユマの声を耳にしながら、吹っ飛ばされた私は、柱に背をしたたかぶつけた。レイピアは辛うじて離さなかったものの、左手のマンゴーシュはどこかへ飛んでいってしまう。
狼男は素早くユマへ向きを変え、私を肩越しに見下ろした。
「惜しかったな。俺じゃなきゃあ、仕留められてただろうが……ん?」
狼男が怪訝そうな顔をした。
「あれ、お前……?」
刹那、槌籠が弧を描いた。牽制の切り込みだ。狼男も軽く跳んで下がる。
「レイス、無事か?!」
「ああ……何とか……」
柱の根元に尻をつけ、私は辛うじて返事を絞り出す。狼男め、体格は私とそう変わらないが、まるで馬にでも蹴られたように重い一撃だった。情けないことに、すぐには立てそうにない。
だが、私はようやく”狼男“の正体に辿り着いた。
“止まった時計台”付近を徘徊する、この男の使役する獣達。そして人の姿のまま、獣のような身の熟しを欲しいままにするこの男自身。異なる二つのモノが重なる時、そこに何が現れるか。
人の噂がナッド・ダムと、奴の犬を同一視したことで生まれた“獣のような人間”の幻想――……それこそ狼男の真の姿だったのだ。
って、謎解きをして喜んでいる場合ではない。
真相を解明したところで、取り逃がしては話にならぬ。剰え、下手人に返り討ちに合おうものなら、姫殿下に合わせる顔がない……!
あのスピード、いかにユマであろうと援護なしに捉えられるとは思えん。狼男の一撃を受けた胸を押さえ、私は何とか立ち上がろうと、噛んだ奥歯を鳴らした。




