70.【下巻/サイド・レアレテ】白雪姫ト招カレザル訪問者
幸せと不幸せを、取り替えましょう、白雪姫の毒林檎で。
悲しみと喜びを、取り替えましょう、白雪姫の毒林檎で。
森の道を、黒い衣に身を包んだ、痩せた娘が歩いておりました。この娘は魔女でした。魔女はこの森に棲むと言う、ドワーフを退治しに行くところでした。
ほんの少し前まで、ウィケッドは正直者のお父さんと働き者のお母さん、気立ても器量もいい二人のお姉さんと、ささやかに幸せに暮らしておりました。ある日突然、お城の兵隊達が、乱暴に家の扉を開けて、湯気の立つ食事を蹴り倒して、ずかずかと家の中を踏み荒らして、家族を残らず縛り上げてしまうまでは。
家族は訳も理解らずお城に引っ張って行かれ、そこで自分達に魔女の疑いが掛かっていることを知りました。裁判が開かれ、偉い司祭様達が、この者達こそ白雪姫に呪いをした魔女に違いないと言ったので、メーレは悪だくみの張本人として、生きたまま火炙りにされました。
正直な仕立て屋のペーレは、魔女を妻にした男として、首を括られました。
二人のソロルも、魔女として、ひどい責めを負わされた挙句に死にました。
末の妹は、命ばかりは助かりましたが、恐ろしい責めと、口には出来ない辱めを受けて、いっそ死にたいと願うばかりでした。
こうして、娘の家族と暮らしは、いとも容易く打ち壊されてしまいました。残ったのは無実の罪と謂れのない罰、魔女の汚名といつ果てるとも知れぬ苦しみだけでした。
何人かの人がおりました――……
王様は、実の娘を殺すための、毒を塗ったナイフを欲しておりました。
教会のお坊様達は、白雪姫に呪いをした罪人を探しておりました。その罪人は誰でも、別に本当に罪を犯した者でなくても構いませんでした。
娘の家族のことを、魔女だと密告したのは、隣の家の商人でした。娘の大きい方のお姉さんに言い寄って、袖にされたのがその理由でした。
そんなこととは知らぬまま、訳の判らないうちに、娘の家族は残らず死んでしまいました。
さて、望むこととて死を願うばかりの日々でしたが、ある時、娘は王様の前に召し出されました。王様は、森に小人が棲みつき、悪さをしていると言う。大臣は、これを退治してきたなら、罪を赦し、自由の身にしてやろうと言う。
娘はこれを聞いて、小さくひとつ頷きました。
けれども娘は、命が惜しくて頷いたのではありませんでした。もう、命も自由も欲しくはありませんでした。家族をみな目の前で殺されて、生きていて何になりましょう。
娘はただ、自分から全てを奪ったお城の偉い人達に、最後の銅貨まで取られるくらいなら、自分で持っていく方がいいと思っただけでした。
小人退治に赴く痩せっぽちの娘に、与えられたのは毒の酒がひと瓶と、ナイフが一本きりでした。
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それで魔女の娘は、小人達の棲み処と噂される、森の中の古い教会を探して歩いておりました。
森が深くなるにつれ、暗くなるにつれ、死を願ったはずの身ではありながら恐ろしくなり、木陰から何かがこちらを窺っているのではないか、いきなりおかしなものが飛び出して来るのではないか、とびくびくしながら歩いておりました。
ほどなく森が開けた場所に出て、魔女の娘は、蔦の絡まる今にも崩れそうな古い教会の前に立っていました。教会は人が訪れなくなって、何年も、何十年も、ことによると百年も立っているように見え、いかにもドワーフが棲むのに相応しく思えました。
森の空き地の教会はお日様に浮かび上がり、光の当たる方の壁には蔦が絡み、当たらない方は苔むして趣き深い佇まいでした。
建物の周りの草は刈り取られ、薪がきちんと積み上げられており、煙突から竈の煙が立ち上っておりました。けれども、怯え切っている娘の目には入りません。辺りに漂うパン焼きのいい匂いにさえも、娘は気づいておりませんでした。
魔女の娘は心の底から怯えておりましたが、とうとう覚悟を決めると、教会の扉を、ひとつ、二つ、三つ叩きました。
扉が開いて、中から顔を出したのは、見るも恐ろしい女のドワーフでした。
その小人ときたら、体は枯れ木のように捩じれ、髪と肌は雪のように真っ白、目と唇は血のように真っ赤でした。
魔女の娘は女の醜さに驚きましたが、その背中の向こうに見える教会の中が、いかにも居心地良くしつらえられていて、かつて自分が家族と暮らしていた家にそっくりであることに、もっと驚きました。小人とか妖精とかいうものは、暗くてじめじめしたところに棲んでいるものと思っていたのです。
小人の女は、魔女の頭のてっぺんから爪先まで、値踏みするように見ると、
「人間の娘が、こんなところに何の用だ?」
と訊ねました。恐ろしさに魔女の娘が震え上がっておりますと――
「おや、これは本当に、きれいなお客さんじゃないかい」
別の声がして、魔女の膝はがくがくと震え、森の木々まで一緒になって揺れるようでした。女の小人の後ろから二人のドワーフが現れ、魔女の後ろからも五人がぞろぞろやって来て、魔女はひとつ目男やら二つ胴男やらに、すっかり取り囲まれているのでした。
魔女の娘は恐ろしさのあまり死んでしまいそうでしたが、お腹に力を入れると、
「私は物売りです。私の品物がお気に召したら、買ってください」
そうひと息に言って、手籠から毒の入った酒を取り出すと、
「これは林檎のお酒です。どうですか、いりませんか?」
と丁寧にお辞儀をしました。
するとドワーフの中から、顔が砂糖菓子みたいに溶けかかった男が歩み出て、顎を撫で撫で、
「ほう、葡萄の酒ならよくあるが、林檎の酒とは珍しい。どれ」
と手を伸ばしましたので、魔女の娘はどうやら事が上手く運ぶのではないかと、心臓が早鐘のように打ちました。ところがです――……
「……――待て」
女の小人が六本指の手で、リコレット顔の男の、酒瓶に伸びた手を押さえたのです。女のドワーフの睨みつける目つき、その燃えるように赤い目に、魔女の胸は倍も早く打ちました。
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鼻欠けの手を押さえた白雪姫は、林檎という言葉を聞いて、不吉な思いに捕らわれました。林檎はいけない、野遊びの昼餉に、愚かな騎士に毒を食わせた林檎は。白雪姫は魔女の娘の手から酒瓶を取ると、その鼻先に突きつけました。
「飲んでみせろ」
「気に入らない、どうにも気に入らないね。ひとつに、お前みたいな小娘が、わざわざドワーフのいる森に、物売りに来るってのが気に入らない。もうひとつに、我らの●●●を見て、驚かないのが気に入らない」
「お前、もうすっかり判っていて、覚悟が出来ているって顔じゃあないか。お前、何を企んでいるんだい、ええ?」
父が自分を亡き者にしようと決めた時、その目にあった小さい火が、この娘の瞳の中で揺れていました。
白雪姫は知っておりました。
喩え痩せっぽちの小娘であろうと、覚悟の決めた者は、間抜けな騎士の何倍も何十倍も恐ろしいということを。




