78.イングランド・エ・ウェールズ~英国原産~(ユマ視点)
こちらの存在に気づいた途端、そいつは一直線に向かってきた。町中で人を恐れない獣は、それだけで十分に危険な存在だ。路地を飛び出す、と全く同時に、レイス・オランジナが疾風のように真横を掛け抜けた。
……――いいね、この“頼れる相棒”感。
そうだ……前の仕事、“封鎖区”の時の相方、ポンコツ幼女だったもんなあ……
(るあっ?! ユーマ、最高のパートナーったらお前、アタシだろーが……)
いや、確かに俺の相棒っちゃあ、ルシウたんよ? 大好きよ? けどなあ、この頼りGUY的なのはさあ……正直、レイス君かなあ……
(るああ……)
時計台前、月明かりの下――俺達の前に躍り出たのは、狼にしてもあまりにも巨体の、動物園で見たライオンか虎ほどもある獣だった。狼男かどうかは判らないが、化け物であることには違いない。
腰の槌籠を抜く。俺より一歩先んじたレイスもレイピアを抜き放つや、ベスティエの突進に合わせて鋭く突き入れた。
これは一撃で片付くか――と思ったが、獣はほぼ真横に跳び、刃の射線を避けた。レイスの切り払いが追う、が、紙一重に躱して走り抜ける。
「ユマ、そっちへ行くぞ!」
レイスが叫ぶと同時に、ベスティエが地を蹴って俺に跳び掛かった。
その軌跡を目に焼き付けて――……
“お節介な時間干渉”が発動する。
貰った! ベスティエの頭が来る位置へ上段の打ち込みを重ねる。
が――……獣はぐっと身を沈め、跳ばず、そのまま俺に突っ込んできた。
「何っ……?!」
こいつ……俺の動きを見て、“俺が視た未来”を変えやがった……?
獣の速さに、“お節介な時間干渉”が追いつかれる……!
上段に振り上げた無防備な胴に、地を擦るような爪と牙が刺さる。
が、それはさっきとは違う攻撃、同じ攻撃に“お節介な時間干渉”は二度発動しないが、違う攻撃なら……
また1秒、時は巻き戻る。
槌籠を握る拳を左掌に打ち付け、後ろに倒れ込みながら、甲冑手甲の腕で奴の下顎を撥ね上げる。
「ユマ!」
俺が押し倒されたと思ったか、レイスが叫ぶ。一旦槌籠から手を放し、毛皮の塊に潰されるところを間一髪転がり逃れた。
「無事だ!」
片手を着いて身を起こすと、隣に駆けつけたレイスが剣を構え、俺を跳び越えた魔獣が翻し、二人の人間を見比べる。
「ヴォルフゥ――……」
ベスティエは短く吼えると、レイスを睨みつける。が、俺が捨てた刀に手を伸ばすと、視線が飛んでくる。俺達二人を激しく警戒しているようだ。
と、多勢に無勢を悟ったか――
***********************************
獣はたったっと数歩走ってくると、俺達の頭上を軽々と跳び越え、ガラクタを足場に時計台の方へ――二階の高さの採光窓へ駆け上がり、飛び込んだ。
「ちッ……逃がしたか」
「助かったとも言うな」
それぞれ納刀し、月夜を背負った時計台を見上げる。
「中に逃げ込んだか」
「ああ、そうだな」
つまり……我々も行かねばならないのか。
ホラー映画を観てる時、よく笑ってたよ。自分が登場人物なら、こんな怪しい洋館とか廃墟とか、絶対入らねーよって。
人はそれぞれ已むに已まれぬ事情があって、自ら墓穴に突っ込んでいくんだなあ。バカにしてて御免な、ジョージにマイクにキャシー。
レイスが振り返った。
「ユマ、さっきの獣は……あれは狼ではなかったよな?」
確かに狼には見えなかった。シュマフ地方には“魔獣化した狼”と呼ばれる大型種もいるそうだが、さっきのはまず狼の形をしていなかった。
ふさふさとした金色の毛並み。大きな頭部に、垂れた耳、扁桃型の下がり目。異常なほど巨大だったが、あれは……
「レイス。あれはたぶん……犬だ」
そう……それもおそらくは“ゴールデン・レトリバー”。
「犬……いや、しかし、あんな大きな犬がいるか?」
レイスが眉根を寄せたが、
「大きさはともかく、外つ国の犬に、ああいう見た目の種類がいる。それよりもレイス、あれが犬なら問題がひとつある」
「何だ?」
「飼っている誰かがいる、のではないかな?」
レイスがはっとして、時計台を仰ぎ見た。
「では、化け物の主人が、塔に……」
「可能性は高い。さっきアイツの下敷きになったが、野生独特の獣臭があまりしなかった。人に世話をされているんだと思う」
「そうか。その飼い主こそが、狼男という訳だな」
「それは知らんけど」
俺も“止まった時計台”の頂上、鐘楼を見上げた。
「まあ、行くしかないな――……歓迎はされないと思うけど」
時計塔内部への扉は、頑丈そうな南京錠で封じられていた。
「なあ、狼男ってやっぱり耳や鼻がいいのかな?」
俺がそう言うと、レイスは腰を屈めて錠前を調べ始めた。
「さあ? 狼の化身なら、それは人間よりはいいんじゃないか」
「そうか……なら、もうコソコソする必要はねーな」
俺はレイスの傍らから、その辺に落ちてた先の外れた何かの柄を、掛け金と扉の間に差し込んで体重を掛ける。
ばきっ――……扉の掛け金具の方が壊れ、錠前が垂れ下がった。
「よし、行こう」
「ユマ、君という奴は……むう……」
俺がぶっ壊した鍵を見つめ、レイスが物言いたげに唸った。まあ、大事の前の小事という奴だ。
扉を開くと、派手に軋んだ。外から錠を掛かっていることも併せて、ここからは出入りしていないと考えられる。中を窺うと、暗いが、上階に火の灯りがあるようだ。
やはり、人間が住んでいる……
踏み込もうとして、腕を掴まれた。振り向くと、レイスがガラスの小瓶を乗せた掌を差し出していた。
「それは……聖水か」
レイスは少し顔を赤くし、素っ気ない口ぶりで言う。
「わ、笑うなよ。効果があるかもしれんだろ。君だって、魔物を退治した経験がある訳でもなかろうに」
まあ、確かに――巨人とかドラゴン、白の聖母と黒の鬼女、暗黒世界の集合体ぐらいとしか戦ったことはない。
俺は腰の道具入れからフラスク型の瓶を取り出した。
「実は、俺もクリストフ爺様に持たされててな。ああ、そうだ」
レイスの手に瓶を置き、聖水をひょいと摘まみ上げた。
「交換しよう、互いの武運を祈って」
「う、うむ……」
レイスは面食らった顔で頷き、ぐっとフラスク瓶を握った。
「だから、そうビクビクすんな。俺がついてる」
「む! 無礼な、怖気づいてなどおらぬ」
茶化すというと、レイスは俺を押し退けて鼻息も荒く石段を上って行く。さて、発破も掛かったようだ。俺は含み笑いをしつつ、後に続く。
***********************************
時計台の中と言えば、俺が乗っかれるほどの歯車が何十と回ってそうなイメージがあるが、考えりゃあそんな訳はない。何の変哲もない石の塔だ。
中に入って強く感じるのは、“狭さ”だった。階段の幅は俺が両腕を広げると、ちょうど壁に触る程度。しかも四角四面の時計塔だから、中の階段は直角に折れる。つまり、曲がる先が見えない。
まさにここは相手の巣穴の中、慎重にならざるを得ない……
二つ目の踊り場、ちょうど位置的に、頭の上にあるのがレトリバーが飛び込んだ調光窓かと思う。壁には松明が斜めに立てられ燃えている。
先を行くレイスが、手で止まるよう合図した。
同時に、俺の耳も階段を駆け下りてくる足音に気づく。四つ足のリズム、微かに混ざる硬い音は、石段に爪が当たる音――金色の獣だ。レイスが静かにレイピアを抜き、左手を突き出して、引きに構えた。レイスには獣の頭の高さが判っている。少々可哀そうだが、姿を現したが奴の最期か。
踊り場の壁に、影が踊った。
「そこッ――……!」
気合とともに、必殺の刃が音もなく送り出された、が――
レイスの剣は、標的の僅かに上で空を切った。
コーギーだった。
「って、低っ!」
冷静沈着なレイスが、素の突っ込みを吐いた。胴長短足短い尻尾、その愛嬌のあるスタイルは、コーギー・ペンブロークのそれである。
「え、何これ、可愛い……」
呆気に取られたレイスの横をすり抜け、
「っとと!」
俺の足元を潜って階下へ逃れた。俺が知っているコーギーと比べるとデカいが、さっきのレトリバーほどではなく、通常の大型犬というところ。
と、上から更なる足音が降って来るのに気づく。
「レイス、まだ来るぞ!」
「ちッ、二匹いたか!」
俺がコーギーに向かい数歩降りると、レイスも下がる。
同じ段で逆の方を向き、片やレイピアを刺突に、こなた槌籠を下段に据えた。
「済まん。あまりの愛らしさに気勢を殺がれた」
「レイス……さては犬派か?」
「うむ……」
「俺は猫派だ」
「そうか……」
「だから、申し訳ないが遠慮なく切って捨てるぞ」
「それとも、生きたまま捕まえて城で飼うかい?」
耳元で短い笑いがした。レトリバーが踊り場に着地したのも聞こえた。つまり挟み撃ち――……俺は下へ、レイスは上へ、次の石段を靴底で叩く。
「「背中は預けたぞ!」」
とは言え……コーギーか。コーギーだな、普通の倍はデカいけど。はっきり言って、やりにくい。狼なら割り切って退治するのに、犬を切るのは躊躇するとか、我ながら人間とは勝手なもんだ。
「……と、そうだ。一応試してみるか」
レイスの聖水の瓶の栓を抜き、上から振り撒いた。量は知れていたが、飛沫は確実にコーギーの体に掛かった。
「わん!」
「レイス、聖水ダメだ!」
「了解した!」
その背後に気をやった隙を、コーギーが低い軌道で狙ってきた。慌てて犬の口に向かって踏み込み、攻撃のタイミングを僅かにずらす。革靴に食いつかれたが、足首に圧力が加わる前に、槌籠で犬の脇腹を――……
「ぎゃんッ!」
……――寸前に峰に返して、打ち払った。くそ、我ながら甘い。
コーギーは壁にしたたか体をぶつけ、唸りながら後退した。
その時、背後からガラスの割れる音がした。更に……
「ひゃいんッひゃいンッ」
あの金色の獣の声とは思えない、情けない悲鳴が降ってきた。
コーギーからは目を逸らさず、背後のレイスに叫ぶ。
「やったのか?」
「うむ……だが、切ったのではない。聖水が効いた」
「へ……?」
俺がぽかんと聞き返すと、レイスもぽかんとした様子の口調だ。
「クリストフ翁の聖水だ……どうせ効き目がないなら、瓶ごとぶつけてやろうとしたんだが、割れて聖水が飛び散ったとたん、魔物が苦しみだして……」
レイスが話していると、ふと、酸味のある爽やかな香りが漂ってきた。
「これは……リモンチェッロか!」
「そうか、蒸留酒とレモン……」
リモンチェッロ――レモンの皮を度数の高い蒸留酒に漬け込んで、砂糖水と合わせて作る果実酒だ。クリストフ老人のくれた瓶には、まだ糖分を加えていない、謂わば原液のリモンチェッロが詰められていたらしい。
アルコールと柑橘類の刺激は、犬が最も苦手とする匂いだ。
「魔除けではなく、実用品の狼除けだ、これは」
「何ちゅう食えない爺様だ……」
レトリバーは大嫌いな匂いをたっぷり浴びて、もはや俺達の相手どころじゃない。ひんひん鳴きながら、階上へと逃げていった。
残ったコーギーを槌籠で牽制しながら、とりあえず踊り場まで上がる。壁に掛かった松明を手に取る。コーギーは唸りながらじりじり上ってきたが、リモンチェッロの匂いが強くなると、さすがに足が進まないようだった。
「よぉし、そこでお座りだ、ポチ。いい子だから、そこにいろ」
松明を振って躾けてみたが、犬は口の端から牙を剥出している。やがて意を決したようで、コーギーは一気に階段を駆け上がり、リモンチェッロの水溜まりを跳び越えんと床を蹴った。
「バカだな――……」
俺は松明を、ひょいと投げ捨てた。
リモンチェッロって、96度のウォッカで作るんだよ……
コーギーの腹の下から、ぱっと炎が吹き上がった。驚いてバランスを崩した犬は、自ら火の中に足を突っ込む、瞬く間に毛皮に燃え移る。
「ぎゃンッ!」
犬は上半身を火に包まれて、階段をごろごろと転がり落ちて行く――……
「やったか……?」
レイスが下の踊り場を回り、更に階下へ遠ざかっていく炎を見て呟く。
「ああ。まあ戦闘不能は間違いない」
「そうか……少しばかり哀れな最期という気もするが……」
犬派が複雑そうな顔をするので、
「心配するな。アルコールの火は派手に燃えるが、すぐ消える。奴も精々、毛皮が焦げた程度さ。俺達に向かってくるのは懲り懲りだろうけどな」
そう言うと、ぱっと顔を明るくした。本当、素直な奴……
とにかく、二頭の“犬”は辛くも撃退した。これ以上は出てこないことを願いたいが……時計塔内の様子を見ても、ここには人の痕跡がある。鐘楼で待つ者、そいつは人狼なのか、それとも……




