74.カヴァリオロ・エ・メルセナリオ~騎士の頼み~(ユマ視点)
「頼む、力を貸してくれ」
酒場のテーブルに手をついて下げられた頭を、俺はジョッキの麦酒を啜りながら見つめた。目の前の男は王宮近衛兵、つまり騎士階級だ。貴族様に頭を下げさせたら、そりゃあ気分がいいって奴もいるだろう。
俺には、ただただ厄介なことだとしか思えない。
「まあ、とにかく顔を上げてくれ」
声を掛けると、相手はぱっと目を輝かせた。
「おお、力を貸してくれるか!」
「まだそうは言ってねえよ」
相変わらず面倒くさいなあ、そう思いながらエールをもうひと口。
「とりあえず、もう一回順を追って話してくれ、サー・レイス・オランジナ」
名門貴族オランジナ家の御子息にして、近衛隊の若きエース。ついでに線の細い超美男子と非の打ち所にないこの男に、何を間違ったか、一介の傭兵である俺がえらくご執心されている。
きっかけは、城で行われた剣術大会で、物の弾みでこの天才剣士から一本取ってしまったことだ。以来プライドを傷つけたか、妙にライバル視されているようで、ちょいちょいと絡んでくるのを敬して遠ざけていたのだが……
今日は仕事上がりを無理やり酒場に引っ張り込まれ、何事ぞと身構えれば、いきなりの頼み事。しかもその中身が突拍子もない。
「その……狼男退治だっけ?」
俺――傭兵ユマ・ビッグスロープが呆れ声でそういうと、騎士レイス・オランジナは真面目腐った顔でこくこくと頷いた。
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俺にとって狼男は、ファンタジーより映画の“世界”の住人、それもホラーじゃなくて古き良き怪奇映画のイメージが強い。普段は人間、満月の夜に狼になる。ドラキュラにフランケンの怪物と並ぶ、三大銀幕のモン“スター”だ。
で、その狼男――率直な疑問はカルーシアに存在するのか、ってことだ。
俺がカルーシアの秩序を管理している異世界監視人、ルシウ・コトレットの依頼を受けた顛末を、ご存知の人もいるかと思う。
その出来事を通じて俺が知ったのは、“世界”とは“世界観”で出来ていて、カルーシアでは百人いれば百人が違う”世界観“で生きているということ――自分と、目の前にいる人が、根っこから異なる“世界観”を持っていても、カルーシアでは許容され、互いに干渉しないというルールだ。
俺の“世界観”のカルーシアは、魔法やモンスターが当たり前のように存在している“世界”ではない。異世界であること以外は、割と現実的な“世界”のはずだ。
狼男か……いない、はずだと思うんだけどな……?
ジョッキの底でテーブルを軽く叩き、俺はレイスの顔を覗き込んだ。
「サー・オランジナ、基本的なことを訊く。狼男って、本当にいる――……」
のか、と言いかけて、俺はふと質問を変えてみた。
「いると思うか、あんたは?」
レイスは一瞬きょとんとした顔をして、不思議そうに答えた。
「それは……まあ、いるだろう」
いるのかあ……真実なのか、迷信深い男なのかは判らないが、少なくともレイス・オランジナの“世界観”の中には、狼男は実在するようだ。
「詳しい話を聞こう」
「ああ……と、酒と料理はいいか? 今日は私が持つ、遠慮は無用だ」
「そう気を遣われるな。あながち知らん仲でもないだろう、それに」
「奢られても断る時は断るぞ?」
俺が釘を刺すと、坊ちゃんは何だか少し嬉しそうに微笑した。
糖蜜酒で軽く口を湿し、レイスは話を切り出した。
「ユマ殿、卿は近頃旧市街で狼男が出るという話を知っているか?」
「いや……聞かないな」
傭兵仲間はその手の与太話を好むし、仕事柄市井の声は近衛兵より耳に近い。噂になっているなら、俺が知らないのはちょっと妙だな……
こちらごとは口に出さず、レイスに話を続けさせる。
「私が聞いているのは、旧市街の、いわゆる貧民窟界隈でな、夜な夜な狼男の遠吠えがするだの、犬だかカオリンチュだかが食い殺されたの、誰かが二本足で歩くケダモノを見ただと、そういう噂だ」
「はー……あんたんとこの姫さんが、大喜びしそうな話だな」
俺がチーズを乗せた固焼きパンを抓みつつ、混ぜっ返すと、レイスがギクッと肩を震わせた。
「あ……そういう話なのか?」
俺が察すると、レイスは黙って首を縦に振った。
聞いた話によると、この国では王子王女が幼い間、近衛兵から特に選ばれた者が専属護衛の任に就くのが習わしなのだという。
レイス・オランジナはつい先だって、この国の第三王女・プリンツェスィン・ブラネージュ・ロアーレ・アルカネット・オー・カルーシア殿下直属の騎士を任じられた。それは非常に名誉なことであり、また前途を約束されたと同義であるが……
代償は大きい。
実は俺も、第三王女殿下とは面識がある。抜けるように白い肌から“白雪姫”とも讃えられる、美貌の姫君だ。町で迷子……お供をつけずにお忍びあそばされていたのを、保護……お城までエスコートする誉れを賜って以来、目を掛けて頂いている。こちらが望むと望まざると。
ちなみに殿下は御齢10才、幼女にモテることには定評のある俺だ。
そんで、あのワガママ王女に、一番振り回される役がこの人な訳な。
「実は……殿下に狼男を捕らえて参れと命じられた」
深刻顔のレイスには悪いが、吹き出してしまった。
「ああー……あのお嬢ちゃんの言い出しそうなことだな」
レイスはグラスを呷り、ちょっと据わった目を向けてきた。
「卿、口を慎まれよ。ああ見えても、我が国の王女であらせられるぞ」
俺は肩を竦める。
「失礼、俺は異邦人なもんでね。自分こそ、“ああ見えて”は良かった。失言ついでに言うけど、サー・オランジナ、子どもの言うことを、いちいちまともに取り上げなくてもいいんじゃないか?」
「それがそうもいかなくてな。此度の件では殿下は、それ城の外へ連れて行け、やれ木になった林檎を取れと、いつもの調子で申されたのではない。巷を騒がせる狼男を退治し、臣民の不安を鎮めよとの情け深き仰せだ」
「知恵がついたな」
「ああ、ますますタチが悪い」
思わず本音を漏らし、レイスは干し肉をナイフで一口大に切り、口に運んだ。干し肉をそういう食い方する奴、初めて見たわ。
「と、まあ、こういった事情なのだが、さて、実際狼男を探し当てられたとして、何といっても相手は魔物、私一人で太刀打ちできるものなのか……」
それで助太刀を頼みにきた訳か。
「で、何で俺だ? あんたに手を貸す奴くらい、隊に幾らでもいるだろ」
「む? 魔物の討伐だぞ、最も腕を買っている男に頼むのが筋だろう?」
う……育ちのいい奴は、そういうことを恥ずかしげもなく言う。
「それと、卿が槌籠を振るうところを見たいのもある」
バカ正直な奴……
俺が腰から下げた刀、銘を天羽“黒革包拵”槌籠という。大きな声では言えないが、異世界監視人から譲り受けたものだ。
武具には一家言あるレイス・オランジナ、珍しい東方国の刀剣に興味津々なのも判らないでもないが……
頭を掻きながら、訊いてみる。
「急ぎの話なのか」
「うむ、殿下の命はさておいても、真実狼男が人を襲っているのであれば、早々に解決せねばなるまい。何なら、今からでも……!」
意気込むレイスに、
「落ち着け。まだ受けるとは言ってない。それに……」
俺は一旦肩透かしを食らわせた。
「娼館でもあるまいに、一杯ひっかけた勢いで行くもんでもないだろう」
レイスははっと自分のグラスを見下ろし、そして耳まで赤くなった。
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俺は半分残ったジョッキを手に、椅子の背凭れに体を預けた。
「サー・オランジナ、俺は傭兵組合を通さない仕事は受けないんだ」
「いや、それは……ギルドを通すと話が遠い。別の人間を回されても困る。卿が言ったように知らない間でもないからと、つい……」
俺は勢い込むレイスを、身振りで押しとどめた。
「言い分は判るが、ギルドは面白く思わないやり方だ。俺にも義理やら潰せない顔がある。今後に差し支えるんだ。だから“依頼”としては受けられない」
「むう…………」
「まあ、友人の頼み事だと言うなら、話は別だが」
坊ちゃんはぽかんとし、そしてガタンと椅子を鳴らして立ち上がった。
「では……!」
「立つな」
俺は苦笑する。
「ただ条件があるぞ」
「あ、ああ、当然だ。仕事を依頼するのだから、相応の……」
「友人の頼みに金は取らないだろ」
「! ……や、しかし、それでは」
俺は手を振って、相手の言葉を遮った。
「それがひとつ目の条件だ。“依頼”なら受けないからな」
「む、むう……」
「気が引けるなら、一杯奢ってくれりゃいい。あんたの一番いい店でな。それともうひとつ、俺を“卿”と呼ぶのはよせ。“殿”もいらない。こっちも呼び捨てにさせてもらうぞ。それでいいかな……レイス?」
レイス・オランジナは、まるで少年のような顔で笑った。
「もちろんだ。礼を言うよ、ユマど……ユマ」
「後で謝礼を掴ませようとしたら、その場で友達やめるからな」
「む、それは困る……」
さて、こうして新しいお友達が出来たところで……本題に入ろう。
「で、まずはどう動く? その狼男のこと、どれだけ判ってるんだ?」
「貧民街で何かしら被害が出ていると聞くが、如何せん城と町屋は遠くてな」
「じゃあ、その線を辿ってみるか。ここから近い“鉄屑街”には、多少伝手がないでもない。まあ、最初から一番臭いとこに直行する手もあるが……」
王都には誰でも知っている、最も古くて複雑に入り組んだ貧民窟がある。どんなあぶれ者も受け入れ、金さえ出せば買えないものはない法の外。狼男なんてもんが潜むにはうってつけの隠れ場所だが、闇雲に突っ込んでも迷子になるだけだし、よりによって地区の呼び名があまりにも気に入らない。
人であれ狼であれ、他人を食いものにする連中が棲む街――“人狼街”、そこはずっと昔からそう呼ばれている。
俺が干し肉に手を伸ばし、食いちぎると、レイスが目を丸くした。
「え、ナイフを使わないの……?」
「やってみな、上品に食う倍旨いから。とにかく、俺も近く隊商の護衛が入っててな、それほどのんびりしてる時間はない」
「北方か?」
「ああ。だからさっさと片付ける」
俺は干し肉相手に格闘するレイスに、ぐっと身を乗り出した。
「明日からだ」
「むぐむぐ……明日、時刻は」
「今ぐらいからでいい。狼男が出るとすりゃあ夜だろ。それに」
「昼は“家族サービス”があるからな」
明日は可愛い妹を市場に連れて行く約束をしている。俺にとっては貴族様よりも逆らえない大事な依頼主なのだ。




