73.【下巻/サイド・パンタシア】白雪姫ノ罪ト罰
むかしむかしあるところに――
雪のように白く、血のように赤い、お姫様がおりました――……
白雪姫は嫉妬の言う意味を考えて、ふと、自分が法廷の真ん中で七人の悪魔に囲まれていることに気づきました。
法廷はますます赤く燃えていて、暑く、煙で目が痛み、肉が焼ける匂いがしました。けれどもそれは美味しそうな匂いではなく、火炙りの匂い、人の焼ける匂い、王様やお后やお城と町の人々、姫が悪魔に引き渡した人々の焼ける匂いでした。
「このような者の罪は何か?」
「嫉妬――」
七人の悪魔が宣告する罪は、法廷に響いて、まるで百人千人の悪魔が叫ぶようでした。
白雪姫は、もう悪魔達が親切でも優しくもなくなったことを知りました。親切も優しさも偽りの衣で、その衣はすっかり脱ぎ捨てられて、悪魔達は本当の衣を身に纏ったようでした。悪魔達は、もう……最初から白雪姫の友達ではありませんでした。悪魔達は、最初から、おとぎ話の親切な小人ではありませんでした。
七人の悪魔は七人の悪魔であって、七人の小人ではなかったのです。
「嫉妬の者、いかにすべき?」
白雪姫は何もかも知って、後ろを向いて逃げ出しました。たくさんの笑い声が白雪姫を追いかけてきて、槍となり鉤となり、背中に突き刺さり、引き倒そうとしました。
走って行くうちに、白雪姫の艶やかな黒髪は色を失い、また雪のように白くになりました。目と唇は、血のような赤でした。
白雪姫が走れば走るほど、悪魔から贈られた偽りの祝福はひとつずつ剥がれ落ちて、背中は曲がり、腕は捩じれ、右手の指は四本で左手の指は六本に戻りました。
白雪姫はそれでも、●●●の足で、小踊りするように走りました。
小踊りするように走っても、笑い声は少しも遠くなりませんでした。
こぉーん、木槌の音――……
白雪姫は、小踊りするように走りました
こぉーん、木槌の音――……
「七つ罪の手に委ねるべき――」
悪魔達が口々に叫ぶ声が、地鳴りとなって響きました。
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いつの間にか、白雪姫が駆けているのは、波が寄せて帰す真夜中の海辺でした。海は黒々とうねり、真っ白な砂が行く先と来た後ろに、始まりも終わりもなく続いておりました。
白い砂には白いかけらが散らばり、大きいのも小さいのもありました。
白雪姫は、かけらに躓きました。見るとかけらは人の頭の骨でした。砂と思ったのは、人の骨のかけらでした。砂浜と思ったのは、墓場でした。白雪姫の周りには、幾千もの墓碑が、始まりも終わりもなく立ち並んでおりました。
白雪姫は恐れによろめいて、傍らの墓碑に手を着きました。するとその墓石には、“ブラネージュ”と自分の名が彫られてありました。驚いた白雪姫が隣の墓石を見ると、そこにも自分の名がありました。
白雪姫は心臓の凍る思いがして、違う名を刻んだ墓を探しましたが、どの碑銘も葬られたのは白雪姫だと申し立てました。白雪姫の胸は鍛冶屋の鞴のように膨らみ、心臓は鍛冶屋の槌のように打ちましたが、どれだけ走ろうと、姫の名を刻まない墓はありませんでした。
そして彼方から、白雪姫に向かって、英雄の放った槍のように、海を砕いて迫る者がありました。
それは、海を煮立たせ、渦を巻かせ、荒れ狂わせました。それはサタナスにさえ支配されず、傷つけられず、怖れさえ知らない誇り高き暴君、白痴の獣でした。
それは嫉妬の叫び、悪魔レイヴァタでした。
レイヴァタは昏い海から踊り上がると、天地を揺るがすほどの咆哮を上げ、白雪姫をひと呑みに、また泡立つ海原に身を沈めました。その時の水柱は王都中の血を洗い流して、天国まで届いて天使達を驚かせて、“いと高き方”の衣の裾にさえ、飛沫が掛かって濡らしたほどでした。
レイヴァタが海に消えると、今度こそ沈黙があらゆるものの上に降り、何もかも覆い隠しました。
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こうして白雪姫は、その罪深さのために、自らも地獄へ落としてしまいました。
ただ、白雪姫は悪魔達のものになりましたが、罪の家のあの金の鍵の扉、悪魔達が開けてはならないと言いつけた、あの扉に挟み、金色になった左手の小指だけは、フェルテートには持ち去ることはできませんでした。
七人の悪魔は金色の小指を一瞥して、ふんと鼻を鳴らすと、申し分のない収穫に満足して家路に着きました。
七人の悪魔の後ろで、お城が、町が、何もかもががらがらと崩れ落ちて、瓦礫の山になりました。そこにはただ、金色の小指が残されるばかりでした。
やがて崩れ果てた町に、青き衣のミシエルと赤き衣のジブリールが訪れました。二人の御使いはこの場所でどのようなことが行われ、どのようなことになったのかひと目で知りました。御使い達は、罪深き者を救えなかったこと悔い、信仰薄き者達が主の恩寵を失い、堕ちた者達の囚人となったことを嘆き、涙を流しました。
ミシエルとジブリールは、白雪姫の黄金の小指と、二口齧られた林檎を見つけて、そっと拾い上げ、持ち帰りました。
栄光の王国では、神様が深い悲しみと苦しみに、御顔を手で覆っておられました。“いと高き方”は下界から戻った御使いから、黄金の小指と林檎をお受け取りになり、それを御手に乗せて考え込まれました。
主は恵み少き●●●者に生まれた娘を思われ、与えられねば満たされない心、本当はただ幸せになりたかった魂を思われ、人というものの愚かさ、哀しさを思われました。
神様は長いこと、そのように佇んでおられましたが、やがて頭を振ると、棚から小箱を取って、白雪姫の小指を入れると、他のたくさんの金色の指と一緒にしまい込まれました。
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さて、信心深い羊飼いが山から下りてくると、町があったはずのところは瓦礫の山で、お城も家もなくなっていて、誰もいなくなっておりました。羊飼いは知り合いの顔を探し、友達の名前を呼びながら、廃墟の町を歩きましたが、誰一人として見つかりませんでした。
途方に暮れた敬虔な男は、みんなが帰ってくるのを待つことにして、崩れた城壁によじ登り、角笛を吹きました。エルブールは町の人々が帰って来るのを待ちながら、いつまでも、いつまでも、角笛を吹き続けました。
ですから、もし、あなたが悪魔に一人残らず連れて行かれた町、少女が林檎ひとつで滅ぼした町を訪れることがあれば、今でも独りぼっちの羊飼いが吹く、角笛の音が聞こえてくるかもしれません。
或いは、悪魔の叩く木槌の音が。
めでたしめでたし――……
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るああ。めでたしめでたし、だ。
これがこの“封鎖区”の物語の、幻想的だと言えなくもない結末だ。
なーふ。幻想的っつても、悪魔やらが節操なく出る“世界観”ってだけで、それ以外はめちゃくちゃだけどな。ま、カルーシアの“世界観”を外れてるから“封鎖区”になるんだ、って話だけどな。
ところでさあ。
るああ。お前、このセラドの“核”が誰だったか、判ったかあ?
なーふ、白雪姫? そう思った?
うーぷす。正解は……今言うのは止めとこうかな。いっひっひ、勿体つけるんじゃねーけど、言わせんなよ、また会おうっつってんだよ。
どっちにせよ、お前は現実的な物語の結末も読んで来いよ。なーふ、どっちの結末がお気に召すかな?
るあっ、もう両方とも読んだって?
あれ、そうだっけ……? おかしいなあ……うーぷす、やっぱりかあ。
言っとくけどさ、アタシ、お前にこの話すんの初めてだぞ。
うーららあ、お前ってさあ、影響されやすい方? うーぷす。分裂構造のイマジカ、二つに分かれたセラドに触れて、、どうやらお前の“世界”もふたつに分かれちまったみてーだな。
るああ。お前がさっき話したのは、もう一人のアタシってことか。
うーぷす。もしかすっと、マズいかもなあ。ちと問題かもしんない。アタシがもう一人いるってことは、 別の“世界”が出来たんだ。帰り道を間違うなよ。あんまりおかしなことになったら、お前の“世界”が“封鎖区”になるぞ。
それは、“異世界監視人”の 仕事になっちまう。
とにかくアタシはまだ仕事があるからさ。お前も自分の“世界”に戻りなよ。まあ、今度はどっちのアタシに会うか知らねーけどさ、やれやれ。
るああ。それじゃあ――……
また別の時に、違う場所で――……
~“まっくらくらいの白雪姫”【サイド・パンタシア】・完~