65.【上巻】白雪姫、嘘ヲ吐イテイルノハ誰?
魔女を探せ、魔女を探せ。指差した子には金の鈴。
見つけた魔女は、火にくべろ。
さてさて、渦中のお城の中で、ひどく心を痛めていたのは王様でした。
王様はお后を心から愛しておりましたし、お后が魔女だなどと、少しばかりも疑っておりませんでした。王様はもう二度と、愛する者を失いたくないと思いました。王様は、魔女の影に悩む王であり、妻の身を憂う夫であり、僅かに、ほんのちょっぴりではありましたけれど、娘を気に掛ける父でありました。
そしてことがお后が病に臥せるに至っては、もはや捨ててはおけず、王様は城中の者を広間に集めました。
大臣や隊長から女中に馬飼いまで、家来達が残らず集まったのを見ると、王様は今は座る者のない、玉座の隣の座を指差して、
「これは誰の座か」
と訊ねました。
「お后様の座でございます」
すると大臣はそう答えました。これを聞いた王様、
「さよう。そなたらの讒言と辱めに、病に臥た我が妻の座だ」
そう言うや、腰の短剣を抜くが早いか――
自らの左の掌を切りつけました。
見る見る床に広がる鮮血に仰天し、慌てて駆け寄る家来達を血濡れの手で制し、王様は額に怒りも露わに言いました。
「そなたらに問う。その不遜な目は、証あればこそか」
「いいえ」
「その恥知らずな口は、正当の理由があってか」
「いいえ」
「重ねて問う。后を、こともあろうに魔女を謗るは、証あってのことか」
「いいえ」
そこで王様は、血の流れる拳を握り締め、高々と掲げると、雷鳴の轟くごとく叫びました。
「なれば、余は王の血に、后の潔白を宣言する! 今後何人たりとも、公にも陰にも、后を疑うことは余が赦さぬ。異があれば今この場にて申し出よ。さもなくば永遠に沈黙せよ」
王様はぐるりと、家来達の顔を見回しました。
誰も申し出る者がないと見ると、王様は壁の王国旗をむしり取り、手の傷に巻き付けて、そのまま後も見ずに大広間を去りました。
残された者は、誰もひと言も口を利くことができませんでした。
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こうしてレジナの身の証を立てた王様でしたが、安堵の息はつけません。
なぜなら、騒ぎは治めど、魔女のことは収まらず。
王様は真夜中の広間に一人、考え事をしておりました。
白雪姫の黒猫を手に掛け、呪いをし、スープに目玉を浮かべた、本物の魔女はどこなのやら。お后に罪を着せ、王家に刃を向ける、本物の魔女は誰なのやら。それほどに、レジナを憎むのは誰なのやら……
あの時、白雪姫のスープに目玉を入れられたのは、誰なのやら――……
王様は不意に目を見開き、玉座から立ち上がりました。唇がわなわな震え、握り締めた手から血が滴るにも気づかぬ有り様でした。それどころか、その考え、心に浮かんだ恐ろしい考えに、息をするさえ忘れ、心臓も打つのを忘れるほどでした。
「まさか……」
王様は呟きました。誰もいない広場に、呟きが虚ろに響いていきました。
自らの声におののき、王様はその考えを打ち消しました。けれどもそれは亡霊のように、追い払って追い払っても囁きかけてくるのでした。王様は玉座に腰を落としました。
「まさか――……」
その夜、王様は少しも眠ることができませんでした。
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あくる朝、王様と廊下で出会い、挨拶をしようとした白雪姫は、お父様の目に、小さな小さな光を見ました。それは今までに幾度も、実の父が娘を見る目に瞬いては消えた、馴染みのある火でした。
しかし今、王様の目の炎は白雪姫が見つめても揺らぎはせず、小さいながら赤々と燃えておりました。ブラネージュは素知らぬ顔で会釈して、ひょこひょこと擦れ違いました。
(年老いた蛇め――……)
父上が覚悟を決めたのならば、私もそれ相応の覚悟をしなければならない。ああ、それこそ、何もかも失う覚悟を。
ブラネージュは振り向きもせず、ひょこひょこと歩いていきます。
だが、私が覚悟を決めたなら、みなも相応の報いを覚悟しなければならない。ブラネージュの目にもまた、小さく赤く、揺るぎない火が灯っておりました。
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さても珍しいことに、その日、白雪姫の部屋に王様がやって来ました。
王様が自分に言葉を掛けることも滅多にないことの上、その目にあの火を灯していては、ブラネージュはもし王様が腰の剣に手を伸ばすならば――と、傍らの燭台に目をやりました。
ところが王様は、思いがけず優しげな様子で微笑み掛けました。
「娘よ。先の魔女の騒ぎ、ひとまず収まって姫も安心したことだろう。されど、そなたは愛でていた猫を殺され、母上を魔女と謗られ、さぞ辛い思いをしたことであろうな」
「はい、お父様」
白雪姫は従順げに答えながら、王様に気は許しません。ですから、お父様と呼ばれた王様の顔が、微かに顰められたことに、ちゃんと気づいていました。
しかし王様もさる者、すぐに笑顔の仮面をつけて、姫の四本指の右手を優しく取りました。
「だが、フィーリア。このように部屋にこもり、鬱々としていては、身の毒ぞ。なれば我が信厚き者を供につける故、ひとつ野遊びにでも興じてみてはどうか。そなたは部屋を出ることも滅多にない。時に城を離れ、野の花に遊べば、きっと気も晴れようというもの」
王様は自分の名案に、うんうんと頷きました。
「今は気が進まぬやも知れぬが、きっと後悔はせぬはずだ。いやいや、父上は姫の身を案じればこそ、そなたが気乗りせずとも、無理にでも連れ出させよう」
ああ、そういうことか――……ブラネージュは思いました。
父上の勧めに従えば、たぶん夕刻くらいに、城に“不幸な知らせ”が届くかもしれない。そう、自分が崖から落ちた、というところか。父上は嘆き悲しみ、供の者を責に首を刎ねるか――いや、違うな、死ぬまで牢に閉じ込めるかもしれない。牢番は空の牢を見張り、幾許かの銀貨が牢番の口を閉ざすのだ。
そして明日の朝には、ポケットを金貨で膨らませた誰かが、街道を歩いているのが見られるかもしれない……
白雪姫が窓の外に目をやると、折よく雨粒が木の葉を叩いておりました。そこで姫は言いました。
「まあ、それはまことに良い考えですし、お父様のお心遣いも嬉しく存じます。ですが、ご覧ください。今朝は雨……」
「これでは野辺の遊びも興を損ねます。折角のことでございますなら、雨が上がるのを待つことに致しましょう」
王様はこれを聞くと姫の言うことももっともだ、と思いました。“待てない狼は飢えて死ぬ”の喩え、白雪姫も気乗りしている様子であれば、王様はその日はそれで引き下がることにしました。
白雪姫は、少しの時間を得ることができました。
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次の日。
雨は上がっていましたが、空は雲に覆われ、日の光はひと筋も差しておりませんでした。そこで白雪姫は、再び部屋を訪れた王様に訴えました。
「ああ、今朝は雨は上がりましたけれど、お日様は雲に隠されております。この薄暗く寒い日に、野に出て何の気が晴れるでしょう。もう一日待てばきっと太陽も顔を出しましょう。私は、楽しみにしているのです」
王様はこれを聞くと、やっぱりもっともだと思いました。白雪姫が快いように連れ出してやれば、それだけ事も首尾よく運ぼうというもの。そこで王様は、また約束を一日送りにしました。
白雪姫はまた、少しの時間が許されました。
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さて、そのまた次の日。
空を覆っていた雲は去り、太陽が誇らしげに王国中を照らしておりました。鳥は歌い、木々の緑は濃く、風は洗われて澄んで、もう白雪姫がお城に留まる理由は、ひとつもありませんでした。
そこでブラネージュは、三度部屋を訪れた王様に言いました。
「さあ、参りましょう! この日を逃してなりません。馬飼いに馬車と御者を、下働きの女達には籠と敷物を、料理番にはパンと葡萄酒を用意させましょう」
王様はこれを聞くと喜んで、すぐさまみなに命じて姫の支度をさせる傍ら、密かに忠実の騎士を呼びつけて、そちらにも支度をさせました。
王様は立派な馬車を御者に牽いてこさせ、白雪姫にパンと葡萄酒、焼いた肉に果物、美味しいものをたっぷり詰めた籠を手渡し、騎士を共につけると、森へと送り出しました。
これでもう、二度と娘の姿を見ることもない、そう思うと何やら立ち去り難く、王様は小さくなっていく馬車を、いつまでも見送っておりました――……




